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彼女の優しい嘘の理由 30
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理由も聞かぬまま、康一郎は俺を屋敷に通した。
そして、勝手のわからぬ屋敷を康一郎について歩いた。お互いに黙ったまま階段をのぼる。
康一郎の動きを観察していると、いくつもの扉を無視して、その先にある突き当たりの扉に手を掛けた。
「ここが俺の部屋だ。七季がこの家にやってくるなんて驚きだよ」
「迷惑だったか?」
「いいや。暇だったから気にするな」
康一郎は、そう言って俺を気遣った。
俺はそのときになって、ようやく部屋の中を見渡すだけの心の余裕ができた。
部屋の中は、予想を遥かに凌ぐ広大さで、ビリヤード台を三台ほど置いたとしても尚、スペースが余るだろう広さを有していた。さすがは中上家、と思わず嘆息する。
俺は気を取り直して康一郎を瞳に捉えて言った。
「わかってると思うけど、今日は、お前の部屋を見せてもらいにきたわけじゃない。大事な話があるんだ」
自分でも、声音がガラリと変わったのを感じた。
「学校まで待てないくらい大事な話っていったいなんなんだ?」
「単刀直入に言わせてもらう。康一郎、お前がすべてを裏で操っていたんだろう?」
「言っている意味がわからないな」
鼻で笑って、康一郎はそう言い張った。その挑発するような態度に、冷静さを保とうと思っていた俺も堪らず腹が立った。掴みかからんとする勢いで啖呵を切る。
「認めないなら論破してやるよ。お前が、言い逃れできないようにな」
「それは楽しみだ」
またニヤリと厭らしく康一郎は笑った。
俺は小さく舌打ちをし、康一郎から離れる。
「まずは江藤先生についてだ。あの人の悪い噂を、康一郎もいくつか知っているはずだ。その噂の中に、江藤先生が教え子に援助交際を持ちかけていたというものがあったんだが、それはただの噂ではなく事実だったんだよ。被害者は大勢いるらしい。俺が知っているだけでも二人、被害に遭っている」
「へえ、それは初耳だな」
康一郎の白々しい返事を無視して、俺は続けた。
「ところで康一郎。お前、前に達夫が江藤先生の悪い噂を話しているとき、庇うようなことを言っていたよな」
「当たり前だろう。世話になった教師の悪口を言われれば、誰だって庇おうとする」
「ずっと聞きたかったんだが、康一郎は、江藤先生からどんな世話を受けたって言うんだ?」
「どんなって、生徒会の仕事で相談に乗ってもらったと前に言わなかったか?」
嘘だな、と俺は康一郎の言葉を即座に否定した。
「江藤先生は生徒会とはなんの関係もない教員だ。まして、相談に乗るなんて熱心な教師でもない。それになにより、無関係の教員に相談を持ち掛けるような非効率な真似、お前がするとも思えない」
教師なら、他にも生徒指導や学年主任といった相談すべき相手がいる。ではなぜ、康一郎は江藤先生を頼ったなどと嘘を吐き、庇うのか。
「他にあるんだろう? 江藤先生を庇わなければならない理由が」
「なんだ七季。今日は随分と雄弁じゃないか。だけど、言っていることは支離滅裂だ。自分が通う学校の教員だぞ。それは言い換えれば、誰しもが世話になっていると言えるんじゃないのか?」
確かに、康一郎の言い分は正しいのかもしれない。
教師の仕事が教壇に立つだけ、などと考えているわけではない。より良い教育を施すために、教員も勉強をするし、生徒の評価をテストの成績だけで判断しないために様々な工夫をこらしている。もちろん、俺が知らない部分でも世話を掛けているのだろうと思う。だけど、その程度の反論で屈するようなら、そもそも中上家に乗り込むような真似はしていない。
「確かに、康一郎の言っていることは筋が通ってるよ。でもな、納得はできないんだ。友達である達夫と口論になってまで、江藤先生を庇う理由としては弱いように思えてならない。だが、江藤先生への悪口が康一郎にとって不利益になるのだとすれば、話は変わってくるよな?」
すると、先ほどまでの余裕はどこかへ消え失せ、康一郎は鋭い眼光を向けてくる。
俺は自分の言葉に自信を持ち始め、それが口調にも表れた。
「例えば、達夫が流していた江藤先生の悪い噂の中に、康一郎が関与していた悪事が含まれていたとしたらどうだろう。江藤先生に悪い噂が持ち上がれば、それに関与していた人間も芋蔓式で浮上してくる可能性がある。だから、達夫と口論になってでもやめさせたかった。自分の保身のために。違うか?」
言わんとすることを理解したのか、康一郎は言及した。
「その悪事っていうのが援助交際で、しかも俺が関わっていたと言うのか?」
馬鹿馬鹿しい。態度がそう物語っていた。
「七季は、俺が女子生徒を金でどうこうしようとしたって、本気で思っているのか?」
「そうは言ってない。お前は、援助交際に参加はしていなかった。あくまで江藤先生の手助けをしていただけなんだろうさ」
それは確証ではない。しかし、康一郎ならば金をチラつかせるまでもなく、女性関係には不自由しないだろう。
「ただ一つ言えること」
俺は眉間に皺をよせ、思いきり康一郎を睨めつけた。
「それは、お前が沙良を陥れたということだ。お前は、援助交際の相手を沙良にするようにと、江藤先生に口添えしたんだ。〝これと同じ写真〟を渡してな」
ポケットから写真を取り出す。出てきた写真は、昨日、彩香から預かったものだ。映っているのは惨殺魔、更級平良の狂気の姿である。
「見覚えあるはずだ」
乱暴に突き出した右手が康一郎の胸に当たる。
それを黙って受け取った康一郎は、写真を一瞥してから納得の声を上げた。
「なるほど。枯井戸さんから聞いたんだな?」
もう下手な言い逃れはしないつもりらしい。
俺は、業腹ながら頷いた。
「そうだ。彩香からすべて聞いたんだよ。惨殺魔の犯行現場を写真に収めた彩香は、ネット上に画像をアップし、情報を求めていた。この写真に映る人物は誰ですかってな。だから俺は、てっきり江藤先生はインターネットから画像を手に入れたとばかり思っていた。だけど昨日、彩香の話を聞いてそうではないとわかったよ。彩香は〝興信所〟にも写真を預け、捜索の依頼をしていたんだ。そして彩香に興信所を紹介したのは康一郎、お前だ。彩香本人に確認したからそれは間違いない」
そもそも、一介の高校生である彩香が誰の紹介もなしに興信所に依頼できたとはとても思えない。仲介役となった人間がいて然るべきなのだ。そうして行き着いた答えが、中上康一郎だった。
この町で権力を持つ中上家の嫡子にして、俺とは中学時代からの腐れ縁。つまり、彩香と康一郎もまた、同様に同じ中学出身なのである。しかも俺を介して、二人は何度か顔を合わせたことがある。そのときに連絡先の交換でもしていたのだろう。
「彩香は、中学で知り合った康一郎の存在を思い出し、相談することにしたんだ。なにせお前は、ショッピングモールを展開する中上グループの子息だ。頼りになる人間を紹介してくれると思ったんだろう。そして、康一郎は中上グループの息が掛かった興信所を紹介した」
康一郎は肩を竦め、大したことでもないように言う。
「地上げなんかのときには便利らしいんだよ。弱みを握ってしまえば、大概は黙って立ち退いてくれるからな。探偵は、そのために雇っているんだ」
あくまで父の会社でだがな、とあとに続けた。
俺は、予想通りの返答に頷いて、また口を開いた。
「彩香は、康一郎から紹介された興信所に写真を預けた。しかし、依頼してからどれだけ待っても有力な情報は流れてこない。いくつか現像した写真を渡しただけだし、康一郎の口添えで無料にしてもらったこともあって、文句を言うことができなかったそうだ」
「枯井戸さんには悪いけど、興信所だって暇じゃないんだ。金にならない仕事に本腰を入れてもいられないさ」
「それじゃあ、彩香から預かった写真はどこへやった?」
「写真? ああ、そういえば新事業関連の調査のごたごたで紛失してしまったと連絡があったな。だが、別に構わないだろう。枯井戸さん、写真は何枚か現像していたようだし、そもそも金も受け取っていない。彼女に損失はないはずだ」
俺は唇を噛み締めた。その言葉の真偽を探る方法を、俺は持ち合わせていないのだ。
興信所が、本当に中上グループの新事業関連の仕事に着手しているのか知る術がない。しかし、これだけは言える。康一郎の言葉は信憑性に欠けるのだ。
そもそも、中上グループと専属契約を交わすほどのスタッフが、写真に写る人物の捜索にそれほど手間取るとは思えない。企業に雇われる探偵とは、ライバル会社の役員クラスの秘密を握ろうと画策するため、一つ間違えればその業界から抹殺される可能性を孕む、大変危険な仕事だと聞いたことがある。
それに比べて、彩香の依頼は難易度の低いものだと言える。それが金にならない仕事だったとしても、中上グループの御曹司の口添えともなれば、力の入れようも変わってくるはずだ。
これらを鑑みるに、彩香の依頼は最初から完遂するつもりがなかったのだろうと容易に想像できた。そもそも重要な情報を取り扱う興信所が、依頼主から渡された写真を紛失してしまうこと事体、ありえないことだ。そうなると預かった写真はどこへ消えたのか。その観点から康一郎を追及することにした。
「写真の話だが、優秀な興信所が本気を出せば写真に写った人物を特定することは可能だろう。そして、その利用価値を知ったお前は、情報を彩香に伝えようとはしなかった。その代わりに」
体が震えるのを感じ、俺は弱気に負けないよう腹に力を込めた。
「その代わりに、手に入れた写真を江藤先生に渡したんだ。『これを使って脅せば、金なんて払わなくても女子高生を言いなりにできる』とかなんとか言って、あの教師をそそのかしたんだろう」
怒りに満ちた言葉を受けても、康一郎は鼻で笑う。
「わからないな。江藤先生が、偶然にもインターネットで画像を見つけたのかもしれない。それをプリントアウトした可能性だって十分に考えられるだろう。枯井戸さんがネット上にも写真をアップしていたと、さっき七季自身が言っていたじゃないか」
「確かに言った。だけど、仮にネットから画像を拾ったとして、そこに写っている少年が沙良の弟だとなぜ江藤先生が気付ける? 沙良の弟は俺たちの高校の生徒じゃないんだぞ。それに、彩香がネットにアップした画像には、目の部分にぼかしが入っているんだ。彼女自身がマジックで塗った簡易のモザイクで、流石に素顔を晒すのは躊躇ったんだそうだ。そうなると、更級平良と関わりのない江藤先生が目隠しの入った写真から人物を特定するのはほとんど不可能だ」
それにもう一つある。
昨日、沙良は写真を見てひどく驚いていた。江藤先生が脅しに使っていた写真と、"まったく同じ物"を俺が持っていたからだ。
江藤先生が脅しに使っていた物がもしもネット上にアップされた〝ぼかし〟の入った写真だったなら、原本の目隠しの入っていない写真を持っていた俺に、「まったく同じ」なんて表現を沙良はしないはずだ。その齟齬に言及されて然るべきなのである。
「江藤先生が脅しに使っていたのは、ぼかしの入っていないオリジナルの写真だった。だとすると、興信所から流出でもしないかぎり、江藤先生がぼかしの入っていない物を手にすることはできないんだよ。彩香は興信所の他に原本の写真を誰にも渡していないと言っていた。そして、興信所と江藤先生の間を繋ぐ人間がいるとすれば、それは康一郎だけだ」
喉が引きつって、上手く言葉にできたか心配だった。昨日からずっと抑えてきた怒りが、いまこうしている間も爆発してしまいそうになる。それでも、震える声で俺は訴えかけた。
「沙良は、その写真の所為で言いなりにならざるを得なかったんだ。あんな男にいいようにされて、望んでもいない子供を身籠った。それでも逆らうことができずに、言いなりになって……」
そして、妊娠の相手を隠すために、俺と付き合うことになった。それでも沙良は笑っていた。そんな仮初の日々でも楽しかったと笑ってくれた。俺のようなどうしようもない男を、それでも笑って受け入れてくれたのだ。
「だから俺は、江藤先生を絶対に許さない。それが沙良にできるせめてもの義理だてだと思うから。だけど、あの男はもうこの世にいないんだ。沙良がその手ですべてを終わりにした。だから、俺にできることは、真実を明らかにすることだけだ。真実を隠して逃げ遂せようとしているやつを、引きずり出すこと」
その瞳は、真っ直ぐに康一郎を射抜いた。
だが、康一郎はその瞳を軽くかわしてみせた。
「仮説としては面白い。だけど、それだけの理由で俺が関わっていたとするのは、あまりに早計じゃないか?」
俺は奥歯に力を込めた。これでも認めようとしないのなら、次の手を繰り出すだけだ。
そして、勝手のわからぬ屋敷を康一郎について歩いた。お互いに黙ったまま階段をのぼる。
康一郎の動きを観察していると、いくつもの扉を無視して、その先にある突き当たりの扉に手を掛けた。
「ここが俺の部屋だ。七季がこの家にやってくるなんて驚きだよ」
「迷惑だったか?」
「いいや。暇だったから気にするな」
康一郎は、そう言って俺を気遣った。
俺はそのときになって、ようやく部屋の中を見渡すだけの心の余裕ができた。
部屋の中は、予想を遥かに凌ぐ広大さで、ビリヤード台を三台ほど置いたとしても尚、スペースが余るだろう広さを有していた。さすがは中上家、と思わず嘆息する。
俺は気を取り直して康一郎を瞳に捉えて言った。
「わかってると思うけど、今日は、お前の部屋を見せてもらいにきたわけじゃない。大事な話があるんだ」
自分でも、声音がガラリと変わったのを感じた。
「学校まで待てないくらい大事な話っていったいなんなんだ?」
「単刀直入に言わせてもらう。康一郎、お前がすべてを裏で操っていたんだろう?」
「言っている意味がわからないな」
鼻で笑って、康一郎はそう言い張った。その挑発するような態度に、冷静さを保とうと思っていた俺も堪らず腹が立った。掴みかからんとする勢いで啖呵を切る。
「認めないなら論破してやるよ。お前が、言い逃れできないようにな」
「それは楽しみだ」
またニヤリと厭らしく康一郎は笑った。
俺は小さく舌打ちをし、康一郎から離れる。
「まずは江藤先生についてだ。あの人の悪い噂を、康一郎もいくつか知っているはずだ。その噂の中に、江藤先生が教え子に援助交際を持ちかけていたというものがあったんだが、それはただの噂ではなく事実だったんだよ。被害者は大勢いるらしい。俺が知っているだけでも二人、被害に遭っている」
「へえ、それは初耳だな」
康一郎の白々しい返事を無視して、俺は続けた。
「ところで康一郎。お前、前に達夫が江藤先生の悪い噂を話しているとき、庇うようなことを言っていたよな」
「当たり前だろう。世話になった教師の悪口を言われれば、誰だって庇おうとする」
「ずっと聞きたかったんだが、康一郎は、江藤先生からどんな世話を受けたって言うんだ?」
「どんなって、生徒会の仕事で相談に乗ってもらったと前に言わなかったか?」
嘘だな、と俺は康一郎の言葉を即座に否定した。
「江藤先生は生徒会とはなんの関係もない教員だ。まして、相談に乗るなんて熱心な教師でもない。それになにより、無関係の教員に相談を持ち掛けるような非効率な真似、お前がするとも思えない」
教師なら、他にも生徒指導や学年主任といった相談すべき相手がいる。ではなぜ、康一郎は江藤先生を頼ったなどと嘘を吐き、庇うのか。
「他にあるんだろう? 江藤先生を庇わなければならない理由が」
「なんだ七季。今日は随分と雄弁じゃないか。だけど、言っていることは支離滅裂だ。自分が通う学校の教員だぞ。それは言い換えれば、誰しもが世話になっていると言えるんじゃないのか?」
確かに、康一郎の言い分は正しいのかもしれない。
教師の仕事が教壇に立つだけ、などと考えているわけではない。より良い教育を施すために、教員も勉強をするし、生徒の評価をテストの成績だけで判断しないために様々な工夫をこらしている。もちろん、俺が知らない部分でも世話を掛けているのだろうと思う。だけど、その程度の反論で屈するようなら、そもそも中上家に乗り込むような真似はしていない。
「確かに、康一郎の言っていることは筋が通ってるよ。でもな、納得はできないんだ。友達である達夫と口論になってまで、江藤先生を庇う理由としては弱いように思えてならない。だが、江藤先生への悪口が康一郎にとって不利益になるのだとすれば、話は変わってくるよな?」
すると、先ほどまでの余裕はどこかへ消え失せ、康一郎は鋭い眼光を向けてくる。
俺は自分の言葉に自信を持ち始め、それが口調にも表れた。
「例えば、達夫が流していた江藤先生の悪い噂の中に、康一郎が関与していた悪事が含まれていたとしたらどうだろう。江藤先生に悪い噂が持ち上がれば、それに関与していた人間も芋蔓式で浮上してくる可能性がある。だから、達夫と口論になってでもやめさせたかった。自分の保身のために。違うか?」
言わんとすることを理解したのか、康一郎は言及した。
「その悪事っていうのが援助交際で、しかも俺が関わっていたと言うのか?」
馬鹿馬鹿しい。態度がそう物語っていた。
「七季は、俺が女子生徒を金でどうこうしようとしたって、本気で思っているのか?」
「そうは言ってない。お前は、援助交際に参加はしていなかった。あくまで江藤先生の手助けをしていただけなんだろうさ」
それは確証ではない。しかし、康一郎ならば金をチラつかせるまでもなく、女性関係には不自由しないだろう。
「ただ一つ言えること」
俺は眉間に皺をよせ、思いきり康一郎を睨めつけた。
「それは、お前が沙良を陥れたということだ。お前は、援助交際の相手を沙良にするようにと、江藤先生に口添えしたんだ。〝これと同じ写真〟を渡してな」
ポケットから写真を取り出す。出てきた写真は、昨日、彩香から預かったものだ。映っているのは惨殺魔、更級平良の狂気の姿である。
「見覚えあるはずだ」
乱暴に突き出した右手が康一郎の胸に当たる。
それを黙って受け取った康一郎は、写真を一瞥してから納得の声を上げた。
「なるほど。枯井戸さんから聞いたんだな?」
もう下手な言い逃れはしないつもりらしい。
俺は、業腹ながら頷いた。
「そうだ。彩香からすべて聞いたんだよ。惨殺魔の犯行現場を写真に収めた彩香は、ネット上に画像をアップし、情報を求めていた。この写真に映る人物は誰ですかってな。だから俺は、てっきり江藤先生はインターネットから画像を手に入れたとばかり思っていた。だけど昨日、彩香の話を聞いてそうではないとわかったよ。彩香は〝興信所〟にも写真を預け、捜索の依頼をしていたんだ。そして彩香に興信所を紹介したのは康一郎、お前だ。彩香本人に確認したからそれは間違いない」
そもそも、一介の高校生である彩香が誰の紹介もなしに興信所に依頼できたとはとても思えない。仲介役となった人間がいて然るべきなのだ。そうして行き着いた答えが、中上康一郎だった。
この町で権力を持つ中上家の嫡子にして、俺とは中学時代からの腐れ縁。つまり、彩香と康一郎もまた、同様に同じ中学出身なのである。しかも俺を介して、二人は何度か顔を合わせたことがある。そのときに連絡先の交換でもしていたのだろう。
「彩香は、中学で知り合った康一郎の存在を思い出し、相談することにしたんだ。なにせお前は、ショッピングモールを展開する中上グループの子息だ。頼りになる人間を紹介してくれると思ったんだろう。そして、康一郎は中上グループの息が掛かった興信所を紹介した」
康一郎は肩を竦め、大したことでもないように言う。
「地上げなんかのときには便利らしいんだよ。弱みを握ってしまえば、大概は黙って立ち退いてくれるからな。探偵は、そのために雇っているんだ」
あくまで父の会社でだがな、とあとに続けた。
俺は、予想通りの返答に頷いて、また口を開いた。
「彩香は、康一郎から紹介された興信所に写真を預けた。しかし、依頼してからどれだけ待っても有力な情報は流れてこない。いくつか現像した写真を渡しただけだし、康一郎の口添えで無料にしてもらったこともあって、文句を言うことができなかったそうだ」
「枯井戸さんには悪いけど、興信所だって暇じゃないんだ。金にならない仕事に本腰を入れてもいられないさ」
「それじゃあ、彩香から預かった写真はどこへやった?」
「写真? ああ、そういえば新事業関連の調査のごたごたで紛失してしまったと連絡があったな。だが、別に構わないだろう。枯井戸さん、写真は何枚か現像していたようだし、そもそも金も受け取っていない。彼女に損失はないはずだ」
俺は唇を噛み締めた。その言葉の真偽を探る方法を、俺は持ち合わせていないのだ。
興信所が、本当に中上グループの新事業関連の仕事に着手しているのか知る術がない。しかし、これだけは言える。康一郎の言葉は信憑性に欠けるのだ。
そもそも、中上グループと専属契約を交わすほどのスタッフが、写真に写る人物の捜索にそれほど手間取るとは思えない。企業に雇われる探偵とは、ライバル会社の役員クラスの秘密を握ろうと画策するため、一つ間違えればその業界から抹殺される可能性を孕む、大変危険な仕事だと聞いたことがある。
それに比べて、彩香の依頼は難易度の低いものだと言える。それが金にならない仕事だったとしても、中上グループの御曹司の口添えともなれば、力の入れようも変わってくるはずだ。
これらを鑑みるに、彩香の依頼は最初から完遂するつもりがなかったのだろうと容易に想像できた。そもそも重要な情報を取り扱う興信所が、依頼主から渡された写真を紛失してしまうこと事体、ありえないことだ。そうなると預かった写真はどこへ消えたのか。その観点から康一郎を追及することにした。
「写真の話だが、優秀な興信所が本気を出せば写真に写った人物を特定することは可能だろう。そして、その利用価値を知ったお前は、情報を彩香に伝えようとはしなかった。その代わりに」
体が震えるのを感じ、俺は弱気に負けないよう腹に力を込めた。
「その代わりに、手に入れた写真を江藤先生に渡したんだ。『これを使って脅せば、金なんて払わなくても女子高生を言いなりにできる』とかなんとか言って、あの教師をそそのかしたんだろう」
怒りに満ちた言葉を受けても、康一郎は鼻で笑う。
「わからないな。江藤先生が、偶然にもインターネットで画像を見つけたのかもしれない。それをプリントアウトした可能性だって十分に考えられるだろう。枯井戸さんがネット上にも写真をアップしていたと、さっき七季自身が言っていたじゃないか」
「確かに言った。だけど、仮にネットから画像を拾ったとして、そこに写っている少年が沙良の弟だとなぜ江藤先生が気付ける? 沙良の弟は俺たちの高校の生徒じゃないんだぞ。それに、彩香がネットにアップした画像には、目の部分にぼかしが入っているんだ。彼女自身がマジックで塗った簡易のモザイクで、流石に素顔を晒すのは躊躇ったんだそうだ。そうなると、更級平良と関わりのない江藤先生が目隠しの入った写真から人物を特定するのはほとんど不可能だ」
それにもう一つある。
昨日、沙良は写真を見てひどく驚いていた。江藤先生が脅しに使っていた写真と、"まったく同じ物"を俺が持っていたからだ。
江藤先生が脅しに使っていた物がもしもネット上にアップされた〝ぼかし〟の入った写真だったなら、原本の目隠しの入っていない写真を持っていた俺に、「まったく同じ」なんて表現を沙良はしないはずだ。その齟齬に言及されて然るべきなのである。
「江藤先生が脅しに使っていたのは、ぼかしの入っていないオリジナルの写真だった。だとすると、興信所から流出でもしないかぎり、江藤先生がぼかしの入っていない物を手にすることはできないんだよ。彩香は興信所の他に原本の写真を誰にも渡していないと言っていた。そして、興信所と江藤先生の間を繋ぐ人間がいるとすれば、それは康一郎だけだ」
喉が引きつって、上手く言葉にできたか心配だった。昨日からずっと抑えてきた怒りが、いまこうしている間も爆発してしまいそうになる。それでも、震える声で俺は訴えかけた。
「沙良は、その写真の所為で言いなりにならざるを得なかったんだ。あんな男にいいようにされて、望んでもいない子供を身籠った。それでも逆らうことができずに、言いなりになって……」
そして、妊娠の相手を隠すために、俺と付き合うことになった。それでも沙良は笑っていた。そんな仮初の日々でも楽しかったと笑ってくれた。俺のようなどうしようもない男を、それでも笑って受け入れてくれたのだ。
「だから俺は、江藤先生を絶対に許さない。それが沙良にできるせめてもの義理だてだと思うから。だけど、あの男はもうこの世にいないんだ。沙良がその手ですべてを終わりにした。だから、俺にできることは、真実を明らかにすることだけだ。真実を隠して逃げ遂せようとしているやつを、引きずり出すこと」
その瞳は、真っ直ぐに康一郎を射抜いた。
だが、康一郎はその瞳を軽くかわしてみせた。
「仮説としては面白い。だけど、それだけの理由で俺が関わっていたとするのは、あまりに早計じゃないか?」
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