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彼女の優しい嘘の理由 24
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ようやくテスト最終日の科目を終えると、俺は全身から脱力するみたいに机に突っ伏した。この数日は地獄のような日々だった。彼女とする勉強も乙なものだと思えたのは初日だけで、日を追うごとに沙良の真剣さに磨きがかかっていった。俺の赤点を回避させるためという役割もあったのだろうが、妥協を決して許さない詰め込みによるスパルタ教育が続いた。
いよいよテストからも解放され、俺と沙良は晴れてデートに出掛けることになった。目的地は決まっているらしく、俺は連れられるかたちで彼女のあとを歩いた。学校を出て桜通りを抜けると、郊外にまで足を伸ばす。
その時点で、目的地はなんとなくわかった。町の外れにある廃工場群である。到着したのは、それからニ〇分が過ぎた頃だった。
「着きましたね」
俺は頷いてから、いつものように廃工場の裏手にある小屋に入った。幾度となく訪れたその場所は、既に慣れ親しんだ場所となりつつある。
二人の密会場所として利用するようになってから、沙良は懐中電灯と厚手の毛布を持ち込んだ。屋根があるにしても簡素なプレハブ小屋には隙間風を防ぐ効果はあまりなく、なにをするにしても寒さが身に沁みた。
俺は、まるであつらえたように座り心地の良い機器に腰を下ろした。すると、その場所が自分の特等席だとばかりに、沙良が隣に腰を下ろす。
俺たちは一つの毛布を共有して温もりをわかち合う。二人分の体温ですぐに毛布の中は暖まる。鈍っていた指先も、いまでは機敏に反応した。俺は、毛布の中で沙良の手を探った。
「……あっ」
と声がした。それは彼女の手を見つけた証。前触れもなく手が握られ、沙良は驚いたのだろう。頬を赤く染め、それでも嬉しそうに手を握り返してくる。
続けざまに、俺は沙良の腹部に触れる。真冬で厚着をしていることもあって、見た目では気にならないが、こうして触れてみると彼女の腹部が不自然に膨れ上がっているのがわかる。こうして触れてみなければ分からなかったが、それまでほっそりとしていた沙良の体は、確実に生命を育んでいるようだ。
俺は手を離し、どうしても気になっていることを聞いてみた。
「なあ、妊娠するってどんな気分なんだ?」
子を宿す感覚というのは、男にとって永遠の謎である。
だが、沙良はそんな男の心境を知らぬように、くすくす笑った。
「俺、なにか変なこと言ったかな?」
首を捻ると、沙良は当然と言わんばかりに頷いた。
「変ですよ。だって、まるで他人事みたいじゃないですか」
そして、俺の手を取って再び自分の腹部に手をあてがう。
「ほら、こうしていると感じるでしょう。まだお腹を蹴ったりはしてこないですけど、それでも私のお腹がこうして大きくなっているということが、中で赤ちゃんが立派に育っている証なんです。ね? なにか感じませんか?」
沙良の言いたいことを必死に読み取ろうとするも、俺には理解する術がなかった。それではいけないのに。
実際そうなのだ。当事者である俺が、他人事のような発言をしている場合ではない。きっと、俺たちは近い内に高校生活を続けることができなくなるだろう。出産と子育てにどれだけの費用がかかるか判然としないが、高校生活を続けながら工面できる額ではないのは明白である。そのために現在、アルバイトをして資金を貯めてはいるが、とても十分とは言えない。せめて出産の足し程度になればいいのだが、と俺は考えている。
それでも問題はまだまだ山積みだ。お互いの両親に話すタイミングというのも大切になってくるだろう。報告が遅くなれば、心象を悪くするだけ。せめて堕胎が許されない時期まで隠しておきたいのだが、その前に沙良の体の異変に気付かれてしまうかもしれない。折を見てお互いの両親に打ち明けなくてはならないだろうと、改めて思った。そのときのことを思うと、どうしたって気は滅入ってしまった。
ふと沙良を見ると、彼女も不安そうに顔を歪めていた。俺が思う以上に、彼女は多くの不安を抱えているに違いない。体の変化というだけでも、俺には想像を絶する話しだ。
だからこそ、無理やりにでも俺は笑うべきだった。だけど、どうしてもそうすることができなかったのは、まさしく自分自身の弱さに他ならない。
そんな俺の弱さを許すように、
「そうだっ、名前、名前を決めましょうよ」
沙良は思い付いたように唐突に声を張り上げた。まるで、俺の悩みを吹き飛ばすように明るく、そして優しい声だった。
「名前か。そういえばぜんぜん考えてなかったな。名は体を表すって言うから、適当に決めるわけにもいかないし」
「私としては、七季君の名前から一字取りたいと思うんですけど」
「俺の名前から?」
俺は手を左右に振りながら、
「そんなのいいよ。俺に似たら嫌じゃないか。それよりも沙良の名前から一字取ろう。女の子で沙良に似たら、最高に可愛い子供が産まれそうだ」
「私に似たら、ろくに自己主張もできない内向的な子供になっちゃいますけどね。それより、七季君の名前から一字取りたいです。だってほら、私は赤ちゃんとこうして体で繋がっていますけど、七季君にはその実感がありませんよね。だから一字あげてほしいんです。そうしたら自覚が湧くと思うんですよ。七季君が、この子の父親なんだっていう自覚が。そして、産まれてくる子には、あなたに似て強くてかっこいい人になってもらいたいです」
「強くてかっこいいか、そうなってくれたらいいな」
未来を想像するように、俺は遠い目をした。
本当は強くなくてもいい。格好良くなくてもいい。自分になど似なくていいから、真っ当に育ってほしいと切に願った。自分のように歪んだ価値観を持たずに、誰にでも愛されるような、そんな子になってほしい。これは多くを望み過ぎというものだろうか。
沙良は、尚も名前について考えていたのか、候補を上げる。
「やっぱり季節の季を使いたいですね。〝四季〟とかどうですか?」
「シキ、か。悪くないと思うよ」
俺は頷いてからすぐに、
「あっ、でも四って数字はあまり良くないって聞くよな。死を連想させるとかなんとか」
「それって名前にも関係あるんでしょうか?」
「わからないけど、藪坂四季ってなんか座りが悪い気がしないか? 語呂も悪いし」
「だったらいっそ数字じゃないものにしてみましょうか。美しい季節でミキとか、数ある季節でカズキとか」
「おおー、なんか名前っぽくなってきたな。それなら、西の季節で〝西季〟っていうのも悪くないよな」
「いいですね。すごく綺麗な響きです」
ニシキ。沙良は気に入った様子で、何度もその名前を繰り返した。
俺は沙良の手を取り言った。
「もっといっぱい名前を考えよう。たくさん考えて、それで最高の名前を付けてやろう。お腹の子供が、胸を張って自己紹介できるような、そんな名前を付けてやるんだ」
「はいっ」
沙良は満面の笑みで頷いた。きっと自分も、沙良のように嬉しそうに笑っているのだろう。そう思うと、少し気恥ずかしくもあった。だが、そんな不抜けた気分も悪くなかった。
いよいよテストからも解放され、俺と沙良は晴れてデートに出掛けることになった。目的地は決まっているらしく、俺は連れられるかたちで彼女のあとを歩いた。学校を出て桜通りを抜けると、郊外にまで足を伸ばす。
その時点で、目的地はなんとなくわかった。町の外れにある廃工場群である。到着したのは、それからニ〇分が過ぎた頃だった。
「着きましたね」
俺は頷いてから、いつものように廃工場の裏手にある小屋に入った。幾度となく訪れたその場所は、既に慣れ親しんだ場所となりつつある。
二人の密会場所として利用するようになってから、沙良は懐中電灯と厚手の毛布を持ち込んだ。屋根があるにしても簡素なプレハブ小屋には隙間風を防ぐ効果はあまりなく、なにをするにしても寒さが身に沁みた。
俺は、まるであつらえたように座り心地の良い機器に腰を下ろした。すると、その場所が自分の特等席だとばかりに、沙良が隣に腰を下ろす。
俺たちは一つの毛布を共有して温もりをわかち合う。二人分の体温ですぐに毛布の中は暖まる。鈍っていた指先も、いまでは機敏に反応した。俺は、毛布の中で沙良の手を探った。
「……あっ」
と声がした。それは彼女の手を見つけた証。前触れもなく手が握られ、沙良は驚いたのだろう。頬を赤く染め、それでも嬉しそうに手を握り返してくる。
続けざまに、俺は沙良の腹部に触れる。真冬で厚着をしていることもあって、見た目では気にならないが、こうして触れてみると彼女の腹部が不自然に膨れ上がっているのがわかる。こうして触れてみなければ分からなかったが、それまでほっそりとしていた沙良の体は、確実に生命を育んでいるようだ。
俺は手を離し、どうしても気になっていることを聞いてみた。
「なあ、妊娠するってどんな気分なんだ?」
子を宿す感覚というのは、男にとって永遠の謎である。
だが、沙良はそんな男の心境を知らぬように、くすくす笑った。
「俺、なにか変なこと言ったかな?」
首を捻ると、沙良は当然と言わんばかりに頷いた。
「変ですよ。だって、まるで他人事みたいじゃないですか」
そして、俺の手を取って再び自分の腹部に手をあてがう。
「ほら、こうしていると感じるでしょう。まだお腹を蹴ったりはしてこないですけど、それでも私のお腹がこうして大きくなっているということが、中で赤ちゃんが立派に育っている証なんです。ね? なにか感じませんか?」
沙良の言いたいことを必死に読み取ろうとするも、俺には理解する術がなかった。それではいけないのに。
実際そうなのだ。当事者である俺が、他人事のような発言をしている場合ではない。きっと、俺たちは近い内に高校生活を続けることができなくなるだろう。出産と子育てにどれだけの費用がかかるか判然としないが、高校生活を続けながら工面できる額ではないのは明白である。そのために現在、アルバイトをして資金を貯めてはいるが、とても十分とは言えない。せめて出産の足し程度になればいいのだが、と俺は考えている。
それでも問題はまだまだ山積みだ。お互いの両親に話すタイミングというのも大切になってくるだろう。報告が遅くなれば、心象を悪くするだけ。せめて堕胎が許されない時期まで隠しておきたいのだが、その前に沙良の体の異変に気付かれてしまうかもしれない。折を見てお互いの両親に打ち明けなくてはならないだろうと、改めて思った。そのときのことを思うと、どうしたって気は滅入ってしまった。
ふと沙良を見ると、彼女も不安そうに顔を歪めていた。俺が思う以上に、彼女は多くの不安を抱えているに違いない。体の変化というだけでも、俺には想像を絶する話しだ。
だからこそ、無理やりにでも俺は笑うべきだった。だけど、どうしてもそうすることができなかったのは、まさしく自分自身の弱さに他ならない。
そんな俺の弱さを許すように、
「そうだっ、名前、名前を決めましょうよ」
沙良は思い付いたように唐突に声を張り上げた。まるで、俺の悩みを吹き飛ばすように明るく、そして優しい声だった。
「名前か。そういえばぜんぜん考えてなかったな。名は体を表すって言うから、適当に決めるわけにもいかないし」
「私としては、七季君の名前から一字取りたいと思うんですけど」
「俺の名前から?」
俺は手を左右に振りながら、
「そんなのいいよ。俺に似たら嫌じゃないか。それよりも沙良の名前から一字取ろう。女の子で沙良に似たら、最高に可愛い子供が産まれそうだ」
「私に似たら、ろくに自己主張もできない内向的な子供になっちゃいますけどね。それより、七季君の名前から一字取りたいです。だってほら、私は赤ちゃんとこうして体で繋がっていますけど、七季君にはその実感がありませんよね。だから一字あげてほしいんです。そうしたら自覚が湧くと思うんですよ。七季君が、この子の父親なんだっていう自覚が。そして、産まれてくる子には、あなたに似て強くてかっこいい人になってもらいたいです」
「強くてかっこいいか、そうなってくれたらいいな」
未来を想像するように、俺は遠い目をした。
本当は強くなくてもいい。格好良くなくてもいい。自分になど似なくていいから、真っ当に育ってほしいと切に願った。自分のように歪んだ価値観を持たずに、誰にでも愛されるような、そんな子になってほしい。これは多くを望み過ぎというものだろうか。
沙良は、尚も名前について考えていたのか、候補を上げる。
「やっぱり季節の季を使いたいですね。〝四季〟とかどうですか?」
「シキ、か。悪くないと思うよ」
俺は頷いてからすぐに、
「あっ、でも四って数字はあまり良くないって聞くよな。死を連想させるとかなんとか」
「それって名前にも関係あるんでしょうか?」
「わからないけど、藪坂四季ってなんか座りが悪い気がしないか? 語呂も悪いし」
「だったらいっそ数字じゃないものにしてみましょうか。美しい季節でミキとか、数ある季節でカズキとか」
「おおー、なんか名前っぽくなってきたな。それなら、西の季節で〝西季〟っていうのも悪くないよな」
「いいですね。すごく綺麗な響きです」
ニシキ。沙良は気に入った様子で、何度もその名前を繰り返した。
俺は沙良の手を取り言った。
「もっといっぱい名前を考えよう。たくさん考えて、それで最高の名前を付けてやろう。お腹の子供が、胸を張って自己紹介できるような、そんな名前を付けてやるんだ」
「はいっ」
沙良は満面の笑みで頷いた。きっと自分も、沙良のように嬉しそうに笑っているのだろう。そう思うと、少し気恥ずかしくもあった。だが、そんな不抜けた気分も悪くなかった。
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