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彼女の優しい嘘の理由 23
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翌日は土曜日ということもあり自堕落に過ごすはずだった。
しかし、目の前には太陽の光を吸い込むような白い壁の住宅が佇んでいる。この周囲一帯が都市開発計画のためのベットタウンとして整えられた住宅街であるため、回りの建物もモデルルームのようにデザイン性に長けていて、どこか空々しくさえ思えた。
【更級】
そう書かれた表札の前に立って、俺は大きく深呼吸を繰り返す。なぜこのような場所に立っているのか、思い返すと今朝の自分が恨めしく思えてならない。
今朝早く、と言っても九時過ぎのことだが、沙良から掛かってきた電話によって俺は目を覚ました。寝ぼけていた所為もあって初めの方の会話をあまり覚えていないが、沙良からテスト勉強はしているかと聞かれ、即答でしていないと答えたのはなんとなく覚えている。そして沙良は、言質を取ったあとにこう高言したのだ。
『私の家で勉強会をしましょう。待ってますから』
拒否する余地はなかった。
インターフォンを押すと、すぐに扉が開いて、私服姿の沙良が姿を見せた。少し緊張した面持ちで、俺を迎え入れる。
すると、部屋の奥からパタパタと足音が近付いてくる。廊下の先から顔を出した女性が、俺の顔を見るなり嬉しそうに言った。
「ようこそいらっしゃい。娘がいつもお世話になってるみたいで」
丁寧にお辞儀をする女性に対し、俺は狼狽するばかりだった。なんとか会釈をして、顔を上げた瞬間にその女性を見ると、言われるまでもなく沙良の母親だとわかった。丁寧な物腰と上品な年の取り方をした人だ。
背後から袖を引かれ、俺は振り返る。
「もう行こうよ、七季君」
沙良の語調はいつもと違い、子供っぽく感じられた。母親を目の前にして、外行きの顔を見せるのは照れ臭かったのかもしれない。
俺は微笑ましく思いながら、沙良の言葉に従った。
ごゆっくり、と笑顔で見送ってくれた母親に、俺はぺこぺこと何度も頭を下げた。あまりにその場を動こうとしないので、見兼ねた様子で腕を引いてくる沙良。そのまま階段を上り、突き当たりの部屋に俺を引き込んだ。彼女の部屋に足を踏み入れた感動すら味わう間もなく、沙良は大仰に溜息を吐いた。
「無駄な時間を過ごしてしまいましたね」
そう言って顔を背けた沙良の頬は、少しだけ紅潮していた。
やはり、身内を恥ずかしいと感じるというのは、どこの家庭も一緒なのだろう。久しぶりに家族然としたやり取りを見て、俺はどこか心の奥底が小さく痛んだ気がした。自分には二度と手に入らない当たり前を見せられると、どうしたって心が揺れる。こういう感傷的な気分のときは、なにか一つのことに熱中するのが一番いいのだ。勉強するには打ってつけのコンディションかもしれないと思い、自分の士気を高めた。
こんなに長時間、机に向かって勉強したことがかつてあっただろうか。俺は自問し、いやあるまい、と気分よく否定した。
外を眺めると、夕日が傾き始めていた。勉強が開始されてから、休むことなくひたすら教科書とノートを捲り続けた。
打ち明けるなら、彼女の部屋に入るということで淡い期待を持っていたのは確かだ。しかし甘かった。沙良が勉強をすると言ったらとことんするのだ。
満身創痍な表情を見て、沙良はようやく小休止を与えてくれた。
現在、彼女は飲み物を取りに行って部屋を空けている。
女子の部屋に取り残された気まずさと、あまり室内を見てはいけないという自制心から、俺は窓の外を眺めていた。
悶々とした気分で沙良が戻るのを待っていると、廊下でわずかな物音がした気がした。沙良が戻ってきたのかと思ったが、一向に部屋の中に入ってくる気配がない。
俺は立ち上がり、そっと扉を開いて廊下に顔を出してみた。階段を上って突き当たりに位置するこの部屋からは、二階の全容が見て取れた。先ほど二階に上がったときに説明を受けた、トイレと両親の寝室の扉が右側に並んでいる。左側には扉が一つだけ存在しているが、そこの説明はされなかった。つまりそこが、亡くなったという弟の部屋なのだろう。
すっと顔を引っ込め、再び扉を閉じた。そうすると、室内は不気味な静けさに支配された。廊下を眺める前と全く同じ状況だが、空気が入れ換わったせいかどこか居心地が悪い。あるいは、自殺したという弟の話を思い出してしまったからだろうか。
気分が悪くなった理由は、とてもじゃないが沙良には言えないなと思い、気持ちを落ち着かせるためにも部屋の中を眺めてみた。ここで沙良が日頃生活しているのだと思うと、高揚感が胸を支配する。
ふと彼女の勉強机に目を向けると、流石と言うべきか、生理整頓が行き届いていた。意味もなく椅子に座ってみると、目線の高さにコルク板がぶら下がっているのを発見する。そこには鋲でとめられた写真が飾られていて、俺が知らない彼女の友人や、もしくは見知っている顔も見受けられた。部活動の制服を着た奏子と二人で映っている写真も中にはあった。
その中心部を占めていたのは、俺と二人で撮った写真だ。俺も同じものを持っている。失くさない自信がないので、携帯電話の画像フォルダに収め、たまに眺めていることは秘密だ。
沙良の写真には、律儀にも日付と何度目のデートで撮ったかが色鮮やかなマーカーで明記されていた。気恥ずかしくなるほど、ピンク色のハートが目に留まる。こういう少女趣味なところもあるのだな、と俺は感心した。
続いて隣の写真に目を向けると、どこかの湖の前で写る家族の写真があった。両親の間に挟まれて満面の笑みを浮かべる少年が、ひと際目に留まる。三人はピッタリとくっ付いて、微笑ましく笑みを浮かべていた。明らかに余所行きの笑顔といった感じだ。
寄り添う三人の内、左端の人物は、先ほど階下で出会った沙良の母親に相違なかった。その左隣で、いまより少し顔の造形が幼い沙良が、陰りのある笑顔で立っていた。よく見ると、沙良と母親の間に一歩分の距離が開いている。両親と、恐らくは沙良の弟と見られる少年は寄り添うように密着しているというのに、沙良だけが距離を置いていたのだ。
俺は、少なからず違和感を覚えた。
沙良の母親を見た限りにおいて、この家が家庭不和ということはなさそうだ。写真を見ても普通の家族にしか見えない。あるいはどこの家庭も些細な問題を抱えているのだろうか。それならあまり深入りしないのが賢明だ、と俺は椅子から立ち上がる。
立ち上がった丁度そのとき、お盆にカップと少しのお茶受けを持った沙良が戻ってきた。俺は扉を開いてやり、お盆を受け取ると、折りたたみの机に乗せてから翻って指差した。
「あの写真。若い頃の沙良だよな?」
「私はいまも若いです」
「訂正、いまより幼く見えるけど、いつ頃の写真?」
「えっと、そうですね。たぶん二年前くらいだと思います」
「そっか。短い髪も新鮮で可愛いな」
彼女が照れる姿を想像して言った言葉だったのだが、沙良は予想に反して表情を曇らせた。その理由を聞くと、
「この頃の自分は、あまり好きじゃないんです」
「どうして?」
そう聞くと、懐古するように目を細めた。
「弱かったからです。どうしようもなく、この頃の私は」
そうして、写真の鋲を外して手に取る。
「この写真が最後の家族旅行なんですよ。弟の高校受験が迫ってからは、それどころではなくなりましたから」
俺は黙り込んだ。軽はずみな台詞を言うのは簡単だが、それで沙良が本当に救われるとは思えない。彼女が弟を含めた家族と旅行をすることは、もう二度とできないのだ。
彼女が背負うには弟の自殺は重すぎる。そして、沙良と苦しみをわかち合うには、俺はあまりに蚊帳の外に位置していた。わかち合う権利があるのは家族だけだ。彼女一人の問題ではない。あくまで、家族の問題だ。
しかし、沙良は言った。
「私、両親が苦手なんです」
俺が顔をあげるのを確認すると、彼女は再び口を開いた。
「七季君は母をどう思いましたか?」
突然の質問に、印象をそのまま正直に伝えてよいものか悩んでしまう。しかし、こうしてわざわざ聞いてくるのだから、繕った言葉は望んでいないはずだろうと俺は考えた。
「明るくて面白い人だと思うよ。息子が死んですぐとは思えないくらいに」
正直に答えると、沙良は天井を見上げた。
「少し前まで、こうじゃなかったんです。母は、父の言葉に絶対服従で、私なんて見ている余裕がないくらい弟の世話に掛かりきりでした。でも、私の目には、そんな日々が辛そうには写りませんでした。あの人は、なんて言うんでしょう………組み敷かれることに幸福を感じる人なんですよ」
沙良はそう言い放った。母親を半ば侮蔑の目で見るように、空を見上げた目がすっと細くなった。
「だけど、弟が死んで母は変わりました。弟の死のショックと、それまでしていた平良の世話からの突然の解放。その虚脱感に耐えられなくなったのか、弟の火葬が終わった辺りから、母は私に必要以上に干渉してくるようになりました。さっきだって、七季君を夕食に招いたらどうだって言ってきたんですよ。いままで、友達を連れてくることだって許さなかった母が……」
「母親を嫌っているのか?」
そう聞くと、彼女はかぶりを振って否定した。
「そんなことありませんけど、あの人は都合良すぎるんですよ。弟がいなくなったら今度は私って、それじゃあ弟にも私にも失礼です」
なるほど。沙良はつまり困惑しているのだ。母親からの愛情に対して、どう接したらいいのかわからなくなっている。亡くなった弟への罪悪感と、都合よく寂しさを紛らわせる逃げ道に使われているような疑心感から、母親の愛を素直に受け入れられなくなっているのだ。そうとわかったからこそ、俺は言わずにはいられなかった。
「人の命なんてそう簡単に背負えるものじゃないさ。だからこそ、残された家族で弟の死を受け入れないといけないんだと俺は思う」
そのためには母親に歩み寄る必要があることも、聡明な沙良ならきっと気付けるはずだ。
だが、いまの彼女がどの程度、俺の言いたいことを理解したのかはわからない。しかしそれでもいいと思えた。いまはまだ、更級家は心の中を整理する期間にあってもいいのだから。
しかし、目の前には太陽の光を吸い込むような白い壁の住宅が佇んでいる。この周囲一帯が都市開発計画のためのベットタウンとして整えられた住宅街であるため、回りの建物もモデルルームのようにデザイン性に長けていて、どこか空々しくさえ思えた。
【更級】
そう書かれた表札の前に立って、俺は大きく深呼吸を繰り返す。なぜこのような場所に立っているのか、思い返すと今朝の自分が恨めしく思えてならない。
今朝早く、と言っても九時過ぎのことだが、沙良から掛かってきた電話によって俺は目を覚ました。寝ぼけていた所為もあって初めの方の会話をあまり覚えていないが、沙良からテスト勉強はしているかと聞かれ、即答でしていないと答えたのはなんとなく覚えている。そして沙良は、言質を取ったあとにこう高言したのだ。
『私の家で勉強会をしましょう。待ってますから』
拒否する余地はなかった。
インターフォンを押すと、すぐに扉が開いて、私服姿の沙良が姿を見せた。少し緊張した面持ちで、俺を迎え入れる。
すると、部屋の奥からパタパタと足音が近付いてくる。廊下の先から顔を出した女性が、俺の顔を見るなり嬉しそうに言った。
「ようこそいらっしゃい。娘がいつもお世話になってるみたいで」
丁寧にお辞儀をする女性に対し、俺は狼狽するばかりだった。なんとか会釈をして、顔を上げた瞬間にその女性を見ると、言われるまでもなく沙良の母親だとわかった。丁寧な物腰と上品な年の取り方をした人だ。
背後から袖を引かれ、俺は振り返る。
「もう行こうよ、七季君」
沙良の語調はいつもと違い、子供っぽく感じられた。母親を目の前にして、外行きの顔を見せるのは照れ臭かったのかもしれない。
俺は微笑ましく思いながら、沙良の言葉に従った。
ごゆっくり、と笑顔で見送ってくれた母親に、俺はぺこぺこと何度も頭を下げた。あまりにその場を動こうとしないので、見兼ねた様子で腕を引いてくる沙良。そのまま階段を上り、突き当たりの部屋に俺を引き込んだ。彼女の部屋に足を踏み入れた感動すら味わう間もなく、沙良は大仰に溜息を吐いた。
「無駄な時間を過ごしてしまいましたね」
そう言って顔を背けた沙良の頬は、少しだけ紅潮していた。
やはり、身内を恥ずかしいと感じるというのは、どこの家庭も一緒なのだろう。久しぶりに家族然としたやり取りを見て、俺はどこか心の奥底が小さく痛んだ気がした。自分には二度と手に入らない当たり前を見せられると、どうしたって心が揺れる。こういう感傷的な気分のときは、なにか一つのことに熱中するのが一番いいのだ。勉強するには打ってつけのコンディションかもしれないと思い、自分の士気を高めた。
こんなに長時間、机に向かって勉強したことがかつてあっただろうか。俺は自問し、いやあるまい、と気分よく否定した。
外を眺めると、夕日が傾き始めていた。勉強が開始されてから、休むことなくひたすら教科書とノートを捲り続けた。
打ち明けるなら、彼女の部屋に入るということで淡い期待を持っていたのは確かだ。しかし甘かった。沙良が勉強をすると言ったらとことんするのだ。
満身創痍な表情を見て、沙良はようやく小休止を与えてくれた。
現在、彼女は飲み物を取りに行って部屋を空けている。
女子の部屋に取り残された気まずさと、あまり室内を見てはいけないという自制心から、俺は窓の外を眺めていた。
悶々とした気分で沙良が戻るのを待っていると、廊下でわずかな物音がした気がした。沙良が戻ってきたのかと思ったが、一向に部屋の中に入ってくる気配がない。
俺は立ち上がり、そっと扉を開いて廊下に顔を出してみた。階段を上って突き当たりに位置するこの部屋からは、二階の全容が見て取れた。先ほど二階に上がったときに説明を受けた、トイレと両親の寝室の扉が右側に並んでいる。左側には扉が一つだけ存在しているが、そこの説明はされなかった。つまりそこが、亡くなったという弟の部屋なのだろう。
すっと顔を引っ込め、再び扉を閉じた。そうすると、室内は不気味な静けさに支配された。廊下を眺める前と全く同じ状況だが、空気が入れ換わったせいかどこか居心地が悪い。あるいは、自殺したという弟の話を思い出してしまったからだろうか。
気分が悪くなった理由は、とてもじゃないが沙良には言えないなと思い、気持ちを落ち着かせるためにも部屋の中を眺めてみた。ここで沙良が日頃生活しているのだと思うと、高揚感が胸を支配する。
ふと彼女の勉強机に目を向けると、流石と言うべきか、生理整頓が行き届いていた。意味もなく椅子に座ってみると、目線の高さにコルク板がぶら下がっているのを発見する。そこには鋲でとめられた写真が飾られていて、俺が知らない彼女の友人や、もしくは見知っている顔も見受けられた。部活動の制服を着た奏子と二人で映っている写真も中にはあった。
その中心部を占めていたのは、俺と二人で撮った写真だ。俺も同じものを持っている。失くさない自信がないので、携帯電話の画像フォルダに収め、たまに眺めていることは秘密だ。
沙良の写真には、律儀にも日付と何度目のデートで撮ったかが色鮮やかなマーカーで明記されていた。気恥ずかしくなるほど、ピンク色のハートが目に留まる。こういう少女趣味なところもあるのだな、と俺は感心した。
続いて隣の写真に目を向けると、どこかの湖の前で写る家族の写真があった。両親の間に挟まれて満面の笑みを浮かべる少年が、ひと際目に留まる。三人はピッタリとくっ付いて、微笑ましく笑みを浮かべていた。明らかに余所行きの笑顔といった感じだ。
寄り添う三人の内、左端の人物は、先ほど階下で出会った沙良の母親に相違なかった。その左隣で、いまより少し顔の造形が幼い沙良が、陰りのある笑顔で立っていた。よく見ると、沙良と母親の間に一歩分の距離が開いている。両親と、恐らくは沙良の弟と見られる少年は寄り添うように密着しているというのに、沙良だけが距離を置いていたのだ。
俺は、少なからず違和感を覚えた。
沙良の母親を見た限りにおいて、この家が家庭不和ということはなさそうだ。写真を見ても普通の家族にしか見えない。あるいはどこの家庭も些細な問題を抱えているのだろうか。それならあまり深入りしないのが賢明だ、と俺は椅子から立ち上がる。
立ち上がった丁度そのとき、お盆にカップと少しのお茶受けを持った沙良が戻ってきた。俺は扉を開いてやり、お盆を受け取ると、折りたたみの机に乗せてから翻って指差した。
「あの写真。若い頃の沙良だよな?」
「私はいまも若いです」
「訂正、いまより幼く見えるけど、いつ頃の写真?」
「えっと、そうですね。たぶん二年前くらいだと思います」
「そっか。短い髪も新鮮で可愛いな」
彼女が照れる姿を想像して言った言葉だったのだが、沙良は予想に反して表情を曇らせた。その理由を聞くと、
「この頃の自分は、あまり好きじゃないんです」
「どうして?」
そう聞くと、懐古するように目を細めた。
「弱かったからです。どうしようもなく、この頃の私は」
そうして、写真の鋲を外して手に取る。
「この写真が最後の家族旅行なんですよ。弟の高校受験が迫ってからは、それどころではなくなりましたから」
俺は黙り込んだ。軽はずみな台詞を言うのは簡単だが、それで沙良が本当に救われるとは思えない。彼女が弟を含めた家族と旅行をすることは、もう二度とできないのだ。
彼女が背負うには弟の自殺は重すぎる。そして、沙良と苦しみをわかち合うには、俺はあまりに蚊帳の外に位置していた。わかち合う権利があるのは家族だけだ。彼女一人の問題ではない。あくまで、家族の問題だ。
しかし、沙良は言った。
「私、両親が苦手なんです」
俺が顔をあげるのを確認すると、彼女は再び口を開いた。
「七季君は母をどう思いましたか?」
突然の質問に、印象をそのまま正直に伝えてよいものか悩んでしまう。しかし、こうしてわざわざ聞いてくるのだから、繕った言葉は望んでいないはずだろうと俺は考えた。
「明るくて面白い人だと思うよ。息子が死んですぐとは思えないくらいに」
正直に答えると、沙良は天井を見上げた。
「少し前まで、こうじゃなかったんです。母は、父の言葉に絶対服従で、私なんて見ている余裕がないくらい弟の世話に掛かりきりでした。でも、私の目には、そんな日々が辛そうには写りませんでした。あの人は、なんて言うんでしょう………組み敷かれることに幸福を感じる人なんですよ」
沙良はそう言い放った。母親を半ば侮蔑の目で見るように、空を見上げた目がすっと細くなった。
「だけど、弟が死んで母は変わりました。弟の死のショックと、それまでしていた平良の世話からの突然の解放。その虚脱感に耐えられなくなったのか、弟の火葬が終わった辺りから、母は私に必要以上に干渉してくるようになりました。さっきだって、七季君を夕食に招いたらどうだって言ってきたんですよ。いままで、友達を連れてくることだって許さなかった母が……」
「母親を嫌っているのか?」
そう聞くと、彼女はかぶりを振って否定した。
「そんなことありませんけど、あの人は都合良すぎるんですよ。弟がいなくなったら今度は私って、それじゃあ弟にも私にも失礼です」
なるほど。沙良はつまり困惑しているのだ。母親からの愛情に対して、どう接したらいいのかわからなくなっている。亡くなった弟への罪悪感と、都合よく寂しさを紛らわせる逃げ道に使われているような疑心感から、母親の愛を素直に受け入れられなくなっているのだ。そうとわかったからこそ、俺は言わずにはいられなかった。
「人の命なんてそう簡単に背負えるものじゃないさ。だからこそ、残された家族で弟の死を受け入れないといけないんだと俺は思う」
そのためには母親に歩み寄る必要があることも、聡明な沙良ならきっと気付けるはずだ。
だが、いまの彼女がどの程度、俺の言いたいことを理解したのかはわからない。しかしそれでもいいと思えた。いまはまだ、更級家は心の中を整理する期間にあってもいいのだから。
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