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彼女の優しい嘘の理由 16
しおりを挟むそれから、五時前にはコンビニに到着し、シフト開始の五分前にはレジに立った。笹田の取り留めのない話を受け流し、忙しい時間帯を受動的に乗り切った。そして人の波が途絶えてしまうと、思考は必然的に惨殺魔のことでいっぱいになる。それにしても最近、よくこの名前を耳にする。
《惨殺魔》
《動物殺し》
《リトル・キラー》
調べただけでも、呼び名はいくつもあるようだ。しかし、その大半が読者を引き付けるための記者の策略であることは容易に想像が付く。大仰な名を与えられた犯罪者は、数年にわたって小さな命を奪って、その存在をありありと町の住人に見せつけてきた。
厄介なのは、犯行を巧みに隠蔽できるほど、犯人が狡猾なところだ。いままで数多くの動物が殺され、その中には人に飼われていたペットも多く含まれていたというのに目撃者が皆無というのは、用意周到な犯人であることのあらわれだろう。
俺は噂話に疎い方だが、しかし、今回のことに関しては少しばかり調べてみる気になっていた。友人の一人にこの手の話題に詳しいのがいるので、明日にでも聞いてみることにしよう。
俺はふと思い出して、退屈そうに欠伸している笹田を見据えた。前に惨殺魔の話題を笹田から聞かされたのを思い出し、取り敢えずもう一度詳しく話を聞いてみることにしたのだ。
「ちょっといいですか?」
すると、笹田は気だるげに俺を一瞥した。
「笹田さん、前に惨殺魔の話をしてくれたことありましたよね。少し興味が湧いてきたんですけど、もっと他に新しい情報とかありませんか?」
笹田は顔の前で羽虫を払うように手を振った。知らない、と身ぶりで表しているようだ。
「でも、確か笹田さんの後輩に、事件に詳しい人がいるって言ってましたよね。なにか目ぼしい情報ってありませんか?」
「なに、犯人探しでも始めるつもり?」
「そういうわけじゃないですけど。ただ学校でも飼い犬が被害にあった生徒がいて、最新情報とかあったら聞きたいなって思っただけですよ」
笹田は半眼で俺を見た。
「これだけは言っておくよ。君には、この件に関わる資格はないと思う」
笹田は面倒臭そうに頭を掻きながら、
「だから、惨殺魔の事件を嗅ぎ回るような真似はするなって言ってるの。人には分相応ってものがあるのよ」
「俺には分不相応だって言うんですか?」
「少なくとも私はそう思うね。だから、なにも話さないしなにも教えるつもりはない。以上、わかった?」
わからない、というか納得がいかなかった。そう口にすると、笹田はため息を吐いた。
「もうこの話はお終いよ。これ以上は本気で喧嘩になりそうだわ」
笹田は言い捨てた。彼女が意味もなく不機嫌なことはいままでにも何度かあったが、ここまで理不尽なのは初めてだ。俺に責任があるならいざ知らず、笹田に無礼を働いた覚えはない。だとすると、なにか切っ掛けがあるはずだ。
俺はあれこれと考えを巡らせた。どうせ客はいないし、する仕事も特にない。笹田が不機嫌になると会話する相手もいないので、思考するには適した状況だった。
どれくらいの時間が経過しただろう。沈黙が俺たちを支配しているなか、有線から流れる音楽だけがコンビニ内を包み込んだ。
俺はやがて考えるのをやめ、沈黙を破った。
「そういえば、バイト前に笹田さん電話してきてましたよね。出られないですみません」
「いいわよ。店長にシフトのことを聞かれたから、藪坂君と話し合おうと思って電話しただけだから。バイト終わってからでもいいと思って、留守電にも入れなかったわ。それよりなに、例の彼女とラブコールでもしてたわけ?」
相変わらず笹田は下世話は方向に話を持っていこうとするな、と呆れながら俺は答えた。
「残念ながら、そんな楽しい話じゃありませんでしたよ。電話の相手も沙良じゃありませんしね」
そして俺は、笹田の表情を見逃さないように真っ直ぐ見ながら言う。
「俺が電話していた相手は"枯井戸彩香"です」
笹田は大きく目を見開いた。それからしまったという風に顔を顰める。その表情を見て、俺の憶測は確信に変わる。
「やっぱり、笹田さんと彩香は知り合いなんですね?」
笹田は髪を鬱陶しそうに払い除ける。
表情からは、諦めにも似た色が窺えた。
「もしかして、彩香がそう言ったの?」
笹田の言葉は間接的な肯定を意味していた。俺はかぶりを振る。
「彩香の口から笹田さんとの関係を聞いたわけじゃありません」
「それじゃあ、どうしてわかったの?」
「そうですね……」
俺は考え込んでから、
「まずはそう、俺が沙良と初めてデートに行った日のことです。笹田さんも覚えているでしょう? あれは確か、日曜日だったかな。家を早く出過ぎて、時間潰しにここで付き合ってもらった日のことですよ」
「ええ、覚えているわ」
笹田はそう言って頷いた。
「俺と笹田さんが初めてまともに会話したのも、実はあの日が初めてなんですよね。あの頃はまだバイトもしていませんでしたし、買い物をするときに挨拶をする程度の仲でした。それでも俺は、笹田さんのことを知っていましたよ。コンビニで働いている姿を何度も見ていたし、派手な名札が目について、名前も覚えていましたから」
笹田の胸元を指差すと、そこにはどぎつい色合いのマーカーで彩られた名札が下げられている。
「そんなに私に興味津々だったわけ?」
笹田の冗談を軽く受け流し、俺は言った。
「そうじゃありません。俺が言いたいのは、あくまで客と店員という、浅い関係だったってことです」
「浅い、ね」
笹田は悲しげに目を伏せ、笑った。
「随分冷たい言い方するんだね」
「俺が言いたいのは、知り合いになる過程を飛ばしたという意味です。気付いてましたか? 俺たち、これまで一度も自己紹介をしていないんですよ。俺はレジで金を払う際、名札で笹田さんの名前を確認していました。だからなんとなく初対面って感じがしなかったんです。でも、俺は自分の名前を名乗っていなかった。客と店員って関係なんだから当然ですよね。それなのに、笹田さんは平然と俺の名を呼んだんです。〝藪坂君〟って。それって、考えてみるとおかしいですよね。まだ自己紹介もしていないのに」
笹田は手の平で自らの頭を叩いた。
「あちゃー、まさかそんな初歩的なミスを犯していたなんてね。だけど、どうしていまになってそのことに気付いたの?」
「それは以前、笹田さんから惨殺魔の話を聞いたとき、事件について詳しい後輩がいて新聞の切り抜きを見せてもらったことがあるって言っていたのを思い出したからですよ。考えてみると、それって少し度が過ぎていると思うんですよね」
「どういう意味?」
「だって切り抜きですよ。惨殺魔の事件が気になる人は大勢いると思います。ペットを飼っている人なら気が気でないでしょう。でも、新聞や雑誌を切り抜いているというのは、少しばかりいき過ぎです。まるで惨殺魔に相当な〝恨み〟を持っているみたいじゃないですか」
「なるほどね」
笹田は得心がいったように頷く。
俺も、それに合わせて核心に触れた。
「偶然にも、幼馴染に惨殺魔を恨んでいる女の子がいまして、彼女なら新聞の切り抜きくらいしていてもおかしくないかなって思ったんです。なにせ、犯人を捕まえようとしているくらいですからね」
「へえ、それだけの情報で、君の〝幼馴染〟と私の〝後輩〟が同一人物だって推理したわけ?」
「他にも不審な点はありました。さっき惨殺魔について話を聞こうとしたとき、俺には『関わる資格がない』って言いましたよね。それってつまり、沙良という彼女がいる俺には、彩香に関わる資格がないって遠回しに言っていたんじゃないですか? 惨殺魔を探している彩香に『関わる資格がない』って。その発言の意味を考えると、二人の関係がなんとなく見えてくるんです」
どんな? と挑戦的な目で笹田は俺を見る。彼女は既に、言いたいことを理解しているはずなのだが。
「いいですよ、説明します。彩香は高校二年で、笹田さんは三年生。つまり、二人は同じ高校に通っているってことです」
笹田と初めて話をしたとき、頑ななまでに通っている高校を言わなかったのは彩香と同じ高校だと知られたくなかったからだ。
皮肉な笑みを浮かべて、笹田は言った。
「不気味ね。こんなことには本当、鋭いんだから。色恋沙汰には超が付くほど鈍いくせに」
俺は曖昧に頷き、そして話を戻した。
「笹田さんがときどき見せる知的な言動。俺にはそれが、どうもチグハグに見えたんです。見た目はこんなにチャラいのに、意外に博識なんですよね。だけどそれは当たり前だった。彩香の通う私立高校は県内でもトップクラスの進学校で、偏差値もかなり高かったはずです。笹田さんがそこに通っているのだとすれば、いままでの言動も頷けるというものです」
言い終えると、笹田は大仰に拍手を向けてくる。
「いやー、ホント大したもんだね。いまの推理は概ね正しいよ。私は藪坂君の幼馴染、枯井戸彩香と同じ高校に通っているし、あの子と親しい」
やはり俺の考えは正しかったようだ。だが、それならばどうしてそのことを黙っていたのか不思議でならなかった。
「藪坂君はもう知ってるのよね。あなたを想う、彩香の気持ち」
いきなり虚をつかれる質問に、俺は気が動転しながらも、「ええ、まあ」となんとか答える。頭の中では、先ほどの電話で聞いた彩香の涙声を思い出し、憂欝な気持ちになる。笹田は、そんなことはお構いなしに話に入った。
「彩香に好きな人がいるのを知ったのは随分前の話よ。あの子の生徒手帳に男子の写真が入ってるから、しつこく問い質したの。そうしたらあの子、顔を真っ赤にして言うのよ。写真の人は他校に通う幼馴染で、ずっと前から好きなんだって」
俺は黙り込むことしかできなかった。
「それからすぐに、よくコンビニにお弁当を買いにくる男の子が生徒手帳に挟まっていた写真の子だって気付いたわ。これは運命だと思った。だから、君と親しくなろうとして、レジのときもなるべく声をかけるようにした。仲良くなれば、陰ながら彩香の恋の手伝いができると思ったのよ」
ようやく合点がいった。笹田が俺の名前を知っていたのも、初対面でフランクに話しかけてきた理由も、これで理解した。
「だから、藪坂君がデートをするって言ったときは驚いたわ。そして、相手が彩香ではないと知って、腹が立った。しかも藪坂君はその子を可愛いとも思っていなかったんだもの」
笹田は声色を強めて言う。初めて沙良とデートした日のやり取りを言っているのだろう。
「だからあの日、少し不機嫌だったんですね」
「そうかもしれない。彩香が本気で藪坂君を好きだって知っていたから」
笹田はそれから、自嘲するみたいに笑った。
「だけどこの前、藪坂君と沙良ちゃんを見てわからなくなった。二人は本当に仲の良いカップルに見えたから、あたしが余計な真似をして、二人の関係を壊してしまうのは違うんじゃないかって思えたのよ。そうまでして結ばれても、きっと彩香は喜ばない気がした。だから本人に伝えることにしたの。藪坂君には彼女がいるから、もう諦めた方がいいって」
それが、クリスマス・イブの夜の話だ。彩香から電話が掛かってきたのは、そういう理由だったらしい。彩香が沙良の名前を知っていたのも、笹田から聞いていたからというわけだ。
「余計な真似してごめんなさい。だけど、いつまでも知らないままだと不憫じゃない。だからせめて私の口から伝えることにしたの」
「いいんです。俺がハッキリ言わなかったのが悪いんですから。それに、笹田さんのお陰で少なくとも前進することができました。感謝してます」
「そう言ってもらえると助かるわ」
俺たちは、その日ようやく心から笑い合うことができた。それくらい笹田も、後輩である彩香を思いやっていたということだろう。
「これだけ気遣ってくれる先輩がいる彩香は、きっと恵まれてると思いますよ」
俺の励ましの言葉を聞いても、笹田は曖昧に笑うだけだった。それくらい、俺と彩香が結ばれればいいと、心から願ってくれていたということなのだろう。そういう想いを踏み躙って、俺は沙良を選んだのだ。必ず彼女を守り、幸せにならなければ罰が当たるなと、そう思った。
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