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彼女の優しい嘘の理由 1
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枯れ木の揺れる音が雰囲気づくりを手助けしていた。焼却炉の蓋が風でカタカタと揺れたことで、それを合図としたように、意を決して口を開く。
「俺と付き合って下さいっ!」
生まれて初めての告白は、想像していたよりも心臓に多大な負荷を与える。俺は目の前の少女に深々と頭を下げてから返事を待った。どうせなら早く回答が欲しいものだ。
「―――や、藪坂くん、ですよね?」
彼女は赤面した顔をこちらに向けると、そんな当たり前の質問を投げかけてきた。その程度の情報は手に持っている手紙にも書かれているはずだ。まるで焦らしているかのように、なかなか答えを出してくれない。彼女はスカートの前で手をモジモジとさせている。
しかたなく、俺は答えた。
「名前は藪坂七季。更科さんと同じ二年で、クラスは一組」
「そう、ですか」
彼女―――更級沙良は小さく呟くと、それきり黙り込んでしまった。困ったことに、彼女は内気な性格みたいだ。
俺の中で、焦りと苛立ちがどんどん湧きあがっていった。そもそも、自分の意見をはっきり言えないような根暗な女子が俺は嫌いだ。男子と話しているだけで涙目になるような相手は論外だし、内気を理由に、見た目に気を使えない自堕落な女子は滅んでしまえばいいとさえ思っている。補足するなら、目の前にいる更級沙良という女性はそれにピタリと該当している。自己主張しないのではなく、できないのはただの弱さに他ならない。
だから、早く言ってくれればいいのに、と心底思った。ごめんなさい、と。
「それで、返事は?」
耐えかねて、俺は、急かすように聞いた。
玉砕覚悟の告白が実るとは思えないし、そもそも実ってもらっても困る。こんな昭和時代からタイムスリップしたような女子と付き合う未来が想像できない。
だから言え。ごめんなさいと、言え。
心の中で念仏のようにそう唱え続けた。
この支離滅裂な告白劇の背景を語るには、前日まで時間を戻さねばならないだろう。それは寒さが顔を見せ始めた、十月も半ばに差しかかった日の放課後の一幕。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「革命っ!」
福部達夫は四枚のカードを机上に放ると、誇らしげに言った。
「悪いな、今度こそ大富豪の座は俺がいただくぜ」
その言葉を飄々と受け流し、中上康一郎は手札を並べ替えてゆく。その動作を見ただけで、次に控えた俺は事態を把握した。
「達夫、詰めの甘さは相変わらずだな。もし革命で上がりを決めるつもりだったら、俺の手札が四枚以下になるのを待つべきだった。それとも、五枚しかカードがないのに、同じ数字が四枚も揃っているわけがないと高を括っていたのか?」
康一郎は相変わらず大袈裟な物言いで、勝ち鬨の言葉と取れる発言をした。
一つの机を取り囲むようにして、俺たち四人はトランプゲームの一種『大富豪』を楽しんでいた。
とは言っても、ゲームの主導権を握るのは常に大富豪として大貧民のカードを吸い上げる康一郎と、常に二番手として貧民のカードをかっさらう達夫の二名の独壇場であり、残りの二人は搾取される側としてゲームに参加させられているようなものだ。
俺は、隣で青ざめた顔をしている艮に向けて言った。
「また、俺たちでビリ争いになりそうだな」
その後、コクンと頷いた艮と雌雄を決することになる。なんとも低レベルな闘いだった。達夫による革命が成功していたなら、手札の強いカードを搾取されていた大貧民と貧民にも勝機があっただろうが、それは康一郎の革命返しによって阻まれてしまった。
結局、一位は変わらず康一郎で、二位は達夫、三位はタッチの差で艮となり、最下位が俺という結果に終わった。
一番に勝利し大富豪になったにも関わらず、康一郎は散らばったトランプをまとめ上げていく。それは本来、大貧民である俺の役目だ。
康一郎はさっさとトランプをまとめ上げると、慣れた手つきでシャッフルを開始した。流暢な手つきに目を奪われていると、その手を止めることなく、康一郎は言った。
「なあ、次は賭けないか?」
艮が不安な面持ちで聞く。
「なにを賭けるのさ」
「金ならないぞ」
俺はそう言って会話に割って入った。負ける確率の高い俺と艮は必死になって康一郎の言葉に反論しようとする。
すると、康一郎は含み笑いを浮かべ、
「友人から金をせしめるようなせこい真似はしないさ。ただ、ちょっとした罰ゲームがあったら白熱すると思ってな」
その不吉な笑みから、素晴らしい案が捻出されるとはとても思えない。とにかく嫌な予感がした。
「まぁ、罰ゲームの内容によるよな」
達夫のそれは正論だった。
康一郎は、ようやくシャッフルする手を止めて思案した。
「だが、あまり単純な罰ではつまらないだろう?」
そんなことはないと、康一郎以外の全員が思ったことだろう。
その中でも、取り分け俺だけが、この流れが危険なものだと気付いていた。康一郎は一度言いだしたことを曲げない性格だ。それに加えて、達夫は挑発に乗りやすく、少し煽れば簡単に賛同してしまうだろう。そうなったら、気の弱い艮は多数派に従う。
俺だって、艮ほどでないにせよ長い物には巻かれるタイプの人間だ。空気を壊さないために、嫌々ながら罰ゲームの導入を受け入れるしかない。つまり罰ゲームの導入は、もはや決まったも同然なのである。あとは罰ゲームが軽いものであることを願うだけだ。
よしっ、と康一郎はなにかを思いついたように一回机を叩いた。
「それじゃあ、敗者は誰か女子生徒に愛の告白をするっていうのはどうだ?」
康一郎以外の全員が同時に立ち上がった。
「なんでそうなる、そんなの無理に決まってんだろうがっ」
ひと際否定の言葉に力がこもったのは、意外にもこういうゲームに日頃乗り気な達夫だった。心なしか顔が上気しているようにも見える。
「負けなければいいだろう。それとも達夫は負ける気でいるのか?」
康一郎はそう言うと、挑発するようにニヤリと笑った。
「そんなことねえよ!」
怒声を上げた達夫は、けれど表情を曇らせてから、諦観のこもった瞳を俺たちに向ける。
「負ける気はない………けどさ、俺には彼女がいるんだ。万に一つも、あいつを裏切るような真似はできない」
さらっと聞き捨てならないことを口走った達夫に、俺だけではなく艮も驚愕の声を上げた。
「彼女いたのっ?」
可哀そうに、艮は心底ショックを受けている様子だ。達夫にだけは先を越されないと豪語していただけに、そのショックは計り知れないようだ。
「二組の棚田美歩だな。付き合い始めて四ヶ月くらいだったか?」
康一郎のやつ、何で名前だけでなく交際し始めた時期まで把握しているんだろう。達夫本人も、話してもいないのにと驚いていた。
それより俺は、友達なのに彼女がいることを隠していた達夫に、若干苛立ちを覚えた。思わずぶっきらぼうな言葉が出てしまう。
「俺たちには教えろよな。それに、康一郎も知ってたならどうして言ってくれなかったんだよ?」
「友人である達夫が俺たちに彼女のことを隠していたんだ。それなのに俺の口から話すのは少し違うんじゃないかと思ってな」
嘘だ、と俺は本能的に理解していた。どうせ効果的に利用するために、ここぞというときまで知らないふりをしていただけのことだろう。そして、いまがまさにそのときだった。
康一郎は憂いを帯びた瞳になり、言った。
「達夫が、彼女がいることを俺たちに隠していたのにはきっと理由があるはずだ。それをとやかく言って責めたら可哀そうじゃないか。俺たちには信じることしかできないんだ。友達である達夫をな」
お前の言葉が一番達夫を責め立てているけどな、と俺は言ってやりたかった。
案の定、
「………その罰ゲーム、乗った」
と達夫は言った。結局、脅し文句に乗せられ、ゲーム参加を承諾する形になった。
俺は内心、不安が的中してしまったと嘆いた。簡単な誘導尋問に引っ掛かる達夫は馬鹿だが、俺とて康一郎の巧みな話術に幾度となく言い含められてきた一人だ。文句を言える立場ではない。
残された艮はあっさりと潮流に乗ってしまい、こうなっては俺一人が罰ゲームを拒否するわけにもいかなくなってしまう。溜息を吐いて、俺は言った。
「しょうがない。さっさとカードを配れ」
康一郎は、そう言ってくれると思っていたよと眼差しで告げているようだった。
うんざりしながら、俺は窓の外を眺めた。夕日が必要以上に赤く燃えている。外では野球部の練習が開始されていた。
「次がラストゲームだな」
「ああ。負けられない闘いだ」
心底楽しむように、康一郎は厭らしく笑った。
ーーー結果はわかり切っていたんだ。
そもそも康一郎は勝負事で負けたことがなく、達夫と艮も実力は俺より上だった。
俺の性格上、まさか自分が最下位になることはないだろうと根拠のない自信を持ち、勝負に負けたときのことを考える頭はなかった。結果として、俺はかつて無いほどの大敗を喫した。ゲーム開始時に配られた札は一三枚。しかし、手元には半分以上のカードが残ったままだった。
その後、罰ゲームの細かいルールが定められることとなった。
「告白かぁ。七季は誰か好きな人とかいないの?」
罰ゲームを免れた艮は机に肘を付いてニヤニヤして俺を見た。
「いねえよ、そんなの」
目を逸らして誤魔化しながら、俺は考える。俺だって思春期真っ只中の男子高校生だ、好きな相手くらいもちろんいる。だが、それを彼らに告げるのは恥ずかしくて躊躇われた。
「まあいいや、それなら罰ゲームの相手は俺たちで決めちまおうぜ」
達夫はさっさと話を進めようとする。
「で、さっきから黙ってる中上康一郎さん。あんたが言いだしっぺなんだからなんか意見出せや、コラ」
康一郎は顔を上げると、さして気にも留めず答えた。
「そのことなんだが、七季の告白相手は俺が決めるっていうのでどうだ?」
面倒くさくなったのか、達夫は康一郎の意見に頷いた。
不安に駆られて渋る俺に、慰めの言葉を達夫は用意していた。
「七季には好きな相手がいないんだろう? だったら自分で決めるより、誰かに相手を決めてもらった方が楽だと思うぜ。防衛線になるしな、振られたときの」
「振られる前提かよ」
俺はそう答えると、虚しくなって遠い目をした。
しかし、達夫の言い分はある意味で正しいとも思う。好きな相手に告白して玉砕するよりは、興味のない相手の方が幾分気が楽だろう。その辺、康一郎なら上手く相手を見繕ってくれそうだ。
「それで、相手はいったい誰だよ」
うだうだ言っててもしかたがないと覚悟を決め、俺は聞いた。
「ああ、任せておけ。七季には選りすぐりの女を用意しよう」
康一郎は冗談なのか、そうでないのか読み取れない口調でそう言った。
「七季の告白相手は、四組の更級沙良にしよう」
思わず、「誰だよそれ!」と叫ぶ。
二年間もこの高校に通っているというのに、聞いたこともない名前だった。心を落ち着かせるように、さり気なく深呼吸を繰り返し、落ち着いたところで達夫に視線を向ける。
「達夫はどうだ? その子のこと知ってるか?」
「まあ、名前だけは聞いたことある。さっき話した俺の彼女、美歩から更級さんの名前が出たことがあるんだ。二組と四組って体育一緒だからさ、それで」
「それで、その更級さんってどんな子なんだよ?」
「美歩の話だとかなり地味な女子らしいし、告白相手として俺はどうかと思うぜ。そもそも、やっぱりなしでいいんじゃねえの? 罰ゲームとか」
俺は目を瞠った。先ほどまで罰ゲームに乗り気だった達夫が、いまは否定的な立場に回っている。逆説的に、その更級沙良という人物が、達夫の加虐心を覆すほどの地雷女子だとも考えられる。このまま罰ゲームがお流れになってくれればいいなと内心で俺は願った。
だが、そんな願いも通じず、康一郎は首を横に振った。
「俺はやると言ったらやる男だ。実行するのは七季だけどな」
「それじゃあやっぱり、相手くらい七季自身に決めさせてあげたら?」
「そうは言うがな艮、更級沙良という女子は、まあ一言で評するなら告白しやすい相手なんだよ」
俺は呆れて言葉も出なかった。康一郎は、なにを根拠にそんなことを言っているのだろう。告白というイベント自体が、もうすでに難易度が高いというのに。
すると、康一郎は俺の表情から心境を悟ったように言った。
「告白のリスクとはなにか考えてみればいい。それは概ね、振られたあとに生活圏に噂として広まることだろう。その点、更級さんは交友関係が狭く、目立つタイプでもない。つまり、彼女に告白しても噂が広まる可能性が低いんだよ。なにせ注目を浴びてないからな」
康一郎の話は確かに的を射ている気がした。だけど、それはあんまりな言い分でもあった。
それにしても、康一郎はどうやってそんなことを調べ上げたのだろう。彼は生徒会長を務めるほどの人徳を持ち、それに加えて、この町ではちょっとした〝有名な家〟の息子でもある。その人脈を駆使すれば、同学年の女子のことを調べることも容易なのだろうか。末恐ろしい奴だ。
「それに、あくまで俺の主観に過ぎないが、更級さんは決して不細工というわけではない。ただ地味なんだ、とにかく地味」
「地味地味って、お前なぁ」
俺は、康一郎の不躾な物言いに呆れてしまう。いくら本人がいないからといっても、もう少し言葉を選んであげてもいいだろうに。
「まあ、どうせ上手くいかないんだから、いつかするであろう告白の予行練習だと思えばいいじゃないか」
康一郎が肩に腕を絡めてくる。
告白の予行練習。その言葉に、少なからず心が揺さぶられる。
今回の告白は耐性を付けるための練習だと自らに言い聞かせる。さっさと告白して、玉砕してしまえばいいだけのことだ。まるで脳が麻痺したように、そんな乱暴な思考をしてしまう。
半ば自暴自棄になって、「いつ告白すればいい」と俺は言った。
すると、康一郎は、そんな俺を見て厭らしく笑った。
「そう言ってくれると思ってたよ。じゃあ明日の放課後、旧焼却炉前に向かってくれ」
「焼却炉前………って、え、なんで?」
「そこに更級さんを呼び出すからに決まっているじゃないか」
まるで決定事項を述べるように、康一郎は言った。
俺は明日になるのが恐ろしくなった。このまま時間が止まるか、あるいは過ぎ去ってしまえばいいのにと心底願った。
「俺と付き合って下さいっ!」
生まれて初めての告白は、想像していたよりも心臓に多大な負荷を与える。俺は目の前の少女に深々と頭を下げてから返事を待った。どうせなら早く回答が欲しいものだ。
「―――や、藪坂くん、ですよね?」
彼女は赤面した顔をこちらに向けると、そんな当たり前の質問を投げかけてきた。その程度の情報は手に持っている手紙にも書かれているはずだ。まるで焦らしているかのように、なかなか答えを出してくれない。彼女はスカートの前で手をモジモジとさせている。
しかたなく、俺は答えた。
「名前は藪坂七季。更科さんと同じ二年で、クラスは一組」
「そう、ですか」
彼女―――更級沙良は小さく呟くと、それきり黙り込んでしまった。困ったことに、彼女は内気な性格みたいだ。
俺の中で、焦りと苛立ちがどんどん湧きあがっていった。そもそも、自分の意見をはっきり言えないような根暗な女子が俺は嫌いだ。男子と話しているだけで涙目になるような相手は論外だし、内気を理由に、見た目に気を使えない自堕落な女子は滅んでしまえばいいとさえ思っている。補足するなら、目の前にいる更級沙良という女性はそれにピタリと該当している。自己主張しないのではなく、できないのはただの弱さに他ならない。
だから、早く言ってくれればいいのに、と心底思った。ごめんなさい、と。
「それで、返事は?」
耐えかねて、俺は、急かすように聞いた。
玉砕覚悟の告白が実るとは思えないし、そもそも実ってもらっても困る。こんな昭和時代からタイムスリップしたような女子と付き合う未来が想像できない。
だから言え。ごめんなさいと、言え。
心の中で念仏のようにそう唱え続けた。
この支離滅裂な告白劇の背景を語るには、前日まで時間を戻さねばならないだろう。それは寒さが顔を見せ始めた、十月も半ばに差しかかった日の放課後の一幕。
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「革命っ!」
福部達夫は四枚のカードを机上に放ると、誇らしげに言った。
「悪いな、今度こそ大富豪の座は俺がいただくぜ」
その言葉を飄々と受け流し、中上康一郎は手札を並べ替えてゆく。その動作を見ただけで、次に控えた俺は事態を把握した。
「達夫、詰めの甘さは相変わらずだな。もし革命で上がりを決めるつもりだったら、俺の手札が四枚以下になるのを待つべきだった。それとも、五枚しかカードがないのに、同じ数字が四枚も揃っているわけがないと高を括っていたのか?」
康一郎は相変わらず大袈裟な物言いで、勝ち鬨の言葉と取れる発言をした。
一つの机を取り囲むようにして、俺たち四人はトランプゲームの一種『大富豪』を楽しんでいた。
とは言っても、ゲームの主導権を握るのは常に大富豪として大貧民のカードを吸い上げる康一郎と、常に二番手として貧民のカードをかっさらう達夫の二名の独壇場であり、残りの二人は搾取される側としてゲームに参加させられているようなものだ。
俺は、隣で青ざめた顔をしている艮に向けて言った。
「また、俺たちでビリ争いになりそうだな」
その後、コクンと頷いた艮と雌雄を決することになる。なんとも低レベルな闘いだった。達夫による革命が成功していたなら、手札の強いカードを搾取されていた大貧民と貧民にも勝機があっただろうが、それは康一郎の革命返しによって阻まれてしまった。
結局、一位は変わらず康一郎で、二位は達夫、三位はタッチの差で艮となり、最下位が俺という結果に終わった。
一番に勝利し大富豪になったにも関わらず、康一郎は散らばったトランプをまとめ上げていく。それは本来、大貧民である俺の役目だ。
康一郎はさっさとトランプをまとめ上げると、慣れた手つきでシャッフルを開始した。流暢な手つきに目を奪われていると、その手を止めることなく、康一郎は言った。
「なあ、次は賭けないか?」
艮が不安な面持ちで聞く。
「なにを賭けるのさ」
「金ならないぞ」
俺はそう言って会話に割って入った。負ける確率の高い俺と艮は必死になって康一郎の言葉に反論しようとする。
すると、康一郎は含み笑いを浮かべ、
「友人から金をせしめるようなせこい真似はしないさ。ただ、ちょっとした罰ゲームがあったら白熱すると思ってな」
その不吉な笑みから、素晴らしい案が捻出されるとはとても思えない。とにかく嫌な予感がした。
「まぁ、罰ゲームの内容によるよな」
達夫のそれは正論だった。
康一郎は、ようやくシャッフルする手を止めて思案した。
「だが、あまり単純な罰ではつまらないだろう?」
そんなことはないと、康一郎以外の全員が思ったことだろう。
その中でも、取り分け俺だけが、この流れが危険なものだと気付いていた。康一郎は一度言いだしたことを曲げない性格だ。それに加えて、達夫は挑発に乗りやすく、少し煽れば簡単に賛同してしまうだろう。そうなったら、気の弱い艮は多数派に従う。
俺だって、艮ほどでないにせよ長い物には巻かれるタイプの人間だ。空気を壊さないために、嫌々ながら罰ゲームの導入を受け入れるしかない。つまり罰ゲームの導入は、もはや決まったも同然なのである。あとは罰ゲームが軽いものであることを願うだけだ。
よしっ、と康一郎はなにかを思いついたように一回机を叩いた。
「それじゃあ、敗者は誰か女子生徒に愛の告白をするっていうのはどうだ?」
康一郎以外の全員が同時に立ち上がった。
「なんでそうなる、そんなの無理に決まってんだろうがっ」
ひと際否定の言葉に力がこもったのは、意外にもこういうゲームに日頃乗り気な達夫だった。心なしか顔が上気しているようにも見える。
「負けなければいいだろう。それとも達夫は負ける気でいるのか?」
康一郎はそう言うと、挑発するようにニヤリと笑った。
「そんなことねえよ!」
怒声を上げた達夫は、けれど表情を曇らせてから、諦観のこもった瞳を俺たちに向ける。
「負ける気はない………けどさ、俺には彼女がいるんだ。万に一つも、あいつを裏切るような真似はできない」
さらっと聞き捨てならないことを口走った達夫に、俺だけではなく艮も驚愕の声を上げた。
「彼女いたのっ?」
可哀そうに、艮は心底ショックを受けている様子だ。達夫にだけは先を越されないと豪語していただけに、そのショックは計り知れないようだ。
「二組の棚田美歩だな。付き合い始めて四ヶ月くらいだったか?」
康一郎のやつ、何で名前だけでなく交際し始めた時期まで把握しているんだろう。達夫本人も、話してもいないのにと驚いていた。
それより俺は、友達なのに彼女がいることを隠していた達夫に、若干苛立ちを覚えた。思わずぶっきらぼうな言葉が出てしまう。
「俺たちには教えろよな。それに、康一郎も知ってたならどうして言ってくれなかったんだよ?」
「友人である達夫が俺たちに彼女のことを隠していたんだ。それなのに俺の口から話すのは少し違うんじゃないかと思ってな」
嘘だ、と俺は本能的に理解していた。どうせ効果的に利用するために、ここぞというときまで知らないふりをしていただけのことだろう。そして、いまがまさにそのときだった。
康一郎は憂いを帯びた瞳になり、言った。
「達夫が、彼女がいることを俺たちに隠していたのにはきっと理由があるはずだ。それをとやかく言って責めたら可哀そうじゃないか。俺たちには信じることしかできないんだ。友達である達夫をな」
お前の言葉が一番達夫を責め立てているけどな、と俺は言ってやりたかった。
案の定、
「………その罰ゲーム、乗った」
と達夫は言った。結局、脅し文句に乗せられ、ゲーム参加を承諾する形になった。
俺は内心、不安が的中してしまったと嘆いた。簡単な誘導尋問に引っ掛かる達夫は馬鹿だが、俺とて康一郎の巧みな話術に幾度となく言い含められてきた一人だ。文句を言える立場ではない。
残された艮はあっさりと潮流に乗ってしまい、こうなっては俺一人が罰ゲームを拒否するわけにもいかなくなってしまう。溜息を吐いて、俺は言った。
「しょうがない。さっさとカードを配れ」
康一郎は、そう言ってくれると思っていたよと眼差しで告げているようだった。
うんざりしながら、俺は窓の外を眺めた。夕日が必要以上に赤く燃えている。外では野球部の練習が開始されていた。
「次がラストゲームだな」
「ああ。負けられない闘いだ」
心底楽しむように、康一郎は厭らしく笑った。
ーーー結果はわかり切っていたんだ。
そもそも康一郎は勝負事で負けたことがなく、達夫と艮も実力は俺より上だった。
俺の性格上、まさか自分が最下位になることはないだろうと根拠のない自信を持ち、勝負に負けたときのことを考える頭はなかった。結果として、俺はかつて無いほどの大敗を喫した。ゲーム開始時に配られた札は一三枚。しかし、手元には半分以上のカードが残ったままだった。
その後、罰ゲームの細かいルールが定められることとなった。
「告白かぁ。七季は誰か好きな人とかいないの?」
罰ゲームを免れた艮は机に肘を付いてニヤニヤして俺を見た。
「いねえよ、そんなの」
目を逸らして誤魔化しながら、俺は考える。俺だって思春期真っ只中の男子高校生だ、好きな相手くらいもちろんいる。だが、それを彼らに告げるのは恥ずかしくて躊躇われた。
「まあいいや、それなら罰ゲームの相手は俺たちで決めちまおうぜ」
達夫はさっさと話を進めようとする。
「で、さっきから黙ってる中上康一郎さん。あんたが言いだしっぺなんだからなんか意見出せや、コラ」
康一郎は顔を上げると、さして気にも留めず答えた。
「そのことなんだが、七季の告白相手は俺が決めるっていうのでどうだ?」
面倒くさくなったのか、達夫は康一郎の意見に頷いた。
不安に駆られて渋る俺に、慰めの言葉を達夫は用意していた。
「七季には好きな相手がいないんだろう? だったら自分で決めるより、誰かに相手を決めてもらった方が楽だと思うぜ。防衛線になるしな、振られたときの」
「振られる前提かよ」
俺はそう答えると、虚しくなって遠い目をした。
しかし、達夫の言い分はある意味で正しいとも思う。好きな相手に告白して玉砕するよりは、興味のない相手の方が幾分気が楽だろう。その辺、康一郎なら上手く相手を見繕ってくれそうだ。
「それで、相手はいったい誰だよ」
うだうだ言っててもしかたがないと覚悟を決め、俺は聞いた。
「ああ、任せておけ。七季には選りすぐりの女を用意しよう」
康一郎は冗談なのか、そうでないのか読み取れない口調でそう言った。
「七季の告白相手は、四組の更級沙良にしよう」
思わず、「誰だよそれ!」と叫ぶ。
二年間もこの高校に通っているというのに、聞いたこともない名前だった。心を落ち着かせるように、さり気なく深呼吸を繰り返し、落ち着いたところで達夫に視線を向ける。
「達夫はどうだ? その子のこと知ってるか?」
「まあ、名前だけは聞いたことある。さっき話した俺の彼女、美歩から更級さんの名前が出たことがあるんだ。二組と四組って体育一緒だからさ、それで」
「それで、その更級さんってどんな子なんだよ?」
「美歩の話だとかなり地味な女子らしいし、告白相手として俺はどうかと思うぜ。そもそも、やっぱりなしでいいんじゃねえの? 罰ゲームとか」
俺は目を瞠った。先ほどまで罰ゲームに乗り気だった達夫が、いまは否定的な立場に回っている。逆説的に、その更級沙良という人物が、達夫の加虐心を覆すほどの地雷女子だとも考えられる。このまま罰ゲームがお流れになってくれればいいなと内心で俺は願った。
だが、そんな願いも通じず、康一郎は首を横に振った。
「俺はやると言ったらやる男だ。実行するのは七季だけどな」
「それじゃあやっぱり、相手くらい七季自身に決めさせてあげたら?」
「そうは言うがな艮、更級沙良という女子は、まあ一言で評するなら告白しやすい相手なんだよ」
俺は呆れて言葉も出なかった。康一郎は、なにを根拠にそんなことを言っているのだろう。告白というイベント自体が、もうすでに難易度が高いというのに。
すると、康一郎は俺の表情から心境を悟ったように言った。
「告白のリスクとはなにか考えてみればいい。それは概ね、振られたあとに生活圏に噂として広まることだろう。その点、更級さんは交友関係が狭く、目立つタイプでもない。つまり、彼女に告白しても噂が広まる可能性が低いんだよ。なにせ注目を浴びてないからな」
康一郎の話は確かに的を射ている気がした。だけど、それはあんまりな言い分でもあった。
それにしても、康一郎はどうやってそんなことを調べ上げたのだろう。彼は生徒会長を務めるほどの人徳を持ち、それに加えて、この町ではちょっとした〝有名な家〟の息子でもある。その人脈を駆使すれば、同学年の女子のことを調べることも容易なのだろうか。末恐ろしい奴だ。
「それに、あくまで俺の主観に過ぎないが、更級さんは決して不細工というわけではない。ただ地味なんだ、とにかく地味」
「地味地味って、お前なぁ」
俺は、康一郎の不躾な物言いに呆れてしまう。いくら本人がいないからといっても、もう少し言葉を選んであげてもいいだろうに。
「まあ、どうせ上手くいかないんだから、いつかするであろう告白の予行練習だと思えばいいじゃないか」
康一郎が肩に腕を絡めてくる。
告白の予行練習。その言葉に、少なからず心が揺さぶられる。
今回の告白は耐性を付けるための練習だと自らに言い聞かせる。さっさと告白して、玉砕してしまえばいいだけのことだ。まるで脳が麻痺したように、そんな乱暴な思考をしてしまう。
半ば自暴自棄になって、「いつ告白すればいい」と俺は言った。
すると、康一郎は、そんな俺を見て厭らしく笑った。
「そう言ってくれると思ってたよ。じゃあ明日の放課後、旧焼却炉前に向かってくれ」
「焼却炉前………って、え、なんで?」
「そこに更級さんを呼び出すからに決まっているじゃないか」
まるで決定事項を述べるように、康一郎は言った。
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原案:あっきコタロウ氏
※以前公開していた同名作品のトリック等の変更、加筆修正を行った改稿版になります。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
どんでん返し
あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~
ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが…
(「薪」より)
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