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缶を一つ落とすだけ
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僕は一人の美しい女性の後ろ姿を目にした。そこから始まる物語もあるだろう。
「あの…」
「こんばんわ」
くるりと僕の方へ体をやり、挨拶と同時に煙草の煙を吐く。艶のある黒髪は長くて、腰あたりまであり、夜なのに瞳は星と同等の輝きを放っている。
「この時間ってことは、お仲間かと…思いまして」
「それはどうかしら」
「仕事が終わらず、僕は残業ですよ。気晴らしに一服をと思いましてね。どうです?良かったら、奢りますよ」
「ありがとう。じゃあ、ブラックを」
同じスーツ姿で、こんな夜中は残業以外考えられない。このビルは屋上が解放されており、ビル内の狭い喫煙所よりここに来る喫煙者はたくさんいる。
ビル内には階数によって会社が違う。どこの会社の子なんだろうか。
僕が自販機のボタンを押し終わると彼女は言う。
「私がもし殺人者だったら、あなたはどうする?」
「だとしても、僕は君に殺される理由はないよ」
缶珈琲を受け取らず、真剣な顔で問う。
僕が戸惑いを見せながら笑みを作り、受け流す。
「無差別に殺す人もいるわよ?」
「じゃあ、何を使って君は僕を殺すのかな?」
煙草を消して缶珈琲を受け取り、彼女も笑みを作る。僕の問いに無言で缶珈琲を指差す。
「これであなたを殴り殺せるわ」
「時間かかりそうだし、どうだろう。無抵抗なら出来ると思うけど、僕が逃げちゃうかも知れない。それに捕まっちゃうよ」
「そうね。じゃあ、対象を変えましょう」
そう言うと彼女は未開封の缶珈琲を柵の外側へと腕を伸ばす。何の抵抗もなく、当たり前のように平然とした顔で。
「くだらないね。煙草が吸い終わる間の雑談にしては長いよ」
「あなたしか終わらせることが出来ないのだから。あなた自身が長くしているのよ?」
「じゃあ、雑談は終わりだ。お互い残業頑張りましょう」
「高層ビルのここから、この缶珈琲を落として人に当たれば重傷。運が悪ければ重体の可能性もあるわ」
そう、彼女は説明するように淡々と言葉を並べる。足が止まると全身が止まる。しかし、思考だけは動く。
「あなた本当にここのビルの関係者か!?警察に通報するぞ!!」
「通報して警察がすぐ来るわけじゃないわ。それに何もなかったら、私はただのおっちょこちょいの人よ?」
「あ、あなた、おかしいですよ…。もう、疲れました」
僕は表情が変わったり、身体を動かしたりしている。なのに、彼女の表情と動作は最小限で実に不気味だ。
「おかしい?おかしいのは、あなたよ。いや、この平和ボケした世界ね。用途を間違えれば人は死ぬし、殺せるのよ?貴方がしているネクタイに胸ポケットにあるボールペン。それも凶器よ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことが起こらないように法があり、理性がある。」
「理性は壊れる。現に理性が壊れた人は法を破り、捕まっているでしょ?ただの抑止力に過ぎないわ」
この話に付き合っていたら、頭がおかしくなりそうで気持ち悪くなる。中に戻れば残業なんて最悪だ。彼女の話に耳を傾け過ぎた。ドアノブを捻ると同時にまた彼女が声をかけてくる。
「ねぇ、落としちゃった」
その一言は身体をまた硬直させる。聞かなかったことにすれば?不注意?嘘か?俺の指紋もついてる。その場合どうなる?様々な自問自答が頭の中を襲う。
自分の目で確認しないと人は安心出来ない。彼女の両手を見ると手をパーにしている。ポケットに膨らみはない。
「何やってんだよっ!!!」
目視で確認した瞬間、口と脚が動いた。勢いよくフェンスに両手をついて下を見るとバキッと音が鳴り、全身が宙に浮いた。
「凶器が無くても人は殺せるのよ?」
その言葉が聞こえて、彼女に視線をやる。だが、もうそこにはビルの壁しか見えない。目で追って上を向いても空しかなかった。そして、疑問に思う。
僕は何に殺されたのだろうか?
彼女? 缶珈琲? 運? 理性?
頭の中では、正解が出ずにただ赤くなった。
「あの…」
「こんばんわ」
くるりと僕の方へ体をやり、挨拶と同時に煙草の煙を吐く。艶のある黒髪は長くて、腰あたりまであり、夜なのに瞳は星と同等の輝きを放っている。
「この時間ってことは、お仲間かと…思いまして」
「それはどうかしら」
「仕事が終わらず、僕は残業ですよ。気晴らしに一服をと思いましてね。どうです?良かったら、奢りますよ」
「ありがとう。じゃあ、ブラックを」
同じスーツ姿で、こんな夜中は残業以外考えられない。このビルは屋上が解放されており、ビル内の狭い喫煙所よりここに来る喫煙者はたくさんいる。
ビル内には階数によって会社が違う。どこの会社の子なんだろうか。
僕が自販機のボタンを押し終わると彼女は言う。
「私がもし殺人者だったら、あなたはどうする?」
「だとしても、僕は君に殺される理由はないよ」
缶珈琲を受け取らず、真剣な顔で問う。
僕が戸惑いを見せながら笑みを作り、受け流す。
「無差別に殺す人もいるわよ?」
「じゃあ、何を使って君は僕を殺すのかな?」
煙草を消して缶珈琲を受け取り、彼女も笑みを作る。僕の問いに無言で缶珈琲を指差す。
「これであなたを殴り殺せるわ」
「時間かかりそうだし、どうだろう。無抵抗なら出来ると思うけど、僕が逃げちゃうかも知れない。それに捕まっちゃうよ」
「そうね。じゃあ、対象を変えましょう」
そう言うと彼女は未開封の缶珈琲を柵の外側へと腕を伸ばす。何の抵抗もなく、当たり前のように平然とした顔で。
「くだらないね。煙草が吸い終わる間の雑談にしては長いよ」
「あなたしか終わらせることが出来ないのだから。あなた自身が長くしているのよ?」
「じゃあ、雑談は終わりだ。お互い残業頑張りましょう」
「高層ビルのここから、この缶珈琲を落として人に当たれば重傷。運が悪ければ重体の可能性もあるわ」
そう、彼女は説明するように淡々と言葉を並べる。足が止まると全身が止まる。しかし、思考だけは動く。
「あなた本当にここのビルの関係者か!?警察に通報するぞ!!」
「通報して警察がすぐ来るわけじゃないわ。それに何もなかったら、私はただのおっちょこちょいの人よ?」
「あ、あなた、おかしいですよ…。もう、疲れました」
僕は表情が変わったり、身体を動かしたりしている。なのに、彼女の表情と動作は最小限で実に不気味だ。
「おかしい?おかしいのは、あなたよ。いや、この平和ボケした世界ね。用途を間違えれば人は死ぬし、殺せるのよ?貴方がしているネクタイに胸ポケットにあるボールペン。それも凶器よ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことが起こらないように法があり、理性がある。」
「理性は壊れる。現に理性が壊れた人は法を破り、捕まっているでしょ?ただの抑止力に過ぎないわ」
この話に付き合っていたら、頭がおかしくなりそうで気持ち悪くなる。中に戻れば残業なんて最悪だ。彼女の話に耳を傾け過ぎた。ドアノブを捻ると同時にまた彼女が声をかけてくる。
「ねぇ、落としちゃった」
その一言は身体をまた硬直させる。聞かなかったことにすれば?不注意?嘘か?俺の指紋もついてる。その場合どうなる?様々な自問自答が頭の中を襲う。
自分の目で確認しないと人は安心出来ない。彼女の両手を見ると手をパーにしている。ポケットに膨らみはない。
「何やってんだよっ!!!」
目視で確認した瞬間、口と脚が動いた。勢いよくフェンスに両手をついて下を見るとバキッと音が鳴り、全身が宙に浮いた。
「凶器が無くても人は殺せるのよ?」
その言葉が聞こえて、彼女に視線をやる。だが、もうそこにはビルの壁しか見えない。目で追って上を向いても空しかなかった。そして、疑問に思う。
僕は何に殺されたのだろうか?
彼女? 缶珈琲? 運? 理性?
頭の中では、正解が出ずにただ赤くなった。
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