シャイロック

大秦頼太

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シャイロック 25

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25

 近年、クラッシックの作曲家は中国人が増えてきているそうだ。このまま行けば、何十年か後にはクラッシックは中国人が生み出したものと言い出すのだろう。
 店の中には、割とよく耳にする感じのクラッシックが流れている。どこで生まれようとも良いものは良いが、全ての人を同時に感動させることは出来無い。
 ミ・ラ・ポルセ。
 意味なんか知らない。多分、響きで決めたのだろう。例えば、日本語でいい響きだと思っていた言葉が、ある国では史上最低の侮蔑の言葉であることもきっとあるだろう。それが文化の多様性だから、仕方がない。みんなが同じではつまらない。
 心もそうだ。僕の心と他人の心は違う。それは、すごく単純なことかもしれないけれど、複雑で理解不能なことだ。本当は他人と違うことは当たり前のはずなのに、少しの心のズレで他人を異常扱いしてしまう。だから皆が恐れる。他人と違うことを。
 だから、同じものに憧れる。
 同じ髪型。同じ服装。同じメイク。僕らは、いつも違う自分に憧れて、誰かの真似をする。誰かの真似をするから、似たような出来損ないが街の中をうろちょろする。出来損ないも文化さ。いずれそれもブランドになる。街の中に部族が現れても、僕たちはなんとも思わない。それが文化だから。
 でも、そこに多様性は無い。多様性を失くした生き物は、
「聞いてるのか?」
 聞いてないよ。
「聞いてるよ。でも、ここはちょっと騒がしいからね」
 特に窓際の一番いい席を取ったあのカップルがうるさい。男はプロポーズの言葉を何度も心の中で繰り返すものだから会話が上の空だし、女はそれがいつ来るのだろうとずっと相づちを繰り返している。はっきり言って会話がかみ合っていない。
 もどかしいんだよ! このバカップルが。一生やってろ。
「お前から誘うなんて珍しいな」
 これで最後だからね。
「俺を、殺す気か?」
 後藤田が、薄気味悪く笑った。自分は死なない。そう思っている。
「あんたのそういうところが大嫌いだった」
 ここで終わる。君は、まだ来てないのかな? それならそれでいい。
「人の心が読めるのが自分だけだなんて思わないことだな」
「でも」
 完璧じゃない。動きや表情で人の心を覗き見ようとするあんたと僕は、コモドドラゴンと猫くらいの差がある。あんたに、猫のようなしなやかさがあるのか? 知ってるかい? コモドドラゴンは、子どもドラゴンじゃないんだよ。
「ここにいる誰がお前を殺すのか、どうやって殺されるのかは、わからないだろ?」
 後藤田の表情があせりに変わる。この男だって、本当のことを言えば死ぬのが怖い。だからこそ、僕に虫を探させるのだ。虫が大きくなれば宿主を死に向かわせる。でも、あんたは間違えた。他の虫を殺すために有効だと考えた虫が一番危険だったのだ。僕はあんたを死に向かわせる。それが、僕の死につながっていても。
 後藤田の顔が汗で埋まっていく。
「遠慮するなよ。僕のおごりだよ。まぁ、元々はあんたのお金だけどね」
 この肉料理、なかなか美味しい。また、来よう。
 また?
 思わず噴出した。後藤田が驚きの顔で僕を見る。安心するなよ。こんなことくらいで。
「嘘なのか?」
 嘘なものか。あんたはここで死ぬ。僕が合図を出せば一瞬で。
「サプライズ、サプライズ」
 なんだか楽しかった。背中には死の世界が待っている。後藤田が死ねば、取り巻きが私を殺すことになっている。でも、それでもよかった。このまま……、

 アト、ヒトリダケ……。

 君は、来てくれたんだね。
「驚かせるなよ」
 後藤田は汗を拭う。その顔は紅潮している。とても許す気などない。心を読まなくてもわかる。ナプキンを床に捨てると、フォークを握りこんで立ち上がった。
 強い粘りのある黒いものが頭の中に流れ込んでくる。
 お前の手にこのフォークを突き刺してやるぞ。上の階に拷問部屋を用意してやったから、せいぜい楽しむんだな。別れ話なんてさせないぞ。
 もういいや。
 はぁ。
「お前は、俺の物だ」
 パチン。
「すみませーん」
 この空間に似合わない間の抜けた声が、店員を呼ぶ。
「声がでかいよ」
 店員が声の主の元に行く間もなく、後藤田は胸を押さえて席につく。フォークが床に落ちる。その音の振動で後藤田の体が床に向かっていく。女の悲鳴。同時に後藤田の体が床の上に転がる。何事かわからずにただ逃げ出す男。後藤田に向かって駆け寄ってくる店員。テーブルの周りを取り囲む人、人、人。全てがゆっくりと流れていく。
 後藤田は瞬き一つせずマネキンのようにそこにあり続けた。呼びかける声にも、揺り動かされても無反応だった。
 あっけない。これが、何年も僕を縛り付けてきた人間の最後なのか。
 ……。
 それはおかしな現象だった。誰もが声を上げている。音を出している。店内には音楽も流れていたはずだ。
 ラジオが一斉に鳴り止んだ。
 人の動きが見える。でも、そこについてくるはずの音が聞こえなかった。

 無音。

 席に座り続ける僕は、集まってくる人の中で食事を続けた。そうするのが一番自然だと思ったからだ。自然。自然は一番不自然だ。そうだ。僕は昆虫になったんだ。だから、あいつが死んでも食事を続けられる。
 人混みの中から男が一人出てきて、僕の肩をつかむ。何かを一生懸命叫んでいる。後藤田を指差し、同じ言葉を続けているようだった。唇を読むとようやく意味のある言葉になった。
「僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。僕は宇宙人です。」
 こいつは頭がおかしいんだ。僕は、男の手を振り払って、立ち上がった。男はそれが気に入らなかったらしく、僕をすごい力で引き戻そうとした。男は、酒臭い息を僕に吹きかけてこう言った。
「太郎君は月へ行きたいのに百六十円しか持っていません。どうしたら月へ行けるでしょうか? 三年以内に答えなさい」
「太郎君は月にはいけないよ。それが現実だ」
 僕がそう答えると、男は一瞬あっけに取られたようだった。また男が口を開く。不気味な女言葉だった。
「カニを食べに行きたいの、でも、カニを食べる時って無口になるから、デートには不向きなのよね。どうしたらいいかしら?」
「メロンパン!」
 僕は力いっぱい男を突き飛ばすと、出口を飛び出してエレベーターに向かった。下に向かうボタンを押し、そこで待っていると、店員が駆けてきたので、バッグの中から財布を取り出してお金を投げつける。下に降りるエレベーターはすぐにやって来たのに、到着のベルが壊れているせいで気がつかなかった。もう一度、下に向かうボタンを連打する。
 数人の男たちが僕の腕をつかんだ。サラリーマンには見えないスーツの男たち。天使だ。僕をこの世界から向こう側に運んでくれる天使たちだった。彼らは上に向かうボタンを押した。そうか、天国に上るんだね。僕は下に行くんだけどね。
 エレベーターが来ると、男たちは僕をまるで荷物のように放り込むと、駆けてきた店員に向かって、
「バナナが三本ありました!」
 と怒鳴りつけた。
 エレベーターが閉まり、動き出すと男たちの汗臭さに意識が朦朧としてきた。誰も何も言わないので、僕がしゃべることにした。
「アパレルショップでパラソル買ってパラレルワールドに行くんだ」
 スーツの男が無言で僕を殴った。首が取れるかと思うほどの勢いだった。エレベータが止まった。上の階だった。僕は下に行きたかったのに。
 扉が開くと目の前に長い廊下が広がっていた。その奥になんだか趣味の悪いドアが一つあった。これならどんなに方向音痴でもまっすぐ来られるだろう。まぁ、まっすぐ歩くことが出来無い方向音痴は、どこに行くことも出来無いだろうけど。
 奥の趣味の悪いドアが開くと、真っ暗な部屋に椅子が一つぽつんと置かれている。それには手かせ足かせがついていて、本当に素敵なアンティークだった。歯のない男がにやけて笑う。僕にハンディのビデオカメラを見せて楽しそうにおしゃべりをしている。
「蝉の頭の中にはね白い液体が詰まっているんだけど、私はそれがゴムだと思っているんだ。ゴムが入っていて何ができるかって? ゴムは柔軟な発想には欠かせないんだよ。かのダーウィンもレオナルド・ダ・ヴィンチも脳みその中にゴムが入っていたんだ。蝉はこのゴムを使って、人間を操っているのさ。音でね。あの音を聞いているとイライラしてこないかい? イライラすると人間は争いを始めるだろう。それが奴らの狙いなんだ。戦争バンザーイ! 戦争バンザーイ! 戦争バンザーイ!」
 椅子に縛り付けている間も、歯のない男はおしゃべりをやめなかった。米国歴代大統領の小脳はみたらし団子で、毎年新しいものにしないと核ミサイルのボタンを押したくなってしまうというのだ。みたらし団子を得るために日米同盟は存在しているのだ。これは真実だ。国家機密の重大事項だ。
 目の前にビデオカメラが置かれた。部屋の中は暗く、誰かが僕を照らしている。カメラの奥には歯のない男が座り、その奥に趣味の悪いドアがあった。
 僕は、ここで死ぬんだな。最後の言葉は何がいいだろう。さっきの料理、もう少しゆっくり食べればよかった。
「カリフォルニア米には、羽が生えてるんだって」
 なんだって? こんなことを言いたいんじゃない。そうだ。こいつら全員を呪って死んでやろう。さあ、聞くがいい僕の最後の言葉を。
「私は日本語ではありません」

 ドアは突然開いた。
 みんなが、多分みんながそっちを見た。
 背広の似合わない若い男が立っていた。まるで七五三のコスプレだ。廊下向こうには、数人のスーツの男たちが寝ている。ここで寝たら、風邪を引くよ。
 部屋の中の男が、若い男に襲い掛かる。若い男は左手を前に出して弾く。すると、スーツの男は目標を失いアイスホッケーのように壁に激突して倒れる。あっけに取られる男たちを、若い男が指を弾いて駆逐していく。
 やがて、若い男と僕だけになると、男は僕に笑いかけた。そして、鍵を拾い枷を外すと、僕にこう言った。
「愛しているか?」
 僕は、うん。と答え、シュウジにキスをした。
 僕は君を愛してしまったんだ。
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