汀(みぎわ)

大秦頼太

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第三話

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「これはあまり良くない霊ですね」
 いわゆる心霊写真を解説するときにある程度のルールがある。そのルールさえ理解しておけば霊能力は特に必要ない。ある程度の注意力さえあれば比較的誰にでもできるものだ。
「赤い光は攻撃色でこの方に悪意を持っていますね」
 とか、フワフワと浮かぶ球体には、
「これはオーブですね。オーブというのは霊が現れるときによく出てくるものなんですよ」
 と言っておけば済んでしまう。そりゃあ、中には本物もいるかもしれないが、だからと言って対処の仕方やパターンが大きく違うとは考えられない。
 さらに言うのならこういった解説を要求される場所で本物の心霊写真に出会ったことは今まで一度もない。というか、見てもわからない。
「面白半分で心霊スポットに行っちゃダメですよ。危険ですからね」
 心霊写真はルールが明確でいい。最近の画質の向上で嘘くさいのも沢山送りつけられてくるが、それでもクオリティの高いものもいくつか存在する。

 実際に幽霊がいるのかいないのかなんて、結局その瞬間に見た奴にしかわからない。俺だって違う何かの影を目撃することはある。だが、それが霊であるかは証明はできない。
 幽霊というのは、存在しないから幽霊なのだ。だが、この存在しないということが幽霊の存在感を際立たせる。
 今もこうやって幽霊のことを考えていると、ペットボトルが勝手に鳴ったりする。気圧の関係だと言ってしまえば、それだけだ。だが、なぜ気圧が変わったのかはあまり説明されない。しかし、視聴者はそれをあまり望まない。説明されてしまうと、面白くなくなってしまうからだ。
 少し話は変わるが、ゲームをするときに攻略本を見てするゲームと見ないでするゲームは断然見てするほうがスムーズに進む。だが、見ないでするゲームのほうが面白かったりする。よくわからない例えかも知れないが、心霊現象もよく分からないから人を惹きつけるのだ。
 ネットの心霊特別番組を収録し終わり帰り支度をしていると、小松が話しかけてきた。こいつは純粋な心霊支持者で鬱陶しい。口に出して本当のことを言ってやれると楽しいのだが、それをやってしまうと俺は仕事を失って食うに困るようになってしまう。
「いやあ、いつも鮮やかな解説ですね」
 まあ、ボロが出ないように海外の最新の情報もしっかりと頭に入れているからね。とは言わずに、
「いやいやまだまだ修行の身ですから」
 修行。情報収集も立派な修行。そう。仏教が伝来してきた時、この国の僧侶たちは死に物狂いでそれを研究したのだ。その結果が、今の宗教社会だ。
「ご謙遜を。ジエイ先生は何でも分かるんですね」
「そんなことないですよ。霊によっては、人間を騙したり、喋ってこない奴もいますからね。もっともっと力をつけないと」
 いつもそうだが、一応予防線を貼っておく。読みが外れた時に恥をかくということは、これもまた仕事の量を減らす事態につながるからだ。力不足ということになれば、時間が経てばまた呼ばれることになる。読みを外し続けた自称霊能者は「詐欺師」と呼ばれ、二度と日の目を見ることはない。霊能者なんて0能者で、ただのエンターテイナーだ。いや、心霊に怯える人の話を聞くということは、カウンセラーでもあるかもしれない。
「今度、対決してみません? 伊勢脇教授と」
 小松は熱のこもった視線を向けてくる。が、冗談ではない。伊勢脇教授は絶対に超常現象を認めないことで有名な人物で、目の前でたとえ不思議な事象が起こっても、こんなのはよくあることだとか、科学で証明できるとか言い出して、非常に面倒くさい。今まで関わった霊能者は全部彼に潰されている。対決しても結局は損をしてこちらには何の益もない。
「対決してもいいですよ。でも、それで誰かが救えるんですかね。なんか、面白おかしくするだけじゃ意味が無い気がします」
 逃げる姿勢は見せないことが大事だ。少しでもそんな素振りを見せてしまえば、疑惑の目で見られる。だから、霊能者は常に強気でなくてはいけない。
「まぁ、伊勢脇教授がきちんとした科学者だって証明するのが先だと思いますよ」
 そう言ってやると、小松は手を叩いて喜んだ。
「それは言えてます。あの人の存在が非科学的ですもんね」
「じゃあ、また」
 そう言って右手を上げれば、普段はここで小松はいなくなる。だが、今日は違った。小松は更に熱を帯びた目でこっちに迫ってくる。
「ジエイ先生、なんとかテイコって知ってます?」
「なんとかテイコ?」
 背中の裏がざわつくのを感じた。それは俺が霊能力者だからではない。俺の霊能力は知識と他人の話を聞き漏らさない特技によるエンターテイメントだ。ただ、なんとなくその名前に変なものを感じたのだ。
「いや、知らないですね。なんか、アレですね」
 アレという言葉は便利だ。神妙な顔をして使えば相手の出方を探れるからだ。案の定小松は反応した。真剣な表情になったのだ。これは良くないというサイン。更に小松がこうやって振ってくるあたりで心霊関係の話なのは予想できる。
「さすが先生。わかりますか」
「はっきりとはわかりませんが、あまり良くない感じがしますね」
 こう言っておけば次の情報は向こうからやってくる。小松は単純なのでやりやすい。
「やっぱり。いえね、最近うわさになりだした話なんですけど、このなんとかテイコに会うと死ぬらしいんですよ。名前を覚えていちゃいけないんだって言う話なんですね」
「あぁ、それで苗字が“なんとか”なんですね」
「そうです。さすが」
「テイコ、テイコ。どんな漢字ですかね」
「すみません。次回の収録までに調べておきます」
「小松くん。調べると、小松くん死んじゃうよ」
「嫌だなぁ。おどかさないでくださいよ」
「じゃあ、またね」

 こうやって別れた三日後、小松は事故で死んだ。



 小松は自転車で道路を横断中に女性と接触し、転倒したところへ運悪く大型トラックが左折をしてきて巻き込まれたという。
 俺は葬儀には行かなかった。家族の希望で身内だけでと言う話があったというのもあるが、小松の亡骸を見るのが恐ろしかったのだ。人の死にはなるべく触れたくない。特に今回は強くそう思った。だから、家族の希望だと聞いた時、小松にはとても悪いがひどく安堵した。
 小松はおそらく「なんとかテイコ」を調べたのだろう。こじつけのように思うかもしれないが、あの日感じた背中の裏のざわつきは本物だったのだ。たしかに俺は0能力者だ。それでもその世界に触れることである程度の経験値と知識は溜まる。それが今回、合致したのだ。
 持って来られる話の中でも、これはちょっと嫌だなと思うものがある。本物なのか偽物なのかはわからない。ただ、嫌だな。と思う。それだけだ。昆虫が嫌いな奴でも見ても大丈夫な昆虫と見るだけで怖気を感じる昆虫がいるだろう。そんな感じだ。
 それに、いつもと違う行動を小松がしたこともまた奇妙だった。あの日の小松は、俺が話を切った後にあの話を切り出してきたのだ。
 こういった事例は米国の心霊記事か何かで見たかもしれない。霊に行動を支配されているという話だ。
 あぁ、頭の中が滅茶苦茶だ。
 俺は幽霊はいるとは思う。いるとは思うが、自分ではわからないし、証明も難しい。瞬間的に人影らしきものはよく見る。だが、それが幽霊であるとは断定できない。見間違いかもしれないし、単なる影かもしれない。いや、違うか。拒否しているのかもしれない。
 俺は幽霊を実際に見た時に正気でいられるかわからない。本当はそれほどに怖いのだ。だから、だからこそ色々調べて知識を貯める。攻略本さえあれば、いざ本物と向かい合った時、戦うことができるからだ。
 まだ、準備は整っていない。それなのに向こうからやってこようとしている。
 敵を知らなければいけない。

 そう思ってスマホをいじりかけた。その指をすぐに止める。小松は何と言っていたか。
「なんとかテイコに会うと死ぬらしいんですよ。名前を覚えていちゃいけないんだって言う話なんです」
 俺は小松を殺した霊に誘導されかけていた。小松が幽霊に殺された経緯を考えてみる。ルールは「なんとかテイコ」という名前を覚えていてはいけないということだ。だが、俺がテイコという漢字を調べさせたために小松は名前を覚えてしまった。そして、「なんとかテイコ」に会った。そして結果的に事故に遭うように仕向けられ殺された。だが、そうなると、一緒に死んだ女性が不憫だ。小松と一緒にトラックに巻き込まれたのだから。
 ひょっとして、この女性も小松と同じようにテイコについて調べていなかっただろうか。テイコについて調べていた二人が同じ場所に現れたことで幽霊の力が強まったと解釈すれば、二人の人間を死に巻き込んだ説明もつく。
 考えているうちに事故に巻き込まれた女性に興味が湧いてきた。もし仮にこの女性がテイコについて調べていたとすれば、本物の幽霊に近づくことになる。上手く行けば、俺は本物の霊能者として世の中に出ることになる。収入だって今の何倍にもなるだろう。
 どう調べるか。小松の遺族に聞いてもいいが、今はタイミングが悪いだろう。警察では教えてくれない可能性がある。それなら……。
 そうだ。番組のディレクターに頼んでみよう。小松と一緒に亡くなった女性について教えてほしいといえば、なんとか調べてくれるだろう。



「ジエイ先生。小松と一緒に亡くなった女性の名前なんですけど、タヌマテイコという方らしいです。ただ、なんか変なんですよ。この方、引き取る身寄りがいないみたいで……」
 被害女性の名前を聞いた瞬間、自分の世界が2つに切り離されるような錯覚を感じた。耳が遠くなるというか、スピーカーの向こうから聞こえてくる言葉がただの音になってしまった。その後の会話はよく覚えていない。通話を切った後、自分が渦の中に飲み込まれている感覚がした。良くない。これは非常に良くない。むしろ最悪だ。こんな時はどうするか。
 タヌマテイコは小松を殺したように俺のところにもやってくるだろう。どうしたらタヌマテイコを追い払えるのか。
 体が震えている。とりあえず傍にあったソファーに座ろうと進むが体に力が入らずに倒れこむようにのめり込む。自分がこれほど恐怖に弱いなどとは思わなかった。今はただ怖くて仕方がない。
 ソファーの匂い、あまりいい匂いではないが、その匂いのおかげで少し冷静になることが出来た。体を起こして座り直す。
 俺はタヌマテイコの存在を認めている。どうしてだろう。たまたま一緒に死んだ女性の名前がタヌマテイコだっただけで、それが小松の言っていた「なんとかテイコ」である証拠はない。むしろ逆だ。事故に巻き込まれて亡くなったわけだから、生身の人間だったはずだ。
 そうだ。落ち着いて考えてみれば、なんてことはない。
 本当か? 本当にそうやって安心してしまって良いのか?
 ディレクターは変だと言っていた。引き取る身寄りがないと言っていなかったか? そうだとするのなら、タヌマテイコは危険だと考えておくべきだ。
「名前は忘れたほうが良いな」
 口から出た自分の声に驚いた。だが、同時に安心もできる。独り言は自分を落ち着かせるのにとても有効だ。
「名前を呼ぶと引き寄せることになりかねない。できるだけ考えることもやめよう。でも、対処方法は考えなければいけない。そいつがどんなタイプなのかも」
 ようやく落ち着いてきた。
「小松は自転車で道路を横断中に女性と接触をして転倒した。ということは目撃者がいるはずだ目撃者は死んだのだろうか。そうだ。トラックの運転手だ。事故を起こしたトラック運転手に話を聞けばいいんだ」
 すぐに番組ディレクターに連絡をする。出ない。留守電にメッセージを残す。スマホをソファーの上に転がすが、落ち着かないのですぐに画面を見る。他に頼れそうな人間を探す。
 不謹慎かと思ったが、小松の家族をあたってみようかと思う。小松の家族なら100%知っているはずだ。だが、面識のない俺に教えてくれるだろうか。おとなしくディレクターの返事を待つことにする。



 小松を巻き込んだトラック運転手Sは憔悴しきっていた。ファミレスの角の席で視線を落とし縮こまって瞬きも呼吸も少ない。少し白くなりかけた黒のスウェットの上下。年の頃は30そこそこ。
「少し話を聞かせてもらってもいいですか?」
 こちらの問いには小さくうなずいてみせる。
「左折するときに被害者男性を認識していました?」
 Sはまた小さくうなずく。
「その時、他に誰かいましたか?」
 するとSは急に顔を上げて今にも泣き出しそうな顔をした。
「見てません。見てません。絶対に見てません。前にもいなかったし、自転車の男の人は明らかに自転車を降りて止まって俺が曲がるのを待ってたんです。そうしたら、いきなりその人が消えて……」
「その人って、自転車の男の人?」
 Sはうなずく。
「他に誰もいなかったです。それで後で警察から被害者が二人だって聞かされて。でも、俺、ちゃんと確認したんですよ。自転車の人は止まってたんだって。それに、俺、そんなに速いスピードで曲がらなかったですから。だから、なんか変な音と感触が今も残ってて……」
「覚えていちゃいけない名前って知ってますか?」
 Sは顔を上げた。責められるとでも思っていたのだろうか。拍子抜けというような顔だった。
「は?」
「いや、いいんです。あと、最近身の回りで変なことはありませんか?」
「今回の事故以上に変なことなんてないです」
 Sは少し落ち着いたのだろうか。それとも怒らせただろうか。
「辛い質問かもしれませんが、被害者の名前は知っていますか?」
「はい。コマツジュンさんとカヌマエイコさんです」
「カヌマエイコ?」
「はい」
 聞き違いかと思いSにもう一度尋ねる。念のため時にも書いてもらったが、そこには鹿沼栄子と感じで書かれていた。あの名前ではなかった。ここで念を押すためにその名前を出そうかと思ったが、自分にもリスクが有ると思いやめた。
 名前を出すことは引き金になる。名前を調べることも同じだ。

 Sと別れ、ディレクターにお礼の電話をした時に、小松と一緒に亡くなった被害者の名前を尋ねる。そこでも驚くことに「鹿沼栄子」と言う名前に変わっていて、引き取り手も見つかったと警察から聞いたという。
 今度はその鹿沼栄子の遺体の引き取り手に連絡を取ってくれないかとお願いしてみたのだが、警察に個人情報保護を理由に拒否された。



 あの名前を調べる代わりに「鹿沼栄子」について調べてみたが、何の進展も結果も得られなかった。当然といえば当然の結果だった。
 それ以降も何度か心霊の特集などに出ることもあったが、自分から少し遠ざけるようになっていた。そうすることで、あの名前の存在と距離を取れる気がしたのである。

 そうして、あの名前のことも忘れて仕事量も前と同じくらいに戻りかけた頃、都市伝説を紹介する番組に呼ばれた。その収録中に「タヌマテイコ」の話が取り上げられたのだ。それも別の霊能力者輪勝寺エイクウによって。
「皆さんは田沼汀子っていう怨霊をご存知でしょうか? ジエイ先生は知ってます?」
「なんとなく聞いたことはありますよ」
 とぼかして答える。エイクウは勝ち誇った顔でこちらを見る。
「おやおや、ジエイ先生は何か隠していませんか? それともこんな大したことのない怨霊が怖いんでしょうか?」
 エイクウがここであの名前を出すことに何の危険も感じていないのだとすれば、彼は自分をよっぽど強力な霊能者だと信じているのだろう。だが、俺から言わせてもらえば、このエイクウという男はただの金の亡者だ。
 司会が割り込み、田沼汀子についていろいろ聞き始める。エイクウはペラペラと答える。最近になってネットを中心に話題になり始めたこと。事故を調べるとそこに時々名前があること。名前を覚えていてはいけないこと。調べ続けると不審な事故に巻き込まれるということ。
 すでにSNSでの書き込みではエイクウ支持派が俺に対する中傷で盛り上がっている。
「その名前はあまり口にしないほうが良い」
 ようやくコメントをするもそれが精一杯だった。軽くコメントしている連中は記憶に残さないから問題無いだろう。エイクウも金のことで頭がいっぱいだろうから、あの名前をいくら叫んでも飲み込まれることはないだろう。
「どうしてですか?」
「調べていた知人が事故で亡くなりました。そこにもう一人巻き込まれた方がいまして、その方の名前がそれでした。ですが、しばらくすると、その名前が変わっていたんです」
「それはどういうことですか?」
「わかりません」
「ジエイ先生。わからないじゃないですよ。我々霊能者はそこを説明するのが務めなんですよ。わかりませんで仕事をお受けするなんて、あなたは随分いい加減だなぁ」
 なんとでも言えと思う。俺はあの名前の存在が極めて本物だと感じている。霊能力の有り無しではなく、生きている者の感覚として限りなくおかしいと思っているんだ。
 番組は終始エイクウのペースで進み、俺はあまり話すことなく終了した。
「霊能者ジエイも終わりだな」
 スタジオを出る際にディレクターの声が聞こえた。いつまでもこんなことをして暮らしているわけにも行かない。もう潮時かもしれないと自分でも思った。
 楽屋に戻り、さっさと帰り支度を済ませる。そこにエイクウがやって来て嫌味なことを言う。
「ジエイ先生、仕事に困ったらうちの寺に来るといいですよ。修行させてあげますから」
 エイクウを睨みつけながら、無言で楽屋を出る。後ろから聞こえる笑い声についに我慢できずに怒りをぶちまけた。
「あんたはあの名前を知らべたんだろうな? もしも弟子に調べさせて事故死をさせていたら、それはお前の殺人だぞ!」
 エイクウの顔が一瞬で青ざめて引きつった。だが、すぐにニヤニヤと笑い始めた。
「証拠もないのによくそんなことを言ったな」
 その後も怒鳴り散らすエイクウを無視して、俺はそこを後にした。

 数日後、エイクウは弟子が運転する車で高速道路を移動中、トンネル出口で渋滞にはまり停車しているところへ大型トラックが突っ込み、前のタンクローリーと挟まれる形で数台の車が炎上するという事故にあって亡くなったそうだ。後ろから追突したトラックを運転していた男性ドライバーも亡くなったが、偶然にもそのドライバーは小松を事故死させたSであったという。

 事故死した被害者たちの中にあの名前があったかどうかは知らない。
 その後、何度か番組出演のオファーがあったが全てキャンセルした。
 俺は、霊能者ジエイを辞めて故郷に戻り、地元の道の駅で働き始めることにした。
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