汀(みぎわ)

大秦頼太

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続・汀

汀・短編

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 田沼汀子を探してはいけない。
 それはいとこのカエデお姉ちゃんが学生だった頃に流行った怖い話だ。詳しい話は覚えていないけど田沼汀子と言う幽霊を探すと向こうからこっちを探しに来て殺されるという話だった。
 怖いもの見たさでカエデお姉ちゃんと一緒にネット検索をしてみたが特に何も起こらなかった。結局それ以降もカエデお姉ちゃんも私も田沼汀子に会うことはなかったからきっとその幽霊は成仏してしまったのだろう。
 クラスの人たちはまだこの世のどこかにいるのだと噂しているが、スマートフォンで検索をすればすぐに嘘だとわかる。田沼汀子と言う幽霊は存在しない。少なくとも今はもういない。検索すればすぐ分かる。
 そもそも田沼汀子がまだ存在していてこうやって学生の中で話題になっているなら学生が絶滅していてもおかしくないはずだ。ただそうやってもう終わってしまっている怖いものを求めちゃうくらいに私たちは怖い話が好きだし、幽霊を信じている。
 幽霊はいる。そう、幽霊はいる。きっと死んだ人の数だけいるし、今日も生きているのだ。死んでいるのに生きているっていうのは変だけど、実際に学校の中にいるし、教室の中にもいるし、トイレにもいる。どこにでもいる。時には私のように人間として生まれ育つ幽霊もいる。そうなのだ。人はある日突然、幽霊になるのだ。
 今日も教室の後ろからここにいる幽霊の話をする声が聞こえる。
「かしまめいこ」
 それが私の名前であるのと同時に彼らのおもちゃの名前でもある。中学に入ってしばらくすると私は彼らの首謀者である幸手幸子のおもちゃになり、それに耐えた中二の秋頃に突如として私は幽霊になった。皆が私の姿も声も見えなくなってしまったのだ。まぁ、それはいつもじゃないけど。怖い教師が教室にいるときは皆にも私の姿が見えるようになるから。
 幸手幸子とは小学校のクラスもずっと一緒で仲が良かったほうだと思う。小学校の休み時間や学校帰りによく遊んだ覚えがある。二人だけで公園で遊んだ記憶もあるし、仲が悪かった印象はない。小学校時代も中学に入ったときも私は変わらなかった。変わったのは幸手幸子の方だ。幸手幸子は中学でスタートダッシュを決めて階層の上位に食い込むべく努力をしたのだろう。そもそも最初から私は幽霊の素質があったのだろう。中学校のヒエラルキーなどに興味がなかった私はただ何となく中学校の生活のスタートを切ってしまった。その結果私は人間でありながら幽霊になってしまったのだ。


「鹿嶋メイ子」
 私の名前を呼ぶのは怖い教師か私が幽霊だと知らない少数の教師くらいだった。担任も私のことが見えない。学年が上がって二年生になった時に担任になった水川は教育実習を終えてやって来たばかりの新任で、中二病患者の群れを相手にするには少々経験と才能が足りなかったように感じる。
 一般に中二病患者はファンタジックな連中を想像しがちだが、ファンタジー厨の他にもスポーツ厨や恋愛厨、文学厨、ダンス厨、マンガ厨、心霊厨、麻雀厨、転生厨など千差万別である。ちなみに不良も中二病の一種だ。大人のマネをしてタバコを咥えたりしているがあんなもの赤ちゃんが使うおしゃぶりとなんの代わりもない。ギャースカ吠えるのも赤ちゃんと同じだ。この世界は中二病患者で溢れかえっている。しかし、これら中二病を逃れたとしてもあとは勉強中毒で正解を覚えるだけのクイズをいつまでも延々と回答する工場生産品になるだけだ。
 いくら勉強をしても勉強が出来たとしても階層の上位に行けるかはお金をいくら持っているかで決まってしまう。カエデお姉ちゃんはそれで大学進学を諦めて公務員になった。奨学金というものがあると教師から言われたそうだが「学生に多額の負債を背負わせるような仕組みを薦める教師と闇金と何がどう違うのか私には分からなかった」とぼやいていた。


「メイ子」
 クラスの中でも低階層のミオが珍しく話しかけてきた。今日の彼女には霊感があるのだろう。私が声も出さずにミオの方を見ると、ミオは少しオドオドした感じで話しを続けるのだった。
「田沼汀子って知ってる?」
 頷くと。ミオも小さく何度も頷いた。「説明を繰り返す手間が省けるぞ。話が早い」というやつなんだろう。
「良かった。でね、あの、幸手さんが田沼汀子を探して連れてこいって、同じ幽霊なんだから出来るだろって」
 アホらしい。本当にアホらしい発想だと思う。ただ、このよくわからないサル山の中では明日のいじめを受けないために今日はそんなアホみたいな話にも参加しなくてはいけない。それで、このアホみたいな話を翻訳するなら幸手幸子は私に「死ね」と言っているのである。それを伝えるためにミオみたいな弱くて逆らえない人間をメッセンジャーにしてくる。ミオはすでにいじめられていることに気がついていないのだろうか。
「わかった」
 そう答えてミオから顔を背けたのにミオはまだそこにいた。私の口から出た声がかすれてて聞こえなかったのだろうか。それとも小さくて聞こえなかったのかその場で震える子ねずみのように次の言葉を待っているようだった。
「探すよ」
 もう一度言うと、ミオは机の上に顔を近づけて呻くように言うのだった。
「あたしも一緒に探さないとダメなんだって。だから……」
 ミオを見てそれから教室の後ろの方にいる幸手幸子一味を振り返る。彼らはこっちには興味がないように身内で話をしている。でも実はこちらを意識しているのが分かる。群れのボスは次のボスの出現を常に恐れるものなのだ。自分たちの領域内で自分たちより極端に立場の強いものがいない場合、頭の中が幼い奴らは調子に乗る。自分たちがこの世の全てだと思ってしまう。
 子どもは優しくてキレイな心を持っているというのは大人たちの幻想だ。どんな子どもでも生き物を平気で殺すことがあるし、命の価値など考えることもない。そうやって子どものまま大きくなっていく連中は私とミオが死んだとしても心が痛むことはない。彼らが今思うことは「ムカつく」ということだけであり、私が彼らの嫌がらせに耐え続けていることが癪で仕方がないと感じている。それはもう心の病だ。そう彼らは病気なのだ。自分の中の幼さを認めることが出来ずにそれを他人のせいにして眼の前にいる自分より弱そうで反撃をしてこない者を見つけて自分はお前より強いんだという押しつけをする。それはある意味で幸手幸子たちの自身のなさの証明だし、異常性を示している。大人はこういう連中を病院送りにすべきだ。異常なのはいつでもいじめの加害者である。
「じゃあ、一緒に探そうか」
 幸手幸子たちを見ながらミオに言った。ミオは小さく「じゃあ、放課後ね」と言って自分の席に戻った。同時にチャイムが鳴った。幸手幸子がこっちに気がついて不機嫌そうに睨んできた。私は幽霊らしくその視線を無視して黒板に向き直った。


 放課後。ミオと一緒に帰ることになった。表向きは田沼汀子を探すのが目的なのだが、本当の任務は「死に場所を探す」ことだった。このあたりは特に高い建物が少ないから仲良く飛び降りる場所も少ないのだ。あぁ、でも、私たちは特に仲が良いわけでもないし、共通の話題があるわけでもない。時折なにか言うけどほとんどの時間黙り続けてその辺をうろつくだけだった。
 小さな公園に差し掛かった時、ふと記憶が蘇る。人工の山とブランコと鉄棒があるくらいの小さな公園だ。ブランコも鉄棒もサビで色が変わっている。遊んでいる人影も子どもの声もない。今も来るのは犬の散歩くらいだろうか。昔はよく水道で犬に水を飲ませている人がいた。
「子どもの頃、ここでよく遊んだんだ」
 中学二年生は世の中から見ればまだまだ子どもなのだろう。でも、今より小さかったときを説明するにはやっぱり子どもというくくりを使ってしまう。今の私は子どもだけど子どもではないのだ。
 コンクリートで作られた人工の山は周囲を杭で囲まれていて、その杭は赤いテープで繋がれている。山に入るなと言うことなのだろう。あの山の上の方にはありきたりのすべり台があり、下側には子どもがハイハイして進めるような長いトンネルが二本ある。
「工事中?」
 人口の山の麓には板や土嚢袋がいくつか置かれていた。
「昔は幸手幸子ともここでよく遊んでたんだよ」
「そうなんだ。なんかここ変な臭いがするからもう行こうよ」
 ミオは公園の中に入りたがらなかった。確かになにか変な臭いがする。それで仕方なく公園を離れる。特にあてもなく道路を渡ると田んぼが広がる風景になる。その田んぼの中には出来てから三年くらい経つ商業施設が見える。
 田んぼの間の道は薄暗くなってきた。
「どこにいるのかな。この辺の人なのかな。もっと駅前の商店街のほうが良くない?」
 ミオが言った。驚いた。ミオは本当に田沼汀子を探していたようだった。そんな地元の人間のワケがないのに。
「田沼汀子なんているわけ無いじゃん」
 そう答えるとミオはひどく怯え始めた。幸手幸子の命令がそんなに大事なんだろうか。
「え? じゃあ、どうするの?」
 どうもしないよ。ただ死ぬだけだ。このままさまよってどこか高いところでも見つけて二人で仲良く飛び降りるんだ。それでバカみたいに大騒ぎになるけど一週間もしないうちに私たちは家族以外から忘れ去られてしまう。教師たちもクラスメートも可愛そうだったねチャンチャンで終わりだ。幸手幸子たちはしらばっくれるし、指示したとは言わない。悔やむこともない。逆になんで私のせいなんですかと食って掛かるだろう。そして、忘却して何事もなく大学進学をして結婚して子どもを生む。そして何十年か後の同窓会なんかで私たちをふと思い出してお酒のおつまみにして死んだ私たちをバカにするのだ。


 世の中は不公平だ。だからこそ法律や憲法だけは平等に権利を与えようとする。昔の人はよく考えたのだろう。でも、これだけの不公平や不平等に虐げられても今の大人は投票の権利を与えられてもそれを上手く使うことが出来ない。権利を手にした途端、極端にバカになってしまうのだ。せっかく社会の仕組みを変えられる手段を得たのに「みんなが入れてるから」「頼まれたから」「握手をしたから」「祭りに来たから」「テレビに出ているから」「SNSで流れてくる動画が面白いから」なんていうどうでもいい理由で、そいつがどこの誰でどのくらいの嘘つきかも考えずに投票してしまう。それどころか権利を放棄して選挙に行かなかったり、白票投票なんて言う無意味な行為をする連中まで出てくる始末だ。
 投票に行かない人が有権者の約半分もいるらしい。他人や自分のこれからに無関心な人たちだ。突然だが愛の反対はなんだろうって思ったことはないだろうか。憎しみか? テレビのコマーシャルかなんかで愛の反対は無関心だと言った。それはすごく本当のことのように思えた。今のこの社会はこの社会に対して無関心な人たちが作り上げた社会だ。だから、愛がない社会なのだ。ネトウヨだなんて言う中二病の末期患者たちが好んで住む社会だ。今の自分だけが全てな最低な人たち。いじめは悪いことだと言いながら大人の社会でのいじめを無くす努力もしない。それはなぜか? それは他人への愛がないからだ。だからこんなふうな社会ができあがってしまう。もし仮に自分自身を愛するように他人を愛する人が増えたらこの世界は良い方向へ向かうだろう。でも、そうはならない。この社会には愛のない人が半分もいるからだ。
 本当は世の中を変えることなんてすごく簡単なことなのにそれをやらない。世の中は好き嫌いの単純な二者択一ではない。現に動かしている側が気に入らなければ、反対側に入れるしか無いのである。動かしている側が社会を壊しているならば、反対側に入れるしか無いのである。動かしている側が犯罪者の集まりだったら、犯罪者がいないとかであればより犯罪者が 少ない方へ入れるしか無いのである。多くの有権者がそういう単純な選び方が出来なくなっているのは大人になるとバカになってしまうからなのである。例えば間違った電車になったなら次の駅で降りて戻ったり乗り換えたりしない限り目的地にたどり着くことは出来ない。特定の宗教団体の力を借りて票を集めたり、有権者買収をしたり、裏金を作って脱税をするような連中が正しい道を進んでいるわけがない。
 怒りが足りない。もっと怒って良いはずだ。生まれた国は選べない。親を選ぶことも出来ないし、親も子どもを選ぶことは出来ない。生まれ育つ場所のルールの中で生きていくしか出来ないのになんでこのルールを皆にとってもっと良いものにして行こうと思わないのか。
 憎い。この社会を変えない大人たちが憎い。不平不満を言いながら子どもにそれを押し付ける大人たちが憎い。私たちがここで死ねば一時の慰み事で終わる。そんな生き方バカみたいだ。
「田沼汀子を呼び出そう」
 私の口から出た声は、どこか私の声じゃないような気がした。


 商業施設の群れの中に量販店の電気屋があり、その店舗内の一角には大抵パソコンが並んでいる。みんながスマートフォンを持つような今の時代だとパソコンなんていじる人はほとんどいない。店舗内のパソコンでできることなんてメモ帳になにか書き込んだりデモ画面を見ているだけだから当然だろう。ミオと私はパソコンのキーボードに「田沼汀子はここにいる」と打ち込んだ。当然、そんなことを打ち込んでも田沼汀子が来るとは思えない。別にそれでいい。打ち込んだ文字をコピーして貼り付ける。それを全て選択してコピーしてまた貼り付ければ倍の数になる。更にすべて選択してまたコピーして貼り付けることを続ければ、どんどん倍になっていく。ミオにも別のパソコンで同じことをさせた。並んでいる一列のパソコンを私がやって向かい側の一列をミオがコピペを繰り返していく。普通、夕方の店内で女子中学生二人がこんな異常行動をしていたら店員がやってきて止めるに決まっているのに不思議なことに誰も来なかった。お店のほぼど真ん中にある売り場だったのに。
「あ、」
 すべて選択してコピーして貼り付けるつもりが消してしまった。ここ一時間の作業が無駄になった。一時間? 一時間もこんなことをしていたのか。バカなことをしていると思ったが、もう一回貼れば問題ないだろうとキーボードに触れかけた瞬間、パソコンの挙動が遅くなった。コピペした文字数は物凄い数だ。読み込むのに時間がかかるのだろうか。

 ばつん。

 変な音がしてパソコンの画面が消えた。一台だけでなく連鎖するように一列、向かいの一列も次々と電源が落ちてしまった。流石に音を聞きつけて店員がやって来る。これは怒られるのだろうと思った瞬間、店の電気が全て消えて出入り口から薄暗い外が見えるだけになった。私は左手でミオの手を取ると外に駆け出した。外に出るとミオの手を見てドキッとした。黒ずんだ灰色の手。濡れた後に乾いた新聞紙みたいな肌。その先は……、
「置いて行かないでよ」
 右側の肩越しにミオが現れて反射的に「ごめん」と謝った。気がつけば左手にはもう何も掴んでいなかった。店内も元通りになっている。
「変ないたずら楽しかったね」
 ミオは笑った。
「うん」
 私は笑えなかった。興奮したように話し続けるミオとは違って私は何を話したのかも何を言われたのかも全然覚えていなかった。大きな道路まで出るとミオと別れた。明日、今日のことを聞いてみようと思う。今日はなんか疲れてしまった。


 次の日、ミオは学校に来なかった。
 お昼に職員室に呼ばれて教師からミオが事故に巻き込まれたことを聞かされた。電気屋で別れた後の帰り道で暴走した車にはねられたそうだ。その後も教師からなにか言われた気がしたが正直何も覚えていない。
「気持ちが悪くなったので早退させてください」
 というとあっさり許可された。


 あの握った手は誰の手だったのか。まさか本当に田沼汀子だったのだろうか。でも、あんなことで出てくるならそもそも幽霊はいなくなりはしないはずだろう。あれはただの思いつきだった。もし本当に呼び出すことに成功したのなら、ミオを間接的に殺したのは私ということになる。そして、田沼汀子は私のところにもやってくるだろう。
 ベッドの上で膝を抱える。どうしようどうしたらいい? そればかりを何時間も考え続けた。ご飯だと呼ばれても「今はいい」と返す。これから殺される人間がご飯の心配なんかしない。どうしたら良いんだろう。変なことをしてしまった。このままただ殺されるのを待っていても良いのだろうか。ただ死にたくないから、それだけの気持ちで田沼汀子を呼び出そうとしたのに本当に現れて殺されるなんてこんなバカな話があって良いのだろうか。
 スマートフォンを手にとって「除霊」を調べる。どこもタダでやってくれるところはありそうになかった。これから殺されるかどうかと言った時にお金の心配をするのも変な話だったが、死ぬなら死ぬで親に迷惑はかけたくない。親に相談したところで信じてくれるわけもないし、うちにはお金もない。覚悟を決めるしか無い。
「まぁ、そんなに生きてたいわけでもないし」
 スマートフォンを放り出すと晩ご飯を食べに向かう。その後はおおむね普段通りの気持ちに戻った。お風呂で真後ろに幽霊が立つこともなかったし、就寝中に金縛りに合うこともなかった。


 いつも通りに目覚めると学校へ向かった。通学の途中で幸手幸子たちがコンビニの前にいるのが見えた。さっさと通り過ぎたが、ふと思い直して道を戻っていく。そうして幸手幸子の前に立った。幸手幸子がこちらを見上げる。
「なに? なにか言いたいの?」
 問いかける幸手幸子を見下ろしながら、なるべく低い音が出るようにホラー映画の幽霊のマネをしてやった。取り巻きたちを含めて皆飛び上がって悲鳴を上げた。それがおかしくて私は変な笑い声を上げながら駆け足で学校へ向かった。

10
 幸手幸子は二時間目が終わった頃に教室にやって来た。顔は青ざめてこっちを見ている。いつも一緒にいる取り巻きたちの姿が見えなかった。三時間目の後の休憩時間に幸手幸子が近づいてきて耳元で囁いた。
「お前、何したんだよ。ミカもヒロコも潰されたんだぞ」
 何を言っているのかよく分からなかったが、四時間目に担任の水川がやって来て幸手幸子の取り巻き二人が事故で亡くなったことを告げた。幸手幸子と数人は突っ込んでくるトラックに気が付き運良く逃げることが出来たが、小森ミカと山中ヒロコの二人は気がつくのが遅れて壁と車の間に挟まれて押し潰された。すぐに救急車で病院に運ばれたのだが、そこで死亡が確認されたそうである。
 その日、午後の授業はなくなった。
「ちょっと来いよ」
 授業が無くなった代わりに幸手幸子に呼び出された。後ろについていく。学校の裏手側は人通りが少なくよく不良の中二病患者がおしゃぶりを咥えていることが多い。また校舎の背中側みたいな位置なので教師たちの目が届きにくかった。目的の場所では数人の男女が想像通り赤ちゃんの集会をしていた。
「説明しろよ。お前何したんだよ」
 幸手幸子は怯えている。こんな時には何を説明されてもわからないだろう。だからここで行われるのはただの暴力で、幸手幸子たちが安心するために私を殴ったり蹴ったりするだけなのだ。そっちがその気ならこっちにも考えがある。急に怒りの感情が湧いてきて、やれるもんならやってみろという気持ちになった。
「田沼汀子を探してたんじゃないの?」
 中二病の患者たちは「なんだ?」という顔をする。
「私は田沼汀子を探しただけだよ」
 そう言うと幸手幸子が私の頬を叩いた。そうやれば黙ると思ったのだろう。ヤンキーマンガにありそうな安い設定だ。
「やめてよ」
 そう返したら、もう一発頬を叩かれた。黙るもんか。
「やめてよ!」

 ばん。

 校舎の上の方から音が聞こえた。中二病患者たちが一斉に見上げた。四階の窓枠からガラス窓が外れて落下し、中二病患者ニ名を押しつぶした。その場にいた者がその血しぶきを浴びた。誰も何も言わなかった。それも一瞬のことで地面で弾けたガラスが中二病患者たちを襲うと彼らは悲鳴を上げて逃げ散った。その場には潰れた中二病患者と私、それと幸手幸子だけが残された。不自然にも無傷だった。血は浴びたくせにガラスは襲ってこなかった。
 それで私は気がついた。
「何したんだよ」
 涙目の幸手幸子。私は気がついたんだ。
「何をしたんだよ!」
 近寄ることも出来ずに喚くだけの幸手幸子。私は田沼汀子を呼び出すことに成功したのだ。私は嬉しくなって微笑んだ。
「田沼汀子はここにいる」

11
 血で汚れた制服をお風呂場で洗う。クリーニングに出す余裕はない。あれだけ飛び散ったガラスも私を傷つけることはなかった。それについて考える。田沼汀子を探すものは殺される。でも、私は違う。田沼汀子を呼び出したのだ。だから彼女はここにいる。ここにいるから私は殺されないし、怪我もしない。
 家の電話が鳴った。親はまだ帰ってこない。風呂場の床に広げた制服をそのままにして電話に出てみると幸手幸子からだった。
「話があるから公園まで来いよ」
「どこの公園?」
「あの公園だよ。昔よく行ったとこ」
「覚えてるんだ?」
「知らねえよ」
「良いの?」
「な、何がだよ」
「私に関わらないほうが良いんじゃないの?」
「良いから来いよ」
 幸手幸子はそう言うと一方的に電話を切ってしまった。仕方がないので部屋着から外向きの服に着替える。また殴られるかもしれないと思ったので汚れても良いようにヨレヨレのトレーナーと学校のジャージのズボンを履いた。

12
 小さな公園は賑わっていた。二十人くらいの中二病患者たちが屯していた。帰ろうかなとも思ったがすぐに後ろを数人に囲まれてしまった。引っ張られるように公園の中に連れ込まれると中二病患者たちに囲まれた。
 中二病患者の中から一人の男の子が出てきた。変な髪型の細身のやつ。最近見たユーチューバーに似ている。なんか変なことばっかりしてるやつだ。それから影響でも受けているんだろうか。こいつがリーダーなんだろうか。
「お前が田沼汀子か?」
「鹿嶋メイ子」
「お前がやったのか?」
「何を?」
 中二病患者のリーダーに左の腿のあたりを蹴られた。とんでもない痛みだった。
「ミカもヒロコもこいつに殺されたんだ!」
 取り巻きの誰かが叫んだ。あれは車が突っ込んだのに私のせいにするなんて酷い話だ。
「サエもリョウも、ミキもお前のせいで死んだ」
 中二病患者のリーダーが私の腹を殴る。一回で息ができなくなるくらいの衝撃だった。地面に倒れ込むと今度は背中を蹴られた。何も食べてこなくてよかった。
「あたしのせいじゃないって」
 上手く言葉にできたかわからないけど、私がやったわけじゃない。
「田沼汀子がやったんだって」
「黙れ、このクソ!」
 背中を蹴られて逃げれば今度はお腹を蹴られる。肩を踏まれる。足も踏まれる。頭も蹴られる。そのせいでボーッとしてくる。田沼汀子はここにいるなら助けてくれればいいのに。
「ここには窓ガラスもないし、車も来ないからな」
 どこで拾ってきたのか知らないけれどバケツで水をかけられる。水から変な臭いがしたし、冷たかったし、寒かった。ここからもう逃げ出したかった。こんなに狭い公園だったのにどこからも出られなかった。どれだけ這いずり回ってもすぐに掴まれて引き戻された。三十分以上、いや、一時間はそんなことが続いて私はもう動けなくなった。水道の蛇口から水が出る音が甲高くて何よりも嫌だった。
「どうする?」
「こいつ五人も殺してるんだからこいつが死んでも正当防衛だしな」
「この水臭くね?」
「もっとこいつにかけろ」
「嫌だ」
 私は這いずる。人工の山の杭をつかみ、赤いテープをくぐり二本のトンネルの左側に入り込んだ。体をひねるくらいしか出来ない狭い隙間だ。小さな子どもだったらもっと簡単に向こう側へ抜けられただろう。それでも向こう側まで行けば逃げられるような気がした。痛む手足を一生懸命に動かして進んでいく。
「おい、まだこいつ逃げるぞ」
「その袋と板で入り口を塞げ。こいつを溺れさせよう」
 そんな声が聞こえて前に見えていた光が一瞬で消えた。後ろに戻ろうとしたがなかなか進めないうちにトンネルの中が真っ暗になった。
「やめて、やめてよ」
 後ろ足が壁ではない何かに当たった。蹴ろうとしても隙間が足りなくて押すだけしか出来なかった。少しだけ明るさが戻ってきたと思ったらその隙間から臭い水が流れ込んできた。トンネルの中を水で満たそうとかそんな事ができるわけがない。こんなところに水が貯まるわけがない。でも、こいつらはバカだからそんな事に気がつくわけがないんだろう。思いつきで生きているような連中でこの後どうなるかなんて一秒も考えたことがないんだろう。
「ナチ、タバコ持ってる?」
「ない。ロク買ってきてよ。親のカード持ってるんでしょ?」
「はーい。持ってまーす」
 それでも何度もやっているうちにうつ伏せでは辛くなってきた。バカなことが成功しつつあり水が溜まってきたのだ。思い切って仰向けになる。これなら耐えられそうだった。寒いけどこうやって時間を稼げれば飽きたりしていなくなるはずだ。コンクリートの天井のほうが温かいんじゃないかと思った瞬間、水が追加されてトンネル内の天井が外の明かりに照らされた。やけにでこぼこしていると思ったら人の手の集まりのように見えた。濡れたコンクリート色をした手の甲が無数に絡み合っている。
「助けて、助けて! 田沼汀子! いるんでしょ? 私を助けてよ!」
 呟いた瞬間、濡れたコンクリート色のいくつもの手の甲が裏返り手のひらを向けて私の上に覆いかぶさった。覆いかぶさってくる大小様々な手たちをなんとか払っていると外からのんきな声が聞こえてきた。
「買ってきたよー」
 濡れたコンクリート色の手たちは私をうつ伏せにして少しだけ溜まっている水の中に押し付けようとする。砂が口の中に入り、臭い水が下を麻痺させる。
「死にたくない死にたくないよ。死にたくないよ!」

 ぼん。

 トンネルの中が震えた。そして、私の世界も真っ暗闇のままになってそれっきり静かになった。

13
「……頃、○△町の公園で夕方爆発火災事故が発生し、公園で遊んでいた少年少女十数名が爆発に巻き込まれ病院に運ばれました。発表では全員の死亡が確認されましたが人数と身元に関しては現在調査中とのことです。また同公園内のコンクリートの山のトンネルの中から一人の遺体も発見されたということです。地元の人の話では老朽化した水道管からは春頃からガスが発生していて、これが引火して爆発したのではないかと言う事でした。またコンクリートの山にあるトンネルですが、これも老朽化でいつ崩れるか分からなかったもので近々埋め立てが予定されていたとのことです。こちらの被害者は近くに住む中学生二年生の鹿嶋メイ子さんと確認されました。はい? えー、失礼しました。トンネルで発見された被害者は病院で死亡が確認され近くに住む中学生と身元も判明しました。被害者は全身に暴行を受けており爆発事件との関連を調べております」

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みんなの感想(2件)

NoMa
2024.03.09 NoMa

不気味な話で、すごく面白いです。まだ途中までしか読んでませんが作中の死亡者数とんでもないことになってますね。女の境遇が知りたい。後でわかるのかな。引き続き読み進めます。

大秦頼太
2024.03.10 大秦頼太

ありがとうございます。
読みづらいかもしれませんがよろしくお願いいたします。

解除
つぐみ静謐
2023.09.10 つぐみ静謐

面白いホラーで、朗読アプリを使って楽しませていただいています。

田沼汀子にまつわる、不可解な死の謎が明かされる時が楽しみです。

大秦頼太
2023.09.10 大秦頼太

ありがとうございます。
現在更新が止まっておりますが、そろそろ続きをやっていきたいと思います。

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