汀(みぎわ)

大秦頼太

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第十六話

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 データ入力室では不幸が続いた。古参新人問わず、事件、事故、自殺と職場の人間が次々と死んでいった。異常だった。取り巻きを次々と失っていった上泉さんもノイローゼになり仕事場に来なくなった。
 私も恐ろしくなって休職を願ったが人手不足で受け入れられなかったため、仕方なく無断欠勤を続けている。
 家にいると会社の人間が来るので、マンガ喫茶などで時間を潰す毎日を送っている。ただ、貯金もないのでこんなことをいつまでも続けているわけには行かない。
 そんなことを言ってもこの生活はなかなか楽しい。一日中、頭の中がしびれるくらいにマンガを読んだり、インターネットで動画を見たりするのは、確かに飽きるのだが、何かを考えなくてすむので今の私にはちょうど良かった。
 今日は、昔好きだった少女マンガを読破する予定だ。すでに三分の一は読み進んでいる。記憶の中で忘れていた部分も多く、新しい発見があって楽しい。が、脳の半分ではそろそろお昼ご飯になにを食べるか考えている。そんなとき、背中側の個室のアベックのいちゃいちゃする会話が聞こえてきた。ムカつくのでイヤホンで音楽でも聴こうと思ったとき、その男女の声に聞き覚えがあることに気がついた。
「今月は結構いったね」
「この調子なら、来月くらいに部屋を借りられるかもな」
「ほんと? あたしの部屋はある?」
「あったりまえだよ」
 確か女の子の名前はミカ。男の方は知らない。知り合いでもないから声をかける気にもならないけれど。
「じゃあ、俺は倶楽部の書き込みを見るから、ミカちゃんはマンガでも読んでな」
「たまにはあたしも自殺する人、選びたいよぉ」
「ミカちゃんはお金の匂いわからないでしょ?」
「うん」
「じゃあ、まだだめー」
 甘えた声でとんでもない会話をしてるなと思った。自殺する人を選ぶって何だ? クラブ活動の書き込みに悩み相談でもしているのか? それでお金を取ってカウンセリングでもしているのか? 以前の男の服装を思い出す限りではそんな風には見えなかったけど。
 少し気になったのでマンガを横に置いて、パソコンのブラウザを立ち上げる。
「(自殺 クラブ 悩み)」
 キーワードを打ち込んでいく。それらしいものは沢山出てくるがどれもいまいちピンとこない。
 そのうちどうでも良くなってまたマンガに戻る。しかし、耳は後ろの二人の会話を拾っている。人間はこういうのが好きなんだな。
 男が掲示板に書き込んだ後にそれを読み上げて確かめているようだった。
「自殺参加費5万円の内訳。レンタカー代(ガソリン代含む)、七輪練炭購入費、バーベキューセット(カモフラージュ用)、睡眠薬代。参加希望の方は必要事項を明記の上、当日持ってくる予定の品物をすべて記入して応募すること。なお参加費は振り込みとなります。こんな感じかな」
 男女は一緒に死ぬ自殺者を募っているのだ。こんな場合、止めた方がいいのだろうか。命を粗末にしちゃいけません。って言うべきなんだろうか。
「毎回毎回面倒くさいから、テンプレートにしてUSBに保管しておこうかなぁ。いや、部屋借りればこの面倒もなくなるから、もう少しの我慢か」
 毎回? この人は毎回自殺してるのか。自殺未遂の常習者なのだろうか。あの女の子も。だったら、なおさら止めなきゃいけないだろう。意を決して立ち上がろうとした瞬間、ミカという女の子の声が聞こえた。
「ねね、お金持ちいそう? ブランド品いっぱい持ってきてもらおうよ。そしたら、それ売って次で部屋借りれるじゃん」
 え?
「まだわかんないよ。じっくりまとう」
「早く二人の部屋がほしいね」
 この二人は死ぬ気がないようだ。じゃあ、なんで自殺志願者を募集しているんだろうか。
 そんなとき、ミカという女の子の声が頭の中で繰り返される。フラッシュバックだ。
「ねね、お金持ちいそう?」
「仕入れ担当みたいなもんじゃん」
「あ、あたしが売った財布だ! 買うの?」
 あの財布はあたしので、妹が持っていって、それをミカって子がどこかから仕入れた。妹は自殺で。財布はブランド品。
 あの日、妹が指を指したのは本当にあの財布だったのだろうか。
 急に襲ってきた恐ろしさに足が震えた。何ということだろうか。
 自殺志願者を募集する男。おそらく自殺の手伝いをして収入を得ている。
 隣の個室にいるあの男女は、妹の最後の瞬間を知っている。ひょっとして妹を殺したのだろうか。いや、殺したのではなく自殺を手伝ってその代わりに金品を受け取ったのかもしれない。妹の最後の時を覚えているだろうか。
 いきなり話しかけて逃げられてしまったら、もう二度と会えなくなる気がする。どうしよう。マンガを戻しにいく振りをして偶然会ったように装おうか、それとも、トイレに行って間違えて部屋に入ってみようか。あぁ、でもそれはわざとらしくなりそうだ。どうやったら一番自然で怪しまれないで話ができるのか。
 そうやってあれこれと悩んでいるうちに二人が帰ってしまった。どうしていつもこうなんだろうか。



 このまま帰るわけには行かなかった。せめて何か手がかりをつかもうと思った。とりあえず部屋のエアコンが効きすぎるからと言う理由で隣の個室に移してもらった。
 あの自殺者募集の男女の忘れ物は、当然だけどなかった。
 使用していた部屋を見ただけで何かわかるような超能力でもあれば別だけど、そんなものはない。
「無理か」
 あきらめかけた瞬間、誰かの手が顔の右側から出てきて、パソコンを指さした。そうだ。パソコンだ。上手くすれば履歴が残ってるかもしれない。
「え?」
 と思って振り返っても誰もいなかった。気のせいだったのだろうか。
 不思議に思いながらもパソコンを立ち上げて、履歴を探す。すぐに見つけることができた。
「自殺倶楽部」
 男の書き込みを調べる。費用が5万円だったはずだ。それもすぐに見つかった。すごい。ジェットコースターのように、ものすごい速度であの男女に近づいている気がした。メモを取る。写メを撮る。家に帰ってそこから書き込みをしよう。パソコンを消して部屋を出ようとすると、仕切の上からあの男がこっちを見下ろしていた。
「なにあんた? 死にたいの?」
 どう答えるのが正解なんだろう。頭の中が真っ白だった。
「あの、その、えっと、」
「俺の書き込み、気に入ってくれたの?」
「っていうか、あの、」
 男は横目で周りを見回した。
「ここじゃ何だから、飯でも食いながら話そうか」
 そうして、男に連れられてマンガ喫茶を出ることになった。



「お姉ちゃん起きて」
 サエリの声がする。運動部の朝は早い。文化部のあたしを道連れにするのはやめてほしい。それにもう美術部は辞めたのだ。もう朝早くから学校に行く必要もない。それどころか、もう学校に行くのはやめたんだから、起こさないでほしい。放っておいてほしい。
「お姉ちゃん起きて」
 大体、なんでサエリがあたしを起こす必要があるんだろう。放って置いてくれればいいのに。あんたは、そうだ。サエリ、あんたは死んだんじゃなかったの? 
 目を開く。開かない。口も動かなかった。どうやら走っている車の中で転がっているようだった。手足は何かで縛られ自由は利かず、目と口にガムテープみたいなものが貼られているようだった。
 マンガ喫茶を出てからのことを思い出す。
 五木田と名乗った男とミカという女の子とファミレスに行き、自殺についていくらか会話をして、体調があんまり良くない感じがして、トイレに行って席に戻って帰ることを告げた。それからのことが記憶になかった。
 段差で跳ねたのか車体が大きく揺れた瞬間にうめき声を上げてしまった。ミカの声が聞こえた。
「あ、起きたみたい」
「案外早かったな」
 五木田の声もする。
「あんた何者なんだ?」
 五木田の問いにうめき声でしか答えられない。
「思い返せばさ、いろんなところであんたを見かけてるんだよね。あんた警察関係者かなにか?」
 え?
「え、この人、警察なの?」
「そうだとするとちょっと面倒なんだよな」
「どうして?」
「俺たち、ブランド品を有効利用してるだろ? あれを盗みだと思われちゃうと困るんだよね。あれは仕入れだろ?」
「うん。私たちは仕入れをしてるだけなのに、盗んできたと思われるのは困るね」
「この人、最初にあったとき、俺たちが売った財布を見てたろ? 次にあったときは、店にも入らずに俺たちを見てた。三回目は今日だ。俺たちがいた部屋でサイトを見ていた。自殺志願者なのか聞いてみても、なんだかはっきりしない。怪しいだろ?」
「うん。すごく怪しい」
 誤解だ。あたしは妹のことが知りたくて近づこうとしていただけなのに。
「だから、ミカちゃんがドリンクバーにこいつを連れだしたときにスープの中に睡眠薬を入れたんだ」
「さっすが!」
 五木田という男はあたしをどうするつもりなんだろうか。
「警察関係者だとしても一般人だとしても、逃がせば俺たちは通報されて終わりだ」
「じゃあ、どうするの?」
「自殺に見せかけて殺す」
 どうしてそうなるの。妹のことを教えてくれればそれでいいのに。サエリの死にあんたたちが関わってたのかを知りたいだけなのに。
「でも、今回はミカちゃんは関わっちゃいけない。死にたがってる奴を手助けする訳じゃないからね。俺は初めて自分を守るために人を殺すんだ」
「……違うよ。ゴーちゃんは私たちの未来を守るんだよ」
 ダメだ。この男女にはきっときちんと話しても通じないと思った。どうすればいいんだろう。このまま殺されても、今の事故死や自殺が連発している職場では珍しがられることもないだろう。普通に自殺したんだと思われるはずだ。だって、あたしは今、絶賛職場で無視され中なのだから。間違いなく自殺の認定が来るだろう。家族も「また妹の真似をして」と言うだろう。
 あぁ、本当なら人間、死ぬ瞬間くらいはスポットが当てられて、「もっと生きたいな」とか思うんだろう。きっと普通の人なら、もっともがいてもがき苦しみながら生きたいと願うのだろう。それなのにあたしときたら、殺されることをすでに受け入れてしまっている。なんであたしはこんなにあきらめが早いんだろう。死ぬときも他人からは平凡以下に見られる。きっと誰もあたしが殺されたことに気がつかない。寂しい人生の終焉。



「ミカちゃん、中を見てこれる? 怖ければ俺が行くけど」
「大丈夫。いけるよ」
 車が止まる感じがした。ドアが開き車が揺れる。いくつもの足音がする。またドアが開く。近い。口の周りに痛みが走る。急に自由になった。
「痛い!」
 本当は初めに言いたかったこととは違うんだけど、こんな言葉しか出なかった。五木田の声がした。
「静かにしろよ。叫んでも誰も来ない山の中だから、うるさくてイライラするだけだからさ」
「あたし警察じゃないし、妹のことが知りたいだけよ」
「信じられねぇな」
「あたしが見てたブランドの財布を持っていた女の子のことは覚えてる? それが妹なの。妹を知ってるんでしょ?」
「全然」
 やっぱり何を言っても無駄だった。五木田はあたしの話には興味がないようだ。何かを準備している音が聞こえる。
 あぁ、あたしの自殺の準備か。
「あたしはどんな自殺をするの?」
 一瞬静かになった。五木田は答えた。
「練炭」
「練炭自殺って頭痛くなるって聞いたなぁ。イヤだなぁ頭痛は」
「睡眠薬がある」
「あれ、苦いんでしょ? 苦いのはイヤだなぁ」
「我慢しろ」
「仕事場でさぁ、今いっぱい人が死んでるんだ。なんでかよくわからないんだけどね。事故も自殺も毎日起こってんの」
「そうか。仲間入りできて良かったな」
「そうだね。でもね、百歩譲って死ぬのはいいとしても、自殺とか事故死はイヤなのよね。インパクトがないじゃん」
「あるだろ。お前は事故でも自殺でもないんだから」
「そう。本当は殺人。でも、みんな気が付くかなぁ」
「気が付いたら俺が捕まるだろ」
「でしょ? だから、あたしは自殺でその他大勢と一緒なんだよねぇ。最後まで地味だった」
「お前、本当に警察じゃないのか?」
「妹を捜してるって聞いてなかった?」
「悪い」
 小さな足音が近づいてくる。たぶんミカだ。
「ゴーちゃん。いいよ」
 あたしは五木田に担がれて車からどこかに移動していく。途中二、三回暴れて地面と激突してからはおとなしくすることにした。頭をひどく打った。もうイヤだ。本当にイヤだ。
 ホコリ臭い部屋。ふかふかする物の上にあたしは降ろされた。
「ミカちゃん、薬持ってる?」
「ないよ」
「え、ないの?」
「うん。病院は明日だからあたしの手持ちは売ってきた」
「まいったね」
 それならあたしを殺すのも明日にしない? なんてことを言いそうになってあわててやめた。
「睡眠薬ないんだけど、それでもいいかな?」
 いいわけがない。何を聞いてくるんだ。頭が悪いのか?
「ゴーちゃん」
 ミカの声が暗く響く。
「ここ隙間が多くて練炭には向かないよ」
「え? あ、ああ」
 ミカは五木田よりも冷静なようだった。
「カミソリなら車にあったよ。手首を斬ろうよ」
 ひどい。ひどい。こんなのってあんまりだ。あんな笑顔の可愛かった子がこんなひどいことを言うなんて。さらには、ライオンの子どもが半分生きてる草食動物をかわいい顔をしながらおいしそうに食べるシーンを想像してしまう自分に腹が立つ。
「しょうがないか。暴れたら自殺に見えないもんな」
 それは手首でも一緒なのに。
「あ、あたしの職場で、今、人がたくさん死んでいるの。それは全部あたしのせいだって言う人がいるんだけど、あたしもそう思うの」
 もう訳が分からなかった。足音が長い時間をかけて寄せては返す波のよう。
「あたしの作業パソコンにウイルスが入って、それで、田沼汀子っていう誰だかわからない人の名前がたくさん入力されて、それからなの。職場でたくさん人が死ぬようになったのは、なんでなのかはわからないんだけど、ていこ、みぎわこって書いてていこって……」
 縛られた手首を捕まれた。ひねって逃げようとすると頭を叩かれる。ひどい。こんなことってひどいと思う。手首に冷たく堅い物が当たる。
「やめて」
 鋭い痛みが走る。手のひらに暖かい液体がたまっていく。
 あたしは死ぬのだろうか?
 違う。違う。違う。
 これは、何かのいたずらで、素人を驚かせるドッキリかなんかなのだ。それにしては痛みが強すぎるけど。
「やだぁ、死にたくない。死にたくないよぉ」
 心からそう思う。あたしはまだ生きていたいんだ。
「サエリ、助けてよぉ」
 ごとん。遠くの方で何かが倒れた音がした。



 五木田は目の前の女が完全に動かなくなるのを待った。ホコリまみれの布団が女の血液を吸収していく。ミカは車で待たせてある。
 女が死んだのを確認すると、目を覆った黒い布テープを貼がし、手足の縄もほどいてやる。
「悪く思うなよ」
 五木田は廃屋の一室を見回す。潰れた旅館の一室で、女が自殺をした。不自然な証拠は持っていかなければいけない。近年、廃墟を巡る若者たちのおかげで、廃屋はちょうどいい感じに散らかされている。自殺志願者の女の手にカミソリを握らせる。
 女の死体をその場に残したまま、五木田は車に戻っていった。
 車は静かに待っていた。
「エンジンくらいかけておけばいいのに」
 運転席のドアを開けようとするが、ロックがされている。
「ミカちゃん。開けてよ」
 窓ガラスが曇っていて中が見えない。ドアをノックする。
「ミカちゃん?」
 助手席に回る。ミカらしき人影が寝ているように見える。
「しょうがないなぁ」
 後部のドアも確認したとき、後部座席の足下にオレンジ色の明かりを見つけた。小さな小さな明かり。曇っている窓に顔を押しつけて中を見る。
 練炭だ。
「なにしてんだよ」
 五木田はドアノブを必死になって引くがドアは開くわけもない。助手席の窓を叩いてミカを起こそうとする。反応がない。
 辺りを見回して、こぶし大の石を見つけると、後部座席の窓ガラスを破壊する。すぐに助手席のロックをはずして、ミカを車外に引きずり出す。
「ミカ! ミカ!」
 頬を叩きながら、ミカに声をかける。ミカの目がうっすらと開く。手には薬の包装シートが握られていた。
「ミカ!」
 五木田はミカを抱きしめる。耳元でミカがつぶやく。
「いままでよくもあたしをだましてたよね。この嘘つき変態やろう」
 五木田はミカを遠ざける。ミカはすでに意識を失っていた。そのミカを助手席に乗せると、後部座席の七輪を外に投げ捨て、エンジンをかける。
「まだ間に合う。まだ間に合う。まだ間に合う」
 山道を猛スピードで下っていく。しかし、徐々に減速していく。
「間に合ってどうする? 間に合っても、ミカが治ってたら、どうする? だって、さっきのミカは……」
 五木田は車を止めた。助手席を見る。ミカが寝ている。ミカの首に手を伸ばす。その首筋に触れた瞬間、人の視線を感じた。
 バックミラーに人影が映っている。驚いて振り返ると後部座席いっぱいに何人もの人間が座っていた。
 どの顔にも見覚えがあった。自分が自殺をさせてきた自殺志願者たちだった。
 五木田はアクセルを踏み込んで車を急発進させた。さっきよりも速い速度で山を下りていく。急カーブにさしかかったとき、灰色の人影が脇から飛び出し、それを避けようとしてハンドル操作を誤り、五木田とミカを乗せた車は谷底に落下した。

 明朝、地元住人から連絡を受けた警察は谷底から車を引き上げ、中にいる男女の二人の遺体を発見した。



 その日、加山タカコは二週間ぶりに職場復帰をした。
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