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第五章 クロムクドリが鳴くまでは 4
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「ヒルド……」
「約束さえあれば、俺は待てる……いつまでも」
「……ありがとう、ヒルドブランド」
幼い頃からずっとエドゼルを見てきたから。再び清廉な心を取り戻したエドゼルならどうするか、嫌と言うほどわかる。
「けれどただ一つでいい、貴方の優しさにつけ込ませて欲しい。冬の間だけでいい、俺の腕の中にいてくれ」
「私は幸せになってはいけないんだ、それだけのことをした」
「知っている、俺もあの場にいた……エドゼルが俺の傷を見てから目を合わさなくなったのもわかっている」
ヒルドブランドの存在は彼の罪の証だと感じたのだろう。ずるい男は罪悪感につけ込む。脇腹に刻み込まれた抉れた跡、白魔道士が何人も力を注いでくれたが、内臓と肉を取り戻すのがやっとだった。
「一年の内の僅かな時間だけでいい、俺のそばにいてくれ」
厳しい冬が通り過ぎるまでの間、それだけを得られれば次に彼がやってくるのを待っていられる。
「愚かだね、ヒルドは……お前ならどんな美しい女性も妻に出来る……王女だって求婚を喜ぶだろう。こんな罪人に心を寄せることはないんだ」
「俺が欲しいのは、賢く美しいエドだけだ」
「っ……お前はバカだ」
バカでいい。どこまでも愚かだと言われても、他の欲しいものなどない。エドゼルだけをずっと求めてきた。彼だけがあればいい。
エドゼルの手がヒルドブランドの背中に回ろうとして、ギュッと拳を握った。またたらりと寝台に落ちる。
「愛されると私は弱くなる……旅を止めてしまおうとするだろう……それが怖いんだ」
「貴方はもう、宮廷にいた頃の貴方ではない。罪を見つめている、同じ愚は繰り返さない」
「……買いかぶりだ。今だってお前の腕の中が心地よくて拒めないんだ」
苦しそうな声が掠れて吐き出される。
「クロムクドリが鳴いたら離す、だがそれまでは……頼む」
この地は雪深く、春の訪れを告げるクロムクドリの鳴き始めも遅い。
「ずるいな、ヒルドは。幽閉してしまえば簡単なのに」
「そうして欲しいのならいくらでもする……だが閉じ込めてしまえば心が毀れると知ってできるはずがない」
以前のようにこの領城に閉じ込めれば自分のものになる。部屋から出られないように足を潰し、鎖で繋ぎ、誰にも会わせず二人だけの世界を作るのは簡単だ。ただその時、自分の腕の中にいるのは、この高潔な従兄ではないだろう。
「貴方を愛してる俺には……できない」
エドゼルはヒルドブランドの肩越しに重い雲が空を覆うのを眺める。窓で遮断された向こうは凍てつく程寒く、また視界全てを覆う雪が降り始めようとしていた。
「……作りたいものがあるんだ。子供達が読み書きができるよう、音が出る本を……」
遠くを眺めたまま呟いた言葉にヒルドブランドはハッとした。それは黒魔法を使わなければ作れず、もう魔力を持たないエドゼルでは出来ないことだ。
「できれば冬の間に作ってしまいたい……」
「これから冬に作って他の季節に配ればいい! 一度にたくさんは持てないだろう」
言葉の意図を読み取ってヒルドブランドは青い瞳を見つめた。何かを堪えて必死に笑おうとするエドゼルがいた。これが彼にとって最大限の譲歩だ。葛藤の末に導き出した妥協点に、ヒルドブランドは縋り付いた。
「俺の魔法はいくらでも使ってくれ……元は貴方のものだったんだ」
奪ってしまった罪悪感。しかし、あの時はそうするしかなかった、全滅を免れるために。そして、唯一魔王を倒せる機会を逃さないために。
「平和になった……勉強が必要になるから……」
「領民が読み書きできるなら助かる。報告が文字であればまとめる者は楽だろう。なによりも、もっとまともな仕事に就ける」
「そうだ……私の贖罪になるだろうか」
零れ落ちた言葉は不安を存分に含んでいた。
「それは……わからない。だが助かる人は多い」
そうか、とエドゼルはほんの少し淋しそうに笑った。
「作らなければ。残された皆が幸せになるために」
「そうだな。魔法の本ならここ以外では作れないだろう」
戻ってくる理由を作る。
そうでもしなければ、僅かな幸福を味わうことすら躊躇うはずだ。
「どんなものにするか考えよう……明日にでも」
随分と早くやってきた重い雲が空を覆い、心地よい陽光が差し込んでいた部屋が暗くなった。
強い風が窓を叩き吹雪の到来を告げる。
ヒルドブランドは掌を翳し暖炉の火を点けた。柔らかい暖炉の火が二人を緩やかに照らす静かな部屋で、一つ、また一つとシャツのボタンを外す。大きなサイズのそれは全てのボタンを取り払えばするりと肩から落ちる。すぐに白い肌が露わになった。
「それまでは、貴方を独占させてくれ」
まだ鮮やかな花弁の残る肌に唇を落とし吸えば、細い手が長くなったヒルドブランドの髪に潜り込んできた。
クロムクドリが鳴くまで決して消しはしないと心に誓い、存分に跡を残してから熱い吐息を零す膨らんだ唇を塞いだ。
愛してる。そう囁きかけながら。
おしまい
「約束さえあれば、俺は待てる……いつまでも」
「……ありがとう、ヒルドブランド」
幼い頃からずっとエドゼルを見てきたから。再び清廉な心を取り戻したエドゼルならどうするか、嫌と言うほどわかる。
「けれどただ一つでいい、貴方の優しさにつけ込ませて欲しい。冬の間だけでいい、俺の腕の中にいてくれ」
「私は幸せになってはいけないんだ、それだけのことをした」
「知っている、俺もあの場にいた……エドゼルが俺の傷を見てから目を合わさなくなったのもわかっている」
ヒルドブランドの存在は彼の罪の証だと感じたのだろう。ずるい男は罪悪感につけ込む。脇腹に刻み込まれた抉れた跡、白魔道士が何人も力を注いでくれたが、内臓と肉を取り戻すのがやっとだった。
「一年の内の僅かな時間だけでいい、俺のそばにいてくれ」
厳しい冬が通り過ぎるまでの間、それだけを得られれば次に彼がやってくるのを待っていられる。
「愚かだね、ヒルドは……お前ならどんな美しい女性も妻に出来る……王女だって求婚を喜ぶだろう。こんな罪人に心を寄せることはないんだ」
「俺が欲しいのは、賢く美しいエドだけだ」
「っ……お前はバカだ」
バカでいい。どこまでも愚かだと言われても、他の欲しいものなどない。エドゼルだけをずっと求めてきた。彼だけがあればいい。
エドゼルの手がヒルドブランドの背中に回ろうとして、ギュッと拳を握った。またたらりと寝台に落ちる。
「愛されると私は弱くなる……旅を止めてしまおうとするだろう……それが怖いんだ」
「貴方はもう、宮廷にいた頃の貴方ではない。罪を見つめている、同じ愚は繰り返さない」
「……買いかぶりだ。今だってお前の腕の中が心地よくて拒めないんだ」
苦しそうな声が掠れて吐き出される。
「クロムクドリが鳴いたら離す、だがそれまでは……頼む」
この地は雪深く、春の訪れを告げるクロムクドリの鳴き始めも遅い。
「ずるいな、ヒルドは。幽閉してしまえば簡単なのに」
「そうして欲しいのならいくらでもする……だが閉じ込めてしまえば心が毀れると知ってできるはずがない」
以前のようにこの領城に閉じ込めれば自分のものになる。部屋から出られないように足を潰し、鎖で繋ぎ、誰にも会わせず二人だけの世界を作るのは簡単だ。ただその時、自分の腕の中にいるのは、この高潔な従兄ではないだろう。
「貴方を愛してる俺には……できない」
エドゼルはヒルドブランドの肩越しに重い雲が空を覆うのを眺める。窓で遮断された向こうは凍てつく程寒く、また視界全てを覆う雪が降り始めようとしていた。
「……作りたいものがあるんだ。子供達が読み書きができるよう、音が出る本を……」
遠くを眺めたまま呟いた言葉にヒルドブランドはハッとした。それは黒魔法を使わなければ作れず、もう魔力を持たないエドゼルでは出来ないことだ。
「できれば冬の間に作ってしまいたい……」
「これから冬に作って他の季節に配ればいい! 一度にたくさんは持てないだろう」
言葉の意図を読み取ってヒルドブランドは青い瞳を見つめた。何かを堪えて必死に笑おうとするエドゼルがいた。これが彼にとって最大限の譲歩だ。葛藤の末に導き出した妥協点に、ヒルドブランドは縋り付いた。
「俺の魔法はいくらでも使ってくれ……元は貴方のものだったんだ」
奪ってしまった罪悪感。しかし、あの時はそうするしかなかった、全滅を免れるために。そして、唯一魔王を倒せる機会を逃さないために。
「平和になった……勉強が必要になるから……」
「領民が読み書きできるなら助かる。報告が文字であればまとめる者は楽だろう。なによりも、もっとまともな仕事に就ける」
「そうだ……私の贖罪になるだろうか」
零れ落ちた言葉は不安を存分に含んでいた。
「それは……わからない。だが助かる人は多い」
そうか、とエドゼルはほんの少し淋しそうに笑った。
「作らなければ。残された皆が幸せになるために」
「そうだな。魔法の本ならここ以外では作れないだろう」
戻ってくる理由を作る。
そうでもしなければ、僅かな幸福を味わうことすら躊躇うはずだ。
「どんなものにするか考えよう……明日にでも」
随分と早くやってきた重い雲が空を覆い、心地よい陽光が差し込んでいた部屋が暗くなった。
強い風が窓を叩き吹雪の到来を告げる。
ヒルドブランドは掌を翳し暖炉の火を点けた。柔らかい暖炉の火が二人を緩やかに照らす静かな部屋で、一つ、また一つとシャツのボタンを外す。大きなサイズのそれは全てのボタンを取り払えばするりと肩から落ちる。すぐに白い肌が露わになった。
「それまでは、貴方を独占させてくれ」
まだ鮮やかな花弁の残る肌に唇を落とし吸えば、細い手が長くなったヒルドブランドの髪に潜り込んできた。
クロムクドリが鳴くまで決して消しはしないと心に誓い、存分に跡を残してから熱い吐息を零す膨らんだ唇を塞いだ。
愛してる。そう囁きかけながら。
おしまい
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