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第五章 クロムクドリが鳴くまでは 1
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眠ることが出来ない。愛おしい人が隣で眠っている。目を閉じたら消えてしまいそうで怖くて抱く腕も力を抜けずにいる。
また出会えた、それだけで満足しなければならないのに、彼の口から出た言葉に心が暴走してしまった。
自分を好いていると、だが駄目だと繰り返すそれは、昔の清廉な彼を思い起こさせた。
魔力を注がないでくれと必死に願うところも、彼の変化を如実に伝えられ、嬉しくて止まらなかった。
真っ直ぐな輝いた目を取り戻し、自分が何をしなければならないのかをしっかり見つめている。
市井に入り人々と共に苦労しているのだと知ったのはつい先月だ。
一通の手紙が教えてくれた。
ワルドーとの一戦以降、煩わしい事から解放されたヒルドブランドの元に届く手紙は極端に減った。僅かな手紙の中に混じって南国からそれは届いた。
小さな農村の長を名乗る男。別国の彼がなぜと思い開ければ、農地を回る『エディ』という青年について、姿形まで詳細に書かれてあった。
何をしてどんな旅をしていたか、人々にどれほど貢献したかも記載されており、ヒルドブランドを心配し領へ向かっていると締めくくられていた。
手が震えた。どんな強敵を前にしても震えなど起きたことがなかったのに。
そこからは早かった。領地内全てに人相書きを渡し、領主の大切な人だと一言付け足した。
エドゼルは知らないだろう、ヒルドブランド領に入ってからどこにいるかを把握されていたと。あの酒場にいるのも知っていた。ただ、久しぶりに笑っている彼を見て、全身に痺れが走ってすぐに動けなかったのだ。三十三になった彼が変わらず美しすぎたから。
涼やかな二重の目元、膨らんだ唇、その傍に証のように残るほくろ。どれも変わらないのに、三年前とは全く違う生き生きとした表情へと変わり、輝いて見えた。
何を言われようとも、彼を繋ぎ止めておきたかった。エドゼルの口から想いを告げて欲しかった。自分をどう思っているか、あの言葉を今も覚えているか知りたくて希った。
まさかあんなにも真っ直ぐに思いを返して貰えるとは思わなかった。同時に彼が罪の意識をしっかりと持っていることが嬉しくもあり悲しくもあった。
彼だけの罪ではない。諫めなかった周囲もそうだが、なによりもワルドーがいなければ彼は道を踏み誤らなかったはずだ。どんなに苦しんでいようとも清廉潔白を貫いたはずだ。
故にワルドーの傲慢さが許せず挑発してしまった。
こんな自分に、エドゼルは思いを寄せてくれるのが嬉しくて、止められず無茶をさせてしまった。
冬の遅い朝日が木窓の隙間から差し込んでくる。昨夜降り積もった雪が視界を真っ白にしているのだろう、反射光でいつもよりも明るく感じられる。
忍び込んだ光が寝台に一筋の線を描く。上掛けが再び光を拡散し、エドゼルの色に疲れた顔を映し出す。何度も最奥の刺激だけで絶頂を迎えた彼が目を覚ます気配がない。幼子のように身体を丸めようとするのを安心させるために頬を撫でれば、甘える仕草ですり寄せてきた。
彼はこんな風に眠るのか。
それすらも穏やかなこんな朝だからこそ知ることが出来る。
三年前の狂ったように魔力を欲した交わりでは得られなかった悠々とした時間を噛み締める。
痩せ細ってはいるが、昔にはない筋肉が付いた身体。幼い頃の丸みを失った美しい顔。それらをゆったりと細部まで眺めては脳に刻み込む。少し膨らんだ唇を指でなぞり柔らかな感触まで忘れないようにした。
贖罪の旅をしているエドゼルは、またあてもなく赴こうとするだろう。罪の重さを感じない人間もいるというのに、繊細な彼には重荷となってるはずだ。
(引き留めるためにこのしなやかな足を潰せば……)
上掛けに隠れた腿を撫で、手を止めた。それではエドゼルの矜持を折り、もう二度と笑いかけてくれなくなる。
そんな自分になりたくはない。
衝動をぐっと堪えただ今ある幸せを受け入れようと言い聞かせる。
これ以上は求めるな。
けれど彼の全てが欲しい。
「どうしたら貴方を繋ぎ止めることができるんだ」
贖罪の旅を終えるその日まで想い待ち続ければ、この腕の中に戻ってきてくれるだろうか。
苦しんでる彼を助けることもできずにただ待つのは辛い。しかし、きっと許されるのはこれだけだろうとヒルドブランドも理解している。
村長の手紙に彼が真摯に罪と向き合っている様が書かれていた。その矜持を毀さないでやって欲しいとも。
「俺は……どうしたらいいんだろうか」
一人で答えは出なかった。
冬の間のヒルドブランド領は深い雪に包まれ、領主ですら仕事はない。やってくる春のための準備はあれど、領主としてやらなければならないことは全て終わっている。
春が来るまで何もせず彼と二人でいるために時間を使いたいと願うのは強欲だろうか。
「俺は何をすれば貴方は喜ぶだろう……教えてくれ、エドゼル」
三十を過ぎたのに眠るその顔は幼い頃を思い出させる。
また出会えた、それだけで満足しなければならないのに、彼の口から出た言葉に心が暴走してしまった。
自分を好いていると、だが駄目だと繰り返すそれは、昔の清廉な彼を思い起こさせた。
魔力を注がないでくれと必死に願うところも、彼の変化を如実に伝えられ、嬉しくて止まらなかった。
真っ直ぐな輝いた目を取り戻し、自分が何をしなければならないのかをしっかり見つめている。
市井に入り人々と共に苦労しているのだと知ったのはつい先月だ。
一通の手紙が教えてくれた。
ワルドーとの一戦以降、煩わしい事から解放されたヒルドブランドの元に届く手紙は極端に減った。僅かな手紙の中に混じって南国からそれは届いた。
小さな農村の長を名乗る男。別国の彼がなぜと思い開ければ、農地を回る『エディ』という青年について、姿形まで詳細に書かれてあった。
何をしてどんな旅をしていたか、人々にどれほど貢献したかも記載されており、ヒルドブランドを心配し領へ向かっていると締めくくられていた。
手が震えた。どんな強敵を前にしても震えなど起きたことがなかったのに。
そこからは早かった。領地内全てに人相書きを渡し、領主の大切な人だと一言付け足した。
エドゼルは知らないだろう、ヒルドブランド領に入ってからどこにいるかを把握されていたと。あの酒場にいるのも知っていた。ただ、久しぶりに笑っている彼を見て、全身に痺れが走ってすぐに動けなかったのだ。三十三になった彼が変わらず美しすぎたから。
涼やかな二重の目元、膨らんだ唇、その傍に証のように残るほくろ。どれも変わらないのに、三年前とは全く違う生き生きとした表情へと変わり、輝いて見えた。
何を言われようとも、彼を繋ぎ止めておきたかった。エドゼルの口から想いを告げて欲しかった。自分をどう思っているか、あの言葉を今も覚えているか知りたくて希った。
まさかあんなにも真っ直ぐに思いを返して貰えるとは思わなかった。同時に彼が罪の意識をしっかりと持っていることが嬉しくもあり悲しくもあった。
彼だけの罪ではない。諫めなかった周囲もそうだが、なによりもワルドーがいなければ彼は道を踏み誤らなかったはずだ。どんなに苦しんでいようとも清廉潔白を貫いたはずだ。
故にワルドーの傲慢さが許せず挑発してしまった。
こんな自分に、エドゼルは思いを寄せてくれるのが嬉しくて、止められず無茶をさせてしまった。
冬の遅い朝日が木窓の隙間から差し込んでくる。昨夜降り積もった雪が視界を真っ白にしているのだろう、反射光でいつもよりも明るく感じられる。
忍び込んだ光が寝台に一筋の線を描く。上掛けが再び光を拡散し、エドゼルの色に疲れた顔を映し出す。何度も最奥の刺激だけで絶頂を迎えた彼が目を覚ます気配がない。幼子のように身体を丸めようとするのを安心させるために頬を撫でれば、甘える仕草ですり寄せてきた。
彼はこんな風に眠るのか。
それすらも穏やかなこんな朝だからこそ知ることが出来る。
三年前の狂ったように魔力を欲した交わりでは得られなかった悠々とした時間を噛み締める。
痩せ細ってはいるが、昔にはない筋肉が付いた身体。幼い頃の丸みを失った美しい顔。それらをゆったりと細部まで眺めては脳に刻み込む。少し膨らんだ唇を指でなぞり柔らかな感触まで忘れないようにした。
贖罪の旅をしているエドゼルは、またあてもなく赴こうとするだろう。罪の重さを感じない人間もいるというのに、繊細な彼には重荷となってるはずだ。
(引き留めるためにこのしなやかな足を潰せば……)
上掛けに隠れた腿を撫で、手を止めた。それではエドゼルの矜持を折り、もう二度と笑いかけてくれなくなる。
そんな自分になりたくはない。
衝動をぐっと堪えただ今ある幸せを受け入れようと言い聞かせる。
これ以上は求めるな。
けれど彼の全てが欲しい。
「どうしたら貴方を繋ぎ止めることができるんだ」
贖罪の旅を終えるその日まで想い待ち続ければ、この腕の中に戻ってきてくれるだろうか。
苦しんでる彼を助けることもできずにただ待つのは辛い。しかし、きっと許されるのはこれだけだろうとヒルドブランドも理解している。
村長の手紙に彼が真摯に罪と向き合っている様が書かれていた。その矜持を毀さないでやって欲しいとも。
「俺は……どうしたらいいんだろうか」
一人で答えは出なかった。
冬の間のヒルドブランド領は深い雪に包まれ、領主ですら仕事はない。やってくる春のための準備はあれど、領主としてやらなければならないことは全て終わっている。
春が来るまで何もせず彼と二人でいるために時間を使いたいと願うのは強欲だろうか。
「俺は何をすれば貴方は喜ぶだろう……教えてくれ、エドゼル」
三十を過ぎたのに眠るその顔は幼い頃を思い出させる。
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