トモコパラドクス

武者走走九郎or大橋むつお

文字の大きさ
上 下
26 / 87

26『バニラエッセンス』

しおりを挟む
RE・友子パラドクス

26『バニラエッセンス』 





 後年言われた結衣のフェロモン騒動はひとまず収まった。

―― 普通で十分だ ――

 昭二の心で結衣は思った。

 やっと人並みの青春が取り戻せる。女子高生としてではあるけれど、七十年以上前にリアルの肉体は失っているので性別などはどうでもいいと思った。自分の足で立ち、自分の手で物を掴み、自分の肌で風を感じる。それがとても素晴らしい。それまでの幽体では何を見ても映画のスクリーンを通して見ているようだったし、なにに触れても軍手をはめて触っているように頼りなかった。それが、今は義体とはいえ感覚は生身の体と変わらない。それだけで十分だ。

 そう噛み締めながら結衣は昭二の心で乃木坂を下った。

 もう、それほど人も振り返らない。でも、これでいい。昼休みまでのわたしに向けられた関心は、宇宙戦艦に残っていたアテンダント義体の魅力でしかない。紀香と友子が、それを程よく抑制してくれた。これで普通。あこがれの普通!

 結衣は駅まで三百メートルの乃木坂をスキップして下った。

 パンケーキの店の前で信号に引っかかってスキップは止んだが、七十二年ぶりの生きた体はリズムをとることをやめなかった。

 そして、そのリズムに弾む姿には、ついさっき走れるようになった幼子のような初々しい嬉しさと可愛さが滲み出て、パンケーキ屋の前の列は乱れ、マスターはパンケーキの鉄板でヤケドをしてしまった。

 信号が青になり、結衣が地下鉄の駅に降りて、パンケーキ屋の騒ぎも、それ以上には大きくならずに済んだ。



「大丈夫かなぁ……」



 友子はもう少し後をつけてみることにする。

 地下鉄では運転手が見とれてオーバーランしかけて気をもんだ。初々しい感性というものは、多少の外形的な魅力を引き算しても溢れてきてしまうものなんだ。弟の一郎は生まれながらに風采のあがらない三枚目だったが、幼稚園の年長さんのころまでは人から可愛いと言われたものだ。

 そう思い出してみると、向かいのデジタルサイネージが目に入った。

 美粧堂(一郎の会社)のデジタルサイネージだ。一期前のもので、先日発表された若々しいルージュのものではなく、売り上げが芳しくなかった仏頂面の大人の魅力的なやつだ。どうやら、駅の構内広告の切り替えは始まったばかりで、乃木坂までは手が回っていない。

 そうか、この仏頂面だ。

 思念を電気信号に変えてデジタルサイネージ点滅させる。気づいた結衣は――あ、これだ――と真似をしてみる。

 とたんに人の視線を感じなくなった。



 住居を設定されている本郷三丁目で降りたところまではよかたっが、結衣は住まいとは反対の東京ドームの方に歩き出した。



「あれ?」

 友子は後をつけた。

 東京ドームの周辺には、東京都から「ヘブンリーアーティスト」という資格をもらって、路上パフォーマンスをやっている人たちがいる。美粧堂風の仏頂面にして人の視線が減った分、聴覚が敏感になり、かすかに聞こえてくるサウンドが結衣をひきつけたようだ。

 結衣は一組のユニットに引きつけられている。

「バニラ」という風采の上がらないディユオの前で結衣の足が止まった。

 結衣の様子から、興味があるんだろうと思って友子は聞いてみた。



《ぼくの おいたち》 作詞:岩崎広也   作曲:西川康志

 潤んだヒトミ 最後の言葉が尻餅ついて震えるクチビルに

 ぼくは キスキス キス キス ホッチキスー!

 そのとき ぼくは知ったんだ キミのクチビルに付着したタコの焼き青のりにぃ! 零れた前歯の紅ショウガぁ!

 キ・ミ・は ぼくのアルテミス ミスアルテミス! オ~オ アルテミス! 
 

 調子がいいだけのコミックソングにまばらな拍手が起こる。バニラの二人は、ひそかに――もうこれでやめよう――と気弱な笑顔で思った。まばらな聴衆も――そうしたほうがいい――と心の中で思った。

 パチパチパチパチパチパチ!

 そんな中、結衣は一生懸命、目を潤ませて拍手していた。

 周りの人たちは、その拍手にも驚いたが、結衣のかわいさに見とれてしまい、バニラの二人は、なにかテレビ局がドッキリでAKRかどこかの子を仕掛けてきたのかと思った。

 そして、結衣は口走った!

「コードをマイナーにして、わたしに歌わせてください!」

「え、あ、うん……」

 そして、押されたように、結衣にスコアを渡し、マイナーで弾き始めた。

 コミックソングである《ぼくの おいたち》が、とても情感のあるバラードになった。

 観客はしだいに増えていった。


 その様子は、SNSに投稿されて評判になり、翌週にはテレビの取材が入り、週末には中規模のプロダクションにスカウトされ、ユニット名もバニラエッセンスと改名し、夏の終わり頃には忙しいテレビ出演に追われることになった……。    



☆彡 主な登場人物

鈴木 友子        30年前の事故で義体化された見かけは15歳の美少女
鈴木 一郎        友子の弟で父親
鈴木 春奈        一郎の妻
白井 紀香        2年B組 演劇部部長 友子の宿敵
大佛  聡        クラスの委員長
王  梨香        クラスメート
長峰 純子        クラスメート
麻子           クラスメート
妙子           クラスメート 演劇部
水島 昭二        談話室の幽霊 水島結衣との二重人格
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

宇宙戦艦三笠

武者走走九郎or大橋むつお
SF
ブンケン(横須賀文化研究部)は廃部と決定され、部室を軽音に明け渡すことになった。 黎明の横須賀港には静かに記念艦三笠が鎮座している。 奇跡の三毛猫が現れ、ブンケンと三笠の物語が始まろうとしている。

銀河戦国記ノヴァルナ 第3章:銀河布武

潮崎 晶
SF
最大の宿敵であるスルガルム/トーミ宙域星大名、ギィゲルト・ジヴ=イマーガラを討ち果たしたノヴァルナ・ダン=ウォーダは、いよいよシグシーマ銀河系の覇権獲得へ動き出す。だがその先に待ち受けるは数々の敵対勢力。果たしてノヴァルナの運命は?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

3024年宇宙のスズキ

神谷モロ
SF
 俺の名はイチロー・スズキ。  もちろんベースボールとは無関係な一般人だ。  21世紀に生きていた普通の日本人。  ひょんな事故から冷凍睡眠されていたが1000年後の未来に蘇った現代の浦島太郎である。  今は福祉事業団体フリーボートの社員で、福祉船アマテラスの船長だ。 ※この作品はカクヨムでも掲載しています。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

処理中です...