上 下
2 / 53

2『乙女先生の転勤・2』

しおりを挟む
乙女先生とゆかいな人たち女神たち

2『乙女先生の転勤・2』    





 あいつが校長だとは思わなかった。

 ブリトラ(伝統的英国風)の着丈の長いスーツを着ても脚が長く見える日本人のオッサンは少ない。

「あ、ああ……転任の先生ですか」

 一秒ほどで、乙女先生を観察し、保険の外交員ではないと気づいた洞察力と、表情のさりげない変え方は教師のそれではなかった。

 しかし、こうやって校長室で渋茶一杯飲まされたあとに軽やかに入ってきて、校長の席についたからには校長なんだろう。乙女先生は少し驚いたが、顔に出るほどのウブではない。そつなく、他の三人の新転任同様に程よい会釈をした。前任校の校長ならビビる頬笑みも、ここではまだ普通の社交辞令ととられるようだ。

「やあ、みなさんお早うございます。校長の水野忠政です。職員会議まで時間がないので、ここでは簡単なご紹介にさせていただきます」

 そういうと、校長は窓のカーテンを閉めて、パソコンのキーとリモコンを同時に入れた。

―― 本年度、新転任者紹介 ――

 タイトルがホワイトボードに映された。

「ええ、まず田中米造教頭先生。淀屋橋高校からのご転勤です。プロフィールはごらんになっている通りです。座右の銘は『小さな事からこつこつと』であります。我が校は大躍進中で、わたしはいささか暴走気味ですので、良いブレーキ役になっていただければと期待しております」

 ホワイトボードの写真は明るい笑顔だが、乙女先生の前にいる本人は、お通夜明けの喪主のように暗い。落ち込んだ演技をしたときのイッセー尾形に似ている。

「えー、わたくしは……」
「ああ、ご挨拶は、職会で。ここでは、とりあえず新転任同士ご承知していただいて、このプロフに誤りや、ご不満が有れば、おっしゃってください」

 田中教頭は、無言でうなずいて座った。趣味は盆栽……と読んだところで、なぜか「凡才」の字が浮かんだ。同時に田中教頭がため息をもらしたのは偶然なのだろうが。

「以下の新転任の方々は、在職期間の長い順ですので他意はありません。佐藤乙女先生、地歴公民。モットーは……ハハ、いや失礼『ケセラセラ』であります。前任校は朝日高校。プロフは……職会でも同じものを映しますので、そのときご覧下さい」

 乙女先生は、こんな使われ方をするとは思わず、A4・1600字の用紙いっぱいに書いてきた。名前の由来から、飼っている猫が靴下を食べて、手術したことまで書いてあった。皆が驚いている。字数のせいばかりではないことは、本人も分かっている。

「次は、技師の立川談吾さんです。退職された鈴木さんの後任としてきていただきました。お願いのお言葉は『落語家ではありません』です」

 立川は、ほとんど半ばまで禿げあがった頭をツルリと撫で、ニコリと笑った。その潔い禿げようが、前任校の校長の欺瞞的なバーコードと対極なので、乙女先生はおかしくなり、思わず立川と目が合ってしまい、互いに面白い人間らしいことを確認した。

「最後に新任の天野真美先生。英語科です。ご挨拶は『新任です、ビシバシ鍛えて下さい』です。潔よいですなあ」

 真美先生は生真面目に立ち上がり、深々と頭を下げた。

 ゴン

 下げすぎてテーブルにしたたかに頭をぶつけてしてしまった。

「教師はね、そうやって早めに頭をぶつけておいた方がいいんですよ」

 乙女先生はそう茶化して、バンドエイドを出した。教頭の田中以外のみんなが笑った。

 それから、事務長から校長に辞令が渡され、さらに校長から一人一人にそれが渡された。

「校長、そろそろ時間です」

 ノックもせずに、筋肉アスパラガスが半身だけドアから体を現して言った。筋肉アスパラガスとは、その時の乙女先生の印象で、あとで首席の桑田だということが分かった。

 渡り廊下を会議室に向かっていると、ガラス越しの中庭に、古墳が見えた。

「あら、かわいい古墳」
「あれは、ここの前身のS高校が出来るときに潰した古墳のレプリカです。縮尺1/4ですが、生徒たちはデベソが丘なんて呼んでますけどね」

 校長は歩みをゆるめることもなく、横丁のポストを紹介するような無関心さで説明した……と、思ったら立ち止まって、乙女先生に言った。

「おっと、言い忘れてました。乙女先生、先生は三年生と一年生の渡りをやってもらうんですが」
「ええ、それが……」
「転任したての先生には申し訳ないんですが、一年の生指主担をやっていただきたいのですが……」
「ええ、かまいませんよ。前任校も生指でしたし」
「それは、どうも、ありがとうございました」

 校長は、心なしホッとしたように見えた。この学校の偏差値は六十に近く、前任校よりもワンランク高い。まあ、その分知恵の回ったワルはいるかもしれないが、今までの経験から言ってもどうってことはないだろう。

 それよりも、この学校が出来る前のS高校の時に潰された古墳の方が気がかりだった。地歴公民などという訳の分からない教科であるが、専門は日本史である。ちゃんとした現地調査はなされたんだろうか? 被葬者のお祀りはちゃんとしてあるんだろうか、その方が気になった。

 会議室に入って目に入ったのは、教職員のメンツではなかった。

 そんな緊張をするほどウブなタマではない。

 窓から見える春らしいホンワカとした雲が、家に一人残してきた猫のミミにそっくりなことであった。

 さすがに民間人校長だけあって、職員会議の流れはスムーズだった。新転任の挨拶は、さっきのスライドを使ってバラエティー番組のように楽しく早く済まされた。

 乙女先生の年齢は伏されていたが、その見かけと経歴のギャップには、職員のみんなが驚いたようである。

 ここだけの話しであるが、乙女先生はこの五月で五十路に手が届く。しかし居並ぶ職員には三十前後にしか見えない。

――これでも地味にしてきたんだけどなあ、保険屋のオバチャンと思われる程度には……。

 そして、なにより、A4の自己紹介であった。同じ物がプリントされて配られている。むろん個人情報に関わる部分は抜かれていたが、飼い猫のミミが靴下を食べたところでは、みんなクスクス笑っていた。で、一年の生指主担と紹介されたときには、皆から、同情のようなため息が漏れた。

 新任の真美ちゃん(乙女先生は、そう呼ぶことに決めていた)がバンドエイドを貼った頭で、顔を真っ赤にして挨拶したときは、暖かい笑いが起こった。

 今度は、真美ちゃんはテーブル頭をぶつけることは無かった。

 ただ、乙女先生の手のひらが痛くなった。真美ちゃんがテーブルに頭をぶつける寸前に、右の手のひらをクッションに差し出したからである。

―― 痛アアアアアアアア!!!!! ――
 
 乙女先生は、心で叫んだ。それがコントのように見えたのだろう。会議室は再び笑いに満ちた。

 しかし、田中教頭は笑わなかった。

 そして、もう一人笑わず、腕組みのまま苦虫を潰したような顔をしている男がいた。

 それが、生指部長の梅田である。その時の乙女先生は「筋肉ブロッコリー」と思えただけである。この男と、いろんな意味で取っ組み合いになるのは、もうしばらく後のことである。

 窓から見える雲がミミから太りすぎの羊になったころ、職員会議が終わった。

 そして、希望ヶ丘青春高校での乙女先生の新しい生活が始まったのだった!
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...