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鬼森家

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 目が覚めたら、見知らぬ天井があった。そして、二つの顔が、僕の顔を覗き込んでいた。
「あ、おはよう、幸ちゃん」
「幸太郎、目覚めた」
 それは、美鳥ちゃんと──鬼森卯月だった。わけがわからずに瞬きを繰り返す僕をよそに、卯月は飛び上がるようにして立ち上がり、襖の向こうへ駆けて行った。
「虎丸。幸太郎、目覚めたよ」
「おう、そうか」
 そんな声がした。僕は辺りを見回す。畳敷きの小部屋に、布団を敷いて寝かされているのが分かった。窓の外はもう明るい。日が昇ってだいぶ経つようだ。随分寝ていたらしい。まだ身体が痺れた感じがするが、なんとか上体を起こす。美鳥ちゃんがそんな僕の背に手を添えて、心配そうに顔を覗き込む。
「まだ無理しないで、幸ちゃん」
「いや……大丈夫だよ、美鳥ちゃん。それより、ここは?」
 僕の問に応えたのは、部屋に入ってきた虎丸だった。今日は、水墨画風に竹林の虎をでかでかと描いたTシャツにジーンズという姿。相変わらず金髪を逆立てている。
「俺んちのアパートだよ」
 あまりのことに頭がくらくらして、額を押さえる。
「……なんで、と聞いても?」」
「あれから、旧校舎跡に駆けつけたんだけどさ、おまえと他数名が倒れてて、おまえの後輩ってやつはパニクってるしよ。とりあえず救急車呼ばせて、おまえはいろいろヤバいもん持ってたから、俺んちに連れてきた。その娘は、おまえがどうしても離さなかったから、一緒に運んだ」
 確かに、火炎放射器やら何やらを持っていた僕は、警察に通報されたらまずい立場だった。──だが、『土門』の人間として、『鬼森』の家に連れて行かれる以上にまずいことなどあるだろうか。
「光香ちゃん──僕の後輩は、止めてくれなかったんですか?」
「止めようとしてたけど、『なんで?』って聞いたら、『あー』とか『うー』とかうだうだしてっから、振り切ってきたわ」
 僕が『土門』だとバレていない以上、僕が『土門』だからダメだ、とも言い出せず、そろそろ騒ぎを聞きつけた人間も近づいてきていて、戦うわけにもいかなかった──という経緯だろうか。
 分かる。分かるけど、恨むぞ、光香ちゃん。
「それは、大変お世話になりました。じゃあ、僕はこれで──」
「待ってよ、幸ちゃん。幸ちゃんは、まだ休まないと。まったく、旧校舎跡にあんな、人を昏倒させるような毒虫が大量発生するなんて思わなかった。命に危険はないらしいけど──」
 どうやら表向きは、そういう設定になっているらしい。鬼森三兄妹も、美鳥ちゃんを一般人と見て取って、話を合わせてくれたのだろう。
「それに、鬼森さん達にお世話になりっぱなしじゃ、寝覚めがよくないわ。お礼代わりに昼食を作ろうと、さっき食材を買ってきたの。私が腕によりをかけて酢豚を──」
「やめてくれ。人の家の台所を爆発させたらいけない」
「爆発!?」
 思わずツッコミを入れた僕に、虎丸と卯月が目を丸くする。
「やぁねぇ、幸ちゃん。五年も前のことをいつまでもウジウジと」
 美鳥ちゃんは僕の背中を抓る。痛い。が、虎丸は別のところを聞きとがめた。
「五年前に前科があるのかよ? マジで?」
「……酢豚食べたい」
 呆れ顔の虎丸を尻目に、卯月が悲しげな顔でポツリと言う。開いた襖から、台所に置かれた、カップ麺の容器でいっぱいのゴミ袋が見えた。卯月の細い手足。ろくなものを食べていないのかもしれない。
「せっかく食材買ったんだから、食べないともったいないじゃない」
 美鳥ちゃんの言葉に、虎丸が頭をポリポリと掻く。
「あ~……食材だけ置いていかれても、俺、料理とかできないしな」
 僕は瞑目した。どうやら、他に選択肢はないようだ。
「僕が作ります」
「幸ちゃん? まだ寝てないと」
「もうだいぶよくなったから、料理くらいなら大丈夫だよ」
「いや、おまえは寝てたら? 彼女の言う通り、無理しないほうがいいぞ」
 虎丸の言葉に、僕は虎丸を振り返り、真剣な顔で言う。
「美鳥ちゃんの料理は、『協会』謹製の特製青汁レベルだ」
 しばしの沈黙の後、虎丸は笑って、グッと親指を上げた。
「……お前に任せたぜ」
「なに!? なんか知らないけど、すごくバカにされた気がする!」
 美鳥ちゃんは騒ぐけれど、僕は構わず立ち上がって、台所へ向かった。

 人の家の台所は使いにくいし、コンロも一口しかなかった。体調だって、本調子じゃない。でも、美鳥ちゃんが必要な材料は買ってきてくれていたし、フライパンや包丁は揃っていたので、最終的には、大皿の上に、湯気の立つ、野菜と肉で色とりどりの酢豚がこんもりと盛られ、僕はそれをちゃぶ台に置いた。
 おおお、と感動の声が、虎丸と卯月だけじゃなく、なぜか美鳥ちゃんからもした。
 ご飯は卯月が炊いておいてくれて、皆の分を茶碗に盛ってくれた。ありがとう、と言うと、
「ご飯は卯月の係なんだよ」
 と胸を張る。
「おー、何だこの酢豚、うめー」
「虎丸、お肉ばっか食べてずるい!」
「卯月は野菜喰え、野菜」
「やぁだぁ!」
 じゃれ合いながら食事をする兄妹を見て、僕は複雑な気持ちになる。こうしてみると、普通の兄妹にしか見えない。でも、彼らは昨日の出来事の元凶で──僕の一族を、仇として憎んでいる。
「んぅ、やっぱり、幸ちゃんの酢豚は最高! 毎日だって飽きないわぁ」
 美鳥ちゃんは呑気に酢豚を楽しんで、誰よりもバクバク食べている。この昼食が助けてもらったお礼だということを忘れている表情だ。
「幸太郎、おまえすげぇよ。俺、料理できないから、マジ尊敬する。自分だけならいいけど、卯月がいるからさ、ちゃんとしなきゃとは思うんだけど」
「……この程度、ちょっと練習したら、できるようになるよ。初心者向けの簡単なレシピ、いくつか書いとく」
「あ、マジ? 助かるわ」
 あの鬼森虎丸と、まるでママ友みたいな会話を交わしている。そのことにまるで現実感がなかった。その時卯月が、くいくいと僕の服の裾を引く。
「幸太郎、料理上手」
「あ、ありがとう……?」
「卯月、幸太郎のお嫁さんになってあげてもいいよ」
 僕がブッとお茶を吹きそうになった時、虎丸の眼光が鋭くなった。
「ああ? なんだ幸太郎、てめぇ、卯月じゃ不満だってか?」
「い、いや、そういうわけじゃ」
「じゃあ、卯月に手を出そうってか! てめぇ!」
 どう答えてもアウトなのか、この兄馬鹿!
 そんな虎丸に臆すること無く怒鳴ったのは、美鳥ちゃんだった。
「もう、いい加減にしてよ、そんなわけないでしょ!」
 ぐい、と迫力美人に顔を寄せられて、虎丸はちょっと顔を赤くして、ドギマギとした様子だった。だが、美鳥ちゃんは言う。
「卯月ちゃんは、もちろん可愛いわ。でも、幸ちゃんにはね。私という婚約者がいるのよ。早いもの勝ちというやつよ」
 虎丸のほのかなトキメキは、一瞬にして終わらせられたようだった。卯月は唇を尖らせる。
「美鳥、ずるい。幸太郎のご飯がいつでも食べられるなんて」
「あら、卯月ちゃんも、いつでも食べに来たらいいわよ」
「ほんと?」
 卯月の顔が、パッと明るくなる。でも。
「卯月」
「美鳥ちゃん」
 制止の声は、僕と虎丸、同時だった。美鳥ちゃんはきょとんとしているが、卯月は理解したらしく、少し寂しそうにうなだれた。
「──洗い物、お願いしてもいいかな、美鳥ちゃん。それが終わったらお暇しよう」
「え……うん、分かった」
「卯月、手伝ってやれ」
「うん」
 美鳥ちゃんと卯月が台所に去って、僕と虎丸は二人になる。僕はチラシを何枚かもらって、その裏の白紙に、約束したとおり、レシピを書いていく。やがて、虎丸がポツリと言った。
「『鬼森』と友誼を結ぶなんて、まっとうな呪術師の家じゃありえないもんな」
「……僕の家の方こそ、鼻つまみ者だよ」
「そうなの?」
「君に名字を名乗れないくらいには」
 そっか、と虎丸は言って、頭の上で両腕を組んだ。
「ほんとはさ、解体業がうまくいったら、この世界から足を洗いたいんだ。妖怪退治業と関係ないところで、まっとうに生きて、卯月にも普通の生活をさせてやりたい」
 僕はその言葉に、パッと顔を上げた。
「僕も……僕も、同じなんだ」
「同じ?」
「お金を貯めて、海外へ逃げたい。『協会』の手も届かないくらい、遠くへ。そして家族を作って、普通の生活を送るんだ。」
 それは、誰にも話したことのない、僕の夢だった。虎丸がニッと笑って、僕の背を叩いた。ちょっと痛い。
「じゃ、俺達は仲間だな。──まぁ、ただ、俺にはその前に、やることが残ってる」
 虎丸の眼光が鋭くなる。その目の先は、きっと、『土門』一族を見ている。
「そうだね、僕もだ」
 いつかきっと、この戦いを受けて立つ日が来る。僕と虎丸が、こうして和やかに話をするのは、この日が最後だと、僕は予感した。
 ふと、虎丸が僕に尋ねる。
「そういえばさ。おまえ、結構な術を使った形跡があったけど、この程度で済んだってことは、相当な人形を使ってたのか?」
「いや、人形は壊れてしまって、こりゃ死んだと思ったんだけど──」
 そういえば、以前にもこんなことがあった。『高女』が我が家に現れた時だ。
 あのときも、僕は美鳥ちゃんを抱きしめていて──今回と同様、術を放った瞬間、美鳥ちゃんの手に、僕の痛みが吸い込まれていくように感じた。
 その時、美鳥ちゃんと卯月が台所から戻ってきた。
「おまたせ、幸ちゃん。じゃあ、お暇しましょうか」
 そう言って笑う美鳥ちゃんの袖をまくった右の腕に、古い十字傷がうっすらと見えた。それを見た途端、僕の腕の古傷が、じくりと傷んだ。
 僕の古傷は、美鳥ちゃんと同じ場所、同じ形で刻まれている。
 ──思い出す。生きた人間を、術の人形に使う術士も、この世には存在するのだ。
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