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高女

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 その日も、光香ちゃんは早めに僕を迎えに来て、我が家で夕食を食べていた。今日の献立はピーマンの肉詰めと麻婆茄子だ。大皿に盛られたピーマンの肉詰めが、ひょいぱく、ひょいぱく、と光香ちゃんの口の中に消えていく。若くて食べざかりなのは分かるけれど、ちょっとは遠慮したらどうだと思わなくもない。大量に作っておいてよかった。
 光香ちゃんは口の中でピーマンの肉詰めをもぐもぐと咀嚼し、ごくんと呑み込んでから言った。
「そういえば、今日の仕事場って、先輩と美鳥さんが通ってる大学なんですよね?」
「光香ちゃん」
 僕が咎めるように光香ちゃんを見ると、光香ちゃんは、はわわ、と口元を押さえた。美鳥ちゃんには、僕の仕事はただの警備会社のアルバイトということになっているのだ。あまり、美鳥ちゃんの前で仕事の話をしてほしくない。
 幸いにも、美鳥ちゃんは気にした様子がなかった。
「へぇ、そうなんだ。例の不審者、まだ目撃が続いてるみたいだから、臨時で夜間警備を頼んだのかな」
 そう言って、光香ちゃんに負けじと、ピーマンの肉詰めを自分の皿に確保する。美鳥ちゃんの食べっぷりも、光香ちゃんにまったく負けていない。我が家の食費は大丈夫だろうか。

 ──謎の不審者。
 目撃情報によると、それは女だという。顔は分からない。確かに複数の目撃者が顔を見ているのに、誰もその顔を思い出せないのだ。
 謎なのは、二階の窓を覗き込む、という点。当然、窓の外の地面に立てば、普通の人間の背丈なら、どんなに長身だろうと、二階の窓に顔を出すことはできない。だから、不審者は外壁の小さな出っ張りを足場に、窓にへばりついているのだろうと予想されたが──目撃者の話では、とてもそんな必死な様子はなく、ごく普通に、すたすたと歩き去っていったという。
 そして、僕たちの会社に依頼がきたということは、そういうことだ。
 『高女』。
 下半身を長く伸ばし、遊女屋などの二階を覗き歩く妖怪。
 自然、鬼森卯月の言葉を思い出す。
 ──『あの人、『高女』だよ』
 秋間まゆかを指して、彼女はそう言ったが──。
「じゃ、先輩。ご飯も食べたし、そろそろ、出発しましょうか」
 光香ちゃんの声で、僕は我に返った。
「行ってらっしゃい、幸ちゃん。気をつけてね。──光香ちゃん。『私の』幸ちゃんをよろしくね」
「行ってきます、美鳥さん。『私の』先輩ですから、もちろん守りますよ!」
 二人が笑顔でバチバチと火花を散らす。
 僕は慌てて立ち上がり、玄関へと急いだ。

 人気のない深夜の大学は、昼間とはぜんぜん違う場所みたいで、昼間授業を受けているはずの校舎も、どこか冷ややかな雰囲気を漂わせている。ここは自分の居場所ではない、という感覚を持たされてしまう。
 社長が事前に、今日の段取りについて話してくれる。
「今日の獲物は、十中八九、『高女』だ。だが、今までの目撃情報からしても、どの校舎に何時に出るのか、まったくのランダムでわからん!」
「それじゃだめじゃないですか」
 きっぱりと言い切った社長に、僕は思わずツッコミを入れてしまう。社長は怒った様子もなく頷いた。
「だから、おびき寄せる。『高女』は元々、遊女屋の二階を覗き込む──遊女屋での男女の交合を見物する妖怪だ。というわけで、囮として、おまえら、二階の教室でイチャイチャしろ」
 社長が、僕と光香ちゃんを交互に指差す。
「え……ええええええええっ!」
 光香ちゃんが悲鳴のような声を上げる。そりゃ、僕みたいな奴が相手じゃ嫌だよな、そんなの。ちなみに僕もごめんだ。陽キャ怖い。
 僕はしょぼくれた顔で社長を見つめるたが、社長は
「そんな捨てられた子犬みたいな顔してもだめだぞ。仕事だ」
 と切って捨てた。そんな顔してたかな、僕。
「なにも、ほんとにいくところまでいけとは言ってない。適当に抱き合って、それらしく振る舞ってくれてたらいい。おびき寄せたところを、後ろから俺が攻撃する」
 どうやら、拒否権はなさそうだった。

 僕と光香ちゃんは、社長に指定された二階の教室に入り、窓を開け放つ。高女が出た時、部屋の中からも攻撃をするためだ。
「じゃあ……ちょっとだけごめんよ、光香ちゃん」
「……はい……」
 真っ赤な顔で固まってしまった光香ちゃんの身体を、僕は抱きしめる。鍛えてはいるけれど、柔らかな女の子の身体。鼻をくすぐる髪からいい匂いがした。そのうち、そろそろと、光香ちゃんの手も、僕の背に回される。温かい手だった。
「……いちゃいちゃするって、こんな感じでいいのかな」
「……いいんじゃないですかね……というか、これ以上は……」
 俯いてしまった光香ちゃんの耳が真っ赤だ。僕は慌てて弁解する。
「い、いや、違うんだ。これ以上のことがしたいとか、そういうわけでは一切絶対全然ないから!」
 それはまるで下手くそな言い訳のようで、墓穴を掘った気がする。
「……ごめん、光香ちゃん。仕事とはいえ、女の子にとっては嫌だよね」
「いえ」
 光香ちゃんが俯いたまま頭を振った。
「先輩ですから。大丈夫です」
「……普通、僕だから、嫌なんだと思うけど」
 そう言うと、光香ちゃんはクスッと笑った。
「先輩は、自己評価が低すぎです。新人で、箸にも棒にも引っかからなかった私を、辛抱強く指導してくれたじゃないですか。それも、一度も声を荒げることもなく。私、小さい頃から厳しい修行を受けてきて、怒鳴られるのも殴られるのも当たり前って感じだったんですけど──先輩といて、こういう人もいるんだなって。怒声が飛んでこない、暴力も飛んでこない、そう分かっているのって──すごく安心するなって、そう思ったんです」
 それは買いかぶりというものだろう。僕のような陰キャは、反撃されるのが怖くて、人に怒鳴ったり殴ったりできないのだ。
 そう言おうとした時、月光を遮って、教室に影が差した。振り返れば、窓の外、高女がこっちを覗いている。確かに目鼻立ちはあるのに、どこか茫漠として、特徴を捉えられないの顔。
「光香ちゃん!」
「はい、先輩!」
 光香ちゃんが、そばに置いておいた剣を取って、高女に向けて走る。それと同時に、高女は大きく体勢を崩した。社長の攻撃が当たったのだろう。光香ちゃんは二階の窓から飛び降りると同時に、高女の首に剣を振り下ろした。
「漣流──滝落とし」
 高女の首が落ちるのが、窓の外に見えた。僕は窓に駆け寄って、下を見下ろす。高女の屍体は、ビクビクと震え、そして、煙のように霧散してしまった。
 その様子を見分していた社長が、僕を見上げ、手を振る。
「おーい、降りてこい。こりゃ、どうも本体じゃないぞ」

 僕は光香ちゃんのようには二階の窓から飛び降りられないので、普通に階段で降りて、社長のもとに駆けつける。
「本体じゃないって、どういうことなんですか?」
 僕の質問に、社長は腕組みして頷いた。
「こりゃ、誰かが飛ばしてる生霊が、高女の形を取ったものだな。いくら高女を倒しても、その人間が再び生霊を飛ばす限り、現れるだろうよ」
「じゃ、その人間を特定するしかないってことですか?」
「手間がかかるなぁ。それより、大学中に結界張って──いや、報酬考えたらそれじゃ赤字だし、あー、どうするか」
 社長が困り顔で、ワシワシと頭を掻いている。
 社長は、僕にとって大恩ある人だ。祖父の知己とはいえ、この業界で忌避される『土門』一族の僕を雇ってくれ、しかも、長期アルバイトなんてあやふやな立場を許してくれている。
 その社長が困っている以上、多少言いにくいことでも、言わなければならないだろう。
「──社長」
 僕は、先日の鬼森卯月の言について社長に話した。
「……ばっかもん!」
 社長の怒声と、ついでにげんこつが降ってきた。痛い。
「鬼森三兄妹と接触しただと!? そういうことは、ちゃんと報告しておけ! 自分がどれだけ危なかったか、分かっているのか!」
「……はい。結果的に何事もなかったので、つい……」
「ついじゃない!」
「はい! すみませんでした!」
 僕からは怒声と暴力が降ってこないのがありがたい、という光香ちゃんの言葉を、はからずも理解してしまった。これは怖い。普段は温厚な社長の人柄を知っていなきゃ、出社拒否になるところだ。これが毎日とか無理無理無理。
「しっかし、『鬼森』一族がそう明言したのなら、その秋間まゆかって女が、高女の本体で間違いなさそうだな。大学側に頼んで、住所と連絡先を教えてもらうか。ま、なんにせよ明日以降だな。──よし、じゃあ、今日はこれで解散。次の段取りについては、追って連絡するから」
「はい!」
 僕と光香ちゃんは声を揃えた。社長が、僕の肩をポンと叩く。その顔には、苦笑が浮かんでいた。
「さっきは悪かった、怒りすぎたよ」
「いえ──でも、教えてもらえますか?」
「うん?」
「社長はなんで、こんなに僕によくしてくれるんですか?」
 さっきの激昂だって、自分になんら害があったわけじゃないのに、僕のことを心配して怒ってくれたのだ。
「そりゃ、おまえ──」
 社長は僕から目を逸らし、照れくさそうに頭を掻いた。
「俺にも、将来について悩んだ時期ってのがあったのさ。同じように悩んでるやつを見ると、手を貸したくなるだろう」
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