おまえがいた

S野

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ノブ 3

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 水谷かすみの働いているコンビニのすぐそばに牛丼屋があった。ときどきその店に白いYシャツとスラックスを着用した二人組の男が現れた。例のコンビニの従業員だった。おそらくアルバイトではない人たちで、難しい話をよくしていた。彼らの話を盗み聞きするためにヒサシ君は牛丼屋へ通っていた。

 店に着くと、入り口の前で目的の二人が灰皿を挟んで喫煙していた。彼らはヒサシ君に続いて入店してきた。
 カウンター席が五つとテーブル席が二つしかない小さな店だった。奥のテーブル席には僕が座っていた。ヒサシ君はもう一つのテーブルに座り、Yシャツの彼らはカウンター席に座った。ヒサシ君は注文を終えると耳を研ぎ澄ませた。

「先輩さん、俺の嫁さん、本当に艶めかしいでしょう?」

「ああ。あのぷりぷりの唇がなんとも言えんな。今度、彼女のストッキングを一枚売ってくれないか」

「やっぱ、女は艶めかしさが勝負っすよね。うちの店にもそういう子、入って来てくれないかな」

「かすみちゃんがいるじゃあないか」

「先輩さん、めっちゃ推しますよね。でも、俺には全然わかんねえっす。まだまだ垢抜けていないというか、なんか、あんま色気感じないっす」

「死ね」

「どっちかっていったら、俺はかすみちゃんより、むつ子ちゃんのほうがタイプっすね。あの子、口数は少ないけど、よく見たらけっこう整った顔立ちだし、なんかこう、気づいたら目が行っちゃってるというか、密やかなオーラありません?」

「なになに、むつ子ちゃんだと? うちにはそんな名前のやつが働いているのか? 知らないなあ」

「わっ、はっ、はっ。先輩さん、最高っす。むつ子ちゃんの存在感、バリバリじゃないっすか。驚いちゃうなあ死んでくださいよ」

「ああ。ああ。たった今思い出したよ。あの影法師のような女だな」

「先輩さんの目、やっぱやばいっすね。あの子が影法師なら、先輩さんは無っす。存在すらしない無っす。むつ子ちゃんはあんまり、人前では頑張ってる姿とか見せないタイプなんすよ。そこがまた謙虚でいいんすけどね」

 カウンターの奥から二人に牛丼が差し出されたため、彼らの会話はいったん途切れた。ヒサシ君のテーブルにも牛丼が運ばれてきた。僕はすでに食事を終えていたけれど、漫画を読んで居座っていた。

「先輩さん、むつ子ちゃんとかすみちゃんって、実は仲が悪いの知ってます?」

「知らん。だが、知っているさ、と答えておこう。後輩君、これがユーモアというものだ。勉強しておくといい」

「仲が悪いというか、たぶん、かすみちゃんがむつ子ちゃんのこと、一方的に嫌ってるだけっすけどね」

「ほう。ほう」

「嫉妬心ってやつですよ。俺にはわかります。むつ子ちゃんって、実はけっこうモテるんですよ。知らないでしょう? アイドルにスカウトされたことがある、という噂もあります。原石っすよ、原石」

「かすみちゃんはすでに光っている。彼女の瞳はツヤツヤで実に艶めかしいんだ。あの瞳は一秒で一人の男を変態にする」

「もともと変態の男が、かすみちゃんに惹かれるってだけじゃないんすか?」

「わからんやつだな。だが、よくわかったな、と答えておこう。……ぶははははっ」

「あと、こんなこというのもあれですけど、かすみちゃんの家って、めっちゃ貧乏じゃないっすか。履歴書見たことあるでしょう? 彼女が住んでるアパート、通り道なんですよね。通勤するとき、絶対見るんすよ。悲惨っすよ? いくら田舎とはいってもね、あそこまでひどいアパートはなかなかないっす。落書きみたいな家っすよ? そこでかすみちゃんは、寝たきりのお母さんと一緒に暮らしてるんです。知ってるでしょう? めっちゃ苦労してるんですよね、あの子」

「ふむ。ふむ」

「それに引きかえ、むつ子ちゃんの実家はお金持ちでしょう? 今はこっち来て一人暮らしてますけど、大学に入学するまでは、彼女、都心の一等地で暮らしてたんですよ。ここだけの話、仕送りとかすごいもらってるらしいです。でも彼女は、本当に困ったとき以外はそのお金に手を付けないって決めてるみたいですね。だって、彼女がなんでうちの店でバイトしてるか知ってます? 親に歯向かうため、ですよ。つまりむつ子ちゃんにとって、お金持ちの娘であることはコンプレックスなんです。庶民的な立場とか、一般的な生活とか、そういうのに対して、彼女の親ってものすごく恥を感じるような人たちなんですって。だからうちでバイトして、反抗する、みたいな。なんかそういうのって、健気で可愛いと思いません? それで男にもモテて、スカウトされて、てなったらひがんじゃいますよね普通。あの二人、歳も同じだし」

「コンビニは庶民に愛され、成り立っている。私は庶民のために働き、庶民の期待に応え、たくさんの庶民に愛されたい。コンビニは庶民だけのものだ。金持ちはすっこんでろ」

 後輩君は言葉を詰まらせた。しばらくのあいだ先輩さんが牛丼をかき込む音だけが聞こえていた。



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