上 下
40 / 56

グレン兄様、ぶっ飛んだ

しおりを挟む


目の前でハラハラと涙を零すグレン兄様にぎょっとして目を見開いてしまった。

彼はどうして泣いているのだろうか。


…私に会えて、嬉しかったとか?


そんなご都合主義的な考えが浮かび小さく頭を振って否定する。


彼は最後の時、私と離れることを喜んでいる節さえあったのだ。

私に会えたからと言って喜びから涙を流すような人ではないだろう。



グッと拳を握りしめると、隣に立っていた殿下が私を励ますように軽く頭を撫でる。

強く瞳を瞑り、もう一度目を開けると、私はようやく震える声で言葉を紡いだ。


「少し、やつれましたね」


「……どうして、ここに」

私よりずっとか細い声で、絞り出すように兄様は口を開く。


「グレン兄様に会いに来ましたの」

そう告げると彼の瞳がほんの少しだけ輝いたように見えたが…きっと気のせいだろう。

綺麗なアーモンド型の瞳から零れ落ちる雫は止めどなく流れ続ける。


…グレン兄様の泣き顔を初めて見た。



「俺を、糾弾しに来たのか?」

彼は真っ直ぐ私を見つめて、そんなことを言う。

糾弾、か。

確かに…グレン兄様をぶっ飛ばしにと言う点ではそう言えなくもないのかもしれない。


「はい、そうです」

あっさりと肯定する私にグレン兄様が小さく目を見張った。



「それでも、俺は…」


彼は眉を下げて、唇をへの字に歪める。

まるで今にも泣き出しそうな子どもを見ているようだった。

当の本人はもう既に嗚咽こそ漏らしていないが、しっかりと頬を濡らしてしまっているのだけど。



「俺は、カティに会えて……嬉しい」


「っ…!?」


グレン兄様がこんなにも素直に自分の想いを口にしたことがかつてあっただろうか。



「俺のことは許さなくていい、自分がやったことがどれほど酷い行いだったかは理解しているつもりだ。だけど、俺はやっぱりカティの傍にいたい…俺のことを嫌いでもいいから…お願いだ、ずっと俺の傍にいてほしい。カティの望みなら、どんなことをしても絶対に俺が叶えてやるから…っ、俺と、生きてくれないか…?」


堰を切ったように言葉を紡ぎ続ける彼を、私はじっと見つめていた。



「憎み続けてくれて構わない。俺に復讐したいのなら、それでもいい。どんなことだって甘んじて受け入れる…」


彼の言葉は聞くに耐えないもので、自分の眉間に深い皺が寄ってしまうのがわかった。

グレン兄様は何も変わっていない。



「そんなの、自分勝手すぎます」

「…カティ」


切なげに私を見つめるグレン兄様は、まるで子犬のような弱々しい瞳をしていた。

ついつい言いたい言葉を飲み込んでしまいそうになる気持ちをぐっと堪えて口を開く。


「許すも何も、あなたはまだ謝罪の一言すら述べていないじゃありませんか!」

「…俺には謝る資格なんて」

「謝る資格は無いのに、そばにいる資格はおありだと考えていらっしゃるんですか!」


私が思うに彼は少し自分に酔っている部分があるのではないか。


「っ、」

「悪いことをしたら、まずはごめんなさい!幼子でもわかることです!」


ぷんぷんと怒りながらそう言う私に、グレン兄様は呆気に取られて固まった後、小さく口を開いた。


「………ごめんなさい」

「はい、よくできました。グレン兄様がきちんと謝れる方のようで安心しました。だけど、正直グレン兄様にされた事をそう簡単に許せるほど、私はできた人間ではありませんの」


「ああ、わかってる」

「そうですか!それは良かったです!」

グレン兄様の返事に、私はパアッと顔を綻ばせ口を開く。

いきなり雰囲気を一変させた私に、彼はキョトンと目を丸めて私を見つめた。



「グレン兄様の謝罪を受け入れるために、一発私にぶっ飛ばされてくださいませ」

私の言葉が余程意外だったのか、彼はこれでもかというほど目を見開いて唖然としていた。

隣にいる殿下がぷっと吹き出す音が聞こえる。


しばらく間を置いて、グレン兄様は返事を返した。


「一発と言わず、気の済むまで殴ってくれてかまわない」

なんとも男前なお返事だった。



「では、覚悟なさってくださいね」


私が凛とした声でそう告げると、グレン兄様は静かに目を閉じ、無抵抗を示す。


彼から見えていないのを良い事に、じっと兄様の顔を観察してみた。

今までこんなに凝視したことなんてあっただろうか。


…憎たらしいくらい整ったお顔だ。



ふさふさの睫毛にスっと通った鼻、薔薇のように紅い唇がなんとも扇情的である。


頬なんて吹き出物のひとつも無くすべすべで…なんともぶっ飛ばし甲斐のありそうな…



ごくりと息を飲んで、私は拳を振りかざした。



そわそわとした気配を感じ視線を横にやると、殿下がやけに瞳を輝かせているのが見える。

そんなに私がグレン兄様を殴る様に関心があるのか。



お望み通り見せてあげますわ、殿下。



ゴスっ


そんな鈍い音が響いた。


ことのほか、自分の手は…痛くない。



それなのに、



「っ、グレン兄様ぁぁあ!?」



どうして貴方はそんなにぶっ飛んでしまっているのですか?



広い応接間、グレン兄様は部屋の中央から十メートル程の背後の壁まで届き、大きく体を打ち付けた後、ズルズルと壁づたいに地面に落下した。



「か、カティア嬢…ええと、見た目に反して君は随分と、あの、なんだ……怪力なのだな?」


「じ、自分でもびっくりです。今まで誰かに暴力を振るったことなんてございませんでしたから、自分の力量を見誤っていたようですわ」


それにしても、一介の令嬢に過ぎない私がこんな力を隠し持っていたとは…

それとも、グレン兄様への溜まりに溜まった鬱憤が今解放されてしまったということなのだろうか。



「グレンは、生きてるのか…?」


ぽつりと呟かれた殿下の言葉にハッとする。



私はもしかしたら大きな罪を犯してしまったのではないか…!

この歳で殺人罪に問われるなんて嫌です!


いや、この歳じゃなくてもいつだってそんな汚名を被るわけにはいかない。



「お怪我はありませんか!グレン兄様」


私は倒れ込む彼に駆け寄り、そんな白々しい言葉をかけた。



「っ、うぐ」

微かな呻き声が聞こえ、少し安心する。


とりあえず息はあるみたいだ。




「お兄様!どこか痛いところは!?」

「…………体中がいたっ………あれ?……どこも、痛くはない、か?いや、頬は少しだけ、でも、思ったよりましだ」


あんなにぶっ飛ばされて壁にもぶち当たって落下したというのに、グレン兄様の怪我は予想外に軽かったようだ。

見た目にも少し頬が赤い程度。



「……グレンは頑丈だな」


そう言った殿下はどこか遠い目をしていた。



いやいやいや、そんな言葉でこの場を収めないでください!

どう考えても、私がグレン兄様をあれだけぶっ飛ばせたことも、ぶっ飛ばされた当の本人がこの程度で済んでしまったこともおかしいでしょう!



「……………積もる話もあるだろう、では私はこれで」

「殿下!」


殿下は私が見せたとんでもない力に完全にひいてしまっているようだった。

これまでに例を見ない程避けられている気がする。



いくら私が望んだことであっても、この訳の分からない状態でグレン兄様と二人きりにされても気まずい以外の何物でもない。



動揺してパニックになってしまいそうな私だったが、抱えていた疑問はすぐに解決された。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】少年の懺悔、少女の願い

干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。 そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい―― なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。 後悔しても、もう遅いのだ。 ※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。 ※長編のスピンオフですが、単体で読めます。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。 初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。 ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。 それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。

敗戦して嫁ぎましたが、存在を忘れ去られてしまったので自給自足で頑張ります!

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 魔族 vs 人間。 冷戦を経ながらくすぶり続けた長い戦いは、人間側の敗戦に近い状況で、ついに終止符が打たれた。 名ばかりの王族リュシェラは、和平の証として、魔王イヴァシグスに第7王妃として嫁ぐ事になる。だけど、嫁いだ夫には魔人の妻との間に、すでに皇子も皇女も何人も居るのだ。 人間のリュシェラが、ここで王妃として求められる事は何もない。和平とは名ばかりの、敗戦国の隷妃として、リュシェラはただ静かに命が潰えていくのを待つばかり……なんて、殊勝な性格でもなく、与えられた宮でのんびり自給自足の生活を楽しんでいく。 そんなリュシェラには、実は誰にも言えない秘密があった。 ※※※※※※※※※※※※※ 短編は難しいな…と痛感したので、慣れた文字数、文体で書いてみました。 お付き合い頂けたら嬉しいです!

処理中です...