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「2」つの自分

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「そうなの?それで?」
ケイタは母親の川田ユイに促されて、話を続ける。
広々としたリビングダイニングは柔らかな照明に包まれている。

「それでさ、シンジのやつ、自分が学年でも3本の指に入るくらい、
成績優秀なのに、自分で気づいてなかったんだ。」
今日の昼休みに起こったことをユイに語る。
ガツガツと食べながら話すケイタとは対照的に、
ユイはほとんど料理に手をつけず、ケイタの話に耳を傾け、相槌を打つ。

「その理由がさ。視力なんだよ。」
「視力?」
「そう。あいつ、目が悪い上に、度があってないメガネかけてるんだ。」
「そうなの?」
「うん。
で、テストの後に廊下に張り出される成績上位者のランキングがあるんだけど、
シンジはその順位表が見えてなかったんだって。」
「えー!それを誰も教えてくれなかったの?」
「うん。あいつ、友達いないっぽいから。」

ユイが作った温かいビーフシチューを口に運びながら、ケイタは話し続ける。
彼女の皿から料理が減らない様子を気にしながら。

「でも、今はケイタがいるから安心ね。」
ユイの言葉にケイタのスプーンが止まる。

「俺?」
目を丸くしたケイタにユイは優しく微笑んで言った。

「そう。だって最近ケイタ、晩御飯の時は、
そのシンジくんって子の話ばっかりだもの。
いいお友達なんでしょ?」

こくりと頷いたケイタにユイは続けた。

「ケイタはシンジくんに勉強を教えてもらった。
その逆で、ケイタがシンジくんに教えてあげられることもあるわよ。」

ケイタは思い返す。
シンジは、勉強はできるけれど、それ以外のことを全然知らない。
自分や同級生がはまっているアイドルやお笑い芸人のこと。
クラスの誰かと誰かが付き合っていて、誰かと誰かが別れたとか、
そう言った種類の、いわゆるゴシップ。
そして、これはまだ話題にしたことはないけど、
ケイタや他のクラスメイトが一番色めき立つ、
夜の営みのA to Z。

「確かに、アイツ、教科書に載ってること以外、何も知らない。」
そう言って、ケイタは皿に残ったビーフシチューを全部スプーンですくい上げ、
口に運んだ。

「母さんの分、食べていいわよ。」
そう言って、ユイは立ち上がって自分の皿をケイタの前に置き、キッチンへと向かった。
そして、汚れた鍋やまな板を洗い始める。

その後ろ姿を眺めながら、ケイタはユイの皿からビーフシチューを食べ始める。
ユイの身体は、腕も、ウエストも細く、
毎日その姿を見ているケイタでも、見慣れることがない。

「母さん、お昼はちゃんと食べたの?」
同級生の前では、母ちゃん、と呼ぶけれど、二人の時は母さん。
いつからだろうか。
家にいるときの自分と、学校にいるときの自分とが、
一つの身体から別れ出て、別々の方向に歩き始めたのは。
二つの「自分」の距離はどんどん離れていき、一つの身体に戻ることはもうないみたいだ。

「うん。食べたわよ。」
嘘だ、とケイタはすぐに思うが、口にしない。
背を向けたまま話す時は、嘘を付いている時。
本当のことを話す時は、ちゃんとこちらを振り返って話す。

でも、食べてくれていたらいいな、というケイタの淡い期待が
母の言葉に対する疑念を心の隅っこへと押しやる。

「シンジも少食。もっと食えって毎日言ってる。」
気絶したシンジを抱き上げたときに感じた、シンジの身体の軽さが蘇る。

ふふっとユイが笑う声がして、ケイタが視線を向けると、
ユイがケイタの方を振り返って言った。

「ケイタ、シンジくんのお兄ちゃんみたいね。」

今度は嘘じゃない。
ちゃんとこっちを見ている。
本気でそう思ってるんだ。

「シンジくんは、弟キャラね、きっと。」
そう言いながら、ユイはシンクの方へ向き直り、
泡のついた鍋を勢いよく水で流し始める。

「そうだなー。弟キャラだな。」
水の音でかき消されてユイの耳には届いていないかもしれないけれど、
ケイタはそう呟いて、部屋の隅にある小さな棚に目をやった。

二段になっているガラス戸付きの棚。
その上段に置かれた白い陶器。
そのツルッとした入れ物の中に眠る弟。
この世界で泣き声を上げる前にいなくなった弟。
実際に見たことはないけれど、時折夢に出てくる、小さく丸い手。

棚の下段にはぬいぐるみやミニカーがたくさん置かれている。
生まれる前に、色んな人がくれたオモチャ。
ケイタが気に入っていたピカチュウのぬいぐるみも。
その棚と弟が一緒にやってきた時、
ケイタがそっと置いてあげた。

「今度、」
水の音が止まり、母の声がして、ケイタは慌てて棚から目を話す。
なぜ、母の目を盗んで弟の方を見る必要があるのか分からないけれど、
ケイタはいつも、母が見ている時にはその棚の方を見ないようにしている。

「うちに連れてらっしゃいよ。」
濡れた手をタオルで拭いながら、母が言った。

「連れてくるって、シンジを?」
ケイタが首をかしげると、母は柔らかく微笑んで言った。

「そう。
ケイタに勉強を教えてくれたお礼もしたいし。
晩御飯にでもお誘いしましょう。」

何だか嬉しそうにそう言う母の顔を見て、
ケイタも自然と笑顔になり、大きく頷いた。
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