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「5」月の風
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「お父さん、いなくなったの?」
自転車の後ろでシンジが聞いた。
そうじゃない。
ケイタは思う。
シンジの親父さんのように、突然いなくなって、
そのまま行方知れずになったんじゃない。
それに比べたら甘っちょろいのかも知れない。
でも、家に父親がいない。
その共通点で十分じゃないか。
どんな慰みの言葉も、同情の言葉も、
シンジの前では薄っぺらいセリフになる気がする。
だったら…。
「いなくなった訳じゃない。
うちの父ちゃん、ショーシャマンなんだ。」
やや間があって、シンジの声が後ろからした。
「ショーシャマンって、あの?
しょ・う・しゃ・マン?」
発音が違うと言いたいらしい。
どこまでも真面目なやつ。
「そう。商社マン。」
発音にはとりあえず納得したのか、シンジは黙っている。
しばらく続いた上り坂が終わって、今度は下り坂。
サドルに座り直し、重力に自転車を任せて坂を下っていく。
「それでさ、今はアメリカで単身赴任中。
その前はフィリピンとか、ベネズエラとか。」
シンジがそれぞれの国について考えを巡らせるのを待つ。
耳元で風切り音が心地よくなっている。
この3週間弱、ずっと自転車の前と後ろで会話しているせいか、
シンジの顔を見なくても、なんとなく考えていることが分かるようになってきた。
「だから、1年に一回帰ってくればいいかなって感じ。
長い時は2年半、帰ってこないこともあった。」
こんな話をするのはシンジが初めてだ。
野球部の連中にこんな話をすると、しんみりして終わりそうで嫌なんだ。
上っ面だけの同情の言葉を掛けられるのはもっと嫌だし。
「電話とかで話さないの?」
こんなに言葉のキャッチボールをシンジと出来たのは
多分、初めてだ。
「話さない。
あの人、俺たちに興味ないんだよ。」
「俺たちって?」
「母ちゃんと俺。
それから、弟。」
またシンジが黙る。
多分、家族一人一人のイメージを膨らませている。
「弟がいるんだね。」
シンジが弟の姿を想像している。
輪郭をつけ、色を塗り、表情を付けて。
「いないよ。もう、いない。」
またシンジが黙る。
「生まれる前に、いなくなった。
リューザンってやつ。」
りゅ・う・ざ・ん
と訂正されるかと思ってわざと言ったのに、シンジは黙っている。
「弟が生まれてくる前に死んじゃったことも、
あの人はずっと知らなかった。
母ちゃんが教えなかったんだ。」
「なんで?」
シンジがぼーっとした声のトーンで聞いた。
「だって、弟が出来たって分かっても、
電話口で、そうか、の一言だけだったんだぞ。
それから、弟がお腹の中からいなくなるまで、
一度も母ちゃんの体調や弟の成長を聞いたことがないんだ。」
下り坂が終わり、大きなカーブを曲がるとシンジの住む団地がある、らしい。
ここに団地があるなんて知らなかった。
カーブの両側はどちらとも小山になっている。
木が何本か寂しく立っているだけで、山肌が丸見えだ。
「ものすごく久しぶりに家に帰ってきたとき、
やっと弟がいなくなったことに気づいた。
その時も、そうか、の一言だけ。」
カーブの真ん中あたりに差し掛かると、道の向かいに大きなカーブミラーが立っていた。
その前を通り過ぎる瞬間、自分たちがミラーに映ったのが見えた。
シンジは顔を上に向け、空を見上げているみたいだった。
頭をがくんと後ろに倒している。
表情は分からない。
「そんな父親だからさ、
いないようなもんだろ。」
カーブが終わったところで、左手に団地の入り口が唐突に現れた。
角が丸まった縦長の石に団地の名前が彫ってある。
ケイタはその前で自転車を停めて、中を見渡した。
入ってすぐに貯水槽やら、ゴミ捨て場があって、
奥の方に何棟かの住居がひっそりと立っている。
途中、街灯は点々と立っているけど、
いくつかは明かりがついていないし、
いくつかはチカチカと点滅している。
「今日はありがとう。」
自転車を降りたシンジがいつもの調子でボソッと言った。
さっきまでの話についてのコメントは一切言わない。
ケイタはそれが嬉しかった。
自分がシンジの両親について何も言わなかったように、
シンジも自分の家族については何も言わない。
二人にとって、家族の「あれこれ」に関しては
誰に何を言われても、全然意味をなさないんだ。
お互いの「あれこれ」を分け合っている。
それだけで十分。
慰め合う必要なんてない。
「今日はしっかり寝ろよ。
明日、再テスト前の最後の仕上げだからな。」
もうすぐ、シンジに勉強を教わる3週間が終わる。
「うん。」
それだけ言って、シンジは背中を向けてトボトボと歩き出した。
薄暗く埃っぽい地面の上にシンジの影が伸びている。
街灯が点滅するのに合わせて、浮かんだり、消えたりを繰り返す。
「シンジ!」
ケイタは大きな声で呼んだ。
シンジがゆっくりと振り返る。
ケイタは何も言わずに手を降った。
思いっきり腕を動かして、大きく振る。
少しの間固まっていたシンジだったが、
肩のあたりまで片手を上げて、ゆらゆらと手を振った。
そして、すぐに手を下ろして、また歩き出す。
ケイタも手を振るのをやめて腕を下ろす。
少しだけシンジの後ろ姿を見送って、自転車を漕ぎ出す。
今来た道を戻りながら、大きく深呼吸する。
普段、物事を深く考えない。
考えたって仕方ないことが、この世界にはあるから。
考えても、考えても、割り切れない割り算みたいに、
どうしたって綺麗な答えが見つからないことがある。
だから、考えない。
でも、シンジのことはずっと頭から離れない。
もう一度大きく深呼吸。
肺と頭の中に風を送り込む。
5月になったばかりの今日の風は少し湿っていて、
雨が多くなる季節が近づいていることをケイタに知らせていた。
自転車の後ろでシンジが聞いた。
そうじゃない。
ケイタは思う。
シンジの親父さんのように、突然いなくなって、
そのまま行方知れずになったんじゃない。
それに比べたら甘っちょろいのかも知れない。
でも、家に父親がいない。
その共通点で十分じゃないか。
どんな慰みの言葉も、同情の言葉も、
シンジの前では薄っぺらいセリフになる気がする。
だったら…。
「いなくなった訳じゃない。
うちの父ちゃん、ショーシャマンなんだ。」
やや間があって、シンジの声が後ろからした。
「ショーシャマンって、あの?
しょ・う・しゃ・マン?」
発音が違うと言いたいらしい。
どこまでも真面目なやつ。
「そう。商社マン。」
発音にはとりあえず納得したのか、シンジは黙っている。
しばらく続いた上り坂が終わって、今度は下り坂。
サドルに座り直し、重力に自転車を任せて坂を下っていく。
「それでさ、今はアメリカで単身赴任中。
その前はフィリピンとか、ベネズエラとか。」
シンジがそれぞれの国について考えを巡らせるのを待つ。
耳元で風切り音が心地よくなっている。
この3週間弱、ずっと自転車の前と後ろで会話しているせいか、
シンジの顔を見なくても、なんとなく考えていることが分かるようになってきた。
「だから、1年に一回帰ってくればいいかなって感じ。
長い時は2年半、帰ってこないこともあった。」
こんな話をするのはシンジが初めてだ。
野球部の連中にこんな話をすると、しんみりして終わりそうで嫌なんだ。
上っ面だけの同情の言葉を掛けられるのはもっと嫌だし。
「電話とかで話さないの?」
こんなに言葉のキャッチボールをシンジと出来たのは
多分、初めてだ。
「話さない。
あの人、俺たちに興味ないんだよ。」
「俺たちって?」
「母ちゃんと俺。
それから、弟。」
またシンジが黙る。
多分、家族一人一人のイメージを膨らませている。
「弟がいるんだね。」
シンジが弟の姿を想像している。
輪郭をつけ、色を塗り、表情を付けて。
「いないよ。もう、いない。」
またシンジが黙る。
「生まれる前に、いなくなった。
リューザンってやつ。」
りゅ・う・ざ・ん
と訂正されるかと思ってわざと言ったのに、シンジは黙っている。
「弟が生まれてくる前に死んじゃったことも、
あの人はずっと知らなかった。
母ちゃんが教えなかったんだ。」
「なんで?」
シンジがぼーっとした声のトーンで聞いた。
「だって、弟が出来たって分かっても、
電話口で、そうか、の一言だけだったんだぞ。
それから、弟がお腹の中からいなくなるまで、
一度も母ちゃんの体調や弟の成長を聞いたことがないんだ。」
下り坂が終わり、大きなカーブを曲がるとシンジの住む団地がある、らしい。
ここに団地があるなんて知らなかった。
カーブの両側はどちらとも小山になっている。
木が何本か寂しく立っているだけで、山肌が丸見えだ。
「ものすごく久しぶりに家に帰ってきたとき、
やっと弟がいなくなったことに気づいた。
その時も、そうか、の一言だけ。」
カーブの真ん中あたりに差し掛かると、道の向かいに大きなカーブミラーが立っていた。
その前を通り過ぎる瞬間、自分たちがミラーに映ったのが見えた。
シンジは顔を上に向け、空を見上げているみたいだった。
頭をがくんと後ろに倒している。
表情は分からない。
「そんな父親だからさ、
いないようなもんだろ。」
カーブが終わったところで、左手に団地の入り口が唐突に現れた。
角が丸まった縦長の石に団地の名前が彫ってある。
ケイタはその前で自転車を停めて、中を見渡した。
入ってすぐに貯水槽やら、ゴミ捨て場があって、
奥の方に何棟かの住居がひっそりと立っている。
途中、街灯は点々と立っているけど、
いくつかは明かりがついていないし、
いくつかはチカチカと点滅している。
「今日はありがとう。」
自転車を降りたシンジがいつもの調子でボソッと言った。
さっきまでの話についてのコメントは一切言わない。
ケイタはそれが嬉しかった。
自分がシンジの両親について何も言わなかったように、
シンジも自分の家族については何も言わない。
二人にとって、家族の「あれこれ」に関しては
誰に何を言われても、全然意味をなさないんだ。
お互いの「あれこれ」を分け合っている。
それだけで十分。
慰め合う必要なんてない。
「今日はしっかり寝ろよ。
明日、再テスト前の最後の仕上げだからな。」
もうすぐ、シンジに勉強を教わる3週間が終わる。
「うん。」
それだけ言って、シンジは背中を向けてトボトボと歩き出した。
薄暗く埃っぽい地面の上にシンジの影が伸びている。
街灯が点滅するのに合わせて、浮かんだり、消えたりを繰り返す。
「シンジ!」
ケイタは大きな声で呼んだ。
シンジがゆっくりと振り返る。
ケイタは何も言わずに手を降った。
思いっきり腕を動かして、大きく振る。
少しの間固まっていたシンジだったが、
肩のあたりまで片手を上げて、ゆらゆらと手を振った。
そして、すぐに手を下ろして、また歩き出す。
ケイタも手を振るのをやめて腕を下ろす。
少しだけシンジの後ろ姿を見送って、自転車を漕ぎ出す。
今来た道を戻りながら、大きく深呼吸する。
普段、物事を深く考えない。
考えたって仕方ないことが、この世界にはあるから。
考えても、考えても、割り切れない割り算みたいに、
どうしたって綺麗な答えが見つからないことがある。
だから、考えない。
でも、シンジのことはずっと頭から離れない。
もう一度大きく深呼吸。
肺と頭の中に風を送り込む。
5月になったばかりの今日の風は少し湿っていて、
雨が多くなる季節が近づいていることをケイタに知らせていた。
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