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第十八話 竹中半兵衛とコロッケ・後編
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◇
キッチン——
「さてと……」
エプロンの紐をぎゅっときつく締め、わたしはキッチンに並べられた材料に目を通した。
今回作るコロッケは、ほくほくとしたじゃがいもだけの美味しさを追及したオーソドックスなコロッケなのだよ。
「なので……今回はじゃがいもだけを使ったコロッケね」
——ごごごごごぎゅぅ~
「うっ……味を想像しただけでお腹が鳴ってしまった」
あいも変わらず正直な我がお腹だ。
ずっと鳴り続けて音が止まる気配がまったく無い。
「それじゃあ……お腹と秀吉さんと半兵衛さんを待たせないよう、コロッケを作るとしますか」
というわけで、早速下準備に取りかかるとしますか。
まずはじゃがいもの皮を剥いていく。
「今回は量が多いし、包丁じゃなくてピーラーで皮を剥いていくとしますか」
大量のじゃがいもの皮をひとつ残らず剥き終え、次はじゃがいもを四等分に切っていく。
これだけのじゃがいもを使うと、いったいどれだけのコロッケができるのか。
想像しただけでもヨダレが——
「うっと……!」
言ってるそばから、口からタラーリと溢れ出したヨダレを素早く袖で拭き取った。
「ええと……気を取り直してじゃがいもを切ろう」
切り終えたじゃがいもの入ったお鍋に入れて茹で上がりを待つのだよ。
待つこと数分。
沸々とお湯が沸騰してるお鍋の中のじゃがいもに竹串を刺してみる。
この竹串がスゥっと刺さればじゃがいもは茹で上がっているのだよ。
「——ん。茹で加減はいい感じね」
中まで火が通っているのを確認できたら、お鍋のじゃがいもをざるに移し、しっかりと水気を切っておく。
「それじゃあ……いよいよじゃがいもを潰す作業のようね」
手にしたスプーンでじゃがいもを潰していくのだけれど。
わたしはほろほろとした食感を味わいので、じゃがいもはほどよい大きさを残して潰すことにているのだよ。
数分かけじゃがいもを潰し追えたら——
「次はいよいよ揚げる準備ね」
まずは潰したコロッケを小判型にまとめる。
それに薄く小麦粉をつけ、溶き卵を絡めてパン粉を全体につける。
これをフライパンで170°までに熱した油の中へ入れていくのだけれど——
「ああ……このジュワジュワ音からカラカラ音に変わっていく美味しい音がたまらないのよねぇ」
油に揺蕩うコロッケが良い感じにきつね色になれば——
「完成とっ!」
揚げたてのいい匂いがキッチンに充満していくのが分かるのだよ。
この匂いは居間にいる秀吉さんの鼻まで届いたみたい。
「うおおっ!」って嬉しそうな声まで聞こえてくるんだから。
「さてと……このままだと秀吉さんから何か言われちゃいそうだし……残りのコロッケもちゃっちゃと作っちゃいますか」
◇
居間——
テーブル中央のお皿に盛られたコロッケの山から溢れ出す美味しい匂い。
「くぅぅ……見たことがないが、なんとも旨そうな料理にわしの腹を駆り立てておるわ。どれ——」
秀吉さんは鼻の穴を大きく広げて、すぅーっとコロッケの匂いを一気に鼻から吸い込んだ瞬間。
子供のように目を輝かせてニンマリと満面の笑顔を浮かべている。
「ですよねぇ。やっぱりコロッケは出来立てが一番美味しいですよ」
もちろん、わたしもこの匂いに耐えられそうもない。
コロッケ作ってる間からずぅっとお腹が鳴りっぱなしなのだよ。
お箸と受け皿を半兵衛さんと秀吉さん、わたしの前に並べる。
わたしは大盛りご飯を用意し、秀吉さんにはビールなのだけれど。
「……半兵衛さんは本当にコロッケだけでいいんです?」
「ああ、私には料理だけで十分だ」
言って微笑んでいる。
まあ半兵衛さんがそれでいいのなら問題はないけれど——
「でも、お酒とかご飯とか欲しくなったら遠慮なく言ってくださいね?」
「——ああ。それで構わない」
「ええと分かりました……まあ、とにかく冷めないうちにコロッケをいただきましょ」
「そうじゃな……じゃあ喰うとするかのっ」
そう言うと、秀吉さんはコロッケを手で掴み、誰に遠慮することなくおもいっきりかぶり付いた。
「むほほほっ! これじゃこれじゃあ! ここでなければ食えん熱々の美味なる料理っ! わしは幸せ者じゃあっ!」
「あーそんなに喜んでもらえると……なんだか照れちゃいますね。えへへ」
「お主、なにを照れる必要があるのじゃ? もっと自分の料理の出来に自信を持ってよいのじゃのぞ、倫! のう、半兵衛殿もそう思うじゃろ?」
わたしは半兵衛さんに目を向けた。
コロッケにかぶり付くのではなく、小さく切り分けて口に運んでいる。
一口食べることに目を閉じて、そのたびに味をじっくりと堪能するかのようにだ。
「——秀吉殿が言うとおり、たしかにこれは旨いな。信長様が得意そうにいつも話してくれるのが良く分かります」
「な、そうじゃろ、そうじゃろ! 半兵衛殿も倫の料理が気に入ったようじゃなっ」
「——ええ」
儚い微笑みを見せると、一口また一口と切り分けたコロッケをゆっくりゆっくりと味わうように食べ始めた。
半兵衛さんも気に入ってくれたようだし。
わたしも熱々コロッケを堪能させてもらうとしよう。
お皿に盛られたコロッケの山の頂上からコロッケを掴み、それをぐわっと頬張った瞬間——
「はぁあ~……美味しいっ」
ザクザクと揚げたパン粉の歯触りの後は、ほろほろとした食感のじゃがいもが口の中いっぱいに広がる。
鏡で見なくても今のわたしは絶対にうっとりとした表情をしてる。
だって、わたしの両頬が緩みっぱなしなのが分かるのだもの。
ザクザク、ザクザクとコロッケと炊き立てご飯を頬張って食べる。
なんとも贅沢で至福の時間なのだろうか、と思えてしまうのだよ。
ただでさえ美味しいコロッケにだよ。
直伝御角家特製ウスターソースをかけて食べれば——
「んふふ~じゃがいもの甘みとソースの旨味が相まって……最高に幸せっ」
じわ~んと口の中で広がる旨味に、思わず身震いしそうになる。
「倫、お主だけ狡いぞっ!? そのそーす、わしにも貸せいっ!」
「はいはい。慌てなくても貸しますよ」
秀吉さんが悔しそうな表情を見せながら、
わたしの手からソースを奪い取り、一気にドボドボとコロッケにかけ始めてるし。
ソースに半分ほど浸ったコロッケを、今度はお箸で掴むとひょいっと口の中へ放り込んだ。
「んほほほっ! なんじゃ、この味わいはっ!?」
目を大きく見開き頬を紅潮させ、なんとも言えない至福そうな表情をしている。
「すっごく美味しいでしょ。コロッケとソースの組み合わせは最強なんですからねっ」
まあ誰が考え出したのかは知らないけれど。
考え出してくれた人には感謝しかない。
この感動を半兵衛さんにも是非味わってもらわなきゃだよね。
視線をやると、半兵衛さんはようやく一個を食べ終わったみたい。
わたしは半兵衛さんの受け皿にコロッケを置き、それを食べやすいように切り分けていく。
受け皿のコロッケに、ほんの少しソースをかけると、そっと半兵衛さんの前に差し出した。
「ソースかけたコロッケも絶品ですからね」
「——倫殿の配慮、痛み入る」
ぺこりと軽く下げた頭を上げると、わたしにニコっと微笑みかけてくれた。
「ええと……気にしないでください。それよりも早く食べちゃってください」
「ああ、いただくとしよう」
言うと半兵衛さんは、切り分けたコロッケを口に入れたその瞬間——
「旨いっ」
驚くような大きな声を上げた。
「えへへ。でしょ?」
「なんとも形容し難い味わい。もはや旨い——と言う言葉でしか出てこないな」
目をキラキラと輝かせてうっとりした表情。
本当に美味しい料理を食べたら、誰だってこんな顔になちゃうよね。
ニッコニコ美味しそうな顔を浮かべながらコロッケを食べている半兵衛さんの姿を、秀吉さんはすごく嬉しそうにして見ている。
「……秀吉さん。どうしたんです?」
「いやな。半兵衛殿が元気そうな姿を見れたからな。それがわしは嬉しいんじゃよ」
あれ——?
嬉しそうに微笑んでるはずの秀吉さんの目がかすかに潤んでいる。
「ええと……秀吉さん泣いてるんですか?」
「……び、びーるがな。おおそうじゃ。このびーるとコロッケの相性があまりにも良くて、感動しておるだけじゃ! け、決して嬉し泣きしておるわけではないぞ!」
そう言うとジョッキを掲げて、ビールをぐびっとぐびっと勢いよく飲んでいるし。
というか……秀吉さん、さらっと嬉し泣きとか認めてるじゃない。
まあ、久しぶりに旧友の元気な姿を見れたから嬉しい気持ちは、わたしにもわかるよ。
◇
ご飯の幸せ時間が終わってしばらくして——
「——その後の治世はどうですか、秀吉殿?」
「ん? おお、まあなんとか日の本を平定できておる。それもこれも半兵衛や黒田官兵衛の助力があってのことじゃ」
「……ふ、謙遜を。平定できているのは秀吉殿の人望があってこそ」
「ふはは。半兵衛殿に褒められると、背中がこそばゆいのう」
秀吉さんと半兵衛さんは楽しそうに語り合っている。
わたしはその二人の会話を、食後のデザートである大福を食べながら聞いているのだよ。
秀吉さんと半兵衛さんの会話って、興味を唆られるし。
「今日は播磨三木城の包囲の後の話を、秀吉殿から直接お聞きしたいのですが……構いませぬか?」
「そうじゃな……半兵衛殿にはそこからの話をじっくりさせてもらうつもりじゃ」
秀吉さんは、そう言うと三木城包囲のことから話し始めた。
「ほう。それは興味深いですな」
「ほうじゃろ? でじゃな——」
三木城の次に話出したのは備中高松城の城攻めの話である。
秀吉さんは大袈裟に身振り手振りをしては、感情を込めて語ってくれていた。
あまりにも話が上手なものだから、わたしも大福を食べる手を止めてついつい聞き入ってしまっていたのだよ。
秀吉さんの語り口調がすごいのか。
臨場感溢れて、わたしまでその場にいるかのような感覚に陥ってしまっていた。
備中高松城の急転直下の出来事に始まり——
「でじゃ。そこからわしはこう考えることにしたのじゃ——」
戦国史の中で伝説とも言われている中国大返しや、天王山の合戦。
そのあともいろいろと秀吉さんに関わる戦国史上重要な話も聞けたのだけれど。
そんな楽しい話もいよいよ終盤に差し掛かっていた。
「——そうですか。信長様も明智殿、柴田殿も……皆、いなくなってしまったのですね」
半兵衛さんは少し寂しそうにぽつりと呟いた。
「じゃがな、半兵衛殿。それがあったからこその天下泰平じゃと、わしは思うておる。乱世に散った人達の想いを背負い、わしは天下泰平に勤めねばならぬと肝に銘じておるのじゃ」
「それは良い心がけでござりまするが……しかし秀吉殿」
「ん、どうされたのじゃ、半兵衛殿。急に神妙な顔をして……?」
「秀吉殿のことですから分かっておいでとはお思いますが……驕りなさいますなよ、秀吉殿」
「分かっておるよ、半兵衛殿。わしは権力に溺れるほど愚かではないこと——半兵衛殿もよぉく知っておるじゃろ?」
「——その言葉、お忘れなさらぬよう」
「分かっておる分かっておる。半兵衛殿が本当に心配されずとも、わしは十分理解しておるよ」
「そうですか……では秀吉殿の言葉を、私も信じております——」
そう呟いた瞬間、半兵衛さんの姿がスゥーっと消えていく。
「——あ、あれ? 半兵衛さん、消えちゃいましたけど……満足しちゃったのかな……?」
「ふ……お主の旨い飯に満足したのじゃろうな」
「そうですよね。いつもどおりの事ですよね」
ここに来る武将さんはいつも突然に消えちゃうしね。
半兵衛さんもきっとそうなんだろう——
「って、秀吉さん?」
秀吉さん、泣いてる。
さっきと違って誤魔化しが効かないくらいに、はっきりと大粒の涙を流していた。
「……ほんに熱く優しいお人じゃ、半兵衛殿は——」
懐かしい再開だから泣いているのだろうか。
信長さんのときは嬉し泣きしてたけれど。
でも今はそのときと違って、秀吉さんの顔は悲しそうにみえた。
◇
そんな出来事があってから数日後。
学校帰りに立ち寄ったファストフード店で、日和と智巳と話しているのだけれど——
「……酷いですわ。半兵衛様がおいでになっているなら私にも教えて欲しかったのに……」
「本当っスよ! あたしも半兵衛さんと会いたかったっスよ……!」
テーブルの反対側から前のめりになった二人から、ずぅーっと小言を言われ続けているわけなのだよ。
まあもちろんこうなる事は予想できてはいたのだけれど。
「スマホで撮ってないんスか? 動画とか」
「ごめんごめんっ。なんかさ、そんな雰囲気じゃなかったし……だからお詫びとして、ここの支払いはわたしが奢るから。ね?」
「うーっ。じゃあ今日はそれで勘弁しといてやるっスけど……」
「……次は必ず呼んでください。約束よ?」
智巳ドスンと勢いよく椅子に座ってくれたけど、まだ納得いってないような表情をしている。
日和は顔には出していないけど、内心は納得しいてないのは十分すぎるほど分かっているのだよ。
でもまあ、本当に録画できるような空気じゃなかったし……そんな無粋なこともしたくなかったんだよね。
「——それで、半兵衛様と秀吉様はどんな会話をされていたんですの? そこの話くらいは聞きたいですわ」
「そうっスよ。あたしも聞いてみたいっス。当事者同士の話を!」
「はいはい、分かってるって。それじゃあ——」
とまあ二人に半兵衛さんと秀吉さんが会話の内容を伝え始めたところで——
「……ちょっと待ってください? 本当に半兵衛様が播磨三木城包囲の後のことを聞きたいと仰ったのですの?」
日和が怪訝そうにしてわたしに聞いてきた。
「……ええと。そうだけど……なにか変なことあるの?」
「倫ちゃん。竹中半兵衛さんが早くに亡くなったこと——知ってるっスよね?」
智巳までものすごく怪訝そうな表情をしてる。
「え? ええと……たしか三十代くらいでだったけ? まあ、なんとなくは知ってわるけど……」
「……正確には三十六歳ですわ。そしてその息を引き取ったと云う場所が、播磨三木城包囲の陣中内なのよ」
「え……? 嘘でしょ!?」
日和の思わぬ言葉に、わたしは素っ頓狂な声を上げていた。
半兵衛さんは結核で身体が弱かったと言われている。
そんな半兵衛さんは最後まで武将として戦場に出ていたのだと、日和がそう教えてくれた。
「そっか……それで秀吉さんは——」
泣いていたんだ。
死んでまで自分のことを心配してくれた半兵衛さんに。
「……倫ちゃん、どうしたんスか? なんか泣いてないっスか?」
「あはは……ちょっと半兵衛さんと秀吉さんの熱い友情に、ね」
「へえ……それは楽しみですわね。じゃあ早速聞かせていただこうかしら?」
「っスね。倫ちゃんの奢りでコーヒーを飲みながらっスね」
「はいはい。それじゃあ——」
興味津々に目を輝かせている二人の親友に、わたしは語り始めるのであった。
キッチン——
「さてと……」
エプロンの紐をぎゅっときつく締め、わたしはキッチンに並べられた材料に目を通した。
今回作るコロッケは、ほくほくとしたじゃがいもだけの美味しさを追及したオーソドックスなコロッケなのだよ。
「なので……今回はじゃがいもだけを使ったコロッケね」
——ごごごごごぎゅぅ~
「うっ……味を想像しただけでお腹が鳴ってしまった」
あいも変わらず正直な我がお腹だ。
ずっと鳴り続けて音が止まる気配がまったく無い。
「それじゃあ……お腹と秀吉さんと半兵衛さんを待たせないよう、コロッケを作るとしますか」
というわけで、早速下準備に取りかかるとしますか。
まずはじゃがいもの皮を剥いていく。
「今回は量が多いし、包丁じゃなくてピーラーで皮を剥いていくとしますか」
大量のじゃがいもの皮をひとつ残らず剥き終え、次はじゃがいもを四等分に切っていく。
これだけのじゃがいもを使うと、いったいどれだけのコロッケができるのか。
想像しただけでもヨダレが——
「うっと……!」
言ってるそばから、口からタラーリと溢れ出したヨダレを素早く袖で拭き取った。
「ええと……気を取り直してじゃがいもを切ろう」
切り終えたじゃがいもの入ったお鍋に入れて茹で上がりを待つのだよ。
待つこと数分。
沸々とお湯が沸騰してるお鍋の中のじゃがいもに竹串を刺してみる。
この竹串がスゥっと刺さればじゃがいもは茹で上がっているのだよ。
「——ん。茹で加減はいい感じね」
中まで火が通っているのを確認できたら、お鍋のじゃがいもをざるに移し、しっかりと水気を切っておく。
「それじゃあ……いよいよじゃがいもを潰す作業のようね」
手にしたスプーンでじゃがいもを潰していくのだけれど。
わたしはほろほろとした食感を味わいので、じゃがいもはほどよい大きさを残して潰すことにているのだよ。
数分かけじゃがいもを潰し追えたら——
「次はいよいよ揚げる準備ね」
まずは潰したコロッケを小判型にまとめる。
それに薄く小麦粉をつけ、溶き卵を絡めてパン粉を全体につける。
これをフライパンで170°までに熱した油の中へ入れていくのだけれど——
「ああ……このジュワジュワ音からカラカラ音に変わっていく美味しい音がたまらないのよねぇ」
油に揺蕩うコロッケが良い感じにきつね色になれば——
「完成とっ!」
揚げたてのいい匂いがキッチンに充満していくのが分かるのだよ。
この匂いは居間にいる秀吉さんの鼻まで届いたみたい。
「うおおっ!」って嬉しそうな声まで聞こえてくるんだから。
「さてと……このままだと秀吉さんから何か言われちゃいそうだし……残りのコロッケもちゃっちゃと作っちゃいますか」
◇
居間——
テーブル中央のお皿に盛られたコロッケの山から溢れ出す美味しい匂い。
「くぅぅ……見たことがないが、なんとも旨そうな料理にわしの腹を駆り立てておるわ。どれ——」
秀吉さんは鼻の穴を大きく広げて、すぅーっとコロッケの匂いを一気に鼻から吸い込んだ瞬間。
子供のように目を輝かせてニンマリと満面の笑顔を浮かべている。
「ですよねぇ。やっぱりコロッケは出来立てが一番美味しいですよ」
もちろん、わたしもこの匂いに耐えられそうもない。
コロッケ作ってる間からずぅっとお腹が鳴りっぱなしなのだよ。
お箸と受け皿を半兵衛さんと秀吉さん、わたしの前に並べる。
わたしは大盛りご飯を用意し、秀吉さんにはビールなのだけれど。
「……半兵衛さんは本当にコロッケだけでいいんです?」
「ああ、私には料理だけで十分だ」
言って微笑んでいる。
まあ半兵衛さんがそれでいいのなら問題はないけれど——
「でも、お酒とかご飯とか欲しくなったら遠慮なく言ってくださいね?」
「——ああ。それで構わない」
「ええと分かりました……まあ、とにかく冷めないうちにコロッケをいただきましょ」
「そうじゃな……じゃあ喰うとするかのっ」
そう言うと、秀吉さんはコロッケを手で掴み、誰に遠慮することなくおもいっきりかぶり付いた。
「むほほほっ! これじゃこれじゃあ! ここでなければ食えん熱々の美味なる料理っ! わしは幸せ者じゃあっ!」
「あーそんなに喜んでもらえると……なんだか照れちゃいますね。えへへ」
「お主、なにを照れる必要があるのじゃ? もっと自分の料理の出来に自信を持ってよいのじゃのぞ、倫! のう、半兵衛殿もそう思うじゃろ?」
わたしは半兵衛さんに目を向けた。
コロッケにかぶり付くのではなく、小さく切り分けて口に運んでいる。
一口食べることに目を閉じて、そのたびに味をじっくりと堪能するかのようにだ。
「——秀吉殿が言うとおり、たしかにこれは旨いな。信長様が得意そうにいつも話してくれるのが良く分かります」
「な、そうじゃろ、そうじゃろ! 半兵衛殿も倫の料理が気に入ったようじゃなっ」
「——ええ」
儚い微笑みを見せると、一口また一口と切り分けたコロッケをゆっくりゆっくりと味わうように食べ始めた。
半兵衛さんも気に入ってくれたようだし。
わたしも熱々コロッケを堪能させてもらうとしよう。
お皿に盛られたコロッケの山の頂上からコロッケを掴み、それをぐわっと頬張った瞬間——
「はぁあ~……美味しいっ」
ザクザクと揚げたパン粉の歯触りの後は、ほろほろとした食感のじゃがいもが口の中いっぱいに広がる。
鏡で見なくても今のわたしは絶対にうっとりとした表情をしてる。
だって、わたしの両頬が緩みっぱなしなのが分かるのだもの。
ザクザク、ザクザクとコロッケと炊き立てご飯を頬張って食べる。
なんとも贅沢で至福の時間なのだろうか、と思えてしまうのだよ。
ただでさえ美味しいコロッケにだよ。
直伝御角家特製ウスターソースをかけて食べれば——
「んふふ~じゃがいもの甘みとソースの旨味が相まって……最高に幸せっ」
じわ~んと口の中で広がる旨味に、思わず身震いしそうになる。
「倫、お主だけ狡いぞっ!? そのそーす、わしにも貸せいっ!」
「はいはい。慌てなくても貸しますよ」
秀吉さんが悔しそうな表情を見せながら、
わたしの手からソースを奪い取り、一気にドボドボとコロッケにかけ始めてるし。
ソースに半分ほど浸ったコロッケを、今度はお箸で掴むとひょいっと口の中へ放り込んだ。
「んほほほっ! なんじゃ、この味わいはっ!?」
目を大きく見開き頬を紅潮させ、なんとも言えない至福そうな表情をしている。
「すっごく美味しいでしょ。コロッケとソースの組み合わせは最強なんですからねっ」
まあ誰が考え出したのかは知らないけれど。
考え出してくれた人には感謝しかない。
この感動を半兵衛さんにも是非味わってもらわなきゃだよね。
視線をやると、半兵衛さんはようやく一個を食べ終わったみたい。
わたしは半兵衛さんの受け皿にコロッケを置き、それを食べやすいように切り分けていく。
受け皿のコロッケに、ほんの少しソースをかけると、そっと半兵衛さんの前に差し出した。
「ソースかけたコロッケも絶品ですからね」
「——倫殿の配慮、痛み入る」
ぺこりと軽く下げた頭を上げると、わたしにニコっと微笑みかけてくれた。
「ええと……気にしないでください。それよりも早く食べちゃってください」
「ああ、いただくとしよう」
言うと半兵衛さんは、切り分けたコロッケを口に入れたその瞬間——
「旨いっ」
驚くような大きな声を上げた。
「えへへ。でしょ?」
「なんとも形容し難い味わい。もはや旨い——と言う言葉でしか出てこないな」
目をキラキラと輝かせてうっとりした表情。
本当に美味しい料理を食べたら、誰だってこんな顔になちゃうよね。
ニッコニコ美味しそうな顔を浮かべながらコロッケを食べている半兵衛さんの姿を、秀吉さんはすごく嬉しそうにして見ている。
「……秀吉さん。どうしたんです?」
「いやな。半兵衛殿が元気そうな姿を見れたからな。それがわしは嬉しいんじゃよ」
あれ——?
嬉しそうに微笑んでるはずの秀吉さんの目がかすかに潤んでいる。
「ええと……秀吉さん泣いてるんですか?」
「……び、びーるがな。おおそうじゃ。このびーるとコロッケの相性があまりにも良くて、感動しておるだけじゃ! け、決して嬉し泣きしておるわけではないぞ!」
そう言うとジョッキを掲げて、ビールをぐびっとぐびっと勢いよく飲んでいるし。
というか……秀吉さん、さらっと嬉し泣きとか認めてるじゃない。
まあ、久しぶりに旧友の元気な姿を見れたから嬉しい気持ちは、わたしにもわかるよ。
◇
ご飯の幸せ時間が終わってしばらくして——
「——その後の治世はどうですか、秀吉殿?」
「ん? おお、まあなんとか日の本を平定できておる。それもこれも半兵衛や黒田官兵衛の助力があってのことじゃ」
「……ふ、謙遜を。平定できているのは秀吉殿の人望があってこそ」
「ふはは。半兵衛殿に褒められると、背中がこそばゆいのう」
秀吉さんと半兵衛さんは楽しそうに語り合っている。
わたしはその二人の会話を、食後のデザートである大福を食べながら聞いているのだよ。
秀吉さんと半兵衛さんの会話って、興味を唆られるし。
「今日は播磨三木城の包囲の後の話を、秀吉殿から直接お聞きしたいのですが……構いませぬか?」
「そうじゃな……半兵衛殿にはそこからの話をじっくりさせてもらうつもりじゃ」
秀吉さんは、そう言うと三木城包囲のことから話し始めた。
「ほう。それは興味深いですな」
「ほうじゃろ? でじゃな——」
三木城の次に話出したのは備中高松城の城攻めの話である。
秀吉さんは大袈裟に身振り手振りをしては、感情を込めて語ってくれていた。
あまりにも話が上手なものだから、わたしも大福を食べる手を止めてついつい聞き入ってしまっていたのだよ。
秀吉さんの語り口調がすごいのか。
臨場感溢れて、わたしまでその場にいるかのような感覚に陥ってしまっていた。
備中高松城の急転直下の出来事に始まり——
「でじゃ。そこからわしはこう考えることにしたのじゃ——」
戦国史の中で伝説とも言われている中国大返しや、天王山の合戦。
そのあともいろいろと秀吉さんに関わる戦国史上重要な話も聞けたのだけれど。
そんな楽しい話もいよいよ終盤に差し掛かっていた。
「——そうですか。信長様も明智殿、柴田殿も……皆、いなくなってしまったのですね」
半兵衛さんは少し寂しそうにぽつりと呟いた。
「じゃがな、半兵衛殿。それがあったからこその天下泰平じゃと、わしは思うておる。乱世に散った人達の想いを背負い、わしは天下泰平に勤めねばならぬと肝に銘じておるのじゃ」
「それは良い心がけでござりまするが……しかし秀吉殿」
「ん、どうされたのじゃ、半兵衛殿。急に神妙な顔をして……?」
「秀吉殿のことですから分かっておいでとはお思いますが……驕りなさいますなよ、秀吉殿」
「分かっておるよ、半兵衛殿。わしは権力に溺れるほど愚かではないこと——半兵衛殿もよぉく知っておるじゃろ?」
「——その言葉、お忘れなさらぬよう」
「分かっておる分かっておる。半兵衛殿が本当に心配されずとも、わしは十分理解しておるよ」
「そうですか……では秀吉殿の言葉を、私も信じております——」
そう呟いた瞬間、半兵衛さんの姿がスゥーっと消えていく。
「——あ、あれ? 半兵衛さん、消えちゃいましたけど……満足しちゃったのかな……?」
「ふ……お主の旨い飯に満足したのじゃろうな」
「そうですよね。いつもどおりの事ですよね」
ここに来る武将さんはいつも突然に消えちゃうしね。
半兵衛さんもきっとそうなんだろう——
「って、秀吉さん?」
秀吉さん、泣いてる。
さっきと違って誤魔化しが効かないくらいに、はっきりと大粒の涙を流していた。
「……ほんに熱く優しいお人じゃ、半兵衛殿は——」
懐かしい再開だから泣いているのだろうか。
信長さんのときは嬉し泣きしてたけれど。
でも今はそのときと違って、秀吉さんの顔は悲しそうにみえた。
◇
そんな出来事があってから数日後。
学校帰りに立ち寄ったファストフード店で、日和と智巳と話しているのだけれど——
「……酷いですわ。半兵衛様がおいでになっているなら私にも教えて欲しかったのに……」
「本当っスよ! あたしも半兵衛さんと会いたかったっスよ……!」
テーブルの反対側から前のめりになった二人から、ずぅーっと小言を言われ続けているわけなのだよ。
まあもちろんこうなる事は予想できてはいたのだけれど。
「スマホで撮ってないんスか? 動画とか」
「ごめんごめんっ。なんかさ、そんな雰囲気じゃなかったし……だからお詫びとして、ここの支払いはわたしが奢るから。ね?」
「うーっ。じゃあ今日はそれで勘弁しといてやるっスけど……」
「……次は必ず呼んでください。約束よ?」
智巳ドスンと勢いよく椅子に座ってくれたけど、まだ納得いってないような表情をしている。
日和は顔には出していないけど、内心は納得しいてないのは十分すぎるほど分かっているのだよ。
でもまあ、本当に録画できるような空気じゃなかったし……そんな無粋なこともしたくなかったんだよね。
「——それで、半兵衛様と秀吉様はどんな会話をされていたんですの? そこの話くらいは聞きたいですわ」
「そうっスよ。あたしも聞いてみたいっス。当事者同士の話を!」
「はいはい、分かってるって。それじゃあ——」
とまあ二人に半兵衛さんと秀吉さんが会話の内容を伝え始めたところで——
「……ちょっと待ってください? 本当に半兵衛様が播磨三木城包囲の後のことを聞きたいと仰ったのですの?」
日和が怪訝そうにしてわたしに聞いてきた。
「……ええと。そうだけど……なにか変なことあるの?」
「倫ちゃん。竹中半兵衛さんが早くに亡くなったこと——知ってるっスよね?」
智巳までものすごく怪訝そうな表情をしてる。
「え? ええと……たしか三十代くらいでだったけ? まあ、なんとなくは知ってわるけど……」
「……正確には三十六歳ですわ。そしてその息を引き取ったと云う場所が、播磨三木城包囲の陣中内なのよ」
「え……? 嘘でしょ!?」
日和の思わぬ言葉に、わたしは素っ頓狂な声を上げていた。
半兵衛さんは結核で身体が弱かったと言われている。
そんな半兵衛さんは最後まで武将として戦場に出ていたのだと、日和がそう教えてくれた。
「そっか……それで秀吉さんは——」
泣いていたんだ。
死んでまで自分のことを心配してくれた半兵衛さんに。
「……倫ちゃん、どうしたんスか? なんか泣いてないっスか?」
「あはは……ちょっと半兵衛さんと秀吉さんの熱い友情に、ね」
「へえ……それは楽しみですわね。じゃあ早速聞かせていただこうかしら?」
「っスね。倫ちゃんの奢りでコーヒーを飲みながらっスね」
「はいはい。それじゃあ——」
興味津々に目を輝かせている二人の親友に、わたしは語り始めるのであった。
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一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
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