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03.イン・ポスター
海の王子とクローゼットのなか
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「駄目だって。貴方には親が決めた婚約者がいるでしょ?」
やがて水野さんがさばさばとした口調で言うと、彼女は悲痛な表情になった。
「嫌! 私は、あの子しか愛せません。親からって言うならお父様が、『友人だ』って……まさか嘘を? くまだって親が紹介したのに……! 全部嘘だったって言うんですか?」
――――その場がやはりシーン、と静まり返る。
誰か一言くらい言えば良いのに。
他人事のように狡い事を思う。
ぼくの幼馴染もナイフの親友が居た。
いつも、一人何かを切り刻んでいた。
ぼく自身もまつりが居ない間記憶と自我が不安定な状態でも頼れるのが物だけだったので、そういった物が好きになってしまう気持ちもよくわかる。
だから普通に応援すればいい。
特に静まり返る場面には思えなかったので、首を傾げる。
かといって唐突に侵入者が目立ってボロが出るのもよくない。
「どうして、対物性愛の話をすると、みんな静かになるのですか?」
場が、シーンと静まり返る。
静かに、永遠に続くかのような不気味な沈黙が訪れる。
そこまで、黙る程の事なのか。
――――何分か過ぎた後、小池さんがヘラヘラと笑った。
「海の王子だって、ゲームにしかいないけど、うんうん、いいと思うよ! うんうん。こういう学園って、ただでさえ出会ないし」
小池さんは、やはり不満そうに机を睨んでいる。
「ネットで対物性愛って呟いても反応無いですけどね~」
シーン。と場が静まり返る。
――そういえば海の王子って何?
――人気の乙女ゲームの攻略対象の一人だね。
麦を育てて麦茶を作っている主人公の店に、やってきて麦の髪飾りを渡したとかなんとか。
――あの麦、もしかして
ほぼ口の動きで会話するぼくたちのすぐ後ろでは、くま子さんが端末を手にしてくまさんの写真を撮影し始めている。
……それにしても、此処の皆、生徒会業務は済んだのだろうか。
等、言えるはずも無く――――小室さんを見つめる。
真剣な眼差し。
椅子に置かれたくまさん。
案外大きくて、程よい抱き枕になりそうなサイズだ。
小室さんは至って真面目にレンズの向こうを覗きながら呟く。
「こうなったら、人型じゃない音声合成ロイド、縫目音クマを作るです~」
あれはガワ用らしい。
存在していても、存在が必要なケースもあるわけか。
なるほどな、と眺めていると彼女と目が合った。
「あ。そういえば、ごめんなさい、くま子、まつり様たちのこと、早とちりしちゃって」
すると、まるで何かあったかのように暫く考えたままで居たまつりが、そちらを向き、思い出したように微笑んだ。
「いいえ、ありがとう。助かったわ」
まつりはその微笑みのままでそう言った。
そのキャラで行くのか。
彼女は不思議そうにきょとんとしたが、すぐに撮影に戻った。
「しかし幸せですよねぇ。好きな物が好きで居られるというのは」
幸せそうに、くまさんを眺めながら彼女は笑う。
ふわふわの栗毛。大きくて円らな瞳。
手入れの行き届いた、けれど少し解れた縫い目から、とても大事に愛されているのだろうとわかる。
くまさんも、微笑んでいる気がした。
「くまさん、好きなんだね」
遠くの方で、まつりが複数の女子に話しかけられているのを眺めつつ、ぼくは聞いてみる。
彼女は嬉しそうに頷いた。
「はい。5歳の誕生日のときから……それから毎日一緒です。お父様達が仕事で遅くなっても、くまさんはずっと一緒でした。
『何も無かった私』が、こうやって楽しく学校に通えてるのも。自分以外の大切な人が居て、そう、学校の話とか、したりして――――」
「そっか。なんか、羨ましいな」
なんとなく口を突いて出た言葉。
存在証明を世界に拒んでしまわれているぼくには、あまりに尊い話だった。
「好きな物、無いのですか?」
彼女は不思議そうに目を丸くする。
三日月さんも同じような事を言っていた。
自分の事がわからない、と。
ぼくは、黙ってしまった。
さっきは言えた筈なのに、咄嗟に言葉が出てこない。
自分にだけあるなんてものが、本当にあるのか。
そもそも自分って何で、自分の感性って自分のものなのか。
好きなものって、自分を基準に自分が選ぶものであって――――
「クローゼット」
彼女は言う。
「自分の心の『クローゼット』の中に大切にしまっているものが、人を成長させてくれるそうです。この前、本で読んだんです」
クローゼットは誰にでもあるのだと、彼女は繰り返した。
ぼくを気遣ってくれているのだろうか。
だけど、それはそれで、ぼくにはやはり答えられるような語彙を持ち合わせて居なかった。
「きっと、なんだって、自分が大好きなものならいいのですよ。
そこにはただ、自分が居て、自分の心があって。右も左も無いですからね」
彼女はそれを愛おしそうに眺めながら呟く。
愛おしそうに。
「……そうだね」
曖昧で、漠然とした相槌しか出てこなかった。
何かを好きでいられることはそれだけで特別で、誰にでも許されるものじゃないのだと、そんな事は、ずっと前から知っている。
だけど、例えば、好みも生活も余すところなくモニタリングされ世界に共有される情報でしかないとしたら……
そもそもクローゼットなんて、何処にあるんだろう?
いつまでも真ん中だけが空いたまま――――空っぽなのか。
「いつかきっと見つかりますよ」
黙っていると、彼女は笑う。
「好きな物が見つかる人は、きっとすごく、幸せで、恵まれているんだと思う。私はすっごく、幸せなんです」
やがて水野さんがさばさばとした口調で言うと、彼女は悲痛な表情になった。
「嫌! 私は、あの子しか愛せません。親からって言うならお父様が、『友人だ』って……まさか嘘を? くまだって親が紹介したのに……! 全部嘘だったって言うんですか?」
――――その場がやはりシーン、と静まり返る。
誰か一言くらい言えば良いのに。
他人事のように狡い事を思う。
ぼくの幼馴染もナイフの親友が居た。
いつも、一人何かを切り刻んでいた。
ぼく自身もまつりが居ない間記憶と自我が不安定な状態でも頼れるのが物だけだったので、そういった物が好きになってしまう気持ちもよくわかる。
だから普通に応援すればいい。
特に静まり返る場面には思えなかったので、首を傾げる。
かといって唐突に侵入者が目立ってボロが出るのもよくない。
「どうして、対物性愛の話をすると、みんな静かになるのですか?」
場が、シーンと静まり返る。
静かに、永遠に続くかのような不気味な沈黙が訪れる。
そこまで、黙る程の事なのか。
――――何分か過ぎた後、小池さんがヘラヘラと笑った。
「海の王子だって、ゲームにしかいないけど、うんうん、いいと思うよ! うんうん。こういう学園って、ただでさえ出会ないし」
小池さんは、やはり不満そうに机を睨んでいる。
「ネットで対物性愛って呟いても反応無いですけどね~」
シーン。と場が静まり返る。
――そういえば海の王子って何?
――人気の乙女ゲームの攻略対象の一人だね。
麦を育てて麦茶を作っている主人公の店に、やってきて麦の髪飾りを渡したとかなんとか。
――あの麦、もしかして
ほぼ口の動きで会話するぼくたちのすぐ後ろでは、くま子さんが端末を手にしてくまさんの写真を撮影し始めている。
……それにしても、此処の皆、生徒会業務は済んだのだろうか。
等、言えるはずも無く――――小室さんを見つめる。
真剣な眼差し。
椅子に置かれたくまさん。
案外大きくて、程よい抱き枕になりそうなサイズだ。
小室さんは至って真面目にレンズの向こうを覗きながら呟く。
「こうなったら、人型じゃない音声合成ロイド、縫目音クマを作るです~」
あれはガワ用らしい。
存在していても、存在が必要なケースもあるわけか。
なるほどな、と眺めていると彼女と目が合った。
「あ。そういえば、ごめんなさい、くま子、まつり様たちのこと、早とちりしちゃって」
すると、まるで何かあったかのように暫く考えたままで居たまつりが、そちらを向き、思い出したように微笑んだ。
「いいえ、ありがとう。助かったわ」
まつりはその微笑みのままでそう言った。
そのキャラで行くのか。
彼女は不思議そうにきょとんとしたが、すぐに撮影に戻った。
「しかし幸せですよねぇ。好きな物が好きで居られるというのは」
幸せそうに、くまさんを眺めながら彼女は笑う。
ふわふわの栗毛。大きくて円らな瞳。
手入れの行き届いた、けれど少し解れた縫い目から、とても大事に愛されているのだろうとわかる。
くまさんも、微笑んでいる気がした。
「くまさん、好きなんだね」
遠くの方で、まつりが複数の女子に話しかけられているのを眺めつつ、ぼくは聞いてみる。
彼女は嬉しそうに頷いた。
「はい。5歳の誕生日のときから……それから毎日一緒です。お父様達が仕事で遅くなっても、くまさんはずっと一緒でした。
『何も無かった私』が、こうやって楽しく学校に通えてるのも。自分以外の大切な人が居て、そう、学校の話とか、したりして――――」
「そっか。なんか、羨ましいな」
なんとなく口を突いて出た言葉。
存在証明を世界に拒んでしまわれているぼくには、あまりに尊い話だった。
「好きな物、無いのですか?」
彼女は不思議そうに目を丸くする。
三日月さんも同じような事を言っていた。
自分の事がわからない、と。
ぼくは、黙ってしまった。
さっきは言えた筈なのに、咄嗟に言葉が出てこない。
自分にだけあるなんてものが、本当にあるのか。
そもそも自分って何で、自分の感性って自分のものなのか。
好きなものって、自分を基準に自分が選ぶものであって――――
「クローゼット」
彼女は言う。
「自分の心の『クローゼット』の中に大切にしまっているものが、人を成長させてくれるそうです。この前、本で読んだんです」
クローゼットは誰にでもあるのだと、彼女は繰り返した。
ぼくを気遣ってくれているのだろうか。
だけど、それはそれで、ぼくにはやはり答えられるような語彙を持ち合わせて居なかった。
「きっと、なんだって、自分が大好きなものならいいのですよ。
そこにはただ、自分が居て、自分の心があって。右も左も無いですからね」
彼女はそれを愛おしそうに眺めながら呟く。
愛おしそうに。
「……そうだね」
曖昧で、漠然とした相槌しか出てこなかった。
何かを好きでいられることはそれだけで特別で、誰にでも許されるものじゃないのだと、そんな事は、ずっと前から知っている。
だけど、例えば、好みも生活も余すところなくモニタリングされ世界に共有される情報でしかないとしたら……
そもそもクローゼットなんて、何処にあるんだろう?
いつまでも真ん中だけが空いたまま――――空っぽなのか。
「いつかきっと見つかりますよ」
黙っていると、彼女は笑う。
「好きな物が見つかる人は、きっとすごく、幸せで、恵まれているんだと思う。私はすっごく、幸せなんです」
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