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Episode4 京子
242 僕の我儘
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アルガス本部にかつて技術部があった名残で、最上階にはその部屋が他に使われることなく残っていた。機能を北陸支部へ移設した当時のまま、もぬけの殻状態だ。
本部にはエレベーターがなく、綾斗は大階段を上る久志から大きな皮のトランクを「持ちます」と半ば強引に奪い取る。骨折は治ったと本人は言っているが、ついこの間まで松葉杖をついていた足に負担を掛けさせたくなかった。
「僕は大丈夫だよ。リハビリだって終わってるし、この位しないと体力なんてすぐに落ちるからね」
「体力も大事ですけど、今は戦いの前ですよ? 何かあった時に一人で逃げられる足は残しておいて下さい」
北陸から持参したトランクは、子供がすっぽり入れてしまいそうな大きいサイズだ。持ち歩く分にはまだいいが、4階までの階段を上るのは危うい。重量もそこそこあった。
「俺にやらせて下さい」
「もう。分かったよ、じゃあ甘えさせて貰おうかな」
「ありがとね」と苦笑する久志に「いいえ」と答えて、綾斗は先を行く彼を追い掛ける。
午前中ずっとホールで動いていたせいか、静かな廊下の空気は慌ただしい気持ちをリセットすることが出来た。
「北陸に藤田さんがいらっしゃるんですよね?」
「そうなんだよ。元気すぎて困ってるくらい。暇さえあると金沢へ行こうとするから、抑えとくのが大変なんだ」
「へぇ、金沢都会ですもんね」
「競馬目当てだけどね」
「あぁ──聞いていたイメージのままですね」
綾斗は実際に彼と会った事はないが、藤田の噂は絶えなく耳にする事が多かった。色々と武勇伝もあるが、まずは誰に聞いても『競馬好き』という言葉が最初に出て来る。
「困っちゃうよね」と振り向く久志は、前に見た時よりも髪が伸びていた。大分不精気味だが、笑顔が前より戻っている気がしてホッとする。
3階と4階はその殆どを訓練のホールにとられ、部屋数はぐんと少ない。久志は4階の一番奥にある扉を開いて、「久しぶり」と中へ踏み込んだ。
誰も居ない部屋から返事はなく、時間が止まったままの状態だ。久志は照明のスイッチをオンにして、籠った空気を逃がすように奥の窓を開放した。
会議室よりも少々狭い部屋には、いらないノートやスカスカのファイルが数冊立て掛けられた机や棚がそのままになっていて、久志は懐かしむように部屋を一周する。
「ついこの間までここに居たと思えるのに、綾斗が来る前の事なんだな。自分が広島に居た事さえあっという間だった気がするよ」
久志は北陸支部が新設される以前、中国支部に居た事がある。
「そうですね。けど本当にここで良いんですか? 他の部屋を使っても構いませんよ?」
「いいのいいの。結構やること残ってるし、一人で居る方が落ち着くから」
久志は「ありがとう」と受け取ったかばんを、端にある台に乗せた。
戦いへ向けて諸々の調整が終わっていないらしく、今日明日で追い込むという。
「キイさんとメイさんは一緒じゃなかったんですね。技術部の仕事があるって聞いたから、てっきり連れて来るんだと思っていました」
キイとメイは久志が『優秀だ』と言う自慢の助手だ。何だかんだお互いに文句を言いながらも、揺ぎ無い信頼関係が成立しているのは傍から見ても良く分かった。
「そうだね。二人も来たいって言ってたよ。けど、置いてきた。僕の我儘だ」
久志は「ね」と目を細めた。
本部にはエレベーターがなく、綾斗は大階段を上る久志から大きな皮のトランクを「持ちます」と半ば強引に奪い取る。骨折は治ったと本人は言っているが、ついこの間まで松葉杖をついていた足に負担を掛けさせたくなかった。
「僕は大丈夫だよ。リハビリだって終わってるし、この位しないと体力なんてすぐに落ちるからね」
「体力も大事ですけど、今は戦いの前ですよ? 何かあった時に一人で逃げられる足は残しておいて下さい」
北陸から持参したトランクは、子供がすっぽり入れてしまいそうな大きいサイズだ。持ち歩く分にはまだいいが、4階までの階段を上るのは危うい。重量もそこそこあった。
「俺にやらせて下さい」
「もう。分かったよ、じゃあ甘えさせて貰おうかな」
「ありがとね」と苦笑する久志に「いいえ」と答えて、綾斗は先を行く彼を追い掛ける。
午前中ずっとホールで動いていたせいか、静かな廊下の空気は慌ただしい気持ちをリセットすることが出来た。
「北陸に藤田さんがいらっしゃるんですよね?」
「そうなんだよ。元気すぎて困ってるくらい。暇さえあると金沢へ行こうとするから、抑えとくのが大変なんだ」
「へぇ、金沢都会ですもんね」
「競馬目当てだけどね」
「あぁ──聞いていたイメージのままですね」
綾斗は実際に彼と会った事はないが、藤田の噂は絶えなく耳にする事が多かった。色々と武勇伝もあるが、まずは誰に聞いても『競馬好き』という言葉が最初に出て来る。
「困っちゃうよね」と振り向く久志は、前に見た時よりも髪が伸びていた。大分不精気味だが、笑顔が前より戻っている気がしてホッとする。
3階と4階はその殆どを訓練のホールにとられ、部屋数はぐんと少ない。久志は4階の一番奥にある扉を開いて、「久しぶり」と中へ踏み込んだ。
誰も居ない部屋から返事はなく、時間が止まったままの状態だ。久志は照明のスイッチをオンにして、籠った空気を逃がすように奥の窓を開放した。
会議室よりも少々狭い部屋には、いらないノートやスカスカのファイルが数冊立て掛けられた机や棚がそのままになっていて、久志は懐かしむように部屋を一周する。
「ついこの間までここに居たと思えるのに、綾斗が来る前の事なんだな。自分が広島に居た事さえあっという間だった気がするよ」
久志は北陸支部が新設される以前、中国支部に居た事がある。
「そうですね。けど本当にここで良いんですか? 他の部屋を使っても構いませんよ?」
「いいのいいの。結構やること残ってるし、一人で居る方が落ち着くから」
久志は「ありがとう」と受け取ったかばんを、端にある台に乗せた。
戦いへ向けて諸々の調整が終わっていないらしく、今日明日で追い込むという。
「キイさんとメイさんは一緒じゃなかったんですね。技術部の仕事があるって聞いたから、てっきり連れて来るんだと思っていました」
キイとメイは久志が『優秀だ』と言う自慢の助手だ。何だかんだお互いに文句を言いながらも、揺ぎ無い信頼関係が成立しているのは傍から見ても良く分かった。
「そうだね。二人も来たいって言ってたよ。けど、置いてきた。僕の我儘だ」
久志は「ね」と目を細めた。
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