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Episode4 京子
119 あの人のお母さん
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綾斗と出会って3年が過ぎた。
桃也と別れるまで彼を特別意識したことはなかったが、仕事でもプライベートでも二人きりでどこかへ出掛けるというシチュエーションは、数えきれない程にたくさんあった。
逆に『デート』というあからさまな単語が出てきたのが初めてかもしれない。
「デートかぁ」
そう考えるだけでテンションが上がってしまい、この数日間ずっとそわそわしていた。
浩一郎に力を解かれた反動が数日経った今も少し残っているが、今朝はスッキリ起きることができた気がする。
着慣れない青のワンピースにカーディガンを羽織って、京子はマンションのエントランスで彼を待った。
『少しだけフォーマルな格好でお願いします』
詳細は話してくれなかったが、今日はクラシック寄りのコンサートに行くらしい。
ピアノを弾く彼の提案だと思えば自然な事だが、京子にとっては初めての場所だ。クラシック音楽が苦手という訳ではないが、わざわざチケットを取ってまでという機会はなかった。
おろしたての服と、まだ硬いハイヒールは、昨日朱羽を連れ出してデパートで買ったものだ。
有名な『お嬢様学校』とやらを卒業した彼女の見立てで揃えたコーディネートは、綾斗にも好評だ。
「似合ってる」
車から降りた彼が、少し照れた顔をしてそんなストレートな言葉をくれる。
胸の辺りがむず痒くなって、京子は「でしょ」と回って見せた。
「昨日休みだったでしょ? 朱羽とショッピングしてきたんだ」
「そこまでしなくて良かったのに。けど、服まで指定しちゃってすみません」
「ううん。楽しかったから全然オッケー。デートの為に服選ぶのって、こんなにワクワクするんだって思っちゃった」
昨日、同じことを朱羽に言って、『綾斗くんのお陰ね』とニンマリされた。
「何なら、俺が付き合ったのに」
「それも良いけど、また別の時ね。綾斗もスーツ姿なんて新鮮」
「確かに、久しぶりにネクタイ締めたかも」
普段私服か制服ばかりで、ごく普通の紺色のスーツがレアな光景に感じてしまう。
つい緩んでしまう口元をぎゅっと結んで、京子は「そろそろ行こう」と彼の車を指差した。
「会場に着く前に、ちょっと花屋に寄ってもいい?」
「うん、構わないけど。結局今日は誰のコンサートなの?」
花を持って行くような相手なのだろうか。
シートベルトをしながら首を傾げる京子を振り向いて、綾斗が嬉しそうに微笑んだ。
「ピアノの発表会だよ。心美ちゃんの」
「え、心美ちゃん? あ……そうだったんだ。ピアノ習ってるって言ってたもんね」
まだ三歳になったばかりの小さなキーダーは、京子が初めて銀環を結んだ相手だ。綾斗は業務連絡を兼ねて何度か自宅に行っていて、彼女に懐かれているという。
意外な答えに戸惑う京子に、綾斗が「けど」と小さく肩をすくめる。
「今日はそれがメインじゃなくて。心美ちゃんには申し訳ないけど、実は別の理由があるから」
「別の理由?」
「憧れのピアニストが居るって話覚えてる?」
「うん、この間綾斗の家に行った時だよね」
小さい頃ピアノ嫌いだった綾斗がその演奏を聞いて練習に目覚めたという話を、彼の兄の渚央に聞いた。そこから綾斗が色々と思い出話をしてくれたのだ。
「そう。引退して教室開いてるのは知ってたんだけど、それがどうやら心美ちゃんの先生らしくて」
「へぇ、そんな偶然あるんだ。じゃあ今日会えるって事だよね?」
「会えるなんて大層なこと思ってないけど。生演奏があるらしいから、それを聞ければ十分」
車のエンジンが起動して、ピアノのメロディが流れる。
カーナビの下に書かれた曲の詳細にはそのピアニストだろう名前があって、京子は人差し指でなぞりながら尋ねた。
「この、川嶋紗耶香さんて人なの?」
「うん。こんな奇跡みたいなことあるんだなって驚いてる」
綾斗が今日のチケットを袋ごと京子に差し出して車を発進させる。
綺麗な浅葱色のチケットには、濃い青で文字や花の絵が書かれていた。けれど講師名の欄を見て「あれ」と目を細める。
「相葉紗耶香……相葉? そっか、CDの苗字は旧姓ってこと?」
「そう。龍之介くんのお母さんだよ」
「えぇ?」
思わず声が大きくなって、京子はハッと息を飲み込んだ。
桃也と別れるまで彼を特別意識したことはなかったが、仕事でもプライベートでも二人きりでどこかへ出掛けるというシチュエーションは、数えきれない程にたくさんあった。
逆に『デート』というあからさまな単語が出てきたのが初めてかもしれない。
「デートかぁ」
そう考えるだけでテンションが上がってしまい、この数日間ずっとそわそわしていた。
浩一郎に力を解かれた反動が数日経った今も少し残っているが、今朝はスッキリ起きることができた気がする。
着慣れない青のワンピースにカーディガンを羽織って、京子はマンションのエントランスで彼を待った。
『少しだけフォーマルな格好でお願いします』
詳細は話してくれなかったが、今日はクラシック寄りのコンサートに行くらしい。
ピアノを弾く彼の提案だと思えば自然な事だが、京子にとっては初めての場所だ。クラシック音楽が苦手という訳ではないが、わざわざチケットを取ってまでという機会はなかった。
おろしたての服と、まだ硬いハイヒールは、昨日朱羽を連れ出してデパートで買ったものだ。
有名な『お嬢様学校』とやらを卒業した彼女の見立てで揃えたコーディネートは、綾斗にも好評だ。
「似合ってる」
車から降りた彼が、少し照れた顔をしてそんなストレートな言葉をくれる。
胸の辺りがむず痒くなって、京子は「でしょ」と回って見せた。
「昨日休みだったでしょ? 朱羽とショッピングしてきたんだ」
「そこまでしなくて良かったのに。けど、服まで指定しちゃってすみません」
「ううん。楽しかったから全然オッケー。デートの為に服選ぶのって、こんなにワクワクするんだって思っちゃった」
昨日、同じことを朱羽に言って、『綾斗くんのお陰ね』とニンマリされた。
「何なら、俺が付き合ったのに」
「それも良いけど、また別の時ね。綾斗もスーツ姿なんて新鮮」
「確かに、久しぶりにネクタイ締めたかも」
普段私服か制服ばかりで、ごく普通の紺色のスーツがレアな光景に感じてしまう。
つい緩んでしまう口元をぎゅっと結んで、京子は「そろそろ行こう」と彼の車を指差した。
「会場に着く前に、ちょっと花屋に寄ってもいい?」
「うん、構わないけど。結局今日は誰のコンサートなの?」
花を持って行くような相手なのだろうか。
シートベルトをしながら首を傾げる京子を振り向いて、綾斗が嬉しそうに微笑んだ。
「ピアノの発表会だよ。心美ちゃんの」
「え、心美ちゃん? あ……そうだったんだ。ピアノ習ってるって言ってたもんね」
まだ三歳になったばかりの小さなキーダーは、京子が初めて銀環を結んだ相手だ。綾斗は業務連絡を兼ねて何度か自宅に行っていて、彼女に懐かれているという。
意外な答えに戸惑う京子に、綾斗が「けど」と小さく肩をすくめる。
「今日はそれがメインじゃなくて。心美ちゃんには申し訳ないけど、実は別の理由があるから」
「別の理由?」
「憧れのピアニストが居るって話覚えてる?」
「うん、この間綾斗の家に行った時だよね」
小さい頃ピアノ嫌いだった綾斗がその演奏を聞いて練習に目覚めたという話を、彼の兄の渚央に聞いた。そこから綾斗が色々と思い出話をしてくれたのだ。
「そう。引退して教室開いてるのは知ってたんだけど、それがどうやら心美ちゃんの先生らしくて」
「へぇ、そんな偶然あるんだ。じゃあ今日会えるって事だよね?」
「会えるなんて大層なこと思ってないけど。生演奏があるらしいから、それを聞ければ十分」
車のエンジンが起動して、ピアノのメロディが流れる。
カーナビの下に書かれた曲の詳細にはそのピアニストだろう名前があって、京子は人差し指でなぞりながら尋ねた。
「この、川嶋紗耶香さんて人なの?」
「うん。こんな奇跡みたいなことあるんだなって驚いてる」
綾斗が今日のチケットを袋ごと京子に差し出して車を発進させる。
綺麗な浅葱色のチケットには、濃い青で文字や花の絵が書かれていた。けれど講師名の欄を見て「あれ」と目を細める。
「相葉紗耶香……相葉? そっか、CDの苗字は旧姓ってこと?」
「そう。龍之介くんのお母さんだよ」
「えぇ?」
思わず声が大きくなって、京子はハッと息を飲み込んだ。
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