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Episode3 龍之介

80 桜を見たいと言ったから

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 銀次の口の端から暗い色の液体が流れて、龍之介は跳び付くようにその傍らへ腰を落とした。虚ろな目が、ぼんやりと龍之介を見上げている。

「俺に勝つ気満々なんだろ? 先に倒れてどうすんだよ!」
「リュウ、泣きそうな顔するなって。不戦勝だって勝ちは勝ちだろ? 喜べばいいじゃないか」
「喜べねぇよ!」
「俺はアホみたいに呆気なかったな……」
「無理に喋らなくていいから」

 力なく自嘲する銀次に修司は声を強めるが、「話させて下さい」と言う事を聞かない。
 龍之介は腹を掴む銀次の腕をそっと握り締めた。

「お前ここに来た時から限界だったろ? 顔色悪いの気付いてたんだからな?」
「キーダーと同じ能力を得たんだぜ? ずっと憧れてた夢を叶えたんだ。もう思い残すことはないよ」
「これで終わりみたいなセリフ言うんじゃねぇよ。俺たちはキーダーになんて絶対になれないけどさ、アルガスにはノーマルにでもやれる仕事はたくさんあるんだよ」
「お前は、アルガスやキーダーになんて興味なかったじゃないのか?」
「昔の話だろ? 俺はアルガスに入るからな? だから、お前も──」

 暗い空へ目をやって、銀次が静かに微笑む。

「俺でもまだ夢を見れるのかな」
「生きてたら夢なんて幾らでも見れるだろ? だから銀次──」

 龍之介が言いきる前に、銀次の意識が遠退いた。
 パチリと塞がった瞼に「銀次!」と叫ぶが、反応はない。

「そいつ死ぬのか?」

 ガイアが傷と逆の腕を朱羽に引っ張られながら、怪訝な顔を銀次に落とす。
 銀次の脈や呼吸を確認した修司が、「生きてるよ」とガイアを睨んだ。

「呼吸は安定してる。けど、このままにしとけないだろう? お前ら、コイツにどんな薬飲ませたんだよ」
「知らねぇよ。治験薬を誰かに飲ませたら、報酬をくれてやるって言われたんだ」
「治験? お前、銀次をモルモットにしたのか!」
「だから俺じゃねぇって言ってんだろ? 薬の出所も俺は知らねぇ。けど、シェイラが解毒剤みたいのを持ってたはずだぜ?」
「ふざけんな!」

 飛び掛かろうとする龍之介を、ガイアが「うるせぇ」と怒鳴りつける。
 しかし横から入り込んだ朱羽の平手が、パチーンとガイアの頬を打った。

「痛ぇっ!」
「人の命を軽く見ないで! 能力者なら能力者のプライドを持ちなさい。良く分からない大人なんかに使われてどうするの?」

 仁王立ちに構える朱羽を、ガイアは上目遣いに睨む。

「お前に俺の気持ちがわかるかよ」
「分かるわよ。少し前の私と似てるもの。だからシェイラを諦めろって言ってあげられる」
「余計な世話だ」

 闇に憂い顔を漂わせるガイアに、朱羽は「ねぇ」と呼び掛けた。
 
「あの桜の夜に会った時、喧嘩っ早い貴方がどうして私と戦わなかったの? シェイラはそうじゃないって言ったけど、貴方は私がウィルを拘束した女だって気付いていたんでしょ?」

 龍之介がガイアに給料袋を奪われた時だ。
 一升瓶を手に戦う意思を見せた朱羽に、ガイアは背を向けた。

「確証はなかったからな。いや、そんなのはどうでもいい、あの夜は特別だったんだ。ウィルが居なくなって引き籠ってたアイツが、桜を見たいって言い出してよ。あの男との思い出だそうだ」
「見かけによらず、お人好しなのね」
「ウィルは自分に何かあったらアイツを守れって俺に言ったんだ。けどシェイラは、俺と二人になってもウィルの事しか考えてない。それでも俺はアイツを守ってやりたかったんだけどな……」
「この場所を選んだのも貴方なのね」
「俺は馬鹿なんだよ。アルガスへ単身で乗り込もうっていうアイツを止められなかった。せめて近くに居たいなんて言っても、あいつは俺なんか見てないのにな」

 力なく零したガイアを横目に、朱羽は辺りの炎を見渡す。

「ここも限界ね。早く戻ってシェイラからその解毒剤ってのを貰わなきゃ。けど、このままじゃ帰れないわ。先にここをどうにかしましょうか」

 炎が手も付けられない程に大きくなっているのは龍之介も分かっていた。焼かれていない建物はまだあって、メラメラと加速する炎に逃げ道の確保すら危ぶまれる。

「アルガスの消火を優先して、こっちに来れないのかもしれませんね」

 ゴホゴホと咳込む修司に、朱羽がふと声を掛けた。

「ねぇ修司くん、キーダーってこういう時何してもいいのよね?」
「何しても……?」

 急に何を言い出すのだうか。
 ガイアを含めた男三人が、見合わせた困惑顔を一斉に朱羽へ向けた。

「いや、駄目ですよね? ちゃんと考えて行動しろって、綾斗さんに言われてますよ? それにそういうのって俺より朱羽さんの方が詳しいんじゃないですか?」

 慌てる修司に背を向けて、朱羽は海の方を見やった。風景は既に炎の色に染まっているが、彼女はやたら冷静にそのアイディアを話していく。

「じゃあ、火の弱点は何か知ってる?」
「火って言ったら、水ですよね?」
「そうよね。けど、そこにたくさんある海水を私の力じゃ操ることができないの。だから」

 「だから?」と男子が声を合わせる。
 自信あり気な彼女の表情に、何故か龍之介は不安を覚えた。

「朱羽さん、何考えているんですか?」

 横からそろりと尋ねた龍之介に、朱羽は炎に燃える奥の倉庫を見やった。

「これは緊急事態でしょう? 消防が来ないからって、燃え尽きるまで放置なんてできないわ。私たちはキーダーなんだから、やれることをしなきゃ」
「確かに」
「だから、ちょっとだけ悪いことをするの」
「……えっ?」

 朱羽は小さく笑んで、龍之介の持つさすまたを指差した。


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