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Episode3 龍之介

65 ずっと好き

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 朱羽あげはと二人になって、龍之介は彼女の部屋へとついていく。
 キーダーに一室ずつ与えられているというその部屋へ行くのは、彼女も数年ぶりらしい。今回の事件で施設員の半数が出払っているのと時間が遅いせいもあって、廊下は誰ともすれ違う事なくシンとしていた。

 前を歩く朱羽が涙を押し殺しているのには気付いている。
 龍之介は彼女の背中を見守りながら、綾斗あやとの言葉を思い出していた。マサの登場に詳細を聞きそびれてしまったせいで、疑問ばかりが残っている。

 ──『去年の秋、町中での戦闘でウィルを捕まえたのは京子さんって事になってるけど、最初にアイツ等を追い詰めたのは朱羽さんなんだ』

 現場の写真を広げながら銀次が最初に言ったように、ウィルと戦ったキーダーは京子だと誰もが認識している。実際京子に聞いた時も、彼女はそれが自分だと言ったのだ。
 けれど、実際にウィルと戦っていたのは朱羽だという。

「何でそんなことになってるんだ?」

 囁くように呟いた声は、朱羽には届いていない。
 思考回路を目一杯に探って辿り着いたのは、慰霊塔の前で聞いたガイアの言葉だった。

 ──『あの時の女じゃねぇだろ』

 京子に突き付けた、彼の感じた違和感だ。
 シェイラとガイアは、一度捕まってすぐに釈放されたのだと京子が言っていた。
 戦いに加わっていないガイアがそれに気付いたというのは、キーダーやバスクの能力故だろうか。
 
 シェイラが目を細める仕草をするのは、視力が低いからなのかもしれない。
 そう考えるとねじれた解釈が少しずつ解けて、銀次に見せられた写真への先入観を簡単に払拭することができた。

「着いたわよ、ここが私の部屋」

 事実の確認をせねばと龍之介が顔を上げるのと同時に、朱羽がその部屋の前で緩やかに足を止めた。扉の上には『矢代朱羽』と書かれたプレートが付いている。
 周りの部屋にもそれぞれにキーダーの名前が書かれていた。

 扉の横にある小さな機械に朱羽がIDカードを合わせてロックを解除する。彼女は照明もつけずに中へ駆け込むと、部屋の真ん中で肩を震わせた。
 上の階からずっと抑えつけていた感情が零れ落ちる。

「朱羽さん……」

 龍之介は部屋の扉を中からそっと閉めた。
 暗い部屋に外の照明が差し込んで、彼女の輪郭を映し出す。

「朱羽さんは、去年まで髪が長かったんですか?」

 泣き出しそうな彼女の背中に、龍之介はあえて自分の疑問を先にぶつけた。
 今はボブスタイルの彼女だが、IDカードに写る髪は胸よりも長い。
 銀次の写真に写っていたキーダーも同じだ。

「詮索してる? 別に構わないけど」
「俺、ウィルと京子さんが町で戦った時の写真を、銀次に見せて貰ったことがあるんです。けど、最初見た時に朱羽さんじゃないかって思って」

 振り向いた朱羽が驚いた顔をする。けれど諦めたように「名探偵?」と苦笑した。

「誰かから何か聞いた?」
「いえ、それは……」

 綾斗の名前を出そうか考えて、一旦唇を閉じる。そんな躊躇ためらいを見透かした朱羽の目が、闇の中で真っすぐに龍之介を捕らえた。

「写真撮ってる人結構いたものね。髪を切って正解」
「朱羽さんだってバレないように切ったって事ですか?」
「そう。前にも言ったでしょ? 私はまだ、アルガスここに戻る覚悟ができてないのよ。だから京子に全部押し付けたの。ウィルを倒したのが私だなんて知られたら、事務所に居られなくなるってずっと思ってたから」

 朱羽は肩の上で揺れる自分の髪を撫でる。
 最初こそ写真の後ろ姿を朱羽だと思ったが、銀次に『京子だ』と言われて龍之介もそれ以上は疑わなかった。

「すみません、変な事聞いちゃって」
「いいのよ。嘘ついてる私が悪いんだもの。町でウィルを見掛けて、見過ごせなかった」
「もしかして朱羽さんの腰の傷は、その時にできたものですか?」
「そうよ。治るまで結構掛かっちゃった」

 「見る?」と朱羽はまたシャツの裾を捲りあげる仕草をする。暗がりの部屋では殆ど見えないが、龍之介は「我慢しときます」と遠慮した。
 朱羽は「傷くらい構わないのに」と微笑んで、

「さっきね、ウィルに会ってきたの。彼はここの地下牢に居るのよ」

 指でちょんと地面を指し示した。
 ウィルがそこに居る事は京子から聞いていて、龍之介は「さっきですか?」と目を丸める。

「そう。あの人も私が京子じゃないって気付いてたのよ。けど、そんなのどうでもよかったって言われたわ。そうよね、敵にしてみれば関係のない事だものね」
 
 朱羽は重苦しい空気を漂わせる。

「アルガスに戻りたくなくて、今まで色々努力してきたつもりよ。けど、マサさんにおめでとうって言えたら未練なんて全部捨てて、キーダーとしてここへ戻らなきゃって思ってた」
「朱羽さん……」
「あの人にとっては何気ない言葉だったのかもしれないけど、さっき可愛いって言われて嬉しくなっちゃった。駄目よね、諦める決心なんてとうの昔についていた筈なのに」

 彼女の頬に涙が流れて、じっとしてなどいられなかった。けれど、朱羽が「駄目よ」と断る。

「落ち着くまでちょっと待って」
「……俺じゃ頼りないですか?」

 『朱羽さんの横はまだ埋まってない』という綾斗の言葉を鵜呑みにして、龍之介は彼女の前に歩み寄る。

「失恋した女子に告白すると、成功率が上がるんだそうです」
「何それ」
「俺、朱羽さんが好きです。助けてもらったあの日から、ずっと好きでした。そうじゃなかったら、俺は今ここにいませんよ」

 卑怯だと言われてもいい。
 涙を忘れて驚く朱羽を、龍之介は自分の胸に抱き寄せた。


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