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Episode3 龍之介
24 視線
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龍之介は遠ざかる朱羽の背中に「はい」と答えて、渡された傘を握り締めた。
さっき運ばれていったのは事故車両の運転手だろうか。
車内に人影は見当たらないが、丸熊の言葉を思い出して横倒しになった車体の下を探す。地面との隙間に人間の腕が飛び出しているのが見えて、龍之介はゾッと背筋を震わせた。
「あそこに人が居るのか?」
状況が読めなかった。暗い夜に地面を濡らす色が、雨か血なのかさえわからない。
店の前に並ぶ花壇が支えとなり、車が少しだけ斜めに傾いていることに望みをかけて、龍之介は無事でいて欲しいと祈った。
重機はまだ到着しておらず、一人の警官が「よし行くぞ」と声を掛ける。けれど数人で車体を持ち上げようにも思うようにはいかない。
そこで颯爽と登場した朱羽が、龍之介には特撮映画のヒロインのように見えた。
彼女が彼等の間に「失礼します」と入り込むと、さっきIDカードを確認した警官が「キーダーです」と説明して彼女からの指示を仰ぐ。
警官たちと交代で規制線の中に入った救急隊員に、朱羽が「お願いします」と声を掛けた。
彼女が銀環のある腕を前に伸ばすと、白濁とした光が闇に沸いて彼女の手元を包む。
そこからはあっという間だった。
朱羽が睨みつけた先で、ギイという鈍い音が雨音を貫いて、車体が救急隊とは逆の方向へゆっくりと傾く。鉄の大きな塊が触れもせず、まるで意思があるかのように動く様に、龍之介は呼吸する事さえ忘れそうになった。
わぁと歓声の広がる中、斜めに静止した車体の下からそっと引きずり出されたのは、全身が血だらけの男だった。身体は硬直しているように見えたけれど、「息はある」という隊員の声が聞こえて、龍之介は安堵する。
「朱羽さん……やったぁ!」
救急隊が離れるのを待って、ワンボックスカーは再び地面にドンと落ちた。
龍之介の目から涙が零れる。
自分でも何で泣いているのか分からなかったけれど、「龍之介」と振り返ったずぶ濡れの彼女が微笑んでくれたから、龍之介も涙を拭って笑顔を返した。
☆
「ありがとな、朱羽ちゃん。今度、たぁんとサービスするからな」
警察と話をしていた朱羽がやっと解放されたところを捕まえて、丸熊が深く頭を下げた。事務所に駆け込んできた時の厳めしさは抜けている。
朱羽は傘を手にずぶ濡れの前髪を横へ分けて「楽しみにしていますね」と目を細めた。
「お店の方は大丈夫なんですか?」
「まぁ何とかなるよ。それよりアンタがキーダーで助かった。まさか本当に車を動かしちまうとはな。俺も驚いてるんだぜ」
「お役に立てて、私も嬉しいです」
丸熊は「ありがとう」と礼を重ねて、「じゃあ」と店へ戻って行った。
「私たちも帰ろっか」
「すみません、タオルとか持ってなくて」
助手としての心構えが足りないなと反省する龍之介に、「気にしないで」と朱羽は笑んだ。そしてふと足を止めて、減り始めた野次馬たちの群れを振り返る。
「どうしたんですか。何か忘れ物でも?」
「ううん、気のせいだと思うわ」
そう言って歩き出した朱羽は不安げに首を傾げ、もう一度背後を見やった。
「何か気になります?」
キーダーの偉業に現場は沸いていたが、彼女が気にしているのはそれではないようだ。
龍之介は彼女の側で辺りを警戒するが、何も感じ取ることはできない。
「見つけた」──人だかりの向こうで女がそっと呟いた声は、二人の耳に届くことはなかった。
さっき運ばれていったのは事故車両の運転手だろうか。
車内に人影は見当たらないが、丸熊の言葉を思い出して横倒しになった車体の下を探す。地面との隙間に人間の腕が飛び出しているのが見えて、龍之介はゾッと背筋を震わせた。
「あそこに人が居るのか?」
状況が読めなかった。暗い夜に地面を濡らす色が、雨か血なのかさえわからない。
店の前に並ぶ花壇が支えとなり、車が少しだけ斜めに傾いていることに望みをかけて、龍之介は無事でいて欲しいと祈った。
重機はまだ到着しておらず、一人の警官が「よし行くぞ」と声を掛ける。けれど数人で車体を持ち上げようにも思うようにはいかない。
そこで颯爽と登場した朱羽が、龍之介には特撮映画のヒロインのように見えた。
彼女が彼等の間に「失礼します」と入り込むと、さっきIDカードを確認した警官が「キーダーです」と説明して彼女からの指示を仰ぐ。
警官たちと交代で規制線の中に入った救急隊員に、朱羽が「お願いします」と声を掛けた。
彼女が銀環のある腕を前に伸ばすと、白濁とした光が闇に沸いて彼女の手元を包む。
そこからはあっという間だった。
朱羽が睨みつけた先で、ギイという鈍い音が雨音を貫いて、車体が救急隊とは逆の方向へゆっくりと傾く。鉄の大きな塊が触れもせず、まるで意思があるかのように動く様に、龍之介は呼吸する事さえ忘れそうになった。
わぁと歓声の広がる中、斜めに静止した車体の下からそっと引きずり出されたのは、全身が血だらけの男だった。身体は硬直しているように見えたけれど、「息はある」という隊員の声が聞こえて、龍之介は安堵する。
「朱羽さん……やったぁ!」
救急隊が離れるのを待って、ワンボックスカーは再び地面にドンと落ちた。
龍之介の目から涙が零れる。
自分でも何で泣いているのか分からなかったけれど、「龍之介」と振り返ったずぶ濡れの彼女が微笑んでくれたから、龍之介も涙を拭って笑顔を返した。
☆
「ありがとな、朱羽ちゃん。今度、たぁんとサービスするからな」
警察と話をしていた朱羽がやっと解放されたところを捕まえて、丸熊が深く頭を下げた。事務所に駆け込んできた時の厳めしさは抜けている。
朱羽は傘を手にずぶ濡れの前髪を横へ分けて「楽しみにしていますね」と目を細めた。
「お店の方は大丈夫なんですか?」
「まぁ何とかなるよ。それよりアンタがキーダーで助かった。まさか本当に車を動かしちまうとはな。俺も驚いてるんだぜ」
「お役に立てて、私も嬉しいです」
丸熊は「ありがとう」と礼を重ねて、「じゃあ」と店へ戻って行った。
「私たちも帰ろっか」
「すみません、タオルとか持ってなくて」
助手としての心構えが足りないなと反省する龍之介に、「気にしないで」と朱羽は笑んだ。そしてふと足を止めて、減り始めた野次馬たちの群れを振り返る。
「どうしたんですか。何か忘れ物でも?」
「ううん、気のせいだと思うわ」
そう言って歩き出した朱羽は不安げに首を傾げ、もう一度背後を見やった。
「何か気になります?」
キーダーの偉業に現場は沸いていたが、彼女が気にしているのはそれではないようだ。
龍之介は彼女の側で辺りを警戒するが、何も感じ取ることはできない。
「見つけた」──人だかりの向こうで女がそっと呟いた声は、二人の耳に届くことはなかった。
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