上 下
217 / 620
Episode3 龍之介

24 視線

しおりを挟む
 龍之介は遠ざかる朱羽あげはの背中に「はい」と答えて、渡された傘を握り締めた。

 さっき運ばれていったのは事故車両の運転手だろうか。
 車内に人影は見当たらないが、丸熊まるくまの言葉を思い出して横倒しになった車体の下を探す。地面との隙間に人間の腕が飛び出しているのが見えて、龍之介はゾッと背筋を震わせた。

「あそこに人が居るのか?」

 状況が読めなかった。暗い夜に地面を濡らす色が、雨か血なのかさえわからない。
 店の前に並ぶ花壇が支えとなり、車が少しだけ斜めに傾いていることに望みをかけて、龍之介は無事でいて欲しいと祈った。

 重機はまだ到着しておらず、一人の警官が「よし行くぞ」と声を掛ける。けれど数人で車体を持ち上げようにも思うようにはいかない。

 そこで颯爽と登場した朱羽が、龍之介には特撮映画のヒロインのように見えた。
 彼女が彼等の間に「失礼します」と入り込むと、さっきIDカードを確認した警官が「キーダーです」と説明して彼女からの指示を仰ぐ。

 警官たちと交代で規制線の中に入った救急隊員に、朱羽が「お願いします」と声を掛けた。
 彼女が銀環ぎんかんのある腕を前に伸ばすと、白濁とした光が闇に沸いて彼女の手元を包む。

 そこからはあっという間だった。

 朱羽が睨みつけた先で、ギイという鈍い音が雨音を貫いて、車体が救急隊とは逆の方向へゆっくりと傾く。鉄の大きな塊が触れもせず、まるで意思があるかのように動く様に、龍之介は呼吸する事さえ忘れそうになった。

 わぁと歓声の広がる中、斜めに静止した車体の下からそっと引きずり出されたのは、全身が血だらけの男だった。身体は硬直しているように見えたけれど、「息はある」という隊員の声が聞こえて、龍之介は安堵する。

「朱羽さん……やったぁ!」

 救急隊が離れるのを待って、ワンボックスカーは再び地面にドンと落ちた。

 龍之介の目から涙が零れる。
 自分でも何で泣いているのか分からなかったけれど、「龍之介」と振り返ったずぶ濡れの彼女が微笑んでくれたから、龍之介も涙を拭って笑顔を返した。


   ☆
「ありがとな、朱羽ちゃん。今度、たぁんとサービスするからな」

 警察と話をしていた朱羽がやっと解放されたところを捕まえて、丸熊が深く頭を下げた。事務所に駆け込んできた時のいかめしさは抜けている。
 朱羽は傘を手にずぶ濡れの前髪を横へ分けて「楽しみにしていますね」と目を細めた。

「お店の方は大丈夫なんですか?」
「まぁ何とかなるよ。それよりアンタがキーダーで助かった。まさか本当に車を動かしちまうとはな。俺も驚いてるんだぜ」
「お役に立てて、私も嬉しいです」

 丸熊は「ありがとう」と礼を重ねて、「じゃあ」と店へ戻って行った。

「私たちも帰ろっか」
「すみません、タオルとか持ってなくて」

 助手としての心構えが足りないなと反省する龍之介に、「気にしないで」と朱羽は笑んだ。そしてふと足を止めて、減り始めた野次馬たちの群れを振り返る。

「どうしたんですか。何か忘れ物でも?」
「ううん、気のせいだと思うわ」

 そう言って歩き出した朱羽は不安げに首を傾げ、もう一度背後を見やった。

「何か気になります?」

 キーダーの偉業に現場は沸いていたが、彼女が気にしているのはそれではないようだ。
 龍之介は彼女の側で辺りを警戒するが、何も感じ取ることはできない。


 「見つけた」──人だかりの向こうで女がそっと呟いた声は、二人の耳に届くことはなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

処理中です...