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Episode3 龍之介
11 大晦日の白雪
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「私がここに居るのは、覚悟が決められないからなの。話せるようになったら話してあげるわ」
本来アルガスに居るはずのキーダーがこんな小さな事務所で働いている事を、奇妙にさえ思う。
けれど触れてはいけない事情だと理解して、龍之介は「わかりました」と頷いた。
「お茶が無くなっちゃったわね。淹れ直しましょうか」
「なら、俺がコーヒー淹れましょうか。前のバイトでやってたんで得意なんです」
喫茶店でバイトを始めて以来、家でも朝のコーヒーは龍之介の担当になっている。
龍之介は部屋の隅にある小さなキッチンにコーヒーメーカーを見つけて、出番とばかりに意気込んだ。
けれど朱羽は気まずい顔を見せる。
「ごめんなさい。私、コーヒー飲めないのよ。豆も置いてないから紅茶でも構わない?」
「そうなんですか? 俺は何でも飲みますけど……」
じゃあ、なんでコーヒーメーカーがあるんだとは聞けなかった。
「コーヒーの苦味が得意じゃないのよ。けど、龍之介が飲みたいなら今度豆を買っておくわね。香りは好きだから遠慮しないで」
何かに負けた気分になって、龍之介は再びソファに腰を下ろす。
朱羽が淹れてくれた紅茶は、さっき飲んだものと同じだった。彼女は何度も息を吹きかけてからそれを口に運び、まだ熱そうな顔をしてカップをテーブルへ戻す。
「こんなこと言っちゃなんだけど、元々助手を採る予定はなかったの」
「そうなんですか?」
「結構忙しい時もあるから、助手が居たらいいだろうって上の偉いオジサンたちが提案してくれて。ここは町中で騒がしいから、ボディガードにもなるだろうって」
「ボディガード? 俺がですか? 朱羽さんの?」
予想外の話に驚いて、龍之介は熱い紅茶をこぼしそうになってしまう。
一介の高校生にキーダーのボディガードをやらせようなんて、正気の沙汰とは思えない。
「戦えって言ってるわけじゃないのよ。ここは私一人でしょ? 男の人が出入りしてくれたらいいなってこと。高校の時からずっと居るのに、今更って感じだけど」
「花見の時だって、俺は朱羽さんに助けてもらったんですよ? だったら高校生の俺なんかよりもっと強そうな人の方が……」
スカジャン男と龍の刺青を刻んだ女のことを思い出して、龍之介は恐縮した。
「あんまり深く考えないで。人手はあって困るものじゃないし、折角上が言ってくれてるんだから、甘えさせてもらいましょうよ」
ニコリと目を細めて、朱羽は口元で両手を組んだ。
「それに龍之介は自信持ってくれて構わないのよ? この仕事の採用条件は、健全な男の人なんだから。貴方なら大丈夫って思ったの。直感よ」
「それで俺が採用なんですか?」
つまり性別は男だけれど、それ以上には思われていないということらしい。
「友達にね、アンタは男を知らなすぎるって言われるの」
朱羽は不満気に呟くと、温くなった紅茶を半分ほど一気に飲んで深いため息を吐き出した。
「自分の事棚に上げて、良く言えるわよね。けど仕方ないじゃない、小さい頃から周りに男の子なんて居なかったんだもの」
「そうなんですか?」
「ずっと女子校の寮に入ってたのよ」
「へぇ。それって、先生も全部女ってことですか?」
共学で公立校の龍之介には、想像もつかない世界だ。
「そうよ。知ってる? 白凰館学院」
「朱羽さん、白凰館卒なんですか!」
白凰館は、「お嬢様校といえば?」と尋ねれば一つ目か二つ目に名前の挙がるような学校だ。銀次が良く「白凰館の女子と関わるのは至難の業だぜ」と言っているが、『彼女』フォルダに数人の白凰館女子が入っていることを龍之介は知っている。
「箱入り娘ってやつですか?」
「世間知らずなだけよ。親も、娘をキーダーとして戦わせることに抵抗はないみたいだし」
朱羽は銀環の付いた左手首を持ち上げて、肩をすくめて見せた。
「国に捧げる娘が恥ずかしくないようにってね。初等部から通って、四年生からはずっと寮だったわ」
キーダーには十五歳になるとアルガスに入るかどうかを決める権利が与えられる。キーダーとして、その力で国を守る覚悟はあるかという事だ。そこで否といえば力を強制的に剥奪されて、ノーマルと同じ生活を送ることができる。
そんな人を『トール』と呼ぶことを、龍之介は朱羽から聞いて初めて知った。
「けど、朱羽さんはキーダーを選んだんですね」
「そうね」と答えた声が寂しそうに聞こえる。それは望まない選択だったのだろうか。
ふと美弦の顔が龍之介の頭を過る。
天下の東黄学園に通う彼女も、キーダーになることを悩んだりしたのだろうか。
彼女たちの手首に巻かれた銀環は、ノーマルが見て『キーダーだ』と判断できる唯一の材料だ。キーダーなんて存在はあまりにも希少で、一生かかっても会えないものだと思っていたのに、龍之介はこの短期間で既に三人に会っている。
「キーダーの銀環はただの印じゃなくて、力をコントロールしてるって本当なんですか?」
朱羽に会いたい一心でキーダーの事を調べた時、その事を知った。朱羽は顔を上げて、細い左手首にそっと右手を重ねる。
「コントロールっていうのかしら。抑制――一方的に抑え込んでいるって言った方が正しいわね。キーダーの力っていうのは、ノーマルにとっては脅威なのよ」
銀環は主の成長に合わせて少しずつ広がっていくらしい。ただのアクセサリーのような感じなのに、何かが宿っているような気がして龍之介は「えぇ?」と眉をしかめた。
「力には個人差があるから、銀環でほぼ同等にされているの。私たちは生まれた頃からこれを付けているから、トールを選んで外す時には、抑え込まれていた本来の威力に耐えられなくなって、三日三晩生死の境を彷徨うんですって」
「そんなにですか? トールになるのも命がけですね」
朱羽は「私もそんなに詳しくはないんだけど」と言ってポットを掴むと、それぞれのティカップに紅茶を足した。
龍之介は顔を乗り出して彼女の銀環を覗き込む。何の装飾もないつるりとした銀の環は、お世辞にもそんな機能があるようには見えない。
「けど、銀環を付けてもキーダーの力が凄いことは、みんな知ってますよ」
その銀環にどれだけの力が抑え込まれているのだろうか。
龍之介は七年前に起きた事件を思い出して、ゾワリと沸き上がった感覚を逃すように紅茶をすすった。
あの年の新年は、周りがやたら慌ただしく暗い空気に包まれていたのを覚えている。
恐らく家が現場に近かったせいもあったのだろうが、三年前に亡くなった母方の祖父が訝しい顔をして玄関先に出していた門松を元旦の朝に物置へ隠してしまったのだ。
前日の大晦日は夕方から降り出した雪が珍しく東京を白く覆っていた。シンとした夜の町に響いた爆音と地鳴りは、今でも龍之介の全身にこびり付いたままだ。
詳細が出たのは翌日の朝。東京タワーから程近い住宅地の隅で、半径八十メートルの風景が吹き飛んでしまったという。
見に行きたいとせがんだ龍之介に、祖父は厳しい顔で「駄目だ」と言った。
『あれは銀環の奴らの仕業だ、関わっちゃいかん』
そんなことを言われてしまったせいで、その話題は龍之介の家でタブーとなってしまった。
今までキーダーに興味が湧かなかったのも、あの日のあの言葉があるからなのだと、龍之介は今更ながらに実感している。
けれど、テレビではその爆発の根源が能力者であるとは誰も言わなかった。だから真意は分からないけれど、その日の惨事を世間は『大晦日の白雪』と呼んでいる。
龍之介が知っているのはそれだけだ。
本来アルガスに居るはずのキーダーがこんな小さな事務所で働いている事を、奇妙にさえ思う。
けれど触れてはいけない事情だと理解して、龍之介は「わかりました」と頷いた。
「お茶が無くなっちゃったわね。淹れ直しましょうか」
「なら、俺がコーヒー淹れましょうか。前のバイトでやってたんで得意なんです」
喫茶店でバイトを始めて以来、家でも朝のコーヒーは龍之介の担当になっている。
龍之介は部屋の隅にある小さなキッチンにコーヒーメーカーを見つけて、出番とばかりに意気込んだ。
けれど朱羽は気まずい顔を見せる。
「ごめんなさい。私、コーヒー飲めないのよ。豆も置いてないから紅茶でも構わない?」
「そうなんですか? 俺は何でも飲みますけど……」
じゃあ、なんでコーヒーメーカーがあるんだとは聞けなかった。
「コーヒーの苦味が得意じゃないのよ。けど、龍之介が飲みたいなら今度豆を買っておくわね。香りは好きだから遠慮しないで」
何かに負けた気分になって、龍之介は再びソファに腰を下ろす。
朱羽が淹れてくれた紅茶は、さっき飲んだものと同じだった。彼女は何度も息を吹きかけてからそれを口に運び、まだ熱そうな顔をしてカップをテーブルへ戻す。
「こんなこと言っちゃなんだけど、元々助手を採る予定はなかったの」
「そうなんですか?」
「結構忙しい時もあるから、助手が居たらいいだろうって上の偉いオジサンたちが提案してくれて。ここは町中で騒がしいから、ボディガードにもなるだろうって」
「ボディガード? 俺がですか? 朱羽さんの?」
予想外の話に驚いて、龍之介は熱い紅茶をこぼしそうになってしまう。
一介の高校生にキーダーのボディガードをやらせようなんて、正気の沙汰とは思えない。
「戦えって言ってるわけじゃないのよ。ここは私一人でしょ? 男の人が出入りしてくれたらいいなってこと。高校の時からずっと居るのに、今更って感じだけど」
「花見の時だって、俺は朱羽さんに助けてもらったんですよ? だったら高校生の俺なんかよりもっと強そうな人の方が……」
スカジャン男と龍の刺青を刻んだ女のことを思い出して、龍之介は恐縮した。
「あんまり深く考えないで。人手はあって困るものじゃないし、折角上が言ってくれてるんだから、甘えさせてもらいましょうよ」
ニコリと目を細めて、朱羽は口元で両手を組んだ。
「それに龍之介は自信持ってくれて構わないのよ? この仕事の採用条件は、健全な男の人なんだから。貴方なら大丈夫って思ったの。直感よ」
「それで俺が採用なんですか?」
つまり性別は男だけれど、それ以上には思われていないということらしい。
「友達にね、アンタは男を知らなすぎるって言われるの」
朱羽は不満気に呟くと、温くなった紅茶を半分ほど一気に飲んで深いため息を吐き出した。
「自分の事棚に上げて、良く言えるわよね。けど仕方ないじゃない、小さい頃から周りに男の子なんて居なかったんだもの」
「そうなんですか?」
「ずっと女子校の寮に入ってたのよ」
「へぇ。それって、先生も全部女ってことですか?」
共学で公立校の龍之介には、想像もつかない世界だ。
「そうよ。知ってる? 白凰館学院」
「朱羽さん、白凰館卒なんですか!」
白凰館は、「お嬢様校といえば?」と尋ねれば一つ目か二つ目に名前の挙がるような学校だ。銀次が良く「白凰館の女子と関わるのは至難の業だぜ」と言っているが、『彼女』フォルダに数人の白凰館女子が入っていることを龍之介は知っている。
「箱入り娘ってやつですか?」
「世間知らずなだけよ。親も、娘をキーダーとして戦わせることに抵抗はないみたいだし」
朱羽は銀環の付いた左手首を持ち上げて、肩をすくめて見せた。
「国に捧げる娘が恥ずかしくないようにってね。初等部から通って、四年生からはずっと寮だったわ」
キーダーには十五歳になるとアルガスに入るかどうかを決める権利が与えられる。キーダーとして、その力で国を守る覚悟はあるかという事だ。そこで否といえば力を強制的に剥奪されて、ノーマルと同じ生活を送ることができる。
そんな人を『トール』と呼ぶことを、龍之介は朱羽から聞いて初めて知った。
「けど、朱羽さんはキーダーを選んだんですね」
「そうね」と答えた声が寂しそうに聞こえる。それは望まない選択だったのだろうか。
ふと美弦の顔が龍之介の頭を過る。
天下の東黄学園に通う彼女も、キーダーになることを悩んだりしたのだろうか。
彼女たちの手首に巻かれた銀環は、ノーマルが見て『キーダーだ』と判断できる唯一の材料だ。キーダーなんて存在はあまりにも希少で、一生かかっても会えないものだと思っていたのに、龍之介はこの短期間で既に三人に会っている。
「キーダーの銀環はただの印じゃなくて、力をコントロールしてるって本当なんですか?」
朱羽に会いたい一心でキーダーの事を調べた時、その事を知った。朱羽は顔を上げて、細い左手首にそっと右手を重ねる。
「コントロールっていうのかしら。抑制――一方的に抑え込んでいるって言った方が正しいわね。キーダーの力っていうのは、ノーマルにとっては脅威なのよ」
銀環は主の成長に合わせて少しずつ広がっていくらしい。ただのアクセサリーのような感じなのに、何かが宿っているような気がして龍之介は「えぇ?」と眉をしかめた。
「力には個人差があるから、銀環でほぼ同等にされているの。私たちは生まれた頃からこれを付けているから、トールを選んで外す時には、抑え込まれていた本来の威力に耐えられなくなって、三日三晩生死の境を彷徨うんですって」
「そんなにですか? トールになるのも命がけですね」
朱羽は「私もそんなに詳しくはないんだけど」と言ってポットを掴むと、それぞれのティカップに紅茶を足した。
龍之介は顔を乗り出して彼女の銀環を覗き込む。何の装飾もないつるりとした銀の環は、お世辞にもそんな機能があるようには見えない。
「けど、銀環を付けてもキーダーの力が凄いことは、みんな知ってますよ」
その銀環にどれだけの力が抑え込まれているのだろうか。
龍之介は七年前に起きた事件を思い出して、ゾワリと沸き上がった感覚を逃すように紅茶をすすった。
あの年の新年は、周りがやたら慌ただしく暗い空気に包まれていたのを覚えている。
恐らく家が現場に近かったせいもあったのだろうが、三年前に亡くなった母方の祖父が訝しい顔をして玄関先に出していた門松を元旦の朝に物置へ隠してしまったのだ。
前日の大晦日は夕方から降り出した雪が珍しく東京を白く覆っていた。シンとした夜の町に響いた爆音と地鳴りは、今でも龍之介の全身にこびり付いたままだ。
詳細が出たのは翌日の朝。東京タワーから程近い住宅地の隅で、半径八十メートルの風景が吹き飛んでしまったという。
見に行きたいとせがんだ龍之介に、祖父は厳しい顔で「駄目だ」と言った。
『あれは銀環の奴らの仕業だ、関わっちゃいかん』
そんなことを言われてしまったせいで、その話題は龍之介の家でタブーとなってしまった。
今までキーダーに興味が湧かなかったのも、あの日のあの言葉があるからなのだと、龍之介は今更ながらに実感している。
けれど、テレビではその爆発の根源が能力者であるとは誰も言わなかった。だから真意は分からないけれど、その日の惨事を世間は『大晦日の白雪』と呼んでいる。
龍之介が知っているのはそれだけだ。
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