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Episode2 修司
54 あの夜へ帰ろうと思って
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学校では思いの外、周囲の反応が落ち着いていた。
特にキーダーになったことを報告することはなかったが、噂が広がるのは一瞬だとよく言ったもので、誰もがそのことを知っていた。
昨日の夕方、綾斗が事情を説明しに来校したらしいが、生徒の多い下校時刻にキーダーの制服姿で現れたことが情報漏洩の元凶らしい。
「保科くん本当にキーダーなの? 凄いじゃん」
クラスの女子が雄叫びを上げて教室中が沸き上がったのは、朝のホームルームまでだった。その後すぐに落ち着いてしまったのは、授業前に担任が中間考査の結果を廊下に貼り出したからだ。
美弦の通う東黄学園とまでとはいかないが、そこそこの進学校でテストの結果には敏感だ。
修司はどうにか免れたが『見送り』と呼ばれる追試組が多く出て、キーダーどころではないらしい。
☆
放課後、アルガスへ戻る快速に乗って三つ目の駅で乗り換える。次の発車までしばらく時間が空いてしまい、修司は人もまばらのホームでベンチに座り、雲の多い青空の風景を眺めていた。
この駅で降りたのは今日が初めてだ。ホームが二階で、カーブした線路の奥に『大晦日の白雪』の慰霊塔が小さく見える。
律と彰人と三人で会った日の記憶が、修司の衝動を掻き立てた。
頭上の時計はまだ三時。桃也に告げられた帰宅時間まではまだ三時間以上ある。
「律さん……」
キーダーを選んだら二度とバスクに関わるなと彰人に言われた。けれど、まだ決めたわけではない。
魔が差したと言うのだろうか。
反対側のホームに、あの町へ向かう電車が入ってくる。
蘇る風景に哀しさが溢れて、修司は階段を駆け下りた。
☆
何度も来たその駅は学校から一番近い繁華街にあり、修司と同じ制服姿の生徒がちらほらと見受けられた。ガイドブックに載るような華やかな観光地ではないが、カラオケやボウリング、本屋や服屋といった店は一通り揃っている。
人だかりの夜を駆け抜けたあの日、律を追い掛けることに必死で道筋なんてうろ覚えだったが、アパートの側にあったトーテムポールの居酒屋の場所は、ネットで検索済みだ。
町は駅前こそ人で溢れていたが、奥へ進むにつれ開店準備中のシャッターが連なっていた。雀の鳴き声が届くひっそりとした路地の奥に、修司はそのアパートを見つける。
コンクリートのビルに挟まれた窮屈そうな木造二階建ては、暗がりの記憶とはまるで別の建物のように見えた。この間は気付かなかったが、入口の上には外観とちぐはぐな『東京荘』の名前が掲げられている。
息をすることを忘れるくらいにその佇まいに見入って、修司は急に込み上げた不安に唇を噛み締めた。
『ここに来てどうする?』
自分に問いて左手首に触れる。彰人の忠告も聞かず、キーダーの銀環をはめたまま彼女に会いに来た理由は、仲間になるわけでも敵対しようというわけでもなく、真実を知りたいだけだ。
意を決して薄い格子ガラスを覗くが、人の気配はなかった。
そっとドアノブを引く自分の姿が泥棒にでもなったような気がして、「そうじゃないだろ」と平静を装って中へ入る。
下駄箱横のポストを確認すると、『安藤』の名前があった場所はぽっかりと空白になっていた。
頭上で音がして、律の部屋の隣に住んでいるという大学生風の男が階段を下りて来る。この間と同じ派手なТシャツ姿で、すぐに気付くことができた。
訝し気な表情を向けてくる彼に、修司は思い切って律の事を尋ねる。
「あぁ、引っ越したんじゃないですかね。最近全然見掛けないし、音とか気配もないような」
分かりましたと頭を下げて、修司は彼を見送ってからアパートを出た。彼女がいないと聞いた以上、階段を上っていく度胸はない。
けれど、その事実は不明確なままだ。
「律さん!」
律の部屋の方向へ向けて、一度だけ大きな声で呼びかけるが返事はなかった。
次に建物の壁に触れ、修司は彼女の気配を探る。例え居たとしても気配など消しているだろうが、藁にも縋る思いで感覚を研ぎ澄ました。
しかしその気配を拾い取ることはできずに、修司は一度手を振り下ろして力をリセットさせる。
そして今度は少し考えてから自分の気配を解放した。
危険な賭けだと分かっているが、やらずにはいられなかった。このアパートに律以外のバスクが潜んでいる可能性さえあるが、誰かが気付けば律に辿り着くことが出来るかもしれない。
彼女に会わせて下さい――祈るように目を瞑ると、再び壁の奥にバタバタと足音が響いた。希望を込めて相手を待つと、窓の向こうに現れた姿に息が詰まる程の興奮が湧く。
「こんなトコで何してるのよ!」
荒々しく開かれた扉と同時に、憤然とした彼女の顔が修司を睨んだ。
いつも通りのふわふわした長い髪にロングスカート、そして薄いニットのカーディガン。怒っている顔もどこか柔らかい。
「律さんこそ、何やってるんですか」
押し黙って修司を見つめ、やがて律は「もおっ」と吐き出す。
彼女は修司に詰め寄り腕をきつく掴むと、その物腰からは想像できない握力で、強引に二階へと引き入れたのだ。
特にキーダーになったことを報告することはなかったが、噂が広がるのは一瞬だとよく言ったもので、誰もがそのことを知っていた。
昨日の夕方、綾斗が事情を説明しに来校したらしいが、生徒の多い下校時刻にキーダーの制服姿で現れたことが情報漏洩の元凶らしい。
「保科くん本当にキーダーなの? 凄いじゃん」
クラスの女子が雄叫びを上げて教室中が沸き上がったのは、朝のホームルームまでだった。その後すぐに落ち着いてしまったのは、授業前に担任が中間考査の結果を廊下に貼り出したからだ。
美弦の通う東黄学園とまでとはいかないが、そこそこの進学校でテストの結果には敏感だ。
修司はどうにか免れたが『見送り』と呼ばれる追試組が多く出て、キーダーどころではないらしい。
☆
放課後、アルガスへ戻る快速に乗って三つ目の駅で乗り換える。次の発車までしばらく時間が空いてしまい、修司は人もまばらのホームでベンチに座り、雲の多い青空の風景を眺めていた。
この駅で降りたのは今日が初めてだ。ホームが二階で、カーブした線路の奥に『大晦日の白雪』の慰霊塔が小さく見える。
律と彰人と三人で会った日の記憶が、修司の衝動を掻き立てた。
頭上の時計はまだ三時。桃也に告げられた帰宅時間まではまだ三時間以上ある。
「律さん……」
キーダーを選んだら二度とバスクに関わるなと彰人に言われた。けれど、まだ決めたわけではない。
魔が差したと言うのだろうか。
反対側のホームに、あの町へ向かう電車が入ってくる。
蘇る風景に哀しさが溢れて、修司は階段を駆け下りた。
☆
何度も来たその駅は学校から一番近い繁華街にあり、修司と同じ制服姿の生徒がちらほらと見受けられた。ガイドブックに載るような華やかな観光地ではないが、カラオケやボウリング、本屋や服屋といった店は一通り揃っている。
人だかりの夜を駆け抜けたあの日、律を追い掛けることに必死で道筋なんてうろ覚えだったが、アパートの側にあったトーテムポールの居酒屋の場所は、ネットで検索済みだ。
町は駅前こそ人で溢れていたが、奥へ進むにつれ開店準備中のシャッターが連なっていた。雀の鳴き声が届くひっそりとした路地の奥に、修司はそのアパートを見つける。
コンクリートのビルに挟まれた窮屈そうな木造二階建ては、暗がりの記憶とはまるで別の建物のように見えた。この間は気付かなかったが、入口の上には外観とちぐはぐな『東京荘』の名前が掲げられている。
息をすることを忘れるくらいにその佇まいに見入って、修司は急に込み上げた不安に唇を噛み締めた。
『ここに来てどうする?』
自分に問いて左手首に触れる。彰人の忠告も聞かず、キーダーの銀環をはめたまま彼女に会いに来た理由は、仲間になるわけでも敵対しようというわけでもなく、真実を知りたいだけだ。
意を決して薄い格子ガラスを覗くが、人の気配はなかった。
そっとドアノブを引く自分の姿が泥棒にでもなったような気がして、「そうじゃないだろ」と平静を装って中へ入る。
下駄箱横のポストを確認すると、『安藤』の名前があった場所はぽっかりと空白になっていた。
頭上で音がして、律の部屋の隣に住んでいるという大学生風の男が階段を下りて来る。この間と同じ派手なТシャツ姿で、すぐに気付くことができた。
訝し気な表情を向けてくる彼に、修司は思い切って律の事を尋ねる。
「あぁ、引っ越したんじゃないですかね。最近全然見掛けないし、音とか気配もないような」
分かりましたと頭を下げて、修司は彼を見送ってからアパートを出た。彼女がいないと聞いた以上、階段を上っていく度胸はない。
けれど、その事実は不明確なままだ。
「律さん!」
律の部屋の方向へ向けて、一度だけ大きな声で呼びかけるが返事はなかった。
次に建物の壁に触れ、修司は彼女の気配を探る。例え居たとしても気配など消しているだろうが、藁にも縋る思いで感覚を研ぎ澄ました。
しかしその気配を拾い取ることはできずに、修司は一度手を振り下ろして力をリセットさせる。
そして今度は少し考えてから自分の気配を解放した。
危険な賭けだと分かっているが、やらずにはいられなかった。このアパートに律以外のバスクが潜んでいる可能性さえあるが、誰かが気付けば律に辿り着くことが出来るかもしれない。
彼女に会わせて下さい――祈るように目を瞑ると、再び壁の奥にバタバタと足音が響いた。希望を込めて相手を待つと、窓の向こうに現れた姿に息が詰まる程の興奮が湧く。
「こんなトコで何してるのよ!」
荒々しく開かれた扉と同時に、憤然とした彼女の顔が修司を睨んだ。
いつも通りのふわふわした長い髪にロングスカート、そして薄いニットのカーディガン。怒っている顔もどこか柔らかい。
「律さんこそ、何やってるんですか」
押し黙って修司を見つめ、やがて律は「もおっ」と吐き出す。
彼女は修司に詰め寄り腕をきつく掴むと、その物腰からは想像できない握力で、強引に二階へと引き入れたのだ。
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