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Episode1 京子

【番外編】8 二十歳の告白

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 浩一郎のアルガス襲撃後、北陸へ旅立った四人を見送ってから二年が過ぎた。
 バスクからキーダーへ転身した三人と、桃也とうやの能力を隠したペナルティを受けたマサは、北陸で予定通りの訓練を終え、一年前にそれぞれの配属先についた。

 けれど現状は、京子が望んでいたものとは大分違っている気がする。

「ねぇ京子、最近桃也くんに会ったのいつ?」

 三杯目のビールを片手に、朱羽あげはが心配顔で綾斗あやとの横に座る京子を覗き込んだ。
 久しぶりに会う朱羽は、ずっと伸ばしていた髪をバッサリと切ったボブスタイルで、前より少し大人びて見える。彼女はジョッキ一杯目でほろ酔いの京子とは対照的に、普段と全く変わりない様子だ。

 徐々にテンションを上げてきた京子が、突然がっくりと頭を下げて鼻をすする。

「あれ年末だったから、もう三ヶ月。今年入ってから会えてないよ。新年の挨拶も誕生日もメールだけだったし、もう帰ってきてくれないんじゃないかな」
「全部仕事のせいにできるものじゃないけど、桃也くんだって帰りたくなくて帰らないわけじゃないでしょ? お互い我慢しすぎて、京子の心が壊れちゃわないかって方が心配よ」
「もう壊れてるかも」

 訴えるような目を朱羽に向けて、京子は一杯目の残りを飲み干した。

「出発の時はさ、一年我慢するって決めたの。一年なら頑張れると思ったのに、もう二年。先が見えないよ……電話だってできないし」

 一年経ったらずっと一緒だという約束は叶わぬまま、二年が経った。
 二杯目の大ジョッキを持つ手に力が籠り、京子は込み上げる衝動を振り払うようにグイグイとレモンサワーを流し込む。

「そろそろ帰ってきてくれるといいわね」
「……ホントに」

 涙目の京子の横で、綾斗は二杯目のビールを手に溜息を零した。
 今日は二十歳の誕生日を迎えた綾斗を、朱羽と京子がいつもの居酒屋で祝ってくれている。

 人生初のビールをうまいとは思わなかった。ただ今まで「早く飲めるようになってよ」と言われ続けてきた身としては、ようやくの達成感を嬉しいと思う。
 けれど一杯目は飲み干したものの、二杯目は進まなかった。

「俺も、京子さんの事応援していますよ」

 本音と建て前は半分ずつだ。それを見透かした朱羽が「うふふ」と意味深な笑みを浮かべている。

 ──『綾斗くん、京子の事好きなんでしょ』

 彼女に突然そう聞かれたのは、半年ほど前だ。仕事で彼女の事務所に行く機会が増えて、その度に色々と質問攻めにされる。
 何がきっかけかは分からない。ぼんやりとした想いが、彼女の一言で確信に変わった。

 京子の側にいるのが当たり前になって、たまに突き付けられる現実に浮かれた想いを否定される。そんな二年という月日はあっという間だった。
 桃也が居ないことを好機だとも思えず、結局どうすることもできないまま気持ちをズルズルと引きずっている。

「ありがと、綾斗。私いつまでこんな感じなんだろう。同じ監察かんさつでも、彰人あきひとくんはこの間顔見せてくれたのにな」
「同じって言っても、任務は別なんだから仕方ないわよ。彼も次はちょっと長引きそうだって聞いてるわよ?」
「うん、そんなこと言ってた」

 北陸で一年の訓練を経て、平野は本人の希望通り仙台にある東北支部に配属された。
 マサは同期の二人が居る北陸に残り、最近はセナを向こうへ呼び寄せる準備をしているらしい。
 そして残りの二人は『監察員』という肩書を与えられて任務を遂行している。監察員の仕事は特殊で、二人の拠点である東京に戻ってくるのはほんの僅かしかなかった。

「まさか監察になるなんてね。そう来るとは思わなかったわ」

 朱羽は進みの悪い綾斗の手からビールのグラスを奪い、店員に頼んでいたサワーのグラスを握らせる。

「無理に飲まなくていいのよ? 合わないならこっちも飲んでみて。京子の好きなレモンサワーよ? 何ならワインとか日本酒も試してみる?」

 朱羽はニコニコっと笑って、綾斗のビールを飲み始めた。

「やめてよ朱羽。そんなに色々飲ませたら、綾斗が潰れちゃうでしょ?」
「いつも京子が潰れてるじゃない。たまには介抱してあげなさいよ。まさか今日も介抱させるつもり?」
「そういう訳じゃないけど……」

 「ごめんね」と綾斗に謝って、京子は込み上げたあくびを小さく零した。
 昼間忙しかったせいだろうか。彼女は綾斗とは反対側の壁にほおを預けて、うたた寝を始めた。

「壁に嫉妬してるでしょ」
「朱羽さん!」

 口の前に人差し指を立てて綾斗は小声で抵抗するが、朱羽は「大丈夫よ」と気にする素振りさえ見せない。

「嫉妬なんてしていませんからね」

 間が持たず、綾斗は寝息を立てる京子を横目にレモンサワーを飲み始めた。彼女が好む『いつもの味』は、甘酸っぱくて切ない味がする。

「京子に好きって言ったの?」
「恋人の居る人にそんなこと言えるわけないじゃないですか」
「別に結婚してるわけじゃないんだから、気持ちを伝えるくらい許されると思うけど?」
「今の関係まで崩したくありませんから。まだ……」
「可愛いね、綾斗くん」
揶揄からかわないで下さい」

 無責任に笑う朱羽に、ムッとした視線を投げた。目元の感覚が少しおかしいのは、多分酔っているからだと思う。

「それより傷はもういいんですか?」
「うん、ちゃんと完治したよ。見る?」
「見ません」

 セーターの裾を持ち上げるフリをする彼女に、はっきりとNOを伝える。朱羽もやはりそれなりに酔っているのかもしれない。 

 普段は事務所にいる朱羽だけれど、人一倍正義感が強く力も強い。
 数か月前、町で偶然見つけたという手配中のバスクを彼女が一人で捕まえた。戦いたくないという理由で事務所に居る手前、彼女は京子に手柄てがらを押し付けたが、脇腹を大きく縫う程の怪我をしてしばらく極秘で入院していた。

「上に隠すの大変だったんですからね」
「ありがとね。二人が居てくれなかったら、もう本部に戻されてたかも」

 枝豆をつまみながら、朱羽は眠ったままの京子を見守る。

「私なんかより京子の方がよっぽどメンタル弱いと思うんだけどなぁ」
「何かありました?」
「強情で強がりのくせに、人一倍寂しがり屋なんだから。綾斗くんも、こんなの側で見てたら心配になっちゃうわよね」
「…………」
「最近、上のオジサンたちがうるさいのよ。女一人で危ないって」

 朱羽は押し黙る綾斗に、にっこりと笑んだ。

「朱羽ちゃんにはボディガードとしてバイトでも雇えなんて言うのよ? そんなの全く要らないんだけど」
「そうなんですか? 事務所の辺りは夜もうるさいし、雑用としてでも雇っておいて損はないと思いますよ?」
「雑用か。お茶淹れてくれるイケメンだったら楽しいかしら」

 冗談っぽく笑って、朱羽は「そろそろ起きなさい」と京子の肩をゆすった。

「あぁ、ごめん。寝ちゃってた」
「ちょっとですよ」

 目をこすりながら身体を起こして、京子は氷で薄くなったレモンサワーをごくりと飲み込んだ。

「綾斗くんのこと、ちゃんとタクシーのトコまで送ってあげるのよ?」
「分かってるよ。朱羽はどうするの?」
「私は桜見ながら歩いて帰るわ。川沿いの桜が満開なんですって。運命の出会いでもあるといいんだけど」

 朱羽の言葉は、少しだけ本気モードを漂わせる。
 セナとマサが恋人同士になった後も、彼女はまだずっと彼に恋をしていた。諦める機会を見失っている彼女に幸せが訪れればいいなと思うけれど、不遇な恋愛は自分を映す鏡のようにも見えてしまう。

「会えるといいですね」
「ありがと。綾斗くんも頑張ってね」
「頑張るって?」

 意味の分かっていない京子が「は?」と綾斗を振り返る。

「何でもないです」
「隠し事? まぁいいけど。朱羽も変な男について行っちゃダメだよ?」
「私を誰だと思ってるのよ」

 朱羽は素面しらふを装って、人通りの多い街の中へ消えて行った。

「綾斗は酔ってない? 歩ける?」
「歩けますよ。俺は京子さんの方が心配です」
「ちょっと寝たから平気だよ。じゃあ、タクシーのトコまで行こっか」

 本人が言う通り、京子の足取りはいつもよりしっかりとしている。綾斗も少し酔っていたが、まだ寒い夜の風があっという間にさらって行ってしまった。

 タクシー乗り場へと繋がる横断歩道の所に、桜が咲いていた。満開を過ぎた散り始めの花びらが風に舞って暗い夜空をピンク色に染める。

「うわぁ、綺麗だね」

 空を仰いで笑顔を広げた京子の表情が、急に涙をはらませた。

「京子さん……」

 突然の衝動に、京子は慌てて目を押さえる。

「ごめん、大丈夫だよ」

 京子が泣いた理由なんて、考えなくても分かる。この二年でその涙に何度嫉妬したかなんて数えきれなかった。
 その度に、傍らで見守る事しかできなかった。

 ──『気持ちを伝えるくらい許されると思うけど?』

 本当にそうだろうか。

「京子さん、俺、京子さんの事──」

 けれど、そこまで口にして言い留まった。
 そんな言葉、別の男を思って泣いた彼女に伝えるべきじゃないと思う。反射的に本心を零してしまいそうになったのは、お酒のせいかもしれない。
 「何?」と首を傾げる京子に「何でもないです」と言い切ると、彼女は「そっか」と泣き顔から笑顔を広げた。

「綾斗、今日は誕生日おめでとう」
「俺の方こそ、祝って貰ってありがとうございます」
「気にしないで。それより綾斗、背伸びたでしょ?」

 すぐ側まで来て、京子は綾斗を見上げて背伸びする。

「何でわかるんですか?」

 それでもあの人には全然及ばなくて、報告なんてしていなかったのに。
 これは、努力してやっと得られた3センチだと思っている。

「いつも一緒に居るから分かるよ。目線が変わった気がしてたんだ」
「そうだったんですか」
「うん。牛乳ってすごいんだね」

 逆に自分が泣きそうになってしまうのは、これも酒のせいなのだろうか。
 綾斗は衝動を堪えて「そうですね」と目を細める。

「京子さん、良かったらもう一軒行きませんか?」
「え、大丈夫なの?」
「一杯だけなら」

 もう少しだけ一緒に居たいと思った。誕生日だけの我儘だ。
 衝動的な綾斗の誘いに、京子は「じゃあ行こうか」と楽しそうに笑う。彼女からすれば恋愛感情なんて全くない先輩と後輩の関係だろう。

 辛くないかと聞かれたら否定はできないけれど、彼女の笑顔が見れたので今はまだそれでいいと思った。

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