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3章 死を予感した時、人は本能を剥き出しにするものだ。

22 彼女の誘いを断るようじゃ、男が廃るからな

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 トード車は次第に緩い坂を上っていく。
 昼飯用に準備してくれた怪しげな肉が挟まれたパンをかじり、メルの愛らしい鼻歌を一時間ほど聞いたところで、突然道の両側を覆っていた木々の壁が晴れ、丘陵の草原が現れた。

「すげぇ」

 どこまでも広がる緑と、赤い絵の具をにじませたような夕方の空が遠くで繋がっている。右手の下の方には魔王の城と細長い町が小さく見えた。

 一応街中育ちの俺は、ダイナミックな高原の風景に圧倒されて声を上げる。中学の時に一度学校の遠足で山登りをしたことはあったが、自分の足で歩かずにここまで来れるとは有り難いものだ。

 そこから目的地まではあっという間で、俺たちは異国文字の書かれた大きなアーチの下でトード車の運転手であるジンと別れた。
 来た道とは反対側に、ロープウェイだかゴンドラの鉄柱が等間隔に麓まで下りているのが見えたが、

「今ここは閉鎖中で誰も居ないから、動いていないのよ。普段ならアレで登って来れるんだけどね」

 という事らしい。どおりで観光地への一本道が全然整備されていなかったわけだ。
 加えてメルは、これから討伐に行くモンスターもここには出ないだろうことを教えてくれた。

「あのコはもっと奥に居るから、安心して」
「そっか。じゃあ、ここはまだエルドラじゃないのか?」
「ここはもうエルドラよ。エルドラは地名。この施設はグラニカ自然公園。グラニカって言うのは、この国の名前ね」
「国の名前なんて聞いてなかったな。クラウは、じゃあグラニカ国王ってことか」

 「そうよ」とメルはアーチを潜り、

「クラウ様には、グラニカの覇王はおうって異名もあるの」
「覇王って、凄い呼び方だな」

 メルはいつもの人差し指をピンと立てて、俺に見せて来る。魔王クラウの正体が魔法世界の王だという事で何だか気が抜けていたが、覇王と付けばまた名前だけで威厳が出て来る。

「私たちの住んでいる町は、王都ハスラ。王都はそんなに広くないけど、海の側には大都市のチルチルがあるの。美味しいものがいっぱいで楽しいわよ」

 大分可愛い地名だ。
 俺はデカいリュックを背に、メルの横を付いていく。普段、体育の授業でしか運動していない俺にその重さはきついが、小さな彼女にこんな荷物を持たせるわけにはいかない。何せ、討伐に来ている以上、俺の命は彼女の背中にくっついた大剣にかかっているのだ。

 観光地とはいえ、『自然公園』と謳っているだけあって、中も敷地の外とあまり変わり映えはしなかった。入口に大きな三階建ての管理棟らしき建物はあるが、人気はなくしんとしている。
 遊園地のような乗り物があるわけでも、牧場のような動物たちが居るわけでもなさそうだ。

「ここって、何をするとこなんだ?」

 確かに自然の景観は素晴らしいが、一時間もぼーっとしていたら、はっきり言って飽きそうだなと思う。
 メルは緩い丘をくるくると回りながら進んで、パッと両手を広げた。

「今は何もないけど、寒期が過ぎてすぐの頃に、ここ一面に青い花が咲くの。とっても綺麗で、この間花が咲いた時はマーテルと来たのよ」
「へぇぇええ」

 不思議な組み合わせだなと思うのと同時に、あのハイレグで来たのかと想像して、俺は思わず笑ってしまった。
 「どうしたの?」と覗いて来るメルには「何でもないよ」と誤魔化してみる。

「あ、あと奥に温泉があるから、明日仕事が済んだら一緒に入りましょう」
「温泉?!」

 その言葉に俺は動揺してしまった。

「温泉って、風呂の事か?」
「そうよ。貴方の世界にもあった?」
「あぁ。じゃ、じゃあ、温泉が出るってことは、この近くに火山があるって事か?」

 そんな事どうでも良いのだが、俺は裸で露天風呂に浸かるメルを妄想してしまい、必死で平常心を装った。無意識に火山の話題を出してしまったことは、我ながらアホだと思う。
 たかが子供と風呂に入る事なんて、動揺する理由にもならない筈だ。
 けれど彼女の家にはシャワーに似たものしかなかったから、湯船につかる文化はないと思っていただけに、その事実は衝撃的だった。

「でも火山は大分遠いし、活動期じゃないから安心して」

 メルは恥じらう様子もなく普通に返してくる。俺が一人でラッキースケベを妄想していることなんて、全く気付いていないだろう。

「おぅ。じゃ、じゃあ一緒に入るか」

 俺は変な覚悟を決めて、無理矢理作った笑顔をメルに向けた。
 彼女は「うん」と無邪気な顔で笑う。

 そしてメルは、今夜宿泊する小屋へ行く前に、銀色のモニュメントがある高台に立ち寄った。
 俺の背より少し高く、電柱より少し太い円柱型のそれには、何やら異国の文字が隙間なく刻まれている。

「これは?」

 メルは、拳を握った両手を胸の前にクロスさせ、モニュメントに向けて目を閉じる。恐らくそれはこの世界での祈りのポーズだと悟って、俺は彼女を真似て横に並んだ。
 ゆっくりと腕を解いたメルが、悲しそうな目を浮かべて俺を振り向く。

「ここは、10年前の戦いが起きた、弔いの場所なのよ」

 彼女の栗色の髪が、夕日に赤く染まっていた。

 ここで、赤い魔女に会ったら――ヤシムさんのそんな警告を重ねて、俺は思わず息を飲み込む。

 ここは、俺たち以外誰もいないのだ。
 俺は彼女の事を、まだ何も知らなくて――。
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