161 / 190
11章 空を開いた脅威
147 空を開いた脅威
しおりを挟む
来ると感じた気配は、広場に着くと落ち着いてしまった。
鼻をつく異臭はあるが、だいぶ慣れたのか普通に立っていられる。
みさぎはうっすらと雪の広がる地面に足跡を付けて、広場の奥へと踏み込んでいった。
冬枯れの広場は物寂しく、細い風が音を立てて木々の間を通り過ぎていく。
前回のハロン戦で一度塞がった次元の穴はあれからまた徐々に広がって、剥き出しの状態になっていた。
ハロンの気配はすぐそこにあるのに、勿体ぶるようになかなか姿を見せない。
「十時か……」
日が落ちるまで六時間はある。それで決着をつけられたらいいと思うけれど、どうだろう。
呆気なく命を落とすことにだけはならないようにと祈りながら、みさぎは持ってきた水を少しだけ飲んで、固いパンを半分かじった。
いつ補給できるかなんてわからないから、一気に減らすことはできない。そして、なるべくなら丸薬の世話にはなりたくない。
みんなもうそれぞれの場所に着いただろうか。全員が無事に生き残れるだろうかと不安になるのは、自分だけが強いと心のどこかで思っているからなのかもしれない。
「自惚れてるよね」
みさぎは自嘲する。最初にハロンとの戦闘を確約されたこの場所に自分が配置されたことが嬉しかった。
ハロンとの戦いは、どれだけ先に相手の体力を削れるかで決まる。
前世の戦いでは八割方自分が勝っていたと思う。リーナは全身に傷を負っていたが、その時点でハロンの片羽は落としていた。
勝利の予感を覆した負けの原因はあの雨だ。あの雨に残っていた体力も気力も削がれて、意識が飛んだのだ。
ウィザードが最強とは言え、制限なしに魔法を発動できるわけではないし、短期間で高めた体力にも限界は来る。
配分はどうすればいい?
「最初から飛ばすとすぐに息切れしそうだけど、飛ばさないとダメージ与えられないかも」
とにかくハロンは固いのだ。
「こんな所で悩んでいてもしょうがないかな」
自分らしくないと思うのは、やっぱり少し怖いと思っているからだ。
「信じろ……みんなは強いから」
前世での戦いを振り返り、「冷静になれ」と側の木にもたれる。
少しでも体力を温存したい。
「今日ここで戦うためにあの崖を飛んだんでしょ?」
こんなにモヤモヤしてしまうのは、ハロンが出てこないせいだ。このままあと数時間待つのは耐えられそうにない。
「早く出てきて!」
仰ぎ見た穴へ向けて吐いた思いが、相手に届いたせいかはわからない。
一呼吸分の沈黙を挟んで、空気が震えた。その瞬間は、突然にやって来る。
「来た……?」
みさぎはハッとして魔法陣を頭上に描く。唱えた文言で光り出す文字列の底から、滑り降りたロッドを掴んだ。柄をくるりと回して、青く光る玉を地面へ向ける。
別の文言を唱えて、今度は足元に大きめの魔法陣を貼りつけた。
騒めく木々の音に重ねて、辺り一帯にキンと鳴り響くのは、空間隔離発動の合図だ。
「ルーシャも気付いたんだね」
崖の向こうに、透明な壁がせり上がっていくのが見える。
白樺町一帯を遥か高い位置まで覆った壁の中は別次元になり、エリア内に一般人が入り込んでも、その人には何も見えないし影響も出ない。
「待ってたよ、ハロン。予定通り出てくるなんて、優秀じゃない?」
足元の魔法陣にロッドの柄を突き刺して、みさぎは迎撃のタイミングを待った。
吐くような気配がない代わりに、微量の電流を流したような細かい震えを肌に感じる。それは徐々に大きくなって、みさぎはいよいよだと息を呑んだ。
穴の奥に、くぐもった咆哮が響いて、空が開く。
細かい筋が刻まれた湾曲する爪が飛び出て、風景を切り裂くように穴が左右に破れた。
黒い闇を見せるその穴の高さは、みさぎの背よりはるかに高い。悲鳴のようなバリという音が耳をつんざいて、みさぎは「ひっ」と腕を耳に押し当てた。
穴の亀裂に現れた赤色の瞳が、みさぎを覗き込む。
地面に刺したままのロッドに力を込め、みさぎは再び文言を唱えた。
魔法陣発動──高い音を響かせて、光が輪の外側へ広がっていく。
ハロンは重々しい存在感を見せつけるように、のっそりと胴体を現した。
穴からまず二本の長い角を生やした頭が出る。開いた口に何本もの牙を生やしたその顔は、記憶のそれと一致した。
赤茶色の硬い皮に全身を包んだハロンの手が出て、足が出て、最後に羽がバサリと羽ばたいて穴を抜ける。
魔法陣の光が波打って、空中に浮かぶハロンの巨体を包み込んだ。表皮に貼りついた文字列を拒絶するようにハロンの鋭い咆哮が響き渡る。
最初の攻撃は挨拶程度だ。一気に弾けた光が与えたダメージは、奴の身体をくねらせるほどでしかない。
「私を覚えてる?」
ハロンはゴォと空気を吐いて、宙からみさぎを見下ろした。
特撮映画さながらの怪獣っぷりだ。小さなビル一つ分ほどある巨体は、首が痛くなるほど見上げた所に顔がある。
前世で与えた傷はすっかり癒えて、切り落としたはずの片羽ですら元通りに再生していた。
ハロンとの十七年ぶりの再会に、さっきまで感じていた不安は消えている。
またここで戦えることが、みさぎは嬉しくてたまらなかった。
11章『空を開いた脅威』終わり
12章『禁忌の代償』へ続く
鼻をつく異臭はあるが、だいぶ慣れたのか普通に立っていられる。
みさぎはうっすらと雪の広がる地面に足跡を付けて、広場の奥へと踏み込んでいった。
冬枯れの広場は物寂しく、細い風が音を立てて木々の間を通り過ぎていく。
前回のハロン戦で一度塞がった次元の穴はあれからまた徐々に広がって、剥き出しの状態になっていた。
ハロンの気配はすぐそこにあるのに、勿体ぶるようになかなか姿を見せない。
「十時か……」
日が落ちるまで六時間はある。それで決着をつけられたらいいと思うけれど、どうだろう。
呆気なく命を落とすことにだけはならないようにと祈りながら、みさぎは持ってきた水を少しだけ飲んで、固いパンを半分かじった。
いつ補給できるかなんてわからないから、一気に減らすことはできない。そして、なるべくなら丸薬の世話にはなりたくない。
みんなもうそれぞれの場所に着いただろうか。全員が無事に生き残れるだろうかと不安になるのは、自分だけが強いと心のどこかで思っているからなのかもしれない。
「自惚れてるよね」
みさぎは自嘲する。最初にハロンとの戦闘を確約されたこの場所に自分が配置されたことが嬉しかった。
ハロンとの戦いは、どれだけ先に相手の体力を削れるかで決まる。
前世の戦いでは八割方自分が勝っていたと思う。リーナは全身に傷を負っていたが、その時点でハロンの片羽は落としていた。
勝利の予感を覆した負けの原因はあの雨だ。あの雨に残っていた体力も気力も削がれて、意識が飛んだのだ。
ウィザードが最強とは言え、制限なしに魔法を発動できるわけではないし、短期間で高めた体力にも限界は来る。
配分はどうすればいい?
「最初から飛ばすとすぐに息切れしそうだけど、飛ばさないとダメージ与えられないかも」
とにかくハロンは固いのだ。
「こんな所で悩んでいてもしょうがないかな」
自分らしくないと思うのは、やっぱり少し怖いと思っているからだ。
「信じろ……みんなは強いから」
前世での戦いを振り返り、「冷静になれ」と側の木にもたれる。
少しでも体力を温存したい。
「今日ここで戦うためにあの崖を飛んだんでしょ?」
こんなにモヤモヤしてしまうのは、ハロンが出てこないせいだ。このままあと数時間待つのは耐えられそうにない。
「早く出てきて!」
仰ぎ見た穴へ向けて吐いた思いが、相手に届いたせいかはわからない。
一呼吸分の沈黙を挟んで、空気が震えた。その瞬間は、突然にやって来る。
「来た……?」
みさぎはハッとして魔法陣を頭上に描く。唱えた文言で光り出す文字列の底から、滑り降りたロッドを掴んだ。柄をくるりと回して、青く光る玉を地面へ向ける。
別の文言を唱えて、今度は足元に大きめの魔法陣を貼りつけた。
騒めく木々の音に重ねて、辺り一帯にキンと鳴り響くのは、空間隔離発動の合図だ。
「ルーシャも気付いたんだね」
崖の向こうに、透明な壁がせり上がっていくのが見える。
白樺町一帯を遥か高い位置まで覆った壁の中は別次元になり、エリア内に一般人が入り込んでも、その人には何も見えないし影響も出ない。
「待ってたよ、ハロン。予定通り出てくるなんて、優秀じゃない?」
足元の魔法陣にロッドの柄を突き刺して、みさぎは迎撃のタイミングを待った。
吐くような気配がない代わりに、微量の電流を流したような細かい震えを肌に感じる。それは徐々に大きくなって、みさぎはいよいよだと息を呑んだ。
穴の奥に、くぐもった咆哮が響いて、空が開く。
細かい筋が刻まれた湾曲する爪が飛び出て、風景を切り裂くように穴が左右に破れた。
黒い闇を見せるその穴の高さは、みさぎの背よりはるかに高い。悲鳴のようなバリという音が耳をつんざいて、みさぎは「ひっ」と腕を耳に押し当てた。
穴の亀裂に現れた赤色の瞳が、みさぎを覗き込む。
地面に刺したままのロッドに力を込め、みさぎは再び文言を唱えた。
魔法陣発動──高い音を響かせて、光が輪の外側へ広がっていく。
ハロンは重々しい存在感を見せつけるように、のっそりと胴体を現した。
穴からまず二本の長い角を生やした頭が出る。開いた口に何本もの牙を生やしたその顔は、記憶のそれと一致した。
赤茶色の硬い皮に全身を包んだハロンの手が出て、足が出て、最後に羽がバサリと羽ばたいて穴を抜ける。
魔法陣の光が波打って、空中に浮かぶハロンの巨体を包み込んだ。表皮に貼りついた文字列を拒絶するようにハロンの鋭い咆哮が響き渡る。
最初の攻撃は挨拶程度だ。一気に弾けた光が与えたダメージは、奴の身体をくねらせるほどでしかない。
「私を覚えてる?」
ハロンはゴォと空気を吐いて、宙からみさぎを見下ろした。
特撮映画さながらの怪獣っぷりだ。小さなビル一つ分ほどある巨体は、首が痛くなるほど見上げた所に顔がある。
前世で与えた傷はすっかり癒えて、切り落としたはずの片羽ですら元通りに再生していた。
ハロンとの十七年ぶりの再会に、さっきまで感じていた不安は消えている。
またここで戦えることが、みさぎは嬉しくてたまらなかった。
11章『空を開いた脅威』終わり
12章『禁忌の代償』へ続く
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
呪いを受けて少女は魔女になった
冬野月子
恋愛
西の森に住む魔女フローラの元をある日王子が訪ねてきた。
彼からの依頼を受けた事で平穏だった生活は激変し、フローラは自らの宿命と向き合う事になる。
(R15以上R18未満かもしれません…)
※「小説家になろう」にも投稿しています。
旦那様、愛人を作ってもいいですか?
ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。
「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」
これ、旦那様から、初夜での言葉です。
んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと?
’18/10/21…おまけ小話追加
恋に焦がれて鳴く蝉よりも
橘 弥久莉
恋愛
大手外食企業で平凡なOL生活を送っていた蛍里は、ある日、自分のデスクの上に一冊の本が置いてあるのを見つける。持ち主不明のその本を手に取ってパラパラとめくってみれば、タイトルや出版年月などが印刷されているページの端に、「https」から始まるホームページのアドレスが鉛筆で記入されていた。蛍里は興味本位でその本を自宅へ持ち帰り、自室のパソコンでアドレスを入力する。すると、検索ボタンを押して出てきたサイトは「詩乃守人」という作者が管理する小説サイトだった。読書が唯一の趣味といえる蛍里は、一つ目の作品を読み終えた瞬間に、詩乃守人のファンになってしまう。今まで感想というものを作者に送ったことはなかったが、気が付いた時にはサイトのトップメニューにある「御感想はこちらへ」のボタンを押していた。数日後、管理人である詩乃守人から返事が届く。物語の文章と違わず、繊細な言葉づかいで返事を送ってくれる詩乃守人に蛍里は惹かれ始める。時を同じくして、平穏だったOL生活にも変化が起こり始め………恋に恋する文学少女が織りなす、純愛ラブストーリー。
※表紙画像は、フリー画像サイト、pixabayから選んだものを使用しています。
※この物語はフィクションです。
さようなら、家族の皆さま~不要だと捨てられた妻は、精霊王の愛し子でした~
みなと
ファンタジー
目が覚めた私は、ぼんやりする頭で考えた。
生まれた息子は乳母と義母、父親である夫には懐いている。私のことは、無関心。むしろ馬鹿にする対象でしかない。
夫は、私の実家の資産にしか興味は無い。
なら、私は何に興味を持てばいいのかしら。
きっと、私が生きているのが邪魔な人がいるんでしょうね。
お生憎様、死んでやるつもりなんてないの。
やっと、私は『私』をやり直せる。
死の淵から舞い戻った私は、遅ればせながら『自分』をやり直して楽しく生きていきましょう。
転生したら倉庫キャラ♀でした。
ともQ
ファンタジー
最高に楽しいオフ会をしよう。
ゲーム内いつものギルドメンバーとの会話中、そんな僕の一言からオフ会の開催が決定された。
どうしても気になってしまうのは中の人、出会う相手は男性?女性? ドキドキしながら迎えたオフ会の当日、そのささやかな夢は未曾有の大天災、隕石の落下により地球が消滅したため無念にも中止となる。
死んで目を覚ますと、僕はMMORPG "オンリー・テイル" の世界に転生していた。
「なんでメインキャラじゃなくて倉庫キャラなの?!」
鍛え上げたキャラクターとは《性別すらも正反対》完全な初期状態からのスタート。
加えて、オンリー・テイルでは不人気と名高い《ユニーク職》、パーティーには完全不向き最凶最悪ジョブ《触術師》であった。
ギルドメンバーも転生していることを祈り、倉庫に貯めまくったレアアイテムとお金、最強ゲーム知識をフルバーストしこの世界を旅することを決意する。
道中、同じプレイヤーの猫耳魔法少女を仲間に入れて冒険ライフ、その旅路はのちに《英雄の軌跡》と称される。
今、オフ会のリベンジを果たすため "オンリー・テイル" の攻略が始まった。
田舎貴族の学園無双~普通にしてるだけなのに、次々と慕われることに~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
田舎貴族であるユウマ-バルムンクは、十五歳を迎え王都にある貴族学校に通うことになった。
最強の師匠達に鍛えられ、田舎から出てきた彼は知らない。
自分の力が、王都にいる同世代の中で抜きん出ていることを。
そして、その価値観がずれているということも。
これは自分にとって普通の行動をしているのに、いつの間にかモテモテになったり、次々と降りかかる問題を平和?的に解決していく少年の学園無双物語である。
※ 極端なざまぁや寝取られはなしてす。
基本ほのぼのやラブコメ、時に戦闘などをします。
もふもふで始めるVRMMO生活 ~寄り道しながらマイペースに楽しみます~
ゆるり
ファンタジー
☆第17回ファンタジー小説大賞で【癒し系ほっこり賞】を受賞しました!☆
ようやくこの日がやってきた。自由度が最高と噂されてたフルダイブ型VRMMOのサービス開始日だよ。
最初の種族選択でガチャをしたらびっくり。希少種のもふもふが当たったみたい。
この幸運に全力で乗っかって、マイペースにゲームを楽しもう!
……もぐもぐ。この世界、ご飯美味しすぎでは?
***
ゲーム生活をのんびり楽しむ話。
バトルもありますが、基本はスローライフ。
主人公は羽のあるうさぎになって、愛嬌を振りまきながら、あっちへこっちへフラフラと、異世界のようなゲーム世界を満喫します。
カクヨム様にて先行公開しております。
炎のように
碧月 晶
BL
イケメン王子×無自覚美形
~登場人物~
○アイセ・ウル
・受け(主人公)
・オラージュ王国出身
・16才
・右眼:緑 左眼:碧 、黒髪
(左眼は普段から髪で隠している)
・風と水を操る能力を持つ
(常人より丈夫)
・刃物系武器全般の扱いを得意とする
※途中までほぼ偽名です。
○ヴィント・アーヴェル
・攻め
・ヴィーチェル王国 第一王子
・18才
・紅眼、金髪
・国最強剣士
・火を操る能力を持つ
※グロテスク、暴力表現あり。
※一話一話が短め。
※既にBLove様でも公開中の作品です。
※表紙絵は友人様作です(^^)
※一番最初に書いた作品なので拙い所が多々あります。
※何年かかろうと完結はさせます。
※いいね、コメントありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる