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11章 空を開いた脅威

143 哀しいキス

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ともくん……」

 涙交じりの一華いちかの声に足を止めて、みさぎは下駄箱の陰に身をひそめた。冷え切った空気に自分の肩を抱いて、少しでもと体温を留める。
 二人は昇降口から出た所に居るが、一人通れるほどの隙間が空いていて声がはっきりと聞こえた。

 ダッフルコートを肩に掛けた一華の目元は良く見えなかったが、嗚咽おえつらした彼女を智が両腕で抱き締める。

 智は魔法使いだ。慌ててみさぎが気配を消した所で、とっくに気付いているだろう。
 聞き耳を立てるなんて良くないと今更ながらに思ったが、そこから動くことができなかった。

 もう夜も大分遅い。
 二人がここで会った経緯は分からないが、恋人同士の密会なんて甘い雰囲気は全くなかった。バーベキューの時の余所余所よそよそしさも、きっと絡んでいるのだろう。

「俺、この戦いに決着が付いたら、お前とターメイヤに戻るよ」

 智が「一華」と名前を呼んで、彼女の頭を胸に抱いた。
 一華は返事をしなかった。肩を震わせるように首を横に振る。

「肉体ごと転移できるなら、俺だって向こうに行けるだろ?」
「駄目よ。貴方はこの世界の人なのよ? こっちの家族を捨てて、突然いなくなるつもり? 私たちとは同じじゃないの。その身体が移動に耐えられるとは限らないのよ?」
「俺は、お前とまた別れるくらいなら、こっちに未練はないよ」
「駄目!」

 一華は「駄目」を繰り返して顔を上げた。
 月明かりに照らされた彼女の顔は、涙でいっぱいになっている。
 このハロン戦が終わったら、大人組はターメイヤに戻るのだと彼女から聞いている。そのことを智には内緒にしてくれと言われていたが、実際はバレてしまったんだろう。

 その現実を知った智が選ぼうとした選択を、一華はハッキリと否定する。
 智の胸を握り締めた一華の手に、ぎゅっと力がこもった。

「もう、大事な人を失いたくないの」

 十年前、ターメイヤから日本への転移で、一華は一緒に来た祖父のダルニーを亡くしている。
 みさぎは、メラーレが小さい頃からお爺ちゃん子なのを知っている。だから、彼女の想いは痛いほどわかった。

「俺を失うとか思ってる? そんな心配されたら、俺はお前を諦めるなんてできないよ」

 智は泣き出した一華にキスをする。激しいキスだ。
 こんな哀しいキスは見たくなかった。
 みさぎはそっと足を引いて、その場を離れた。


   ☆
 和室に戻り、足を忍ばせて布団へ潜り込む。
 仰向けに目を瞑るさきは熟睡中で、何か口を動かしながら「むにゃむにゃ」と音を立てている。
 みなとはみさぎの布団の方へ身体を向けていた。布団と布団の距離は、枕一つ分ほどだ。
 勿論もちろん寝ていると思ったのに、彼の寝顔を覗き込んだ途端、パチリと目が開いた。

「みさぎ」

 はっきりした声で呼ばれた衝撃に、悲鳴を上げそうになった。
 素早く伸びた彼の手が「静かに」とみさぎの口を押さえつける。驚いた顔を硬直させたままうなずくと、湊はその手でみさぎの頭を撫でた。 
 そっと寄せられた身体に、ドキドキした心臓が全然静まってくれない。

 ただし、じっと見つめる彼の目はじっとりと嫉妬しっとを含んでいた。

「智の所行ってたの?」
「ごめん」

 みさぎは肩をすくめるように頭を下げる。

「湊くんも起きてたの?」
「みさぎが出ていく時の音で気付いたんだよ。智も居なかったし」

 彼も寝付けなかったのだろうか。あやに早く寝ろと言われたものの、こんな時に咲のように熟睡できるのはある意味特技だと言えるのかもしれない。

「智くんが起きてたから、少し話でもしようと思ったんだけど……」

 さっき見たシーンが浮かんで、込み上げた思いにそれ以上話すことができなかった。
 一華の涙への不安があのキスに全部持っていかれてしまい、みさぎは恥ずかしくなって湊から目を逸らす。
 湊はそんなみさぎの葛藤に気付くこともなく、「しょうがないな」と苦笑した。

「何か見た?」
「……うん」

 うなずくと遠くに足音が聞こえて、みさぎは「智くんだ」とささやく。
 彼が戻ってきた。
 起きていたんだと誤魔化すこともできずに息を潜めると、湊が自分の布団に戻って枕元に出たみさぎの手を握り締めた。

 外の空気に冷えた手に、彼の体温がにじんでいく。
 湊の口が「寝よう」と動いて、みさぎは「おやすみなさい」と目を閉じる。
 彼との距離と、さっき見たキスと、付け足したようなハロンへの恐怖が入り混じってまた寝ることができない。

 流石に二日目の夜更かしは睡魔が下りてきてくれたが、寝付いたのは日をまたいだころだった。

 そして目覚めは突然にやってくる。
 湊が悪夢に叫び声を上げたのだ。




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