129 / 190
9章 旗
121 彼の部屋はどんな部屋
しおりを挟む
部屋でDVDの続きを見ようかと提案したところで、ふと足元の布団がみさぎの目に飛び込んできた。今夜咲が寝る予定の布団だ。
視線が枕にロックオンしてしまうのは、蓮がこの間『眼鏡くんの部屋に抱き枕があったらどうする』などと言ったせいだ。今更ながらに気になって、つい聞いてしまう。
「湊くんって、どんな枕使ってるの?」
「枕? なんで突然」
「あ、ううん。別に深い意味はないんだけど。どんなのかなぁって思って」
抱き枕を使ってるのかとは聞けず、精一杯のさりげなさを装う。
湊は少しだけ見せた警戒心を解いて、咲用の枕を掌で押した。
「俺んちのはもう少し硬いかな。これより一回りくらい大きいけど」
「そうなんだ。が、柄は?」
「えっ柄? いや、水色の無地だった気がするけど。親が買ってきたやつだし、あんまり覚えてないな」
「水色の無地なんだね!」
湊に怪しまれないように、みさぎはそっと安堵する。
彼の枕が美少女の萌え絵かどうかなんて、杞憂に過ぎなかったようだ。
「当たり前だよね」
「何が?」
つい漏らした声に湊が反応した。
「ううん、こっちの話。湊くんの部屋ってどんな部屋なのかなって思って」
「えっ……普通だよ?」
一瞬湊が答えを躊躇ったように見えたけれど、そこへの疑問は彼の「あれ」という声に遮られる。
「どうしたの?」
みさぎが首を傾げると、彼は人差し指を唇に立てて入口の扉へ顔を向けた。
ずっと静かだった廊下の向こうに高い声が響いているのが分かって、みさぎはそっと扉を開ける。
二つ向こうの蓮の部屋から、泣き声が聞こえた。
「咲ちゃんだ」
泣きじゃくる咲の声に動揺して、みさぎはドアノブを握り締めたまま湊を振り返った。
彼はみさぎの手を引いて、扉を閉める。
「聞いたら悪いよ」
「うん……」
けれど何故咲が泣いているのか、みさぎには見当がつかなかった。さっき部屋から出ていった時までは、いつも通りの彼女だったはずだ。
「何かあったのかな」
「お兄さんがついてるんだから大丈夫だよ」
「そう……なのかな。私、こんな声で泣く兄様も咲ちゃんも見たことないよ」
ヒルスはよく泣いていたけれど、それはもっとあからさまで、大袈裟でうるさかった。
なのに今はそうじゃない。
聞いているこっちの胸に刺さるような悲痛な泣き声に不安が舞い降りて、みさぎは湊の手を握り締める。
こんなヒルスの一面があったことを知らなかった。
ずっと一緒だったのに、それを出さないように振舞っていたのだろうか。
「あの人は妹に助けを求めて泣く人じゃないよ。みさぎは、自分のせいだとか、そんな風には思うなよ? あの人だってそんなこと思ってもいないだろうから。お兄さんが居るから吐き出してるんだと思う。涙って、誰にでも見せるものじゃないだろ?」
「咲ちゃんにとって、その相手がお兄ちゃんってことなのか……」
みさぎは、自分が最後にあんな風に泣いたのはいつだろうと考えたけれど、全然思い出すことができなかった。この間の雨の部活で湊に抱きしめられた時も、泣いていたわけじゃない。
「咲ちゃんは、私の事で泣いてるのかな……」
「分からないけど、今はお兄さんに任せればいいよ」
「うん……」
「寂しいって顔してる。海堂の事取られたって思ってるの?」
「だって」
咲が蓮と付き合うと聞いてから、ぼんやりとだけれどずっと思っていた。
執拗な干渉は嫌だと思うのに、離れると寂しい。咲が少し遠くなってしまったような気がしてしまう。
「けど、それだけじゃないの。お兄ちゃんを咲ちゃんに取られたような気もしてる」
今まで蓮に彼女ができても何とも思わなかったのに、咲に対して何故自分がそんな感情を抱いているのかもわからない。
「それはみさぎにしか味わえない複雑な気持ちだな」
前世の兄と、今の兄が男女として付き合っている──他の誰も経験したことのない事だろう。
苦笑する湊の声に、ドカドカという足音が重なった。
「えっ、お兄ちゃん?」
いつしか咲の声がやんでいることに気付いて湊と顔を見合わせると、トントンいうノックのすぐ後に蓮が部屋に入り込んできた。
みさぎは湊と繋いでいた手を離す。
「お兄ちゃん! 突然入らないでって言ってるでしょ? 咲ちゃんが泣いてるの聞こえたけど、お兄ちゃん咲ちゃんに何かしたの?」
蓮の白いTシャツが、胸の部分だけぐっしょりと濡れている。
「何かしたのとは失礼な。咲は熱のせいでちょっと興奮してただけだよ」
「熱って、咲ちゃん熱あるの?」
それは午前中、咲が雨の中部活に行ったせいだろうか。
「あぁ。少し熱いから、客間の布団持ってって俺の部屋に泊めるよ。そっちはうまくやってくれる? 湊くん、みさぎのこと頼むね」
「あ、はい」
「咲は俺が看るから、二人は心配しなくていいよ。あ、咲の荷物持っていくね」
看病したいと言い出す隙も与えず、蓮は用事だけを早口に伝えて疾風のように去っていく。
「咲ちゃん、大丈夫かな」
とは言ったもの、みさぎが熱を出した時も蓮は世話をしてくれるから問題はないだろう。
さっきご飯を作っている時に咲と手を繋いで温かいと感じたのは、熱のせいだったのだろうか。
繋いだ手の感触を思い出して視線を落とすと、みさぎは重要な問題に気付く。
咲の熱も心配だけれど、彼女の寝る筈だったこの部屋の布団が、今湊の寝る布団に変わってしまったのだ。
視線が枕にロックオンしてしまうのは、蓮がこの間『眼鏡くんの部屋に抱き枕があったらどうする』などと言ったせいだ。今更ながらに気になって、つい聞いてしまう。
「湊くんって、どんな枕使ってるの?」
「枕? なんで突然」
「あ、ううん。別に深い意味はないんだけど。どんなのかなぁって思って」
抱き枕を使ってるのかとは聞けず、精一杯のさりげなさを装う。
湊は少しだけ見せた警戒心を解いて、咲用の枕を掌で押した。
「俺んちのはもう少し硬いかな。これより一回りくらい大きいけど」
「そうなんだ。が、柄は?」
「えっ柄? いや、水色の無地だった気がするけど。親が買ってきたやつだし、あんまり覚えてないな」
「水色の無地なんだね!」
湊に怪しまれないように、みさぎはそっと安堵する。
彼の枕が美少女の萌え絵かどうかなんて、杞憂に過ぎなかったようだ。
「当たり前だよね」
「何が?」
つい漏らした声に湊が反応した。
「ううん、こっちの話。湊くんの部屋ってどんな部屋なのかなって思って」
「えっ……普通だよ?」
一瞬湊が答えを躊躇ったように見えたけれど、そこへの疑問は彼の「あれ」という声に遮られる。
「どうしたの?」
みさぎが首を傾げると、彼は人差し指を唇に立てて入口の扉へ顔を向けた。
ずっと静かだった廊下の向こうに高い声が響いているのが分かって、みさぎはそっと扉を開ける。
二つ向こうの蓮の部屋から、泣き声が聞こえた。
「咲ちゃんだ」
泣きじゃくる咲の声に動揺して、みさぎはドアノブを握り締めたまま湊を振り返った。
彼はみさぎの手を引いて、扉を閉める。
「聞いたら悪いよ」
「うん……」
けれど何故咲が泣いているのか、みさぎには見当がつかなかった。さっき部屋から出ていった時までは、いつも通りの彼女だったはずだ。
「何かあったのかな」
「お兄さんがついてるんだから大丈夫だよ」
「そう……なのかな。私、こんな声で泣く兄様も咲ちゃんも見たことないよ」
ヒルスはよく泣いていたけれど、それはもっとあからさまで、大袈裟でうるさかった。
なのに今はそうじゃない。
聞いているこっちの胸に刺さるような悲痛な泣き声に不安が舞い降りて、みさぎは湊の手を握り締める。
こんなヒルスの一面があったことを知らなかった。
ずっと一緒だったのに、それを出さないように振舞っていたのだろうか。
「あの人は妹に助けを求めて泣く人じゃないよ。みさぎは、自分のせいだとか、そんな風には思うなよ? あの人だってそんなこと思ってもいないだろうから。お兄さんが居るから吐き出してるんだと思う。涙って、誰にでも見せるものじゃないだろ?」
「咲ちゃんにとって、その相手がお兄ちゃんってことなのか……」
みさぎは、自分が最後にあんな風に泣いたのはいつだろうと考えたけれど、全然思い出すことができなかった。この間の雨の部活で湊に抱きしめられた時も、泣いていたわけじゃない。
「咲ちゃんは、私の事で泣いてるのかな……」
「分からないけど、今はお兄さんに任せればいいよ」
「うん……」
「寂しいって顔してる。海堂の事取られたって思ってるの?」
「だって」
咲が蓮と付き合うと聞いてから、ぼんやりとだけれどずっと思っていた。
執拗な干渉は嫌だと思うのに、離れると寂しい。咲が少し遠くなってしまったような気がしてしまう。
「けど、それだけじゃないの。お兄ちゃんを咲ちゃんに取られたような気もしてる」
今まで蓮に彼女ができても何とも思わなかったのに、咲に対して何故自分がそんな感情を抱いているのかもわからない。
「それはみさぎにしか味わえない複雑な気持ちだな」
前世の兄と、今の兄が男女として付き合っている──他の誰も経験したことのない事だろう。
苦笑する湊の声に、ドカドカという足音が重なった。
「えっ、お兄ちゃん?」
いつしか咲の声がやんでいることに気付いて湊と顔を見合わせると、トントンいうノックのすぐ後に蓮が部屋に入り込んできた。
みさぎは湊と繋いでいた手を離す。
「お兄ちゃん! 突然入らないでって言ってるでしょ? 咲ちゃんが泣いてるの聞こえたけど、お兄ちゃん咲ちゃんに何かしたの?」
蓮の白いTシャツが、胸の部分だけぐっしょりと濡れている。
「何かしたのとは失礼な。咲は熱のせいでちょっと興奮してただけだよ」
「熱って、咲ちゃん熱あるの?」
それは午前中、咲が雨の中部活に行ったせいだろうか。
「あぁ。少し熱いから、客間の布団持ってって俺の部屋に泊めるよ。そっちはうまくやってくれる? 湊くん、みさぎのこと頼むね」
「あ、はい」
「咲は俺が看るから、二人は心配しなくていいよ。あ、咲の荷物持っていくね」
看病したいと言い出す隙も与えず、蓮は用事だけを早口に伝えて疾風のように去っていく。
「咲ちゃん、大丈夫かな」
とは言ったもの、みさぎが熱を出した時も蓮は世話をしてくれるから問題はないだろう。
さっきご飯を作っている時に咲と手を繋いで温かいと感じたのは、熱のせいだったのだろうか。
繋いだ手の感触を思い出して視線を落とすと、みさぎは重要な問題に気付く。
咲の熱も心配だけれど、彼女の寝る筈だったこの部屋の布団が、今湊の寝る布団に変わってしまったのだ。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
引きこもり転生エルフ、仕方なく旅に出る
Greis
ファンタジー
旧題:引きこもり転生エルフ、強制的に旅に出される
・2021/10/29 第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞 こちらの賞をアルファポリス様から頂く事が出来ました。
実家暮らし、25歳のぽっちゃり会社員の俺は、日ごろの不摂生がたたり、読書中に死亡。転生先は、剣と魔法の世界の一種族、エルフだ。一分一秒も無駄にできない前世に比べると、だいぶのんびりしている今世の生活の方が、自分に合っていた。次第に、兄や姉、友人などが、見分のために外に出ていくのを見送る俺を、心配しだす両親や師匠たち。そしてついに、(強制的に)旅に出ることになりました。
※のんびり進むので、戦闘に関しては、話数が進んでからになりますので、ご注意ください。
【完結】いせてつ 〜TS転生令嬢レティシアの異世界鉄道開拓記〜
O.T.I
ファンタジー
レティシア=モーリスは転生者である。
しかし、前世の鉄道オタク(乗り鉄)の記憶を持っているのに、この世界には鉄道が無いと絶望していた。
…無いんだったら私が作る!
そう決意する彼女は如何にして異世界に鉄道を普及させるのか、その半生を綴る。
TS転移勇者、隣国で冒険者として生きていく~召喚されて早々、ニセ勇者と罵られ王国に処分されそうになった俺。実は最強のチートスキル持ちだった~
夏芽空
ファンタジー
しがないサラリーマンをしていたユウリは、勇者として異世界に召喚された。
そんなユウリに対し、召喚元の国王はこう言ったのだ――『ニセ勇者』と。
召喚された勇者は通常、大いなる力を持つとされている。
だが、ユウリが所持していたスキルは初級魔法である【ファイアボール】、そして、【勇者覚醒】という効果の分からないスキルのみだった。
多大な準備を費やして召喚した勇者が役立たずだったことに大きく憤慨した国王は、ユウリを殺処分しようとする。
それを知ったユウリは逃亡。
しかし、追手に見つかり殺されそうになってしまう。
そのとき、【勇者覚醒】の効果が発動した。
【勇者覚醒】の効果は、全てのステータスを極限レベルまで引き上げるという、とんでもないチートスキルだった。
チートスキルによって追手を処理したユウリは、他国へ潜伏。
その地で、冒険者として生きていくことを決めたのだった。
※TS要素があります(主人公)
俺と合体した魔王の娘が残念すぎる
めらめら
ファンタジー
魔法が使えない中学生、御崎ソーマ。
ソーマはある事件をきっかけに、異世界からやって来た魔王の第3王女ルシオンと合体してしまう。
何かを探すために魔物を狩りまくるルシオンに、振り回されまくるソーマ。
崩壊する日常。
2人に襲いかかる異世界の魔王たち。
どうなるソーマの生活。
どうなるこの世界。
不定期ゆっくり連載。
残酷な描写あり。
微エロ注意。
ご意見、ご感想をいただくとめちゃくちゃ喜びます。
僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた
楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。
この作品はハーメルン様でも掲載しています。
異世界転移「スキル無!」~授かったユニークスキルは「なし」ではなく触れたモノを「無」に帰す最強スキルだったようです~
夢・風魔
ファンタジー
林間学校の最中に召喚(誘拐?)された鈴村翔は「スキルが無い役立たずはいらない」と金髪縦ロール女に言われ、その場に取り残された。
しかしそのスキル鑑定は間違っていた。スキルが無いのではなく、転移特典で授かったのは『無』というスキルだったのだ。
とにかく生き残るために行動を起こした翔は、モンスターに襲われていた双子のエルフ姉妹を助ける。
エルフの里へと案内された翔は、林間学校で用意したキャンプ用品一式を使って彼らの食生活を改革することに。
スキル『無』で時々無双。双子の美少女エルフや木に宿る幼女精霊に囲まれ、翔の異世界生活冒険譚は始まった。
*小説家になろう・カクヨムでも投稿しております(完結済み
根暗男が異世界転生してTS美少女になったら幸せになれますか?
みずがめ
ファンタジー
自身の暗い性格をコンプレックスに思っていた男が死んで異世界転生してしまう。
転生した先では性別が変わってしまい、いわゆるTS転生を果たして生活することとなった。
せっかく異世界ファンタジーで魔法の才能に溢れた美少女になったのだ。元男は前世では掴めなかった幸せのために奮闘するのであった。
これは前世での後悔を引きずりながらもがんばっていく、TS少女の物語である。
※この作品は他サイトにも掲載しています。
転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる