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9章 旗

121 彼の部屋はどんな部屋

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 部屋でDVDの続きを見ようかと提案したところで、ふと足元の布団がみさぎの目に飛び込んできた。今夜さきが寝る予定の布団だ。

 視線が枕にロックオンしてしまうのは、れんがこの間『眼鏡くんの部屋に抱き枕があったらどうする』などと言ったせいだ。今更いまさらながらに気になって、つい聞いてしまう。

みなとくんって、どんな枕使ってるの?」
「枕? なんで突然」
「あ、ううん。別に深い意味はないんだけど。どんなのかなぁって思って」

 抱き枕を使ってるのかとは聞けず、精一杯のさりげなさをよそおう。
 湊は少しだけ見せた警戒心を解いて、咲用の枕をてのひらで押した。

「俺んちのはもう少し硬いかな。これより一回りくらい大きいけど」
「そうなんだ。が、柄は?」
「えっ柄? いや、水色の無地だった気がするけど。親が買ってきたやつだし、あんまり覚えてないな」
「水色の無地なんだね!」

 湊に怪しまれないように、みさぎはそっと安堵あんどする。
 彼の枕が美少女の萌え絵かどうかなんて、杞憂きゆうに過ぎなかったようだ。

「当たり前だよね」
「何が?」

 ついらした声に湊が反応した。

「ううん、こっちの話。湊くんの部屋ってどんな部屋なのかなって思って」
「えっ……普通だよ?」

 一瞬湊が答えを躊躇ためらったように見えたけれど、そこへの疑問は彼の「あれ」という声にさえぎられる。

「どうしたの?」

 みさぎが首を傾げると、彼は人差し指を唇に立てて入口の扉へ顔を向けた。
 ずっと静かだった廊下の向こうに高い声が響いているのが分かって、みさぎはそっと扉を開ける。
 二つ向こうの蓮の部屋から、泣き声が聞こえた。

「咲ちゃんだ」

 泣きじゃくる咲の声に動揺どうようして、みさぎはドアノブを握り締めたまま湊を振り返った。
 彼はみさぎの手を引いて、扉を閉める。

「聞いたら悪いよ」
「うん……」

 けれど何故咲が泣いているのか、みさぎには見当がつかなかった。さっき部屋から出ていった時までは、いつも通りの彼女だったはずだ。

「何かあったのかな」
「お兄さんがついてるんだから大丈夫だよ」
「そう……なのかな。私、こんな声で泣く兄様も咲ちゃんも見たことないよ」

 ヒルスはよく泣いていたけれど、それはもっとあからさまで、大袈裟おおげさでうるさかった。
 なのに今はそうじゃない。
 聞いているこっちの胸に刺さるような悲痛な泣き声に不安が舞い降りて、みさぎは湊の手を握り締める。

 こんなヒルスの一面があったことを知らなかった。
 ずっと一緒だったのに、それを出さないように振舞っていたのだろうか。

「あの人は妹に助けを求めて泣く人じゃないよ。みさぎは、自分のせいだとか、そんな風には思うなよ? あの人だってそんなこと思ってもいないだろうから。お兄さんが居るから吐き出してるんだと思う。涙って、誰にでも見せるものじゃないだろ?」
「咲ちゃんにとって、その相手がお兄ちゃんってことなのか……」

 みさぎは、自分が最後にあんな風に泣いたのはいつだろうと考えたけれど、全然思い出すことができなかった。この間の雨の部活で湊に抱きしめられた時も、泣いていたわけじゃない。

「咲ちゃんは、私の事で泣いてるのかな……」
「分からないけど、今はお兄さんに任せればいいよ」
「うん……」
「寂しいって顔してる。海堂の事取られたって思ってるの?」
「だって」

 咲が蓮と付き合うと聞いてから、ぼんやりとだけれどずっと思っていた。
 執拗しつような干渉は嫌だと思うのに、離れると寂しい。咲が少し遠くなってしまったような気がしてしまう。

「けど、それだけじゃないの。お兄ちゃんを咲ちゃんに取られたような気もしてる」

 今まで蓮に彼女ができても何とも思わなかったのに、咲に対して何故自分がそんな感情を抱いているのかもわからない。

「それはみさぎにしか味わえない複雑な気持ちだな」

 前世の兄と、今の兄が男女として付き合っている──他の誰も経験したことのない事だろう。
 苦笑する湊の声に、ドカドカという足音が重なった。

「えっ、お兄ちゃん?」

 いつしか咲の声がやんでいることに気付いて湊と顔を見合わせると、トントンいうノックのすぐ後に蓮が部屋に入り込んできた。
 みさぎは湊と繋いでいた手を離す。

「お兄ちゃん! 突然入らないでって言ってるでしょ? 咲ちゃんが泣いてるの聞こえたけど、お兄ちゃん咲ちゃんに何かしたの?」

 蓮の白いTシャツが、胸の部分だけぐっしょりと濡れている。

「何かしたのとは失礼な。咲は熱のせいでちょっと興奮してただけだよ」
「熱って、咲ちゃん熱あるの?」

 それは午前中、咲が雨の中部活に行ったせいだろうか。

「あぁ。少し熱いから、客間の布団持ってって俺の部屋に泊めるよ。そっちはうまくやってくれる? 湊くん、みさぎのこと頼むね」
「あ、はい」
「咲は俺が看るから、二人は心配しなくていいよ。あ、咲の荷物持っていくね」

 看病したいと言い出すすきも与えず、蓮は用事だけを早口に伝えて疾風しっぷうのように去っていく。

「咲ちゃん、大丈夫かな」

 とは言ったもの、みさぎが熱を出した時も蓮は世話をしてくれるから問題はないだろう。
 さっきご飯を作っている時に咲と手を繋いで温かいと感じたのは、熱のせいだったのだろうか。

 繋いだ手の感触を思い出して視線を落とすと、みさぎは重要な問題に気付く。
 咲の熱も心配だけれど、彼女の寝る筈だったこの部屋の布団が、今湊の寝る布団に変わってしまったのだ。





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