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5章 10月1日のハロン
62 お前がリーナだよ
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その闇がハロンだと腑に落ちた理由は分からない。
田中商店で智たちにハロンの話を聞いた時に思い描いたのは、特撮映画に出てくるような恐怖の大怪獣だった。
なのに実態の見えない闇にハロンだと呼び掛けて、みさぎは横たわる影を一瞥した。
彼は本当に智なのだろうか。
生きているのだろうか――と懸念して、少しずつ闇に慣れてきた目を凝らすと、カサリと小さな音が鳴った。腰の横に伸びた手が、地面の砂をそっとかく。
ほんの少しだったが生きていると確信して、みさぎは声を張り上げた。
「智くん! 死んじゃダメ! 湊くんが来るまで生きてて!」
広場全体がハロンに浸食されて、智はその腹の中に居る状態と言っても過言ではない。
大体、この魔物はいつからここに居るのだろう。
湊と来た時に感じた匂いは、ガスが充満するように少しずつ濃くなったのかもしれない。
「けど……これと戦うって、どういうことなんだろう」
敵はみさぎに対して攻撃してくる素振りは見せない。気付いていないとは思えないけれど。
「私がもしリーナだったら、智くんを助けられるかな」
彼に、勝手に動いては駄目だと言われたけれど、ここから逃げ出すわけにもいかなかった。
みさぎは人差し指を立てて、弾かれた境界線にもう一度手を伸ばした。
来た道と広場の境目で、指先にまたバチリと痛みが走る。
「クッ」
歯を食いしばって堪えると、痛みは次第に麻痺していった。
いけると思って、みさぎは柔らかく生温い感触にそのまま指を押し込んでいく。
けれど手が半分ほど闇に飲まれた所で、今度は痛みが全身を貫いた。
「嫌ぁぁあ!」
慌てて手を抜いて、患部を強く押さえつける。
このまま闇雲に手を出すのは無謀でしかない。何もできないまま命を削られてしまうことを恐れて、みさぎはスマホを取り出した。
湊から『どこ?』とメールが来ていた。
表示時刻からすると、この山に入る前だろうか。マナーモードになっていて、全然気付くことができなかった。
彼はまだこの状況に気付いていないのだろうか。
返信を打とうとした指を、みさぎはコールボタンへ移動させる。電波を探って少し間を置いた後に、呼び出しのコールが鳴り出した。
「湊くん、出て……」
スマホを両手に握り締めると、来た道の向こうから小さく着信音が鳴り出した。
「え? 湊くん?」
後れて複数の足音がバタバタと近付いてきて、「はい」と出た返事が闇から現れた彼の声と重なった。
「荒助さん、良かった」
濃い藍色の闇から現れたのは、湊と咲だった。
突然「おい」と咲が湊を睨む。「いいから」と聞き流す湊たちの意味深なやりとりを挟んで、二人はみさぎに「良かったぁ」と安堵を広げた。
駆け寄って来た湊を遮って、咲が「みさぎぃ」とみさぎに抱き着く。
「咲ちゃん、湊くん。どうしてここが?」
「お前がここにいると思ったからだよ。智はいないのか?」
ぎゅうっと抱きしめる咲に「ありがとう」と言って、みさぎは不安顔を湊に向ける。
「湊くん、智くんがそこに……」
闇を振り向くみさぎの視線を追って、二人は息を呑んだ。
「智!」
闇の中に影を見つけて、湊が「おい」と呼びかけるが反応はない。
「私が来た時にはもうこうなってたの。さっき少し動いたから、まだ生きてると思うけど」
みさぎは早口に説明して、咲を離れた。広場を背に両手を大きく開く。
「そっちはいっちゃ駄目。広場に入ると、闇に拒絶されるから」
「荒助さん、どういうこと?」
「湊くんは、この匂いを感じないの? もうずっと甘い匂いが漂ってるんだよ」
「匂いって……ルーシャが言ってたやつか」
「えっ」と怪訝な顔を見せる二人に、みさぎは再び背後の闇を一瞥した。
「私が言うのもおかしいのかもしれないけど、この闇がハロンだと思うんだ」
湊は広場をぐるりと見まわして眉を顰めた。
「これが……?」
絞り出すように呟いた湊と顔を見合わせて、咲が「そうなんだろうな」と頷く。
「けど湊、お前には感じるか? 僕にはさっぱりだよ」
「俺だってそうだ。俺たちが戦ったハロンは、もっと分かりやすい形だった。同じ名前で呼んでたけど、アレとは別物なのか?」
「僕は後のハロンも遠目にしか見てないけどね」
自分を「僕」と言って湊と話す咲が、みさぎには別人のように見えた。
咲はもう一度湊と顔を見合わせると、みさぎの前に出てその肩に両手を乗せる。
「みさぎ、智を助けたいと思うか?」
「もちろんだよ」
咲はどこか悲しい顔を浮かべて「わかったよ」と頷いた。
「みさぎはそう言うと思ってた。僕も今はそう思える。だから、全部戻してあげるからね」
「えっ……咲ちゃん?」
彼女は何を言っているのだろうか。高校に入って知り合った親友の咲は、過去なんてない普通の日本人だったはずだ。
「戻す、って」
「みさぎ」
咲がまたみさぎを抱きしめた。辺りに漂う甘い香りに、彼女の匂いが混じる。
入学式に「会いたかったよ」と言って抱き着いてきた彼女を思い出した。
「どうしたの?」と戸惑うと、咲はみさぎの耳元に唇を寄せて、その事実を口にする。
「お前がリーナだよ」
その後に咲が口にした言葉は呪文のようで、みさぎには聞き取ることができなかった。
田中商店で智たちにハロンの話を聞いた時に思い描いたのは、特撮映画に出てくるような恐怖の大怪獣だった。
なのに実態の見えない闇にハロンだと呼び掛けて、みさぎは横たわる影を一瞥した。
彼は本当に智なのだろうか。
生きているのだろうか――と懸念して、少しずつ闇に慣れてきた目を凝らすと、カサリと小さな音が鳴った。腰の横に伸びた手が、地面の砂をそっとかく。
ほんの少しだったが生きていると確信して、みさぎは声を張り上げた。
「智くん! 死んじゃダメ! 湊くんが来るまで生きてて!」
広場全体がハロンに浸食されて、智はその腹の中に居る状態と言っても過言ではない。
大体、この魔物はいつからここに居るのだろう。
湊と来た時に感じた匂いは、ガスが充満するように少しずつ濃くなったのかもしれない。
「けど……これと戦うって、どういうことなんだろう」
敵はみさぎに対して攻撃してくる素振りは見せない。気付いていないとは思えないけれど。
「私がもしリーナだったら、智くんを助けられるかな」
彼に、勝手に動いては駄目だと言われたけれど、ここから逃げ出すわけにもいかなかった。
みさぎは人差し指を立てて、弾かれた境界線にもう一度手を伸ばした。
来た道と広場の境目で、指先にまたバチリと痛みが走る。
「クッ」
歯を食いしばって堪えると、痛みは次第に麻痺していった。
いけると思って、みさぎは柔らかく生温い感触にそのまま指を押し込んでいく。
けれど手が半分ほど闇に飲まれた所で、今度は痛みが全身を貫いた。
「嫌ぁぁあ!」
慌てて手を抜いて、患部を強く押さえつける。
このまま闇雲に手を出すのは無謀でしかない。何もできないまま命を削られてしまうことを恐れて、みさぎはスマホを取り出した。
湊から『どこ?』とメールが来ていた。
表示時刻からすると、この山に入る前だろうか。マナーモードになっていて、全然気付くことができなかった。
彼はまだこの状況に気付いていないのだろうか。
返信を打とうとした指を、みさぎはコールボタンへ移動させる。電波を探って少し間を置いた後に、呼び出しのコールが鳴り出した。
「湊くん、出て……」
スマホを両手に握り締めると、来た道の向こうから小さく着信音が鳴り出した。
「え? 湊くん?」
後れて複数の足音がバタバタと近付いてきて、「はい」と出た返事が闇から現れた彼の声と重なった。
「荒助さん、良かった」
濃い藍色の闇から現れたのは、湊と咲だった。
突然「おい」と咲が湊を睨む。「いいから」と聞き流す湊たちの意味深なやりとりを挟んで、二人はみさぎに「良かったぁ」と安堵を広げた。
駆け寄って来た湊を遮って、咲が「みさぎぃ」とみさぎに抱き着く。
「咲ちゃん、湊くん。どうしてここが?」
「お前がここにいると思ったからだよ。智はいないのか?」
ぎゅうっと抱きしめる咲に「ありがとう」と言って、みさぎは不安顔を湊に向ける。
「湊くん、智くんがそこに……」
闇を振り向くみさぎの視線を追って、二人は息を呑んだ。
「智!」
闇の中に影を見つけて、湊が「おい」と呼びかけるが反応はない。
「私が来た時にはもうこうなってたの。さっき少し動いたから、まだ生きてると思うけど」
みさぎは早口に説明して、咲を離れた。広場を背に両手を大きく開く。
「そっちはいっちゃ駄目。広場に入ると、闇に拒絶されるから」
「荒助さん、どういうこと?」
「湊くんは、この匂いを感じないの? もうずっと甘い匂いが漂ってるんだよ」
「匂いって……ルーシャが言ってたやつか」
「えっ」と怪訝な顔を見せる二人に、みさぎは再び背後の闇を一瞥した。
「私が言うのもおかしいのかもしれないけど、この闇がハロンだと思うんだ」
湊は広場をぐるりと見まわして眉を顰めた。
「これが……?」
絞り出すように呟いた湊と顔を見合わせて、咲が「そうなんだろうな」と頷く。
「けど湊、お前には感じるか? 僕にはさっぱりだよ」
「俺だってそうだ。俺たちが戦ったハロンは、もっと分かりやすい形だった。同じ名前で呼んでたけど、アレとは別物なのか?」
「僕は後のハロンも遠目にしか見てないけどね」
自分を「僕」と言って湊と話す咲が、みさぎには別人のように見えた。
咲はもう一度湊と顔を見合わせると、みさぎの前に出てその肩に両手を乗せる。
「みさぎ、智を助けたいと思うか?」
「もちろんだよ」
咲はどこか悲しい顔を浮かべて「わかったよ」と頷いた。
「みさぎはそう言うと思ってた。僕も今はそう思える。だから、全部戻してあげるからね」
「えっ……咲ちゃん?」
彼女は何を言っているのだろうか。高校に入って知り合った親友の咲は、過去なんてない普通の日本人だったはずだ。
「戻す、って」
「みさぎ」
咲がまたみさぎを抱きしめた。辺りに漂う甘い香りに、彼女の匂いが混じる。
入学式に「会いたかったよ」と言って抱き着いてきた彼女を思い出した。
「どうしたの?」と戸惑うと、咲はみさぎの耳元に唇を寄せて、その事実を口にする。
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