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第67話・質量の正体と那須仮説

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 少年は成長し、やがて伝説の相場師と呼ばれるまでになる。
 そして難病の少女を囲い、病気を治すために相場の神と取引をするのだがうまく行かず。
 最後に相場の神との命を担保にした仕手合戦によって神の力を得た相場師は、少女にそれを与えて自分は彼岸へ退場した、という話だった。

「要約すると、難病の少女は助かったんですね?」
「いや、その少女・純音は正直に言うと難病ではなかったので、そもそも難病の少女自体が居なかったんだ」

 瀛洲さんが持参したノートPCの画面を見ながら訊いた。
 そこには、当時の病院の関係者や建物などの写真が表示されている。
 情報記録の為だろうか、写真の各々に矢印や短いコメントなどが付けられている。
 整然としており、まるで何かの説明のために用意された資料のように見えた。
 まさか俺にこんなプライベートな話をする為に用意したものじゃないだろうが、それじゃ何故?

「……まあ、酒場ジョークとかなら、ここで“そうか、そんな可哀そうな女の子は居なかったんだな、それは良かった”ってオチになるんでしょうけど」
「うむ、ジョークなら良かったんだがなあ」

 画面の中心にいる、十代半ばの頃という純音の顔写真。
 綺麗なショートボブと、色白で整った顔立ちに澄んだ瞳。その要素は一つも無いのだが、何故か猫っぽい印象を受けた。それと微妙な既視感も。

「でも何らかの病気が治ったのなら、その伝説の相場師がクスリを持ってきてくれたのでは?」
「その相場師とやらはすぐに調べたのだが、どこにもそんな人間は居なかったんだ」

 線でつなげられたその上には、母親らしき気の強そうな女性の顔写真。更にその横には、母親の歳の離れた妹というコメントと共に線の細そうな女性の写真があった。

「? では相場師の父親や悪魔の証券マンとかは?」
「もちろん居ない。悪魔の証券マンに至っては、もし居たとしても当時でも相場操縦で即逮捕の案件だろう」
「じゃあ目黒の豪邸や、場立ちが勝手に仕手戦なんてのも」
「誰かから聞いた話を元にした夢想だろうな」

 その線の細い女性の顔には見覚えがあった。那須の館に降りてきたヘリ、その中に乗っていた社長夫人。
 なるほど、件の少女・純音は瀛洲さんの奥さんの姉の娘という事か。それは無碍には出来ないよな。

「つまりは全て純音の作り話だったという事ですか」
「その時はそう思った。ただの不定愁訴ふていしゅうそだと思ってた少女が、快復と同時にワケの分からないことを言い始めたのだから」

 母親の横には旦那らしい男の顔が。この目つきの悪いおっさんが純音の父親であり、瀛洲さんと共に新薬の開発をした製薬会社のエンジニアなんだな。
 純音の話には全く出て来なかったが、思春期にありがちな父親を忌避する感情のせいだろうか。

「ワケ分からないって……で、でも一応筋は通ってましたよね。まあ難病の少女を救った男の顛末なんて、ありきたりなお話だとは思いますが」
「私も療養途中に陥った、せん妄状態で見た夢だったのだろう、と思っていたのだが……」

 奥歯にものの挟まったような物言いが気になって画面から目を外すと、瀛洲さんの少し困惑した顔があった。
 その表情から、十数年経った今でも純音との行き違いが解決されていないことが読み取れた。

「ああ、つまり私の話で純音の言う事に信ぴょう性が出てきたから」
「そうなんだ。キミの、いや加治屋クンの体験談によってね」
「そんなに似てましたか、その相場の神とやらと」
「うむ、加治屋クンに纏わりつこうとしたり、見る者によって姿かたちを変えるところなどは特に」

 二人称が、キミから名前呼びにクラスアップした。何でもとりあえず言ってみるもんだ。

「純音の話は分かりました。もしかするとあの妖怪みたいなものに会ってたのかもしれないんですね」

 アレに関わったことのある人物なら俺も会ってみたいものだ。だが……

「でも、それで何故純音をおびき寄せるなんてことを? 家出でもしたのですか?」
「ああ、いや、話にはまだ続きがあってな」

 瀛洲さんは、ノートPCを操作して画面を変えた。。
 新しい画面は、ほとんどが純音が主役のスナップショット写真だった。
 高校のらしい制服姿や大学の入学式らしいスーツ姿など時系列に沿った形で、イマイチ機嫌のよくなさそうな顔の純音が並んでいた。

「健康になった純音はその後高校・大学、院へと進学し、米国の某大学院へ留学する程に熱心に学んでいたようだった」
「いた、ようだった?」

 ツッコミを要求されてるような気がして、言葉尻を摘まみ上げてみた。
 本当は何を学んでいたのかを聞くべきなんだろうが。

「ああ、大学は母親が客員教授をしてるところへ入って、専攻も母親のと同じ経済学で、米国でもそれを学んでると思ってたんだよ」
「しかし、親元を離れたのを良い事に遊んでいた、とかですか」
「いや逆だ」

 そう言って瀛洲さんは再びPCを操作した。すると画面が切り替わり、何かのテレビ画面のキャプチャーらしい画像が表示された。
 それは何かの建物の中のようだった。
 マンハッタンにあるホットドッグスタンドのような、大きな液晶パネルが取り付けられた円形のカウンターと、それに群がる質素なジャケット姿の男たち。それらに混じって幾分年齢を重ねた純音の姿があった。

「どういう伝手を使ったのかは知らんが、NYSEニューヨーク証券取引所に潜り込んでいたんだ」

 この画像は、その様子を伝える現地のテレビのニュースなんだ、と瀛洲さんが教えてくれる。
 純音は頭にインコムを付け手にはペンタブを持って、周囲の背の高い男性たちに負けないように背のびをしてカウンターの中に何かを言ってるいるようだった。多分注文を出してるのだろう。
 その下に字幕。英文だが知ってる単語を拾ってみると、『私たちNYSEは人種や性別にとらわれない採用をしております』という風に読めた。
 どうやらリクルート番組だったようだ。

「そして間もなく辞めて、それからは相場でかなり儲けたらしい」

 言いながら瀛洲さんはPCを操作した。
 すると今度は、高価そうな服に身を包んだ純音が大きな牛の銅像の前でポーズをとってる画像に切り替わった。
 なんだろう、陰から獲物を見つめる猫のような、そんな印象を受ける一枚だった。
 探偵によると、この写真を撮ったという芸術家の米国人は、純音に何らかのインスピレーションを受けたと言ってたとか。

「ちなみに、これらの写真は純音を探すために頼んだ探偵が撮ってきたものだ」

 ああ、最初に見せられた顔写真の表は、その探偵に説明するために作られたんだな。
 さすがに俺用ってことはないか。

「……なるほど、そんなセンスが有るのだから相場の神の件もあながち妄想とは言い切れなくなったと?」
「まあそれもあるが、純音がもうけたのはカネだけじゃなかったんだ」

 瀛洲さんが示すPCの画面はいつの間にか切り替わっていた。
 今度は、大き目の写真が数枚並んでいた。

「ここからは、渡米した純音の母親が撮ったものだ」

 米国の郊外によくあるような、明るく開けた丘の上の閑静な住宅街。
 小綺麗な住宅と明るい緑の庭の組み合わせがいくつも整然と並んでいる。
 その中の、大き目の区画の中に白い壁の屋敷が一つ。

 周囲の如何にも米国東部風な意匠とは異なる、どちらかというと欧州的なその屋敷の玄関は、こじんまりとはしてるがちゃんと機能しそうな車止めを持っていた。

「いつの間にか純音は、子を産んで育てていたのだ」

 瀛洲さんは、車止めの前の庭に人が集まってる写真を指さした。
 そこには、中心にシックな服に身を包んだ純音と、その背後に3人の笑顔のメイドさんたち(米国風黒いドレスのメイドだ、本物は初めて見た)。

 そして、純音の前に、幼稚園なら年少さんくらいの年頃の、例の双子の少女たちが立っていたのだ。

「えっ、この子らって……」

 純音は、丈の短めな黒っぽい上着の前を開いていて、大きなベージュのチェリーマークが編み込まれたブラウンのセーターが見えている。
 前に立つ娘たちは、これはアリスワンピースと言うやつだろうか、ピンクのワンピースに小さな赤いワンポイントのついた白い前掛け。ワンポイントはよく見ると純音のセーターと同じ意匠のチェリーマークだった。つまりブランドを母娘お揃いにしてるのだろう。

「そう、館に行っていたあの双子だよ」

 頭の上に大きなリボンを乗せた双子は、裏の無さそうな笑顔を撮影者に向けている。メイドさんたちも微笑んでいるというのに、純音だけは何故か緊張した面持ちなのが印象に残った。

「ということは、つまり」

 探偵の調査結果を得た母親は渡米し、純音母娘を日本の自宅へ連れ帰った。
 しかし純音は長居せず、娘らを日本に置いて再び海外へ出て行ったとの事だった。

「私と妻が彼女らの親だというのは便宜上の事でな」

 瀛洲さんは再び探偵に純音の行方を調べるよう依頼したが、今度はその行方は杳として知れなかったらしい。

「対外的にはそういうことにして双子の居場所を確保しつつ、私たちは純音の帰りを待つしかなかったのだ」

 実際はただ待つだけではなく、製薬会社のHP上にプライベートなページを設置して、そこに双子の生活などを載せていたらしい。帰宅を促すコメントと共に。

「なるほど、館で双子を写真に撮らせたのはその為だったんですね」
「そう、それぐらいしか行方不明の純音に訴求する手段を思いつかなくてな」
「そうですか、それであんなに相場の神にこだわって……」

 納得は出来た。あの館が何のために建てられたのか、もしくは法帖老のこだわりとか全てが。
 それともう一つ、気になったのが。

「これは、スタリオンですね」

 写真奥の車止めに横向きに停まっている白い車体。それは最近乗ってるものと同じだった。

「よく分かったね。そうなんだ、純音が米国で足にしていたというクルマだ」
「ああ、それで」
「うん、ひょっとして純音が日本に戻ってきたのではないかと院長が思い、役所の人間に調べさせたのさ」

 それで、双子が反応してたんだな。納得。
 しかし住居の豪華さに反してクルマがあまりにもしょぼいという違和感は残ったが。
 その違和感に呼応するように、シンプルな疑問が出てきた。

「双子を双子の父親に任せるという選択肢はなかったのですか?」

 まあ何らかの障害(例えば死別とか)があるんだろうとは思うが。

「純音が、双子の父親については一切口を割らなかったんだ」

 答えもまたシンプルだった。
 瀛洲さんは念のために双子と純音のDNA鑑定をさる筋に依頼したらしい。それによると、母親は間違いなく純音で、父親は不明ながら確実に日本人という事が分かったそうな。
 だがDNA鑑定で分かるのはそこまでで。

「純音の言う事が真実ならば、その経緯から純音は相場の神を探していると思われるので、院長は純音に会って相場の神への会い方を訊きたがっているのだよ。だが……」

 実際は、行方不明になってそれっきりという事か。
 やれやれ大変なことだなと思ったが、瀛洲さんは別な考えを持っていた。

「だが、今はもうそんな事はどうでもいいんだ。それより相場の神が示したという引力の正体の方がよほど重要だ」

 そう言って、PCを操作し始める。
 そして画面上に丸と矢印を書き出した。

 A→〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
 B→                  〇

「もし本当に量子が明滅していて、それが人間には検出できない程に高速なものだったら、図のようにA原子が10回明滅する間にB原子は1回しか明滅しないという状況もあり得る。人間には検知できないだけで」

 まるで親のへそくりを見つけた高校生の息子のような熱っぽい目をして。

「しかもその原子たちを矢印方向から見たら、同じ1個で、中身も同じ要素で出来てるのに関わらず、原子の種類ごとに質量の差が存在することの証明にもなるので!」

 一気に捲くし立て始めた。

「いや、クォークも互い違いに明滅してるとしたら、いっそ力は電磁気力以外不要という事になって、超大統一理論の必要すら無くなって」

 ワケノワカラナイことを、滔々と。

「これはすぐに実証実験をするのは無理だから、とりあえず仮説、場所的に那須仮説とでも名付けて――」
「あの、すみません」

 流石に付き合いきれないと思い、口を挟んだ。
 もともとは俺の白昼夢だったかもしれないヨタ話をそこまで拡大解釈されると、居心地が悪いどころじゃない気分になったのだ。

「先に今日の目的を済ませてしまいませんか?」

 と、とりあえず申し訳なさそうな顔を作って提案したのだが。

「ああ、その事なんだが、済まないがあと12日私と付き合ってもらえないかねえ」

 と、さもそれが当然のように言ってきた。
 引力の正体とやらが、そんなに興味深いものだったのだろう。それで発見者である俺を手放す気にならないのだろう。

 確かに、俺も相場の神に会ったことがあるという純音には会って話をしてみたいし、双子も放置されてる現状には焦燥感に似た問題意識もある。
 だが、こんな青年丸出しの人間の下でこれ以上働きたくないと思ってしまったのだ。
 だから。

「折角のご提案を誠に恐縮ですが」

 と切り出し。

「私には基板設計という実業がありますので」

 と言って断らせてもらった。
 瀛洲さんは、何故か一瞬戸惑った表情を見せた。

 ………………

 …………

「ではこれで」
「うむ、まあ仕方ないか」

 法帖老からの仕事を今日をもって終了とする書面にサインをした。
 これで、明日退院したらすぐに会社に戻ることになる。

「今日は遠くからわざわざお越し頂きまして、本当にありがとうございました」
「いやなに、色々と面白い話も聞かせてもらったからな、楽しかったよ」

 お互いにベンチから立ち上がり、握手をした。
 いつの間にか西に傾いていた日差しの下、病院の玄関前に停まっていたタクシーの運転手が、やれやれという顔で瀛洲さんに手を振った。

「そんなに会社が大事かい?」

 じゃあと言って3歩ほど歩いた瀛洲さん、急にこちらに振り向いてそんなことを言った。

「ええ、私のような社畜には。社会人としての信用を担保してくれるものですから」

 当然と答えた。
 社会人は信用が何より大事。構築するのは大変で失うのは一瞬のそれが。

「そうか」

 瀛洲さんは再び戸惑ったような表情を浮かべて、今度こそタクシーの方に向かって歩いて行った。

「…………」

 何故かその表情が気になって、すぐに病室に戻る気にならなかった。
 実のところ、瀛洲さんはその時すでに、俺が帰社したらどういう事になるのか想像がついていたのだろう。その情報を得ていたのだろう。
 俺が気付いていなかっただけで。



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