上 下
63 / 67

第63話・邪魔なものは止めるべきだと思いませんか?

しおりを挟む
 
 速度計の針はとっくに3桁を指している。
 跳ね上がる回転計の針は今レッドゾーンに入って。
 フロントウインド両脇の景色は草の緑とガードレールの白の帯に化けた。

 紅白バイクを前に出させないためには、3速にシフトアップして増速するしかないが。

「こんなすぐ横にいるバイクと競争だなんて!」

 危なっかしくて絶対ムリ。
 いや、いつ対向車が来るか分からないから紅白も出来るだけこちら側に寄りたいのは分かるけど。
 それにしてもこちらを信じすぎだ。
 面識の無い相手なのに! 車体をぶつけないとも限らないのに!

 と思ったところで、その紅白が僅かに後ろに下がった。
 タイミング的にシフトアップしたのか?
 それで加速が一瞬途切れた?

「しかしこっちも加速を続けるのは――」

 不可能と思ったところで、紅白がいなくなって開けた右斜め前の視界に見慣れたものが。

「必要ないか!」

 右足をアクセルから離しブレーキペダルに載せ替える。
 そして優しく踏み込んだ。
 ハンドルを両手でしっかり押さえつけて。

「くぅ……っ……」

 タイヤの悲鳴。インパネの回転計と速度計が一斉に左回転。
 エンジンブレーキで強烈な減速G。シートベルトがロックして痛い。
 しかし尻を振らさないように後ろタイヤに感覚を全振りする。
 その中を、右後ろから紅白がパチンコ玉のように前方に発射していった。
 カーブまであと数十メートル!

「うわっ」

 紅白はつんのめりながらブレーキランプを灯らせて、4本の排気管から真っ白い煙を吐く。
 そして次の瞬間、車体をいきなり右に倒してカーブに飛び込んでいった。

「ひゅううっ……」

 勝負を吹っかけてくるだけあって、それなりの腕は持っているらしい。
 白い煙の中、車体の下の方で一瞬火花が散ったのが見えた。
 大きなバイクを小柄な体で御すためなのか、体全体を車体の内側に落とし込んでいた。
 ハングオンとかいうやつか? それにしても膝どころか肘まで擦りそうだった……

「……危うく行き過ぎる所だった」

 右斜め30度ほど角度がついて停車するスタリオン。
 止まる寸ででクラッチを切った。
 眼前には館がある別荘地の入り口を示す小さな看板。

「慣れてないと見落とすんだよなあ」

 その時になってやっと来た、スタリオンのタイヤが出した白い煙に追い越されながら、
冷や汗と共にそう思った。

 あの紅白は今ごろ勝利の快感に包まれてるんだろうな。
 何かエサでも貰えたワンコのように。
 もう全開で大喜び。

 って、こんな事がつい最近もあったような気が。
 大喜びのワンコ。シッポぶんぶん振り回して。
 どこでだっけ? 誰に対してそう思ったんだっけ?

 …………

 んまあ、どうでもいいか。
 思い出せないのなら、そもそも大したことじゃなかったんだろう。
 それより仕事に戻らねば。

 そう思って、スタリオンを館に続く細い道に入れたのだった。

 ………………

 …………

「ここまで来れば、あともう少し」

 閑散とした別荘地の中の細い道路を登っていく。
 上り坂なので当然視点も上向き。
 いやでも視界に入る空は、いつの間にかどんよりとした曇りになっていた。

「それまで降り出さないでくれよ」

 と思いながら薄暗くて見えにくいカーブミラーを凝視していると。

「え、うわっ!」

 カーブミラーの中のダークグレーの路面がいきなり盛り上がった!

「来るなっ!」

 そしてそれがこちらに向かって迫って来たのだ!
 しかしそれは路面ではなく、路面と同じ色をした大きなワンボックス車だった。
 運転手の驚愕に見開かれた目が――

「何のつもりだっ」

 意に反した動きであることを物語っていた。
 だから単純に避ければいい。
 それでこちらも対向車線側に出て躱そうとした。

 だがワンボックスは、こちらの鼻先を押さえる様に元の車線に戻ろうとした。
 まるで運転手以外の何かが操作してるように。

「宇藤!!」

 2台分計8本のタイヤの軋む音が響く。
 大したスピードではなかったが、急な転回と制動のせいで両車ともにスピン状態になって止まった。

「………………ヤベェェェ」

 フロントウインドは対向車側(山側)のガードレールがその殆どを占めていた。
 が、それとも、また左隣に並ぶように止まっているダークグレーのワンボックスともぶつかった感じは無かった。

 僥倖に紅白バイクの時の2倍以上の冷や汗を流しながら、スタリオンの外に出る。

「ご、ごめんなさい、急に車が勝手に――」

 キャブオーバー型の、全長が5メートルはありそうなワンボックス。
 道路に対して90度の角度で止まって道路を完全にふさいでいる。
 その運転席側に回って中を覗き込んだ。

「――って、なんだアンタなの」

 すると、チラと見えた通りの人物、ツンノミ宇藤がいきなり表情を安堵のそれに代えたところだった。

「また、アンタなのか」

 しかし乗員は彼女一人ではなかった。
 安堵からか大雑把な口調になった宇藤の左隣に座ってる、ちょっとお洒落なゴルフウェアに身を包んだJCくらいの少女が。

(こういう時だけ私が見えるのは、ちょっと都合がよすぎるんじゃない?)

 とのたまってきた。

「アンタなんかアンタで充分でしょ、加治屋クン」
「いや、アンタいや宇藤の事じゃないんだ……」
「えっ?」

 どうやら宇藤には少女が見えていないようだ。
 そこで。

「そっちが都合よく姿を隠してるだけじゃないのか?」

 と聞いてみたのだが。

(私はずっと加治屋さんが来るのを待ってたよ、あのゴルフ場で)
「姿を隠してるって何よ、業務命令で帰京したのをもう忘れたの?」

 ……宇藤には声も聞こえていないようだった。
 つまりこのJCは、本格的に……

「俺の幻想だってことなのか」

 申し訳なさそうな、それでいてどことなく辛辣さも感じさせる、祢宜さんの絶妙な表情を思い出す。
 そうか、そうだろう。俺が言うような妖怪もどきなんぞこの世には存在してないんだろう。

 だから。

「何を勘違いしてたのか知らないけど、間違いなくそうね。大体アンタは」
(そんなことないよ、加治屋さんの見たままなんだよ)

 とりあえず妖怪もどきのJCは無視することにした。
 この存在を認めてしまうと、俺の頭がおかしい事が確定してしまうからだ。

「別に勘違いなんかじゃないぜ、この状況はさ」

 とワンボックスの前あたりを指さしながら、宇藤を車外に出させる。
 ワンボックスの前部とガードレールの間は、1メートル弱ほどしか空いてないのだ。
 後部は10センチくらいか? パッと見、当たってるように見えるほどだ。

「今の仕事の前はカースタントでもやってたのかい?」

 ワンボックスの前後を、唖然としながら見ている宇藤に言ってやる。

「いえ、だからクルマが勝手にって」

 何度も同じことを言わせるな、ってな表情の宇藤の右隣り。
 いつの間にかワンボックスから出て来ていた例のJCが、ニヤニヤしながら腕組みをしてウンウンと頷いていた。

 まあコイツの仕業だろうなと思いながらも、ムリヤリ無視した。
 居ない居ない、こんな妖怪もどき。
 じゃあどうしてワンボックスがこんな動きをしたのか、って疑問には強引に目をつぶって。

「それに新卒で東証に就職したんだし、バイトもしたことないから他の仕事なんて」
「ああ、知ってる」

 被せるように言った俺のセリフに、宇藤の表情が硬くなる。

「そんな事話したかしら?」
「いや、聞いてはいないと思うが」

 軽く肩をすくめて見せながら。
 つうか、やはり思った通りか。うへぇ……

「……いつ気づいたの?」

 宇藤も察したか、ぶっちゃけたように訊いてきた。

「館で契約を交わした時に、なんとなく」

 実際には、新幹線の中で既にその予感はあったのだ。
 肉親に感じる、あの独特の感覚。

 いい機会だから申し置く。
 エロゲとかでよくある近親相姦、ありゃ持て余してる野郎の妄想の極致だ。まるで現実離れしてる。若しくは精神異常か。

 近親相姦を忌避する血の拒否感は、筆舌に尽くしがたいものが有るからな。
 リアルに姉妹が居る奴には分かってもらえると思うのだが。

 だから――

(このひとが加治屋さんのお姉さんだってのは、最初から分かってたよ)

「アンタが俺と腹違いの姉妹だってことは……って、なんだと?」

 無視してるJCが気になることを言った。
 俺はこの宇藤の存在を、俺の母親から聞いていた。
 自分の双子の妹に娘がおり、その父親は俺のと同じ人間だと。

「姉よ。確かアンタより誕生日が一月早いわ」

 内容が内容だ、普段の食卓で上がる話題ではなかった。
 そもそもその妹さんと我が家は付き合いは無かったのだから。
 だからその話を聞くのはごく稀なことだったし、内容も大雑把な事ばかりだった。
 曰く、お嬢さん学校に通ってるだの、バイトの経験はゼロだのと。
 だから就職したのは知ってても、住んでる場所や正確な誕生日などは知らなかったのだ。

 そんな事を、当事者でないものが知ってるというのは……

「そ、そうか。じゃあ一月早いお姉さん、早いとこそのクルマをどけてくれ」

 い、いやいや、その程度のことは俺が聞いていたのを忘れてただけかもしれんじゃないか。
 それで無意識の発露でJCにそう喋らせた、と。
 そういう事にしないと、マジで俺が精神異常者になっちまう……

 そう思い込もうとしたのだが。

「えーっ、こんなのムリよ」
(ああそう、あくまでも無視するのね。じゃあいいわ)

 面倒ごとを拒否する宇藤の横をすり抜けて、JCはワンボックスの向こうに行こうとした。

「アンタやってよ、責任が全くないわけじゃないでしょ」
(それじゃ当初の予定通りに動くだけよ。加治屋さんはお姉さんの相手をしてあげててね)

 くっ、双方同時にイラッとくることを。
 だがJCの方はより気になった。だから禁を破って訊いてみた。

「当初の予定ってのは何だ?」

 さっきの話ではゴルフ場で俺を待ってたって言ってたのに。

「え、予定? それはもちろん祢宜さんのお宅にお邪魔しに行く途中だったのよ。アンタもその予定だったんでしょ、それなのになんで館の方に来てるのよ。大体アンタは……」
(ふふーん、教えてあげないよーだ)

 ムカっ。両方ともにムカっ。
 だがここはガマンだ。俺は三十の男性なんだからな、大人の対応で……

「俺の方も祢宜さんからの依頼なんだ。宇藤を迎えに行ってやってくれって」
「なんだそうなの。ふんふん、それで都合よく使い走りにされてると」

 呆れたような蔑むような宇藤の表情、それがまた更に苛つきを呼ぶのだが。
 また無視されたと思ったのか、JCがとんでもないことを言い出した。

(実はー、あの館を一気に燃やしてしまおうかと思ってー)

「なにっ!?」

 驚いた。と同時に疑問も持った。
 こんな妖怪もどきにそんな大それたことが出来るのかと。
 つうか、それが俺が心の奥底で考えていることなのかと。
 
 それと、これは俺以外の二人の表情も変えた事なのだが、道路の下の方からバイクの排気音が聞こえてきたのだ。
 殆ど建物の無い道路。角を曲がり直線を走ってこちらに近づいてくるバイク。

「あ、あれは」

 それは下の山岳道路で撒いた、あの紅白バイクだったのだ。

 そしてそれは、戸惑う俺たちの目の前で停車した。

「ふう、まったく……教授の描いた地図がいい加減だから別荘地の入り口が分からなくて困ってたところで」

 紅白バイクから降りたライダーは、ブツクサ言いながら俺の前に歩いて来て。

「話に聞いた通りのクルマがいたから確実に法帖邸の関係者だと思ったのに、どうして逃げるのよ全く」

 と、ヘルメットのシールドを上げて一気にぶちまけた。
 オマケに俺の胸元を人差し指で小突きながら。

 つか、え、そういうことだったのか。
 しかしこのライダー、ヘルメットの奥の目はライディングの派手さに似合わない、ずいぶん可愛いものだった。

「知らない人にはついて行っちゃいけません、って教えられてるのよこのお兄ちゃんは」

 と、道を塞いでることの矛先が自分に向かないと見たのか、宇藤が茶々を入れてくる。
 だが、ライダーの視線はその横にくぎ付けになった。

「な、なに……?」

 そこには例のJCがいるのだが。
 何故かバツの悪そうな表情になっているJCが。

「そうだったのか、それは知らんこととはいえ失礼した。済まなかった。俺は、知ってるのかもしれんが加治屋九郎といって」
「私は……なんなのアナタは!?」

 自己紹介の途中で被される。つうか自己紹介を貫徹させてくれない決まりでもあるのか、この栃木では?
 と心中で愚痴る間に、自己紹介の途中のライダーがおもむろにヘルメットを取り去った。
 そして、眼前のJCをはっきりと指さして。

「なんで昔の私がここに居るのよ!?」

 その顔かたちと発言で、自己紹介の必要は無くなったのだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁
経済・企業
義務と規律に縛られ生きて来た英国貴族嫡男ヘンリーと、日本人留学生・飛鳥。全寮制パブリックスクールで出会ったこの類まれなる才能を持つ二人の出逢いが、徐々に世界を揺り動かしていく。青年企業家としての道を歩み始めるヘンリーの熾烈な戦いが今、始まる。  

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

処理中です...