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第63話・邪魔なものは止めるべきだと思いませんか?
しおりを挟む速度計の針はとっくに3桁を指している。
跳ね上がる回転計の針は今レッドゾーンに入って。
フロントウインド両脇の景色は草の緑とガードレールの白の帯に化けた。
紅白バイクを前に出させないためには、3速にシフトアップして増速するしかないが。
「こんなすぐ横にいるバイクと競争だなんて!」
危なっかしくて絶対ムリ。
いや、いつ対向車が来るか分からないから紅白も出来るだけこちら側に寄りたいのは分かるけど。
それにしてもこちらを信じすぎだ。
面識の無い相手なのに! 車体をぶつけないとも限らないのに!
と思ったところで、その紅白が僅かに後ろに下がった。
タイミング的にシフトアップしたのか?
それで加速が一瞬途切れた?
「しかしこっちも加速を続けるのは――」
不可能と思ったところで、紅白がいなくなって開けた右斜め前の視界に見慣れたものが。
「必要ないか!」
右足をアクセルから離しブレーキペダルに載せ替える。
そして優しく踏み込んだ。
ハンドルを両手でしっかり押さえつけて。
「くぅ……っ……」
タイヤの悲鳴。インパネの回転計と速度計が一斉に左回転。
エンジンブレーキで強烈な減速G。シートベルトがロックして痛い。
しかし尻を振らさないように後ろタイヤに感覚を全振りする。
その中を、右後ろから紅白がパチンコ玉のように前方に発射していった。
カーブまであと数十メートル!
「うわっ」
紅白はつんのめりながらブレーキランプを灯らせて、4本の排気管から真っ白い煙を吐く。
そして次の瞬間、車体をいきなり右に倒してカーブに飛び込んでいった。
「ひゅううっ……」
勝負を吹っかけてくるだけあって、それなりの腕は持っているらしい。
白い煙の中、車体の下の方で一瞬火花が散ったのが見えた。
大きなバイクを小柄な体で御すためなのか、体全体を車体の内側に落とし込んでいた。
ハングオンとかいうやつか? それにしても膝どころか肘まで擦りそうだった……
「……危うく行き過ぎる所だった」
右斜め30度ほど角度がついて停車するスタリオン。
止まる寸ででクラッチを切った。
眼前には館がある別荘地の入り口を示す小さな看板。
「慣れてないと見落とすんだよなあ」
その時になってやっと来た、スタリオンのタイヤが出した白い煙に追い越されながら、
冷や汗と共にそう思った。
あの紅白は今ごろ勝利の快感に包まれてるんだろうな。
何かエサでも貰えたワンコのように。
もう全開で大喜び。
って、こんな事がつい最近もあったような気が。
大喜びのワンコ。シッポぶんぶん振り回して。
どこでだっけ? 誰に対してそう思ったんだっけ?
…………
んまあ、どうでもいいか。
思い出せないのなら、そもそも大したことじゃなかったんだろう。
それより仕事に戻らねば。
そう思って、スタリオンを館に続く細い道に入れたのだった。
………………
…………
「ここまで来れば、あともう少し」
閑散とした別荘地の中の細い道路を登っていく。
上り坂なので当然視点も上向き。
いやでも視界に入る空は、いつの間にかどんよりとした曇りになっていた。
「それまで降り出さないでくれよ」
と思いながら薄暗くて見えにくいカーブミラーを凝視していると。
「え、うわっ!」
カーブミラーの中のダークグレーの路面がいきなり盛り上がった!
「来るなっ!」
そしてそれがこちらに向かって迫って来たのだ!
しかしそれは路面ではなく、路面と同じ色をした大きなワンボックス車だった。
運転手の驚愕に見開かれた目が――
「何のつもりだっ」
意に反した動きであることを物語っていた。
だから単純に避ければいい。
それでこちらも対向車線側に出て躱そうとした。
だがワンボックスは、こちらの鼻先を押さえる様に元の車線に戻ろうとした。
まるで運転手以外の何かが操作してるように。
「宇藤!!」
2台分計8本のタイヤの軋む音が響く。
大したスピードではなかったが、急な転回と制動のせいで両車ともにスピン状態になって止まった。
「………………ヤベェェェ」
フロントウインドは対向車側(山側)のガードレールがその殆どを占めていた。
が、それとも、また左隣に並ぶように止まっているダークグレーのワンボックスともぶつかった感じは無かった。
僥倖に紅白バイクの時の2倍以上の冷や汗を流しながら、スタリオンの外に出る。
「ご、ごめんなさい、急に車が勝手に――」
キャブオーバー型の、全長が5メートルはありそうなワンボックス。
道路に対して90度の角度で止まって道路を完全にふさいでいる。
その運転席側に回って中を覗き込んだ。
「――って、なんだアンタなの」
すると、チラと見えた通りの人物、ツンノミ宇藤がいきなり表情を安堵のそれに代えたところだった。
「また、アンタなのか」
しかし乗員は彼女一人ではなかった。
安堵からか大雑把な口調になった宇藤の左隣に座ってる、ちょっとお洒落なゴルフウェアに身を包んだJCくらいの少女が。
(こういう時だけ私が見えるのは、ちょっと都合がよすぎるんじゃない?)
と宣ってきた。
「アンタなんかアンタで充分でしょ、加治屋クン」
「いや、アンタいや宇藤の事じゃないんだ……」
「えっ?」
どうやら宇藤には少女が見えていないようだ。
そこで。
「そっちが都合よく姿を隠してるだけじゃないのか?」
と聞いてみたのだが。
(私はずっと加治屋さんが来るのを待ってたよ、あのゴルフ場で)
「姿を隠してるって何よ、業務命令で帰京したのをもう忘れたの?」
……宇藤には声も聞こえていないようだった。
つまりこのJCは、本格的に……
「俺の幻想だってことなのか」
申し訳なさそうな、それでいてどことなく辛辣さも感じさせる、祢宜さんの絶妙な表情を思い出す。
そうか、そうだろう。俺が言うような妖怪もどきなんぞこの世には存在してないんだろう。
だから。
「何を勘違いしてたのか知らないけど、間違いなくそうね。大体アンタは」
(そんなことないよ、加治屋さんの見たままなんだよ)
とりあえず妖怪もどきのJCは無視することにした。
この存在を認めてしまうと、俺の頭がおかしい事が確定してしまうからだ。
「別に勘違いなんかじゃないぜ、この状況はさ」
とワンボックスの前あたりを指さしながら、宇藤を車外に出させる。
ワンボックスの前部とガードレールの間は、1メートル弱ほどしか空いてないのだ。
後部は10センチくらいか? パッと見、当たってるように見えるほどだ。
「今の仕事の前はカースタントでもやってたのかい?」
ワンボックスの前後を、唖然としながら見ている宇藤に言ってやる。
「いえ、だからクルマが勝手にって」
何度も同じことを言わせるな、ってな表情の宇藤の右隣り。
いつの間にかワンボックスから出て来ていた例のJCが、ニヤニヤしながら腕組みをしてウンウンと頷いていた。
まあコイツの仕業だろうなと思いながらも、ムリヤリ無視した。
居ない居ない、こんな妖怪もどき。
じゃあどうしてワンボックスがこんな動きをしたのか、って疑問には強引に目をつぶって。
「それに新卒で東証に就職したんだし、バイトもしたことないから他の仕事なんて」
「ああ、知ってる」
被せるように言った俺のセリフに、宇藤の表情が硬くなる。
「そんな事話したかしら?」
「いや、聞いてはいないと思うが」
軽く肩をすくめて見せながら。
つうか、やはり思った通りか。うへぇ……
「……いつ気づいたの?」
宇藤も察したか、ぶっちゃけたように訊いてきた。
「館で契約を交わした時に、なんとなく」
実際には、新幹線の中で既にその予感はあったのだ。
肉親に感じる、あの独特の感覚。
いい機会だから申し置く。
エロゲとかでよくある近親相姦、ありゃ持て余してる野郎の妄想の極致だ。まるで現実離れしてる。若しくは精神異常か。
近親相姦を忌避する血の拒否感は、筆舌に尽くしがたいものが有るからな。
リアルに姉妹が居る奴には分かってもらえると思うのだが。
だから――
(この女が加治屋さんのお姉さんだってのは、最初から分かってたよ)
「アンタが俺と腹違いの姉妹だってことは……って、なんだと?」
無視してるJCが気になることを言った。
俺はこの宇藤の存在を、俺の母親から聞いていた。
自分の双子の妹に娘がおり、その父親は俺のと同じ人間だと。
「姉よ。確かアンタより誕生日が一月早いわ」
内容が内容だ、普段の食卓で上がる話題ではなかった。
そもそもその妹さんと我が家は付き合いは無かったのだから。
だからその話を聞くのはごく稀なことだったし、内容も大雑把な事ばかりだった。
曰く、お嬢さん学校に通ってるだの、バイトの経験はゼロだのと。
だから就職したのは知ってても、住んでる場所や正確な誕生日などは知らなかったのだ。
そんな事を、当事者でないものが知ってるというのは……
「そ、そうか。じゃあ一月早いお姉さん、早いとこそのクルマをどけてくれ」
い、いやいや、その程度のことは俺が聞いていたのを忘れてただけかもしれんじゃないか。
それで無意識の発露でJCにそう喋らせた、と。
そういう事にしないと、マジで俺が精神異常者になっちまう……
そう思い込もうとしたのだが。
「えーっ、こんなのムリよ」
(ああそう、あくまでも無視するのね。じゃあいいわ)
面倒ごとを拒否する宇藤の横をすり抜けて、JCはワンボックスの向こうに行こうとした。
「アンタやってよ、責任が全くないわけじゃないでしょ」
(それじゃ当初の予定通りに動くだけよ。加治屋さんはお姉さんの相手をしてあげててね)
くっ、双方同時にイラッとくることを。
だがJCの方はより気になった。だから禁を破って訊いてみた。
「当初の予定ってのは何だ?」
さっきの話ではゴルフ場で俺を待ってたって言ってたのに。
「え、予定? それはもちろん祢宜さんのお宅にお邪魔しに行く途中だったのよ。アンタもその予定だったんでしょ、それなのになんで館の方に来てるのよ。大体アンタは……」
(ふふーん、教えてあげないよーだ)
ムカっ。両方ともにムカっ。
だがここはガマンだ。俺は三十の男性なんだからな、大人の対応で……
「俺の方も祢宜さんからの依頼なんだ。宇藤を迎えに行ってやってくれって」
「なんだそうなの。ふんふん、それで都合よく使い走りにされてると」
呆れたような蔑むような宇藤の表情、それがまた更に苛つきを呼ぶのだが。
また無視されたと思ったのか、JCがとんでもないことを言い出した。
(実はー、あの館を一気に燃やしてしまおうかと思ってー)
「なにっ!?」
驚いた。と同時に疑問も持った。
こんな妖怪もどきにそんな大それたことが出来るのかと。
つうか、それが俺が心の奥底で考えていることなのかと。
それと、これは俺以外の二人の表情も変えた事なのだが、道路の下の方からバイクの排気音が聞こえてきたのだ。
殆ど建物の無い道路。角を曲がり直線を走ってこちらに近づいてくるバイク。
「あ、あれは」
それは下の山岳道路で撒いた、あの紅白バイクだったのだ。
そしてそれは、戸惑う俺たちの目の前で停車した。
「ふう、まったく……教授の描いた地図がいい加減だから別荘地の入り口が分からなくて困ってたところで」
紅白バイクから降りたライダーは、ブツクサ言いながら俺の前に歩いて来て。
「話に聞いた通りのクルマがいたから確実に法帖邸の関係者だと思ったのに、どうして逃げるのよ全く」
と、ヘルメットのシールドを上げて一気にぶちまけた。
オマケに俺の胸元を人差し指で小突きながら。
つか、え、そういうことだったのか。
しかしこのライダー、ヘルメットの奥の目はライディングの派手さに似合わない、ずいぶん可愛いものだった。
「知らない人にはついて行っちゃいけません、って教えられてるのよこのお兄ちゃんは」
と、道を塞いでることの矛先が自分に向かないと見たのか、宇藤が茶々を入れてくる。
だが、ライダーの視線はその横にくぎ付けになった。
「な、なに……?」
そこには例のJCがいるのだが。
何故かバツの悪そうな表情になっているJCが。
「そうだったのか、それは知らんこととはいえ失礼した。済まなかった。俺は、知ってるのかもしれんが加治屋九郎といって」
「私は……なんなのアナタは!?」
自己紹介の途中で被される。つうか自己紹介を貫徹させてくれない決まりでもあるのか、この栃木では?
と心中で愚痴る間に、自己紹介の途中のライダーがおもむろにヘルメットを取り去った。
そして、眼前のJCをはっきりと指さして。
「なんで昔の私がここに居るのよ!?」
その顔かたちと発言で、自己紹介の必要は無くなったのだ。
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