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第46話・石冷~夜をもたらす

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 声を聞いただけで、その人となりが頭に浮かぶのは相当なものだ。

「! まさか……」

 振り返る。
 するとそこには、思った通りの女性―純音―が立っていた。

 思い描いたのは最後に会った7年前の姿。
 その時とほぼ同じ容姿と美貌。
 時間経過を無視したようなその有様が違和感を呼び、俺の思考を凍らせる。

「そう、良かった」

 凍った思考に混乱が追加される。
 何が良かったって?

 しかしすぐに思い当たる。
 俺の『まさか』という言葉を『ストーカー?』という仮定に対する否定と。
 純音はそう理解したのだろう。

 それにしても……

 ライトの逆光に浮かび上がる可憐なシルエット。
 よく見ると、服は地味ながら仕立ての良さそうなパンツスーツだった。
 紺色基調で白いブラウスの、何かのディーラーがよく着ているような。

 純音はこのショーに、演奏者ではなく売買者として参加していたのか。

「こっちは一つも良くなかったけどな」

 7年前から今までの事を思って言った。

 彼女の後ろに居る、数人の男女(殆どが50絡みな年齢に見える)たちの。
 その耳目を集めているのが分かる。
 ヒソヒソと、突然の闖入者の風体を囁き合っているのだ。

「ど、どうされましたか?」

 追いついた、先ほどの青年が問いかけてくる。
 眩しそうにしてるのに気づいたか、彼は俺の右横に来てくれた。
 年齢の割に気が付くようだ。

「ああスマン、フルートの人が知り合いに似てたんで、それで」
「お知り合いでしたか?」
「別人だったよ、残念ながらさ」

 残念ながら、は純音の方を見て言った。
 昨夜のことも含めたつもりだった。
 もしあれも純音ならなんで逃げたんだと。しかし。

「良いことなんて、あるわけ……」

 純音が横向きで呟くように。
 どうやら7年前の事を言ってるらしかった。
 そりゃ何かの事情があったんだろうさ。
 しかしそれでも、せめて落ち着いた時に連絡の一つでも入れてくれれば。

「それならなんで逃げたんだ」

 あれじゃまるで俺に原因があったみたいで……

「あ、あの、立ち話もなんですから、あちらのテーブルへでも」

 青年が気を利かせてくれる。
 それもそうだなと思ったが、純音の方はそうではなかったようで。

「そう言えば、あのコたちは元気なの? いまどこに居るの?」

 と、いきなり別の話を切り出してきた。
 それも何故か微妙な緊迫感を持って。
 って、あのコたち? 誰の事だ?

 その言い方なら、まず年上の人間の事ではないだろうな。
 口調からして同い年ってのも考え難い。
 それからは保護者的な色が有ったからだ。
 つまり年下の、恐らくは女の子。

 俺の周囲の年下の女の子、ねえ……

 そんな気の利いたコは居ないと言いそうになったが。
 あ、そう言えば、宇治通の二人組が年下の女の子か。

 サラはまだ大学(別の大学だが)に繋がりがあるって言ってたし。
 純音も院に行ってたから俺よりも大学とかに縁が深い。
 それで、サラや美原さんとも研究を通じて知り合いなのかもしれない。
 俺と彼女らが一緒に働いてるって情報をどこから入手したかは分からんが。

「ああ元気だよ、昨日から東京に戻ってる。心配はいらない」

 と言っておいた。

「東京に……」

 すると何故か純音は、まるでそれが最優先事項だったかのように。

「今夜はありがとう、また情報を下さいね」

 と俺の右隣りに言って。
 踵を返して歩きだしたのだ。

「え、あの、ちょっと」

 青年が戸惑う。
 その傍らに来ていた、お茶セットをお盆に乗せた給仕の女性も同様だった。

「おい、待てよ」

 呼び止めるも無視された。
 それで、ヒソヒソ話の男女の中をかき分けるようにして、純音の後を追う。

 純音が向かう先には、昔の新幹線のような古いスポーツカーと。
 馬車に今風のタイヤを付けたような、背の高いクラシカルな車があった。

 純音は、その背の高い車の向こう側に入っていった。

「待てって」

 返事はセルモーターと火の入ったエンジンの音だった。

「な、なんでここに」

 それは真っ白い座布団。
 いや、ロータスヨーロッパS225というライトウェイトスポーツカーだ。
 (昨夜ネットで調べたのだ)

 確か今年発売されたばかりのバリバリのニューモデル。
 間違ってもビンテージカーショーの具になる様なものではない。筈なのに。

「来場者は道端に駐車しろって言われなかったか!?」

 我ながら、突っ込むのはそこじゃないだろと呆れながら言った。
 すると、S225は俺の前で停まり。
 運転席側(右側だ)の窓が降りて。

「ついて来れればお話ししましょう。ついて来れればね」

 それはまさに石のような頑なさと冷たさだった。
 そんな印象を俺に残し、S225は他のクラシックカーの間を縫って。
 道路の方へ向かって行った。

「くそっ!」

 スタリオンを停めてある道路まで大体100メートルくらいか。
 短いとはいえその間を225馬力のスポーツカーと競争しろとか。
 無茶振りにもほどがある。

 しかし男として、女からそう言われたら追いかけないわけにはいかない。
 例え最初から無理だと分かっていたとしても。
 これは矜持に関わる事だから。

 そう思って、後方にいる青年に挙手して挨拶し。
 S225の後を追ってダッシュした。

 100メートルとはいえ、普段運動不足の体にはキツいものがある。
 離される間隔。
 それが広がるほどに、その間は夜の闇で満たされて。
 まるでS225は、俺に夜をもたらす悪魔の使いのように思えた。

 そして半ばでもたつく俺に、道路に出たS225がフル加速に入る様が。

 見えた、筈だったのだが……


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