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第34話・来観
しおりを挟む「はいよ、お待ちぃ」
夕刻、大田原市の隣の矢板市。
そこの町はずれにある、某中華料理屋。
そこそこの客の入りの、その店内。
「阿九麺の大、いっちょ」
注文した名物メニューが、カウンターの上にドンッと置かれる。
「あ、ありがとう」
紹介してくれたガソリンスタンドのおっちゃん(兄)の言い方から、ある程度は想像してたが(なんせ品名に大が付いてるし)。
その予想をはるかに上回る大きさのドンブリだった。
「ごゆっくり、って言いたいとこだけど」
出してくれたおばちゃんが、ニヤリと笑みを零しながら。
「コイツはあんまりノンビリしてると、麺が伸びちゃって食えなくなるからね。まあ適当に急いで」
と言って、調理台の方へ戻って行った。
カウンター席に居る俺、とりあえずそのドンブリを目の前に降ろす。
「うおっと、こ、これは……」
それは、ドンブリというよりも陶製の洗面器といった方が妥当な大きさと重量だった。
その中になみなみと注がれている縮れ麺とスープ。
以前は30分以内に完食すれば無料になった、というガス兄の言葉もあながち嘘っぱちとは思えないものだった。
「凄い、食いきれるのかね……しかし折角だからな」
貧乏な学生時代には、完食で無料な店屋さんに何度かお世話になったりしたもんだ。
だから、この手のメニューの食べ方も心得てるつもりだ。
「んじゃあ、割り箸割ってっと……いただきます」
双子の幼女に怒られないように、ちゃんと頂きますをしてから。
先ずはスープを一口すする。
基本は白湯で、塩辛さも適度に抑えてある。おそらく最後まで食べやすくするための配慮だろう。
この手のメニューにしては、非常に良心的な味付けだ。
だが、しかし……
「では、麺をっと……」
カップラーメンによくあるような縮れ麺。
それも程よい硬さとシコシコ感で、縮れ具合がスープを絡みやすくしてあって、これもまた食べやすくなってる。つうか普通においしい。
「しかし、量が」
多すぎる。
一人前=1玉とするなら、これは優に10玉は入ってる。
少なくともそう見える。
「だが、はふっ、ズルズル……」
この重そうなドンブリごと持ち上げられたんだからな。
10玉なんて入ってるワケはない。
たぶんきっと目の錯覚に違いない。
ただ、さっきのおばちゃんの言った通り、あんまりノンビリしてると悲惨な事になるのは分かるから、さっさと片づけるのが正解だろう。
「ずはーっ、ズルズル、ずぞぞっ……」
合間に、数枚入ってるチャーシューやシナチクも食す。
適当なリズムをつけて食べるのが、この手のメニューの攻略法だ。
元々、祢宜さんたちから夕食も食っていけと誘われたのだ。
館に戻っても一人っきりだし、料理するのも面倒だろうと。
しかし、事前に連絡無しで行って、そこまで世話になるのも気が引ける。
それに、一人っきりになるのは既定の事柄なのだから。それが多少遅れたからと言って、どうかなるもんでもないし。
で結局、せっかくのご厚意に大変恐縮ではございますがと、丁寧にお断りさせてもらった。
「ズルズズル、ズルズルズル……」
額に汗が滲んできたのが分かる。
それをお手拭きで軽く拭い、ついでに近くにあったコショウを軽く二振りほどドンブリの中に投入する。
麺の残量が(概ね)半分を過ぎたので、ここらで味にアクセントを付ける為だ。
「ズールズルズル、ず、くはっ」
舞ったコショウが鼻から入った。
コップ水を軽く口に含んで、くしゃみの欲求をやり過ごす。
「ふ、く……ふうっ……」
で、帰る途中に適当な飯屋さんはないかと祢宜さんたちに尋ねた。
すると、ああそれならと『阿九』なる中華料理屋を教えてくれたのだ。
それは、確かに館への帰り道の途中にあった。
だが、実際に行ってみたところ、夕刻とはいえ未だ日も暮れていないというのに、駐車場は満車だった。
「ずはーっ、ずーはーっ、ズルッ」
店舗のコンクリ壁やブロック塀などに、スタリオンの派手な排気音がこだまする。
これはさすがに迷惑だろうと、早々にその場を立ち去らざるを得なかった。
それで、その近所にあった例のガソリンスタンドに寄ったのだ。
ガソリンの残量が半分を割っていたという事もあった。
給油台の前に停めると、すぐにお兄さんの方が出て来てくれ、事情を説明すると、笑いながら阿九の支店を教えてくれたのだ。
『かなり遠回りにはなるけど、まあ一回は食っときな』
おススメのメニューと共に。
(ちなみに、ガソリン代は、祢宜さんから預かったカードで支払った)
「ズズズ、ズルチュル、チュルルルッ…………ぶはっ」
完食。ただし麺と具のみ。
「お、お兄ちゃん、やるねえ」
いつの間にか、カウンターの前に来ていたおばちゃんから、お褒めの言葉を頂く。
「げふっ……ごちそうさまでした」
食塩の塊のようなスープを全部飲み干すのは、30の体には厳しいものがあるので。
そこは勘弁してもらうことにした。
「お冷の替え、置いとくよ。今度こそごゆっくり」
新しいコップ水をカウンターに置いて、おばちゃんはまた奥の料理台の方に行った。
「あ、ありがとう……」
麺だけといっても、さすがに腹がくちい。
それがクルマを運転できる程度に収まるまでの時間つぶしで、持ってきたセカンドバッグの中から茶封筒を取り出した。
製薬会社の社長が持って来てくれたものだ。
「さーて、どれどれ……」
それは思った通り、スタリオンの所有者の履歴だった。
A4サイズのコピーと思われる書面が数枚入っている。
「…………」
ざっと見てみる。
所有者の初代は宇田川 武士、2代目は鹿畑 博之となっていた。
共に栃木県の在住だ。
そして3代目と5代目(現在)は、件の中古車屋・子浦中古車販売だった。
「……こ、これは」
間の4代目。
そこには、懐かしい名前が書かれていた。
のだが……
「よう……カジ、じゃないか?」
席の右横から覗き込むようにして学生時代の呼び名で呼ばれ、更にびっくりする。
あわててそちらを見て。
「チカ、親園か!」
親園 慶正。
俺に写真を教えてくれた、大学時代の同級生であり友人だ!
「そうだよ! いや懐かしいな、何年ぶりだよ」
「そうだな、8年ぶりってとこか!」
在京の大学だった。
その同窓生と、こんな関東平野の北の端っこで再会するなんて。
なんという偶然!
「いやあ、駐車場にやたら派手な車があるからさ、どんな奴が乗ってるのかと思って店の中を見回してたんだが」
「派手なクルマって、白いスタリオンの事か?」
「そーそー。それでよく見ると、どっかで見た事のある奴が阿九麺を凄い勢いでズルズル食ってるじゃないか。いやもう笑うって」
そう言いながら、チカは初めてアハハと笑ってみせた。
8年。経った時間分老けた顔で。
「ちなみに、あのスタリオンは俺が乗ってきたんだよ」
「あ、そう……って、ええ!?」
今度は顔を笑みから驚愕に変えて。
俺よりもいいガタイ(たしか185cm)の広い肩をゆすって、大袈裟に驚いて見せる。
相変わらずの豪放な性格。見ていて気持ちがいいほどだ。
「そういえば、嫁さんを貰ったんじゃなかったか?」
年賀状のやり取りはしていた。
それで確か、チカは関西の電機メーカーに就職し、一昨年に結婚していた筈だったが。
「ああ、実はな……」
少し申し訳なさそうな顔になって、後ろを向きながら。
「昨日から嫁さんの親元に泊まりに来てるんだ」
手の平で示した先、奥のテーブル席に中々の美人さんと老夫婦がこちらに軽く会釈をしてきた。
慌てて俺もお辞儀を返す。
「そ、そうか……」
「カジはなんでこんなとこに?」
当然の疑問をぶつけられる。
が、正直に内容を話すことは出来なかった。
「あ、ああ、仕事でちょっと那須にな」
瞬間、訝しむ表情になるチカ。
相変わらず、全部表情に出る。それは本人も自覚してる。
だから嘘はつかないし、だからこそ、それを知ってる俺もチカには嘘はつかなかったのだ。
「このお盆の真っ最中に仕事、ねえ……場所は那須で詳細はカンベンと」
俺のほんの一言から、推理を展開するチカ。
学生時代から変わらないその推理好きは、すぐに結論を導き出したようで。
「なるほど、やんごとなき関係の仕事なんだな。分かった多くは聞くまい」
と勝手に納得してくれた。
って、ああ、那須には御用邸が有ったのだったな。
まあ、秘密の館という意味ではあながち的外れというワケでもないから。
「まあ、そんなとこだ。助かる」
と言っておいた。
「積もる話もある。明日は土曜だし会えないか?」
とチカが持ち掛けてきた。
嫁さんの実家で暇を持て余してるらしい。
しかし俺は、明日・明後日は館の掃除の監督があるからな……
「昼はスマン、夜で良ければ」
拝みながら言った。
「いやそんな、気にするなよ」
気さくに笑い、自分もこちらでは足が無いので、那須の方に行くことが出来ないから、おあいこだと言った。
そんなこんなで、結局、明日のこの時間に、奥さんの実家近くの喫茶店で再度落ち合おうと話が決まった。
「じゃあ、明日」
「おう、楽しみだ……ああ、ついでに宿題を」
言って、バッグから例のメモ書きを取り出す。
チカの、日中の暇つぶしになればと思って。
「これは、とある基板設計者が書いたと思われるメモなんだが」
それをチカに見せる。
見せたのは、書き潰しのほとんど無い一枚だ。
「チカは、これが何を意図してると思う?」
それを見せる。
もちろん、数式が書いてある方を上にして。
「なんだこれ……」
しかしチカは、数式をチラと見た後に、すぐにメモ書きを裏返して見て。
「……このMist2は、我が社の回路基板だぞ」
と、目を丸くして言った。
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