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第24話・唯物史観
しおりを挟む上の式は何となく見覚えがある。
たしか質量欠損だったか。
陽子や中性子は結合すると軽くなり、分裂すると重くなる、ってやつだ。
高校物理だな。懐かしい。
しかし下の式は分からん。
パッと見、二項定理みたく見えるが、ちょっと違う。
これは、何かの量を求めようとしてるのだろうか?
…………
まあいい。
クルマの元の持ち主が、何かの考えをまとめる若しくは進める為にやった雑記なのだろう。
こんなものの中身を気にする奴なんて、居ない……?
宇藤『なにこれキモチワルイ』
サラ『論理展開が甘い、失格』
美原さん『この車の名前のスタリオンって、スターとアリオンを足したものだそうですね。そもそもアリオンとはギリシャ神話で……』
め、めんどくせえ……
ま、まあ、居ないってことにしとけばいいか。
そう思って、車検証入れにメモ書きを戻そうとした。
しかし。
「……ちょっと待てよ」
メモ書きなんて、多くの場合は要らなくなった書面とかの裏を使ったりするもんだ。
適当な大きさに切って、クリップでとめて、机の横に置いておくもんだ。
このメモ書きも、どうやらそういうもののようだった。
気になったのは、それが明らかに基板の図面を切ったものだという事だ。
俺は仕事柄、基板の図面をCADからしょっちゅうプロットアウトしている。
確認が済んだら用無しなので、ほとんどの場合、適当な大きさに刻んでメモ用紙だ。
だから、この車検証に入ってたメモ書きの表が基板図でも、それほど気にならなかったのだ。
しかし基板の図面なんて、普通の生活をしていれば、まずお目にかかれるものではない。
それに、ほとんどの場合社外秘の塊だ。社外に持ち出すなんてもっての外。
それを車検証入れの中に入れるなんて、いったいどこのアンポンタンだ?
いったん気になると、とりあえず確認できるとこまでは確認しないと気が済まない性分だ。
とりあえず、車検証入れの中に入ってるメモ書きを全部出して表に向けてみた。
全部で9枚。どうやら一枚の基板図面を切ったもののようだった。
銅箔部とシンボルプリントが重ね合わせて印刷されている。
ジグソーパズルよろしく、メモ書きを並べ替えて元の形に戻してみた。
どうやら、あまり大きくない基板のようだ。
外形は、ロールシャッハテストの、蝶の形に似ている……
「ま、まさか」
外形で推測するまでもなく、シンボルプリントに基板の名称があった。
『Mist2』と書かれている。
「なんでこんなところに」
この基板は、俺が今の会社に入ったころ、研修用として散々見せられたものだ。
SACD用とDVD-AUDIO用の、2つの巨大なデコーダーが載せられている。
オマケに後段のアナログ回路や映像出力もキチンとある。
光学ディスクメカ用の回路基板だ。
ペンタソニックと50NY(どちらも日本を代表する電機メーカーだ)の両社が、各々が開発した次世代オーディオ用のデコーダーを、両方載せた基板の開発を某社に依頼したらしい。
基板は完成したが、種々の事情により、その2社は採用しなかったらしい。
それで某社は、開発代を稼ぐためにその基板を使った製品を自社ブランドとして販売したらしいが……全く売れなかったそうな。
それでもその基板は、現在でも最密クラスの部品密集度や均一な熱分布、ごく低レベルな不要輻射、更に当時始まったばかりのローズ指令の対応までしてあるという、優れものだった。
その為、その2社が別の基板設計の仕事を外注に出す場合に、参考としてこのMist2の生基板を貸与していたのだ。
俺も散々見させられた。
最初はウンザリしていたが、ある程度基板が描けるようになってくると、このMist2は参考になるところの宝庫だというのが分かってきた。
その為、中堅の設計者たちからは、ある意味でバイブル的な存在だったのだ。
そういった理由から、このMist2は業界では結構有名な基板である。
だが、設計した某社がデータの公開を拒否したため、CAD上でのデータはもちろん、プロットアウトの図面も見たことがない者がほとんどだ。
そのMist2の図面が(9分割とはいえ)いま目の前にある。
ここは、基板設計とは縁もゆかりもない、那須の山の中なのに……!
図面を使える、しかも裏紙としてメモ書きにしてしまえることから、このメモ書きをしたのは、Mist2の設計にごく近いところに居た者、または設計者本人だろう。
その者が残した、その息づかいまで聞こえてきそうなメモ書きの数々。
何が書かれているのか。
何を目的にしているのか。
気になって、寝るどころの騒ぎではなくなってきた……
………………
…………
8月14日木曜日 午前9時
「さて、ベンチマークの準備はよろしいか?」
朝食を終わらせて、PCルームにてディスプレイの一枚に向かって話しかける。
(今朝の分で総菜パンと菓子パンは全て消化し終えた。これで昼食からはまたあの石上さんの美味い料理が堪能できる。やれやれだぜ)
「加治屋、偉そう」
ディスプレイの中で、サラが。
朝の挨拶は厨房で済んでいた。
「今日から本格的にベンチマークとなります。昨日一日分の注文データを使ってのシミュレーションとなりますので、現実のお金はかかりません。どうぞ思う存分トレードをなさってください」
サラの隣から、美原さん。
さすが、見事なチュートリアルだ。
「一昨日みたいに寝てるんじゃないわよ」
隣に座ってる宇藤が。
「あ、それは大丈夫。夕べはぐっすり寝たから」
そう、寝れたのだ。
それは、ある事を法帖老に依頼しようと思ったから。
それで、とりあえず気になることを先送りにしただけではあったのだが。
「ふむ? カネは使わんのかね?」
言って、後ろの椅子から立ち上がる法帖老。
横に立っていた祢宜さんが、小首をかしげた。
「では儂は此処に居なくともよいのだな」
「あ、はい、そうなんですが……」
宇藤が申し訳なさそうに。
「でも、出来ましたら、作業の様子をご覧いただいた方が当方と致しましても」
一歩を踏み出した法帖老、止まって軽く宇藤の方を見て。
「気遣いは不要だよ。今日は双子と車の様子を見る日とするので」
クルマという単語が法帖老の口から。チャンスだ。
機会を逃さじと、椅子から立ち上がって法帖老に話しかける。
「あ、あの、唐突に厚かましいお願いにて大変恐縮なのですが」
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