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第8話・楽観
しおりを挟む「お静かに願います」
肩越しの流し目で言ってやる。
視界の端に、ムッとした宇藤の表情が残った。
さて、株価はどう動くか。
向き直った正面のディスプレイ。
相変わらず、上下30段ずつの板表示だ。
正直、こんなに表示段数が多くても仕方ないような気もする。
値動きもない。株価はあれから13260円のままで約定も無くなっている。
止まってる状況だ。
そこで、ちょっと茶目っ気を出して、板表示を二列に切り替えてみた。
左に売り板、右側に買い板が表示される。
表示は各々60段ずつだが、この銘柄の制限値幅は上下3000円なので、売り買い双方に300段ずつある形だ。
それをスクロールさせ眺めていると、奇妙なことに気づいた。
板がピコピコ(注文数が変化すると数字が点滅するツールの仕様を、トレーダーたちはピコピコと称する)してるのが、売り買いともに5段ずつしかないのだ。
つまり、一般人が見てる範囲だけ賑やかだという事だ。
これはつまり……
と思っていたら、急に売り板の上端(現値から300段上=16260円)の注文数がいきなり10倍増した。
員数のゼロが一つ増えたのだ。
それと同時に13260円で約定し、更に続いて、程なく13260円の売り注文が無くなってしまった。
驚いて板の右に表示されている歩み値を見る。
その約定数をみると、どうも13260円の売り注文が、売り板の上端の注文数が増えると同時に撤退したようなのだ。
これは……
思ううちに、今度は買い板の下端(10260円)の注文数がピコピコし始めた。
それは売り板の増え方と同様に、注文数が10倍増するという豪快なものだった。
すると、それから間もなくして今度は13250円の買い板が全て売りつくされてしまったのだ。
つまりアレだ。
これは、フル板を見れる大口たち専用の符丁なのだ。
上下5本しか見れない一般人たちのカネを、大口同士で示し合わせて巻き上げているのだ。
いやー汚い。実に汚い。
だがしかし、裏ではこういう風に相場操縦されてるだろう、とは、市場参加者たちの間では、とっくに暗黙の了解事項になっている。
むしろ、値動きを嗾けてくれる、ありがたい存在とも思われているのだ(無論、場合によるが)。
しかし、こんな露骨にやってるのか。
初めて見たが、流石にちょっと呆れるね。
と腕組みをしながら感心していると、今度は13240円の買い板が無くなろうとしていた。
売られているのだ。
そこで、13250円の買い分を13240円の買い板に売りつけ、手仕舞いした。
10円分の損切だ。
「あーあ、だから言ったじゃない」
またしてもウザい宇藤。
つーかオマエ、俺に何か有効なアドバイスしたか? してないだろ。
まあ、してても無視しただろうが。
しかし大口の符丁が読める。これはデカい。つうか楽勝だ。
と余裕が出てきたところで、株価は13240円を抜け、一気に13200円(ここはキリなので買い注文数が多くなっていた)の注文が無くなろうとしていた。
たぶん、ここは一般人の注文が多く入っているのだろう。
歩み値を見ても、逃げ出している形跡はなかった。
「……そろそろかな」
株価は、13200円の厚板を完食して、13190円を抜け、13180円をつけた。
勢いからして、13150円の厚板を目指しているように見えた。
しかし、歩み値を見ると、約定の一つ一つは少ない株数だ。
恐らく、いきなりの下落に泡喰った一般人が、損切をかけているのだろう。
少なくとも、この13200円から下の売りに大口は入っていない。
「準備を……」
左側のシステム画面で、注文を設定する。
数はさっき損切りしたのと同じ。値段は……
と思ったところで、売り板の上端がまたピコピコした!
現値は13150円。
そこの買い注文は半分くらい減ったところだった。
が、それは気にせず、値段を『成り』に設定する。
それは即座に約定。13160円だった。
「よしっ」
「え、なんで13150円にしないの……」
またまた宇藤。いいかげんしつこい。
が、すぐに黙った。
株価が今度は上昇し始めたからだ。
「よしよし、あがれあがれ」
現値は左のシステム画面頼りだ(そこでも上下5段ずつは板の表示がある)。
それでも充分。上端のピコピコを見てれば良いのだから。
「さっきの空売りを買い戻さなくていいの?」
「そんなもん、とっくにし終わって、もう歩み値にも残ってないよ」
「ええっ!?」
今度はしっかりと顔を向けて言った。
両建てを何だと思ってるんだ、この女は。
「さっきのは、新たな買い入れだったんじゃないの?」
「同時に空売りの手仕舞いもしたんだ」
それも成りで入れたので、それらの注文だけ13260円で出来たのだ。
空売りの儲けは100円分で、買いの損切が10円分だったので、結局儲けは90円分となった。
開始時点では上がるか下がるか分からなかった(あえて考えなかった)ので、どっちに行っても儲けを出せるように張ったのだ。
こういうのが両建てと呼ばれる張り方で、儲けは少なくなるがリスクはもっと減らせる手法だ。
もっとも、値動きが少なければ儲けの幅も少ない。
動かなければ、最悪手数料負けの危険性もある。
しかし今回は手数料は発生しないという条件なので、細かい注文を幾度も繰り返すやり方が有利になるのが道理だ。
「じゃあ、今は……」
「13160円での買いだけホールド中だ」
売り板の上端は、注文数が増えたり減ったりして未だにピコピコしている。
株価はとうとう最初の13260円に戻った。
そこで考える。
儲けの幅は、株価の1%あたりが一つの目安。この場合は130円か。
このピコピコもいつまで続くか分からない以上、そこら辺で売りを入れるべきだろうと。
「え、そんなとこで? もっと上がりそうなのに?」
目を丸くして、宇藤。とうとう俺の横に来て、テーブルに手をついてディスプレイを凝視してる。
ちょっと鬱陶しい。
売り注文は13290円に入れた。
ただし、これは手仕舞い売りではなく、新規の空売りだ。
あくまでも両建てで行く。
「いいんだよ」
実際にトレードをしたら、すぐに熱くなってあっという間に退場しそうな宇藤を無視して、後ろの様子を見てみる。
他の面子の反応が無いのが気になったのだ。
すると、黒メイド二人は車いすの両側に移動していて、どこから持ってきたのかノートPCを車いすのひじ掛けの上に置いて、その画面を見ていた。
楽し気に、ここを見る、とか、わーすごいねー、とか言ってる。
車いすの主はどうかというと、老もまたその画面を興味深そうに見ていた。
だから俺のトレードに関する事ではあるのだろうが、それでもなんかモヤッとしたものが残った。
「あ、ほら、約定したよ」
「ああそう」
黒メイドたちが何を見てるのか気になったが、とりあえず目の前のディスプレイに向き直る。
すると、宇藤が言った通り注文が約定しており、株価は更にそれより10円上の13300円で推移していた。
これ以上騰がるようなら、今約定した空売り分を損切して売り直さねばならないが……
と思ったところで、売り板上端のピコピコが止まった。
どうやら、ピコピコさせていた大口たちも儲け幅の目安は俺とほぼ同じ(彼らは1%の切り上げで140円だったのだろう)だったようだ。
大口の注文が無くなったせいで、値動きも出来高も急に萎んでしまった。
それで株価も少し下がり、13280円辺りとなった。
例のピコピコは、売り上端も買い下端もしていない。
宇藤も、どうするの? と言いたげな顔を向けている。
「……頃合いか」
そう判断し、成りで買いも空売りも手仕舞い注文を出す。
それらはすぐに約定した。13280円だ。
この一往復の両建ての結果は、買い-10円、空売り+100円、買い+120円、空売り+10円であり、トータル220円分の儲けだった。
シミュレータ(?)であり、大口の符丁が見えていたとはいえ、2年ぶりでしかもいきなりだったのにこのトレード。
我ながら上出来だと思えた。
だから特に心配もなく、立ち上がって法帖老の方を向いたのだ。
これで如何でしょうか、と訊くつもりで。
しかし……
「誰が止めていいと言った?」
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