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第3話・仕事観
しおりを挟む「お断りします」
名前の件、気にはなったが、気にしたら負けの類だと思い直した。
会社内で使ってるカードホルダーを首から下げっぱなし、なんてマヌケな状態にないことは、先ほどのトイレで確認済みだし。
つまり、女がこれから行く先の関係者なのはほぼ間違いないが、だからこそだ。
「え……?」
断られるとは思ってなかったか、あっけにとられる女。
そのハトが豆鉄砲食らったような顔をもっと見ていたかったが、付け入るスキを与えるだけなので、さっさとタクシーの方に向かう。
さて、2台居るのなら、前側の方に乗るのが常識だよな……
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
呼び止める声に振り返る。
見ると、女は、僅かな距離なのにそこから動こうとしない。
それがまた微妙に苛立ちを呼ぶ。
「知らない人にはついて行っちゃいけません、って教わらなかったかい? 名無しのお嬢さん」
化粧がキツそうなんでよく分からないが、恐らく俺と大して年齢は変わらない筈。
そんな女に向かって、『お嬢さん』を強調して言ってやった。
皮肉になるように。
「……!!」
最低限の皮肉は解せるようで、女は目をむいて顔を瞬時に赤く染めた。
放っといて、前側に止まってるタクシーの後部ドアの窓を小突く。コンコンと。
すると、即座にそのドアが開かれた。
「失礼します」
言って、キャリングケースを後部座席の奥に突っ込む。
「キャ……」
? なにか変な音がしたような気が。
まあ、気にせずセカンドバッグをキャリングケースの上にポンと置いて。
「お願いします」
タクシーに乗る際の俺的常套句を言って、後部座席に座る。
目の前に前席の背もたれ。サラ金とかの派手な広告が貼り付けられている。
「出して」
「いいけどよ、いいのけ?」
ボディと同じ紺色の制服、浅黒く皺だらけの顔の運ちゃんが、俺に首だけを向けて。
おそらくやり取りを聞いてて、女のことを気にしてるのだろうが。
「かまわない」
名乗らない、最低限の礼儀すら持ち合わせない女。
それが仕事の相手なら、なおさら借りを作るべきじゃない。
男女平等の世だ。女だからって、優しくしてやる義理も無いんだからな。
「んで、行先は?」
運ちゃんの問いかけ。
上着の内ポケットからケータイを取り出し、再度地図の画像を呼び出す。
目的地の名称は、地図の端に書いてあった。
「法帖の館へ」
ああ、この法帖ってのは、ほうじょうって読むのか。
フリガナが振ってなかったので一瞬困ったが、いや助かった。
……って?
「法帖か。遠いが大丈夫け? 料金かかっけどよ?」
「それは大丈夫。後ろの席の人が払ってくれる」
常套句以降は一言も喋ってなかったのに、スラスラ続く運ちゃんとの会話。
まさかこの運ちゃん、腹話術の使い手か?
そうだとしても、何故? まさか栃木県では腹話術がタクシーサービスには必須なのか? 恐るべし栃木県?
まあ、客のケータイをのぞき込むのは感心せんが。
「あ、美原です、はい……お聞きの通りです……加治屋さんはとりあえずこちらのタクシーで行かれることに……はい、必ず仕事場へお連れしますから。はい……それでは失礼します……ではのちほど……」
「うわ、キャリングケースが喋ってる!」
驚いた。
いままでの自動会話(?)は前席の方から聞こえてきていたのだが(だから運ちゃんの腹話術と思うのだが)、今度のは右横からだ。
しかも、内容があの女との電話での会話のようで……?
と狼狽えていたら、キャリングケースの向こうから女性の顔がのぞいた。
「挨拶遅れましたが、始めまして、わたくし、美原 園実と申します」
20台半ばくらいの、長そうな髪を首の後ろあたりで束ねた、大きなメガネが良く似合ってる女性。
車内の薄暗さでよくわからないが、顔や地味なスーツの体形は特徴の薄いもので、まあまあカワイイけど印象に残らないというか、一言で言うとモブ系?
「あ、ご丁寧にどうも。私は加治屋 九郎と言いまして……っていうか、乗っちゃって良いの? オレ」
乗り場に止まってるタクシーだから、当然客は乗っていないと思ってた。
だが、先客がいるとなると話は別だ。
「それにさっき、荷物を当てちゃったようで。痛かったでしょう? スンマセン」
「ああいえ、全然。平気ですし、それに」
と美原さんが言ったところで、タクシーの右横をドルルルンと派手な音を立てて先ほどのワンボックスが走り抜けていった。
「課長が失敗した時の保険でしたから、私たちは」
課長? とすると美原さんはあの女の部下なんだろうか?
「ツンデレ課長は絶対失敗すると思ってた」
またも前方から声。
まさか運ちゃんも彼女らの仕事仲間なのか?
「その腹話術、お見事ですね」
こちらを見ながらも口は閉じっぱなしの運ちゃんを褒める。
しかし。
「ふくわじゅつぅ? はっ、兄ちゃん、俺ぁそんな器用な事できねーよ」
言って運ちゃんは、助手席の座面辺りを指さして。
「この嬢ちゃんが言ってんだよ」
嬢ちゃん? って、こんな高くない背もたれに隠れるほどの背丈の人がいるのか?
まさか、と思いながら身を乗り出して、背もたれの向こうを覗き込む。
すると……
「む、なんだキサマ」
チビッ子が乗っていた。
「ちょっとサラちゃん、お客様に失礼でしょ」
美原さんのツッコミ。
って、俺はお客さん? 仕事相手じゃないのか?
「ブウ」
ふくれっ面になって前方に向き直る、サラと呼ばれたチビッ子。
よく見ると、美原さんのとよく似たスーツを着ている(サイズは大違いだが)。
ひょっとして、失礼なのは俺の方か?
「あ、えっと、初めまして」
髪は明るめの色でショートのレイヤードボブ。端は切りっぱなし風。
体形に合わせるように顔も小顔で、幼さも残ってる。
口調といい、背丈といい、あの女がツンデレならこの嬢ちゃんはクーデレといったところか。
「加治屋 九郎といいます。関内にある帝浜アートワークという会社で回路基板の設計をして……」
と、そこまで言ったところで、サラが遮るように右手の平を振って見せて。
「ワタシは紫塚 茶羅、24歳。職業は言わなくてもいいわ」
と言った。
いや、普通女の方から自発的に年齢言うもんか?
ちょっと面食らったが、それもその容姿を見れば納得。
いままでも結構幼く見られて、色々言われてきたんだろう。
だから先手をうって年齢をばらすと。
分かるけど、でも、24歳?
逆サバ読んでないか?
「あ、えっと、名刺交換は向こうへ着いてからってことで……」
申し訳なさそうに美原さん。
ああ、名刺は仕事場に行かないと無いってことなのか。
「分かりました」
それにしても、職業を言うのくらい問題は無いだろうに。
何か腑に落ちないものを感じたが。
「で、発車していいのかい?」
いつまで待たせるんだ、という風で運ちゃんが。
「行って」
「お願いします」
「あ、すみません、行ってください」
三人バラバラに返事をした。
…………
……
駅前の賑やかなところはすぐに終わり、車は田んぼの中を走った。
が、その心を潤すと期待した風景もそれほど長くは続かず、周囲の風景は単なる草原みたいなものになった。
ああ、これは牧場なのか?
駅の構内に、本州で一番の生乳の出荷量と誇らしく書かれた垂れ幕があったな。
よく見ると、草原の端々に牛の群れみたいなものが見える。
呑気でノンビリした牧場の風景が、夏の朝のコントラストの強い日差しで浮かび上がってる。
ううむ、流石は北関東の雄、栃木県。
昨日までの心の澱が洗い流されていくようだ。
しかし、車内の空気はそれにそぐわない、微妙なものだ。
誰も、一言も話そうとしない。
確かに、彼女らにとっては日常の眺めで別に面白くもなんともないものなんだろう。
しかも目的地は仕事場で、そこでは(恐らくは)仕事が待っている、と。
まあ、浮かれた出張者の相手をする気にならなくても、おかしくはないわな。
と思ったところで、気にすべきことを思い出した。
これから俺は、何をさせられるのか。
こんな妙齢の女性たちを浮かない顔にさせ、話題にもしたくないと思わせる場所・仕事とは一体……?
道は上り坂に入り(那須の山を登り始めたのだろう)、外の眺めも山肌とガードレール+雑草と、味気ないものに変わった。
そこで、新幹線の中で何度もした行動を、このタクシーの中でも行うことにした。
「……やっぱ分からん」
裏白の、A4の単ビラ書面。
先頭には『業務指示書』と書かれている。
これは、会社で使われている書面。
普段は、設計の仕様やかける人数、日程などが書かれるものだが、仕事柄出張は殆どないため(CADがないと仕事にならない)、いざ出張仕事となるとこんな書面が流用されるのだ。
その読みにくい書面の中には、出張者(つまり俺)の名前と、日付、大雑把な時刻、それに場所の住所と名称が乱暴に書かれており、肝心の業務内容については、『先方の指示に従う事』としか書かれていない。
同期入社の北金丸 雄司、そいつのニヤリ顔が思い浮かぶ。
今回の出張話は、まず北金丸のとこに入ったらしい。
お盆休みをずらすことになるが、楽な仕事だし、街から離れて骨休みをしてはどうだ? と社長自ら打診してきたらしい。
しかし、人から何かを聞いた北金丸はそれを固辞、俺に話を振ったらしい。
らしいが連発なのは、どれもこれもまた聞きのまた聞きだからだ。
社内での他部門の人間からの噂話。
この出張仕事はロクなもんじゃないと。
それでも俺がこの話を受けたのは、北金丸からの懇願があったからだ。
曰く、家庭内で色々あって、この盆休はずらせないのだと。
お礼はするから、今回は俺の代わりに出張に行ってくれないかと。
それが本当に困ってる風だったので、独り者の気楽さもあって承諾したのだが。
その後、北金丸は他部署の人間にこう言って笑ったらしい『こういうのは独身者がやればいいんだよ』と。
同期ということで、結構気を許しあったところもあったし、よく飲みにも付き合ったのだが。
まあ、人の心は離れるものか、と、ちょっと諦め入ってる。
と、ブルーな気分になったところで、前席からクーデレな声が。
「加治屋、外を見ろ」
え、何? 外なんて何も見えないだろ?
と訝しみながらも、視線を窓に向けると。
「おおっ、これは」
いつの間にか左は谷側になっており、窓の向こうは下界の風景だった。
「……綺麗なもんだな……」
ゴマ粒のような街並み、広がる田園、牧場。那須塩原の駅があんな遠くに見える。
その眺めと俺との間にかなりの距離がある所為か、その間にある空気と湿気のいたずらかで、中空がうっすら青く見えるのだ。
そう、まるで空の上から青空を見てるみたいで。
「ありがとう」
素直に前席の背もたれに向かって礼を言った。
「……礼なら那須のお山に言って」
照れてるのが手に取るように分かる。
だから無粋にいちいち覗き込みはしない。
気が付けば、隣の美原さんも微笑んでる。
ああ、なんだこの和やかな空気。
モブやクーデレに囲まれて(運ちゃんゴメン)まるでエロゲのワンシーン。
これで目的地が豪奢な洋館で、出迎えに……
「ああ、そこが法帖の館だよ」
「加治屋、着いた」
前席の二人が到着を知らせる。
気づくと、車は大きな門をくぐって、花畑の間の緩やかなカーブの道を回っているところだった。
前方には、まさかと思った通りの豪奢で真っ白い洋館が。
「お待ちしておりました、加治屋さま」
そして車止めの下で降りた俺を出迎えたのは、これまたエロゲの世界から抜け出てきたかのような、メイド姿の美少女だったのだ!
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