ダンシング・オメガバース

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3 研究所のイケオジたち

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 僕は研究所のキッチンを借りて料理をしていた。といっても、パンは買ってきたものだし、サラダはちぎっただけ。あとはチキンにハーブをふりかけて焼いただけなんだけど。

 研究所にはイケオジがたくさんいるのだが、見た目のわりに食事をないがしろにするタイプが多いらしく、こんな簡単なものでも案外喜ばれる。
 お世話になりっぱなしじゃ悪いから、まあこれくらいはね。

 僕はチキンが焼き上がるまでのあいだ、余ったローズマリーをつまみ上げ、香りを楽しんでいた。
「やあ、ルノン。いい匂いだね」
 料理の匂いを嗅ぎつけたのかロマンスグレーのイケオジたちがゾロゾロ、キッチンにやってきた。

「残念だな。十年若ければ、ルノンをさらって自分のものにしたのに」
 などと冗談めかして口説かれたりするが、彼らももう、踊れないらしい。
 だからこそ、この研究所で働いている。
 検査や研究の際に、オメガのフェロモンに左右されないことが絶対条件らしいのだ。
 実にもったいない。僕の目からすれば、彼らは全員まだまだ魅力的だ。なんとかして恋人をあてがってあげたいものだ。

「ルノン、もうすぐここを出るんだって?」
「まあなあ。正式にオメガと決まってしまえば、さすがにここで暮らすのはマズいしなあ」
「本当にひとりで暮らせるのかい?」
「せめてベータならなあ」
 研究所のイケオジたちは口々に言う。しんみりした空気が居たたまれなくて、僕は笑顔を作った。
「僕、ひとり暮らしの経験あるよ。子供だと思ってるだろ。それより、あとで買い物行くけど、なにか必要なものある?」
 そんな話をしていたら、ミラロゥが遅れてやってきた。
「先生、遅いよ。なくなっちゃうよ?」
「ルノンはもう食べたのか?」
「味見をせずには振る舞えないよ」
 給仕のついでにさりげなく近寄って、ミラロゥから漂う香りを確かめる。

「やっぱり。先生、ローズマリーみたいな香りがするね」
 こそっと告げると、ミラロゥはハッと僕を見た。
「ルノン、それは」
 口を開いたのは横で聞いていた別の職員だった。彼がなんと続けるつもりだったのかはわからない。ミラロゥが彼をチラリと見ると、あからさまに口を閉ざしてしまったからだ。
 なにか失礼なことを言ったかと焦ったが、言葉を濁されてしまった。

 この世界での生活に不安がないわけじゃない。けど、不便はない。
 研究所を出た僕は、ぐるりと大回りをしながら緩やかな坂を下っていた。市場に出る道の途中で、立ち止まる。
 ここにはかつて帰るすべ、らしきもの、が存在した。

 たとえばそれが、わかりやすくドアの形をしていたなら。もしくは虹色に輝く円の形をしていたなら。僕はもう、この世界にはいなかったのかもしれない。
 だけどここに在ったのは、まったく異質なものだった。
 サラリーマンらしきおっさんがふたり、手を取り合ってアーチを作っていたのだ。あの下をくぐれば、元の世界に戻れるのだという確信を、僕はどうしても持てなかった。
 無視するうちに、それもいつのまにか消えていた。

 僕がここに立ち寄ったのは感傷に浸るためではない。
 ここはスマホのアンテナが立つのだ。といっても、電話もメールも使えない。唯一つながるのは、僕がよく使っていた電子書籍のストアだけだ。
 バグなのかチートなのか、この世界に来て僕はマンガが買い放題だった。
 気づけばチャージされているポイント。なぜか減らない電池。満杯にならないストレージ。
 しかも、ダウンロードがめちゃめちゃ早い。
 となると、帰る理由がないんだよな。

 新刊をチェックして満足した僕は、今度こそ市場へ向かった。そこにはよくわからないモノも結構あるけど、トマトとかキャベツとか見知ったものもちゃんと売ってる。
 両手いっぱい買いこんで坂道をのぼっていると、どこからかリズムが聞こえてきた。

 ギクリとしたが求愛されているのは僕じゃなさそうだ。
 手すりごしにひょいと見おろすと、ささやかな広場でアルファらしき男が重低音を響かせていた。
 男がジャケットを脱ぎ捨て踊りはじめる。そばにいたオメガらしき男性が、応えた。重低音に軽やかなリズムが乗った。その熱に浮かされたように周りのみんなも踊りだす。

「わあ……」
 僕は思わず感嘆の声をあげていた。
 はたで見る分にはおもしろい。リズム音痴の僕まで体をゆらしそうになったほどだ。
 成立したばかりのカップルはリズムを鳴らしたまま、すでにダンスそっちのけで二人の世界になっていた。道の往来で熱いキスなんて交わしている。

 幸せのおすそ分けをもらった気分だ。ニコニコしたまま振り返ると、通りすがりの男性と目があった。僕のほうは、どちらかというと彼の抱えていたスイカに目がいった。いいな、おいしそう。

 その瞬間、彼がリズム音を響かせた。ヤバっ。
「いや、僕は要らないんで!」
 言葉で断ろうとしたのは失敗だった。
「ああ! なんてかわいらしい声なんだ!」
 相手の動きが激しくなった。止めろ、スイカをダンスの道具みたいに使うな! 
 すぐにでも拍手をしたいが荷物が邪魔だった。

 もたつくうちに、頭の中が彼のリズムでいっぱいになってしまった。
 それに、なんだろうこの香り。ラム酒みたいな香りがあたりに充満していて、酔ってしまいそうだ。
 踊りたくなんてないはずなのに、体が動きそうになる。

「ルノン!」
 なじみのある声に、僕はハッとそちらを見た。
 ミラロゥが僕めがけて駆けてくるところだった。
「落ち着いて。荷物をこっちに。拍手できるかい」
 僕はほとんど言われるままに手を叩いていた。

「あ、おい! あんた、なんで邪魔をするっ!」
 男が怒鳴りつけると、リズム音まで大きくなった。威嚇するような大音量だった。
 思わず耳を押さえたけど、全然効果はなかった。

「きみこそマナー違反だぞ! 相手の手がふさがってるときにダンスをするなんて」
「お、俺だってふさがってる」
「そんなことは言い訳にならない。さっさと立ち去れ! 彼が苦しんでる」
「な、なんだよ。文句があるならあんたもダンスで勝負をって――、なんだ、あんた枯れてんのか。だったら」
「うるさい、どっか行け!」
 僕は声を振り絞り、ミラロゥにしがみついた。男はどうやら去っていったらしい。

 先生に支えられて、僕はなんとか研究所に帰ってきた。
 そして以前と同じように、先生の部屋の簡易ベッドに寝かされている。

「先生、もしかして迎えに来てくれた?」
「ああ」
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「いいんだ。それより、邪魔をしてしまったわけではないんだよな?」
「あんなヤツ、絶対にごめんだよ。アイツ、先生のこと笑ったんだよ!」
「私のことはどうでもいい」
「良くないよ! 枯れてるってなんだよっ。先生は、アイツなんかよりもずっと魅力的だよ!」
「ルノン。大丈夫だから。さあ、目を閉じて」

 目の前にいない相手に対して、僕は怒りが収まらない。
 まだあの男のリズムが頭の中で鳴っているせいかもしれない。
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