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四.
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戦国の世においては、かつては弓が、時代を経ると鉄砲が、戦場の主役であった。足軽は槍を持ち、より長い距離で戦うのが戦であり、戦場での刀の役割は、せいぜいが首級を取るためか、護身用の武器にすぎず、戦場において、刀を抜いて名乗りあって斬り合うという戦い方は、鎌倉の時代になる前には姿を消していたのである。
しかし、身分制度が確固たるものになった江戸の時代では刀は武士の魂。名刀を持つことが1つの社会的地位の証となっていたのだった。
「実は、来年の将軍上洛に合わせて、浪士隊が結成されることになったのだ。拙者を始め、天然理心流の門弟もこれに参加することとなった次第。畏れ多くも将軍警護の大役の末席に加わる以上、相応の刀を持たねばならぬ」
「あぁ、なるほど……」
この浪士隊は、庄内藩士の清河八郎の建白によるものであった。
江戸の無頼漢たちを集め、上洛する将軍・家茂公の前衛として京に乗り込もうという、奇想天外というべきか、卑しくも将軍警護をそのような輩に委ねるなど正気の沙汰かと呆れるべきか――という突飛なアイディアだったが、京での尊王攘夷派の志士達の狼藉に手を焼いていた幕府はこれを採用することにしたのだった。ところが、この清河八郎という男はとんだ奸物で意図するところは別にあり、幕府は一杯食わされることになるのはまた別の話である。
それはさておき、これがくすぶっていた男にとって、千載一遇の好機と映ったのは当然のことであろう。目を輝かせ、身ぶり手ぶりを交えながら大望を語る近藤に、伊助も何とかしてやりたいと思うようになっていった。
「どころで、近藤様はどのような刀を御所望ですかな」
「うむ。出来れば長曽根虎徹を手に入れたいのだが」
長曽根虎徹は江戸時代の初めごろの刀工で、もとは甲冑師でありながら、50歳を過ぎてから刀工に転身した異色の人物である。そのために、遺作には兜や甲冑、籠手なども残っている。作刀をしていた期間は明暦二年(1656年)から延宝五年(1677年)ごろと言われるので、僅か20年ほどの期間である。
生前から非常に人気があった虎徹の作刀は、その刀身の美しさもさることながら斬れ味に優れていたことから、武士にとっては垂涎の的となっていた。そのために、大名や直参といえどもなかなか手に入らない代物となっていた。いつしか贋作が非常に多く造られ出回るようになり、虎徹を見たら偽物と思え、と言われるほどになっていた。当然、そう易々と手に入るような代物ではない。
虎徹……とは。
伊助は顔にこそ出さなかったものの、さすがに困り果ててしまい、額に浮きだした汗を、そっと手拭いで拭きとった。
「失礼ながら、ご予算はどの程度でございましょう?」
「20両ではいかがでござろう?」
近藤の提示した金額を聞いて伊助の額からさらに汗が吹き出した。もしも、本物の虎徹であったならば、その倍や三倍どころか、下手をすれば十倍を出してでも買うものはいるだろう。
しかし、結局のところ伊助は、
「分かりました。何とか致しましょう」
と、胸を叩いて、近藤の無謀な依頼を引き受けることにしたのだった。
* * *
しかし、身分制度が確固たるものになった江戸の時代では刀は武士の魂。名刀を持つことが1つの社会的地位の証となっていたのだった。
「実は、来年の将軍上洛に合わせて、浪士隊が結成されることになったのだ。拙者を始め、天然理心流の門弟もこれに参加することとなった次第。畏れ多くも将軍警護の大役の末席に加わる以上、相応の刀を持たねばならぬ」
「あぁ、なるほど……」
この浪士隊は、庄内藩士の清河八郎の建白によるものであった。
江戸の無頼漢たちを集め、上洛する将軍・家茂公の前衛として京に乗り込もうという、奇想天外というべきか、卑しくも将軍警護をそのような輩に委ねるなど正気の沙汰かと呆れるべきか――という突飛なアイディアだったが、京での尊王攘夷派の志士達の狼藉に手を焼いていた幕府はこれを採用することにしたのだった。ところが、この清河八郎という男はとんだ奸物で意図するところは別にあり、幕府は一杯食わされることになるのはまた別の話である。
それはさておき、これがくすぶっていた男にとって、千載一遇の好機と映ったのは当然のことであろう。目を輝かせ、身ぶり手ぶりを交えながら大望を語る近藤に、伊助も何とかしてやりたいと思うようになっていった。
「どころで、近藤様はどのような刀を御所望ですかな」
「うむ。出来れば長曽根虎徹を手に入れたいのだが」
長曽根虎徹は江戸時代の初めごろの刀工で、もとは甲冑師でありながら、50歳を過ぎてから刀工に転身した異色の人物である。そのために、遺作には兜や甲冑、籠手なども残っている。作刀をしていた期間は明暦二年(1656年)から延宝五年(1677年)ごろと言われるので、僅か20年ほどの期間である。
生前から非常に人気があった虎徹の作刀は、その刀身の美しさもさることながら斬れ味に優れていたことから、武士にとっては垂涎の的となっていた。そのために、大名や直参といえどもなかなか手に入らない代物となっていた。いつしか贋作が非常に多く造られ出回るようになり、虎徹を見たら偽物と思え、と言われるほどになっていた。当然、そう易々と手に入るような代物ではない。
虎徹……とは。
伊助は顔にこそ出さなかったものの、さすがに困り果ててしまい、額に浮きだした汗を、そっと手拭いで拭きとった。
「失礼ながら、ご予算はどの程度でございましょう?」
「20両ではいかがでござろう?」
近藤の提示した金額を聞いて伊助の額からさらに汗が吹き出した。もしも、本物の虎徹であったならば、その倍や三倍どころか、下手をすれば十倍を出してでも買うものはいるだろう。
しかし、結局のところ伊助は、
「分かりました。何とか致しましょう」
と、胸を叩いて、近藤の無謀な依頼を引き受けることにしたのだった。
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