光の射す方へ

弐式

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22.絶望の中の希望

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 アカリの言葉に応えた声も、同じように弱々しいものだった。

「無責任だな、私は……。君に、もっと頑張れと言うことしかできない自分が無力で情けなくなってくるよ」

「バルドル?」

 その声に含まれているのは怯えだろうか。

 何に対して?

 アカリが消えてしまうことに対して?

 自分が消えてしまうことに対して?

 それとも、もっと別のことを怖れているのだろうか?

「バルドル……姿を見せてよ」

 恐る恐る言ったアカリの言葉に呼応したのか、気配が動いたような気がした。

 大気が震えるのを感じた。風ではなく震え。それが収まったと主今まで何もなかったはずの目前の空間に、中世騎士道物語に出てくるような、顔まですっぽり覆われた兜にプレートアーマーと呼ばれる板金で仕立てた煌びやかな全身鎧で身を固めた騎士姿の青年が現れた。

 顔が見えないので男女の区別はつかないが、これまで聞こえていたのは男の声だった。

 アカリがそんなことを思っていると、騎士はおもむろに兜と仮面を外し顔をあらわにした。その顔はやはり男性。日本人の顔立ちだった。その印象から年齢はアカリより年上の20歳前後。

 見覚えのある顔ではない。父親、親戚、同級生、先輩、知り合いの顔を思い出してみたが、該当する顔は思い当たらなかった。

「あなたは……バルドル? 私の中の希望?」

「そうだよ」

 真っ直ぐに見つめられ、アカリは思わず目を逸らした。

「この世界は、"灯”の絶望が生み出した魂の監獄。壊すことができるのも、解放することができるのも、君だけだ」

「私は……」

 アカリは、自分は確かに選んだはずだ……と思った。闇の中に呑み込まれることを望んだはずだ。この世界ごと消え去ることを願ったはずだ。

 でも、この世界は、不安定になっていても、まだ残っている。

 ……まだ、希望が残っているから?

 アカリは、その疑問をそのまま口にした。

「絶望は、自分1人でいくらでも膨らませることができる。でも、希望は誰かから貰わなければいけないんだ。……バルドルは、君が集めてきた希望の欠片の集まりなんだよ今、ここに僕がいるということは、"灯”はこれまでにたくさんの”希望”をもらってきた証明なんだ」

「誰かって……誰に? 言っている意味が分からないよ……」
 
 アカリは自分の両の掌をまじまじと見つめた。

 従姉のところに妹が生まれた時のことを思い出す。"灯”が6歳の時だった。退院したばかりの従姉の家に、"灯”は家族で赤ちゃんに会いに行ったとき。リビングのソファに腰かけてよく笑う赤ちゃんを抱っこしている母親。

 一つ上の従姉と一緒に、赤ちゃんを笑わせようと変な顔をしたり両手を振ってみたりした。

 その空間は"幸福”に包まれていた。

 そして"灯”自身も……楽しかった。

 幸福だった……。

 きっと、あの絵日記の中の、幼い”灯”が幸福そうだったのは、その時の記憶があったからだろう。それからほどなく――というほど、ほどなくではなかったはずだが、”灯”の顔からは笑顔が無くなっていった。

 子供のころの”灯”に笑った覚えがないわけでもない。けれどアカリにはこの時が最後の幸福な記憶だったように思えた。

 そんなことを思い出していたアカリはふと思う。

 幸福と希望とは同義なのだろうか。

 そんなことを考えていたアカリの耳に、「アカリは知らなくて当然だけれど――」というバルドルの声が聞こえた。

「事故に遭った“灯”の体は、意識を取り戻すことなく眠り続けている。アカリがこのまま、闇に飲み込まれたら、“灯”はもう、眠りから覚めることはない……。でも、アカリが目覚めるのを毎日待っている人がいる……」

「……」

「“灯”が眠り続けている間、“灯”のお母さんはずっと、謝罪を繰り返している。『目が覚めたら、もうピアノを続けろなんて言わない。好きなことをいくらでも頑張ってくれればいい。だから、目を開けて』……って。人は、失いかけて初めて大切なのが何かに気付くんだ。悲しいことだけれどね……」

「嘘だ! 嘘だ! そんなのは……嘘だ」

 アカリは声を荒らげたが、その声はすぐに弱々しいものに変わっていった。アカリの胸中の天秤は、“バルドルの言葉を信じたい”と思う気持ちの方に静かに傾いていく。

 しかし、母から最後に聞いた言葉が耳の中に蘇った途端に、天秤は“バルドルの言葉を信じられない”と思う気持ちの方に、一気に傾いた。

 ……ピアノを続けられないのなら私の娘じゃない。

 あの人に必要だったのは、あの人の代わりにピアノを弾いてくれる人だ。“灯”じゃあない!

「嘘だ。私はもう信じない!」

「アカリにとっての全ての真実はあの時の言葉だったのかもしれない。でも本当に、それだけが“灯”の全てだったのか?」

 アカリはもう一度、自分の手に目を落とす。
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