光の射す方へ

弐式

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18.存在理由

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 ラグナロクの発端を作ったのはヘルであったと解釈されることがある。

 彼女は死者たちの爪を集め、巨人族に巨大な船ナグルファルを建造させた。ナグルファルの完成こそが、ラグナロクの始まりを知らせる号砲だったと言っても過言ではない。ヘルはこの船に、父親であるロキが指揮する巨人たちや死者の軍勢を乗せて、アース神族が住まうアーズガルズに攻め込ませたのである。

 死者の大軍が神々へと戦いを挑む……最終戦争の始まりに、何とふさわしい光景だろうか?

 古代北欧の人々は、この悪夢を少しでも遅らせるために、死者の爪を切って埋葬していたという。

 戦いは壮絶なものとなった。

 アース神族の最高神オーディンは巨狼フェンリルと、最強神トールは大蛇ヨルムンガルドとそれぞれ戦い、相打ちとなって果てた。全ての発端となったロキも、アースガルズの門番である神ヘイルダムとの戦いで命を落とした。

 激しい戦いによって世界樹ユグドラシルによって繋がれた九つの世界は海中に没し、神々を失った世界は混乱する。しかし、その後に待っていたのは新たな秩序の幕開けである。

 その新たな秩序の中でヘルがどうなったのか諸説ある。はっきりしたことが分からないのは死者の軍勢をロキに預け、自らが動かなかったためだ。

 ヘルは滅びずラグナロクで死んだ人々を支配したという説と、復活したバルドルなど心正しい存在が生き残り、ヘルと死者たちの国は滅んだとする説などがある……。

 アカリはぱたっと本を閉じた。

 やっぱり自分は、この本を読んだことがあった。「北欧神話」とタイトルが書かれた簡素な表紙をまじまじと眺める。

 異様に時間が気になった。この館に来てからかなりの時間が経っている。

 ……いや、バルドルと一緒に旅をするようになってどれほどの時間が過ぎたのだろう。こうしている間に、元いた世界ではどれだけの時間が経ってしまったのだろう。

 ……ここは魂の牢獄。

 ヘルは確かにそう言った。自らの手で、自らの命を奪った者が、自らの罰を与える場所だ、と。その言葉を信じるなら、この世界は、アカリが――おそらく神話の物語をベースにして、自分自身で作り出した世界なのだろう。

 そうするなら、北欧神話における死者の女王ヘルと、自らを闇の女王と名乗ったヘルとは同一人物ではない。

 彼女も、そしておそらくバルドルも、自分自身が作り上げた存在なのだろう。

 同時に思う。

 今、ここにいる自分は――?

 ここにいるアカリは、“灯”が犯した罪への罰を与えられる為に生み出された存在ではないと、どうして言い切れるだろう。

 そもそも、“灯”はどうなったのだろう。漠然と彼女は死んでしまったと思ってはいたが、頭が冷えてくるとその確証はないのではないかと思うようになった。自分が知っているのは、"灯”が事故に遭った瞬間までなのだから。

 彼女は――ヘルは知っているのだろうか。

 その上でヘルは一体どうしたいのか?

 自分はどうなりたいのか。

 考えたって答えは出ない。

 でも、必ず答えを出さなければいけないはずだ。

 ヘルともう一度会って、対峙しなければいけない……その決心がつくまでに、かなりの時間が必要だった。

 本の山を除けてむき出しになった赤い絨毯に目をやり、もう一度バルドルがいないことを確認する。これまで自分を守ってくれたバルドルはもういない。もはや自分1人で戦うよりないのだ。

 1人で向き合うしかないんだ……。

 アカリは恐怖のあまりがくがくと震える足を、拳を握り何度も叩いた。

   *   *   *

 書庫を出ると見覚えのある薄暗い玄関ホールが広がっている。右に階段、左に玄関の大扉。そして正面の扉を開けば、ヘルが待っているであろうダイニングという位置関係になっている。

 ちらりと玄関の扉を見る。

 この重い扉の向こう側を思い出す。外には闇が広がっていて、歩むべき道はない。切り立った断崖絶壁だった。

 もしも、この扉を開いて一歩踏み出せば、全て終わるのではないだろうか。

 あの高さなら、痛みも恐怖も感じることはないだろう。

「私は何を考えているんだか……」

 アカリは小さく首を左右に振った。
 
 決心をつけたはずなのに、今さらこんなことを考えるなんて……。

 恐れるな、と何度か口の中で繰り返してから、正面へと進み、小刻みに震える手でダイニングへの扉を開く。
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