光の射す方へ

弐式

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8.闇を生み出す女との邂逅

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 扉はやたらと重かった。

 体重をかけるようにして押していくとじりじりと開いていった。

 開いたむこうは想像していた通り闇に包まれていた。手に持った蝋燭の燭台をグイっと突き出してみる。小さな火に照らされた外には何かある気配はない。

 足を一歩踏み出してみる。

 その先にはアカリが足を置くべきものが何もなかった。何もない中空を踏み抜きそうになって、アカリは小さく悲鳴を上げて扉にしがみついて体を玄関に戻した。

 先人の戒めというのは聞いておくものだと、改めて思う。

 しかし、手に持っていた燭台を手放してしまっていた。下を向くと、蝋燭の小さな火が音もなく落ちて行くのが見えた。一瞬だけ真っ直ぐに切り立った岩肌が浮かび上がって見えた。

 ここは断崖絶壁だったのだ。

 どれほどの高さがあるのかは分からない。火が見えなくなったのは消えてしまったからなのか。地上で何かに燃え移ってしまっていないことを祈りながら、玄関扉の取っ手に指をかけて、力を入れて引っ張った。

 閉める時は妙に軽かった。

「……ここから出るのは無理そうだね……」

 アカリはバルドルに声をかけるが、バルドルはアカリの方を見ていなかった。それに気付いたアカリもバルドルの視線の先を追う。

 ぎくりと身を震わせた。

 階段の踊り場のあたりから人影が下りてきているのが見えた。紺色のローブとフードで全身を覆っていて男か女かもわからない、女だとしたら結構な長身だと思った。ファントムの親玉だろうか。

 この状況で、味方ということはないだろう。逃げるとしても背中の方にある玄関扉の外には逃げられない。走るとすれば右か左か――の判断をする前に、

「新しい服は気に入ってもらえたかね?」

 と呼びかけられた。

 アカリが聞いたその声は間違いなく女性のもの。感情がこもらない冷たい声だった。

 同時に、その女の言った言葉の内容が気になって自分の来ている服に目をやった。そこでようやく、いつも着ていた襤褸が自分の身体を包んでいないことに気がついた。

 ファントムに連れ去られ、檻の中で目を覚ますまでに着替えさせられたのだろう。アカリには真っ白いワンピースの上に茶系のカーディガンを羽織らされ、裸足でボロボロになった足には赤い靴が履かされていた。

 問題は、誰に着替えさせられたか、なのだけれど、それについては考えないことにした。

 そんなことを考えている間に階段をゆっくり降りてきていたフードの女はアカリの眼前に迫っていた。

「エリューズニルへようこそ。歓迎するよ」

 そう言った女は少し顎を上げるとフードがめくれて一瞬その顔があらわになった。それを見た瞬間、アカリは小さな悲鳴を上げて二、三歩下がった。

 右側は色白で美しい青い瞳が印象的なものだったが、左側は青黒く変色し醜く崩れている。左側の瞳は閉ざされているどころか、ただれて瞼がくっついているようにさえ見えた。

 女は左手をアカリの方に向ける。

 それを見てアカリはもう一度悲鳴を上げてまた二、三歩退く。玄関の扉に背中が当たった。アカリに向けられた掌にも、ローブの裾からから見える前腕部にも肉はついていなかった。全くの真っ白い骨だった。

 ローブの女はひゅっと口笛を吹くような音を発した。骨しかない掌から闇が拡がっていった。空間全体が闇に侵されていく。それと同時に闇から浮かび上がってくるファントムたちの気配。

 現れたファントムたちにバルドルが口から閃光を放ち、ファントムたちを消滅させていく。同時にその閃光には闇そのものをも消滅させる力があるようで、再び先ほどまでと同じ殺風景な玄関ホールの景色が戻るまでさしたる時間はかからなかった。

「馬鹿だね……バルドル。お前に、私の闇の全てを払い切れるはずもなかろうに……」

 左手をローブの中にしまいながら女は嘲りの笑いを見せる。

「いや……私の闇、という言葉は正確ではなかったかね?」

 ぐるる、と唸り声を上げながら、バルドルが女を睨み続けるが、女は気にした風もなく、今度はアカリに声をかけた。

「アカリ……お前が知りたいこと、無くしてしまったことの全ては、このエリューズニルにある。その全てを集め終わった時に、きっと今度はお前の方から私に身を委ねる気になるだろうよ」

 女はそう言うとアカリに背を向けて、階段を上がっていった。アカリはその背中に反射的に「待って!」と声をかけていた。

 女は階段を上がっていく足も止めず振り向きもしなかった。

 今度はアカリが女を追いかけて階段を駆け上がった。

 しかし、踊り場まで駆け上がった時、フードの女の姿は見当たらなかった。踊り場には、先ほどしたからではよく見えなかった大きな絵画が飾られていた。

 その中に描かれているのは、右半身は透き通るように白く美しい肌に、左半身は醜く青黒い死体を思わせる女の肖像。先程の女だった。全身を包んでいる紺色のローブとフードもさっき見たのと同じ装束だった。

 同様に、アカリの眼前で開かれた骨だけの左の前腕と掌も描かれている。さっきは見えなかった右手は、絵画の中では顔同様に美しく描かれている。おそらくこれも、同じなのだろう。

 被ったフードの下から見える黒く長い前髪を、骨だけの左手でかきあげる仕草をしている、憂鬱な表情を浮かべる女の絵――。

「私の名はヘル。闇の女王ヘル。ニヴルヘルの支配者であり、ガングラティとガングレト……お前たちが呼ぶところのファントムの支配者さ」

 目の前の絵の中の女が話した――?

 それともまだ近くにいるの――?

 確かにアカリの耳に、ここにはいなくなったはずの、さっきの女の声が聞こえた。アカリは周囲を見回して女の姿を探したが、その姿を見つけることはできなかった。
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