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第一部
第97話 約束
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伸ばされた手が頬に触れ、硬い親指がなぞる。赤い瞳は、愛おし気に細められている。
(……あれ?)
愕然とするわたしを見やり、ウェイン卿はぱっと手を離し、「しまった」という表情を浮かべた。
「すみません……嫌でしたか?」
(あれれ?)
落ち込んだ子供のような目をして問われて、慌てて答える。
「いいえ、そんなことは!」
むしろ一生の記念に致します、と続けかけた痛い台詞を呑み込む。
ウェイン卿は、ほっと安心したような表情で、かつて見たこともない晴れやかな笑みを浮かべた。
わたしの手を取り両手で優しく包むようにした後、指と指を絡めて握る。
驚いて見上げると、わたしを見つめる瞳が慈しみに満ちていて、胸がぎゅっと熱く高鳴る。
(ん? これ……なーんか、違和感、あるくなくない……?)
そこはかとなく、何かが噛み合っていないような……?
「ところで、……気になっていたことがあります」
「は、はいっ!」
「以前……夜更けに、林の方に行こうとされていましたよね。お一人で……俺は、貴女にひどい態度を取りました。あれは、どこに行こうとされていたんでしょう?」
あの夜、告白しなければならないことを思い悩み、あの老人に会いたくなったことを思い出す。
しかし、夢か幻で逢った老人に救いを求めて会いに行こうとしました、とは、なかなか言いにくい。
「……ああ、いえ。それも、本当に、くだらない理由ですから」
「はい」
適当に誤魔化そうと思ったのに、ウェイン卿はわたしの目を真摯な表情でじっと見つめ続け、誤魔化されてはくれなかった。
それから? という目をしている。
「あのー……本当に、びっくりする位、くだらない理由ですが、それでも、お聞きになりたいですか?」
「はい」
ウェイン卿は、ほっとしたように目元を緩め、頷いた。
「あの……あの夜は、不安な気持ちに押しつぶされそうで、それで」
いつか林の中で見た、不思議な老人の白昼夢の話をした。
それから、その後、老人ともう一度、夢の中で会ったことも。
目が覚めたら三日も経っていて、と言うと、繋がれた手にぎゅっと力が籠もった。
話しながら、あの老人は、夢で見た幻ではなく、本物の魔法使いだったのかもしれない、と思う。
――変わり映えしなかったわたしの人生が廻り始めたのは、あのおじいさんに出会ってからだった。
「……というわけで、もしかしたら、あの林に行けば、もう一度会えるかも知れない、などと思いまして……本当に、馬鹿げた、くだらない話でしたでしょう……?」
話し終わると、ウェイン卿はわたしの目をじっと見つめていた。その眼差しが真剣そのもので、思わず緊張して背筋を伸ばす。
「俺は、さっき貴女に何も無理強いしないと言いましたが、これだけは、約束してください。これからは、心配事がある時は、必ず俺を呼んでください。それから、林へもどこへも、絶対にお一人では外出されないように」
「……はあ」
でも、ウェイン卿はお忙しい身の上。
しょうもない理由で呼びつけるなど、できるはずもない。
見透かしたように、ウェイン卿が瞳を眇める。
「一応、確認しますが、俺が忙しそうだから悪いなぁ、とか思っていませんよね?」
「まあ……よくおわかりになりますね……!」
「なんとなく、貴女の思考回路が読めるようになってきました」
柔らかく笑う。
「……俺は、貴女に頼られたいと思っています。むしろ、俺のいないところで、……こ、……婚約者の貴女が、一人で夜の林に行ったり、王都のはずれまで歩いて行ったり、危険な場所に潜入していたりするかもしれないと考えると、心配で頭がおかしくなりそうです」
途中、なぜか照れたように頬と耳を赤く染めながら、真剣な顔で言われて、私はこくこくと頷いた。
「は、はい! わかりました。お約束します」
「あと、もう一つ」
「はい」
「…………」
そのまま、ウェイン卿は考え込むように黙ってしまった。
しばらく沈黙してから、言いにくそうに、目を伏せて、ぽつり、と呟く。
「……ケーキが、お好きなんでしょうか?」
「……はい? ケーキ、でございますか?」
「はい、『ブルームーン』のケーキです」
『ブルームーン』は今、王都で一番人気のあるコンフィズリーらしい。
先日、ロブ卿が持ってきてくださって、とても美味しかった。
「はい、先日、初めて頂きましたが、とても美味しかったです」
ウェイン卿の眉間に深い皺が刻まれる。
「……初めて……?」
「はい」
なぜか、物憂げに目を伏せてから、瞳を眇める。
「……ケーキは、今度から、俺が持ってきます」
「……はい?」
「それで、構いませんか?」
神妙に問われて、まったく意図はわからなかったが、慌てて頷いた。
「は、はい、承知しました」
ウェイン卿は、また嬉しそうに、晴れやかに笑った。
その顔を見ると、体中ぜんぶ、幸福感でいっぱいになった。
とりあえず、何がなんだかよくわからない理由によるものだったとしても、このわたしが……ウェイン卿と、婚約……? しかし、
(さっきから、何かがおかしい……?)
ウェイン卿の眼差しと態度ときたら、これじゃ、まるで、まるで――
悶々としていると、ウェイン卿がわたしの顔を覗き込むようにしながら、優しく瞳を細めた。
最高の最高のそのまた最高に素敵な、笑い方だった。
繋いでいない方の手を、目の前の輝きに付いて行けず、ぱちぱちと瞳を瞬かせるわたしの顔に向けて伸ばすと、愛おしげに髪と頬に触れ、壊れ物を扱うみたいに、そうっと撫でた。
「必ず、大切にするとお約束します――」
(……あれ?)
あれあれあれあれあれ?
赤い瞳は、まっすぐにわたしの目を見て続けた。
「――愛してます」
「……はああっ?」
何ですって?
(……あれ?)
愕然とするわたしを見やり、ウェイン卿はぱっと手を離し、「しまった」という表情を浮かべた。
「すみません……嫌でしたか?」
(あれれ?)
落ち込んだ子供のような目をして問われて、慌てて答える。
「いいえ、そんなことは!」
むしろ一生の記念に致します、と続けかけた痛い台詞を呑み込む。
ウェイン卿は、ほっと安心したような表情で、かつて見たこともない晴れやかな笑みを浮かべた。
わたしの手を取り両手で優しく包むようにした後、指と指を絡めて握る。
驚いて見上げると、わたしを見つめる瞳が慈しみに満ちていて、胸がぎゅっと熱く高鳴る。
(ん? これ……なーんか、違和感、あるくなくない……?)
そこはかとなく、何かが噛み合っていないような……?
「ところで、……気になっていたことがあります」
「は、はいっ!」
「以前……夜更けに、林の方に行こうとされていましたよね。お一人で……俺は、貴女にひどい態度を取りました。あれは、どこに行こうとされていたんでしょう?」
あの夜、告白しなければならないことを思い悩み、あの老人に会いたくなったことを思い出す。
しかし、夢か幻で逢った老人に救いを求めて会いに行こうとしました、とは、なかなか言いにくい。
「……ああ、いえ。それも、本当に、くだらない理由ですから」
「はい」
適当に誤魔化そうと思ったのに、ウェイン卿はわたしの目を真摯な表情でじっと見つめ続け、誤魔化されてはくれなかった。
それから? という目をしている。
「あのー……本当に、びっくりする位、くだらない理由ですが、それでも、お聞きになりたいですか?」
「はい」
ウェイン卿は、ほっとしたように目元を緩め、頷いた。
「あの……あの夜は、不安な気持ちに押しつぶされそうで、それで」
いつか林の中で見た、不思議な老人の白昼夢の話をした。
それから、その後、老人ともう一度、夢の中で会ったことも。
目が覚めたら三日も経っていて、と言うと、繋がれた手にぎゅっと力が籠もった。
話しながら、あの老人は、夢で見た幻ではなく、本物の魔法使いだったのかもしれない、と思う。
――変わり映えしなかったわたしの人生が廻り始めたのは、あのおじいさんに出会ってからだった。
「……というわけで、もしかしたら、あの林に行けば、もう一度会えるかも知れない、などと思いまして……本当に、馬鹿げた、くだらない話でしたでしょう……?」
話し終わると、ウェイン卿はわたしの目をじっと見つめていた。その眼差しが真剣そのもので、思わず緊張して背筋を伸ばす。
「俺は、さっき貴女に何も無理強いしないと言いましたが、これだけは、約束してください。これからは、心配事がある時は、必ず俺を呼んでください。それから、林へもどこへも、絶対にお一人では外出されないように」
「……はあ」
でも、ウェイン卿はお忙しい身の上。
しょうもない理由で呼びつけるなど、できるはずもない。
見透かしたように、ウェイン卿が瞳を眇める。
「一応、確認しますが、俺が忙しそうだから悪いなぁ、とか思っていませんよね?」
「まあ……よくおわかりになりますね……!」
「なんとなく、貴女の思考回路が読めるようになってきました」
柔らかく笑う。
「……俺は、貴女に頼られたいと思っています。むしろ、俺のいないところで、……こ、……婚約者の貴女が、一人で夜の林に行ったり、王都のはずれまで歩いて行ったり、危険な場所に潜入していたりするかもしれないと考えると、心配で頭がおかしくなりそうです」
途中、なぜか照れたように頬と耳を赤く染めながら、真剣な顔で言われて、私はこくこくと頷いた。
「は、はい! わかりました。お約束します」
「あと、もう一つ」
「はい」
「…………」
そのまま、ウェイン卿は考え込むように黙ってしまった。
しばらく沈黙してから、言いにくそうに、目を伏せて、ぽつり、と呟く。
「……ケーキが、お好きなんでしょうか?」
「……はい? ケーキ、でございますか?」
「はい、『ブルームーン』のケーキです」
『ブルームーン』は今、王都で一番人気のあるコンフィズリーらしい。
先日、ロブ卿が持ってきてくださって、とても美味しかった。
「はい、先日、初めて頂きましたが、とても美味しかったです」
ウェイン卿の眉間に深い皺が刻まれる。
「……初めて……?」
「はい」
なぜか、物憂げに目を伏せてから、瞳を眇める。
「……ケーキは、今度から、俺が持ってきます」
「……はい?」
「それで、構いませんか?」
神妙に問われて、まったく意図はわからなかったが、慌てて頷いた。
「は、はい、承知しました」
ウェイン卿は、また嬉しそうに、晴れやかに笑った。
その顔を見ると、体中ぜんぶ、幸福感でいっぱいになった。
とりあえず、何がなんだかよくわからない理由によるものだったとしても、このわたしが……ウェイン卿と、婚約……? しかし、
(さっきから、何かがおかしい……?)
ウェイン卿の眼差しと態度ときたら、これじゃ、まるで、まるで――
悶々としていると、ウェイン卿がわたしの顔を覗き込むようにしながら、優しく瞳を細めた。
最高の最高のそのまた最高に素敵な、笑い方だった。
繋いでいない方の手を、目の前の輝きに付いて行けず、ぱちぱちと瞳を瞬かせるわたしの顔に向けて伸ばすと、愛おしげに髪と頬に触れ、壊れ物を扱うみたいに、そうっと撫でた。
「必ず、大切にするとお約束します――」
(……あれ?)
あれあれあれあれあれ?
赤い瞳は、まっすぐにわたしの目を見て続けた。
「――愛してます」
「……はああっ?」
何ですって?
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