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第一部
第77話 計画失敗
しおりを挟む今回の計画は、何もかもしくじった。
中でも、一番のしくじりは何かと問われると、間違いなく、今のこの状況だと断言できる。
――失敗した……
(なんで、連れて来ちゃったかなぁ……?)
一年以上も前から計画し、アラン・ノワゼット率いる第二騎士団の連中に、復讐してやるつもりだった。それなのに、
まったくもって、大失敗である。
後ろを振り返ると、リリアーナ・ロンサールが、瞳を煌めかせ、地下水道跡の遺物を物珍しげに眺めていた。
王都の下、張り巡らされた地下水道。果てなく続くかに見える漆黒の通路を、リリアーナ・ロンサールを連れ、先へ進んでいる。
黒みがかる灰色の石を積み上げた壁を、ランプが照らし出す。手を伸ばせば届きそうな、頭上のドーム型天井からひたひたと垂れる水滴の音が、誰かの囁き声のように辺りにこだましていた。
内心、頭を抱えて呻きたくなるのを堪えながら、声を掛ける。
「……令嬢、よそ見してると転びますよ。前を向いて、ちゃんと足元を見ながら歩いてください」
リリアーナは、悪戯が見つかった子どものように華奢な肩を竦めると、にっこりと笑った。
「ごめんなさい。ロウブリッター」
はあっと大きな嘆息が落ちた。
(一年も前から、堅苦しい老執事に扮して、我慢したのになあ……)
一年前のことだ。ロンサール伯爵領であるストランドの邸宅に勤めていた老齢の家令に上手く成り済ませた。
準備万端。細工は流流。後は仕上げを残すのみであった。我ながら、惚れ惚れする抜かりなさであった。
四人の騎士にも言っちゃった。内心、ほくそ笑みながら。
『いえ、わたくしがこちらに参りましてから、一年程でございます。前任者の体調が優れず、故郷に帰ることになりましたので、伯爵家の所領のひとつであるストランドの邸宅で、長年、家令を務めさせていただいておりましたわたくしが、代わりとして呼ばれた次第でございます』
(なのに、まさか……)
『お嬢様方に挨拶も許されぬまま、ストランドへ行くことになりました』
今朝、パルマンティエ夫人とか名乗るご婦人が、突然、遠いストランドからやって来た。もちろん、俺とは初対面であるが、まず間違いなく、本物のロウブリッターの顔を知っている。
今日のロンサール伯爵のサプライズ演出に最も度肝を抜かれたのは、間違いなく、この俺であろう。そういうのは、事前に執事に話通しとけよ、全く。
しかも、今日に限って屋敷中、白黒入り乱れる騎士だらけ。オセロかよ。
正真正銘、絶体絶命である。発覚は目前。計画は完全に破綻したが、ここまで来て手ぶらってのも癪に触る。
夜会の隙を突いて、宝石だけ持ち出した。
夜会の最中に執事が消えると流石に怪しまれる。夜が更けるのを待ち、密かに抜け道から脱出する手筈。
……だったのだ。
「それにしても、すごいですねぇ。これが、何百年も前に作られた地下水道……あ、あの出っ張りはなんでしょう? 何のために付いているのでしょうか?」
のほほん、とした声が、後ろから聞こえる。
「さあ、知りません」
口を塞いで無理やり抱えて連れてきたときは、涙をぼろぼろと零して、怯え切って震えていた。
『あの女騎士なら心配ありません。ただ眠っているだけでじきに目覚めます』
言った途端、こくこくと頷いて、涙を止めた。
『……そうでしたか。……そうですよね。わかりました。大人しくします。ロウブリッターが、そんな酷いことする筈がありません』
実際は、女騎士の右腕くらいは切り落とすつもりだったが、それは言わないでおいた。
ロウブリッターの暑苦しい顔の変装を解いて、素顔を見せると、
「まあ……まあ! すごい! 全く別の人みたいです。ロウブリッター、意外とお若かったんですねぇ!」
感心、という風に、瞳を煌めかせた。
意外どころか、こちとら、まだまだ水も滴る二十代である。
「はあ、どうも……」
と能面のような顔で答えた。
リリアーナ・ロンサールが地下水道跡へ続く道を知っているなら、あの場に置いてくる訳にはいかなかった。
流石に、あの数の騎士に追われるのはキツイ。しかも、あのレクター・ウェインまでいるのだ。
――ルイーズ・オデイエを仕留めようと剣を振りあげた瞬間、
間合いに飛び込んできた華奢な令嬢は、震えていた。夜を呑み込んだみたいな瞳は、涙をたっぷり湛えて、こっちを真っ直ぐ見上げていた。
……そもそも、こういうのは、選択肢があるからいけないのだ。
(令嬢には悪いが、眠ってもらうしかあるまい)
というわけで……睡眠剤塗った針、刺すか……? いや……みぞおち殴ろうかな……?……もしくは、首絞める?……あるいは、首、殴るって手もある。……ほっせえな、……こんな細いの殴ったことねぇ、折れたら困る。この令嬢に恨みはない。
どれにしよっかなぁ、これはああだし、いや、でもこっちはあれだし……と悩むうち、笛の音に呼ばれた騎士達の気配が近づいて来て、その場を去るしかなくなった。
成り行き上しょうがなく、連れてきてしまったのである。
そうは言っても、泣き喚くようなら、眠らせるしかあるまい、と思ったが……
「あ、見てください。あそこに何かいます。あの生き物はなんでしょうか? 親子みたいじゃありませんか?」
「さあ、ドブネズミじゃないですか」
「……なるほど、あれが、ドブネズミですか。初めて見ましたが、思っていたよりも可愛らしいものですね。実物はなかなかの癒し系じゃないですか」
全く、緊張感がない。
「……あの、令嬢、ひとことよろしいですか」
「はい、何でしょう?」
お人形のように小首を傾げて微笑んで、令嬢が応える。
ずっと隠していた顔を初めて見た時は衝撃だった。俺としたことが、数秒固まり、ナプキンを取り落とした。
え、詐欺だろ? と思った。あの有名な姉に勝るとも劣らない、美貌であった。
「貴女はもうちょっと、自分の行く末を心配した方がいい。これから、どんな酷い目に遭わされるんだろう、とか考えないんですか?」
びっくりしたように、目を見開く。はっきり言って、ランプに照らされたその顔もめちゃくちゃ可愛い。
「酷い目に、遭わせられるのですか?」
「……いや、遭わせませんが」
そうですか、なら、良かったです。と、ふんわり微笑んで、またきょろきょろ興味深そうにあたりを見回している。
おかしい……と内心で独りごちる。
何故かやけに信用されているようだが、ロウブリッターでいる間、この令嬢に親切にした覚えなどない。
前任の執事から引き継いだ通り、できるだけ関わらないようにしていた筈である。
「あ、ロウブリッター、……あれ、」
「レオンです」
「はい?」
「名前、ロウブリッターではありません。レオンです」
「お名前を名乗られても、よろしいのですか?」
「本名じゃありません。今から行くところで名乗っている名です。呼び捨てで構いません。苗字はありません」
「そうですか、では、レオン。よろしくお願い致します。では、わたくしのことは呼びやすいように、リリーとでも呼んでくださいね」
「いや、呼びませんから」
腹の底から、大きな嘆息が落ちた。
§
二時間ほど暗闇の中を歩き続け、地下水道を抜けると、河口に出る。目の前には大河の流れ。その先はもう、果てしない海だ。
地下道を抜け、外に足を踏み出すと、リリアーナは緊張が僅かに解けた様子で、ほっと溜め息を漏らした。夜の帳が降りていたが、地下よりはずっと明るい。清々しい風が夜鳴き鳥の声を運ぶ。
天候にだけは恵まれたおかげで、月と星に照らされた目当てのボートは、すぐに見つかった。葦や雑草の生い茂る川べりに降り、ランプを揺らし合図を送ると、小さなボートが近づき、接岸する。
「アナベル」
「レオン、誰だそれ?」
隣に立つリリアーナに気付いた仲間のアナベルがランプを翳し、驚きを滲ませ尋ねた。
片手を額に当て、嘆息交じりに返事をする。
「リリアーナ・ロンサール伯爵令嬢だ。成り行きで仕方なく連れてきた。メイデイランドまで連れて行く」
「…………は?」
案の定、アナベルは絶句し、口をあんぐりと開けた。
「リリアーナ・ロンサールと申します。この度は、とんだことになりましたが、大人しく致しますので、よろしくお願い致します」
おっとりとした声音でそう言うなり、リリアーナはスカートの裾を摘まみ、右足を下げて淑女の礼をして見せた。夜の下でも輝く黒髪がさらりと流れる。
「…………は?」
再び言葉を失ったアナベルは一旦放置することにして、リリアーナに向き直る。
「……令嬢、本当なら、ここに置いていきたいところですが、ここは辺り一帯森しかなく、民家もない。獣が出る危険もあります。その上、この場所は朝には満潮で沈みます。申し訳ないですが、一緒に来てください」
緊張した面持ちではあるが、リリアーナは大人しく、こくりと頷いた。
「あの、家の者が心配していると思いますので、何か、無事がわかるように、目印を置いて行っても構いませんか?」
迷路のような地下水道を抜け、追っ手がここまで辿り着けるとは思えなかったが、気が済むなら好きなようにさせてやろう、と思った。
どうせこれ以上、追ってくることはできない。
頷いて、川べりの上の方の木を指さした。あそこなら、潮が満ちても沈まない。
リリアーナが小枝に丁寧にリボンを結ぶのを見守ってから、ボートに乗り込む。
乗り込むのに手を貸そうと差し出すと、右手を出しかけたリリアーナは、なぜかそれを引っ込め、左手を出した。
「沖に船が泊まっていますから、それに乗って、次の寄港地に向かいます。そこで出航前に降ろしますから、貴女は治安隊屯所に名乗り出てください」
「はい。承知しました。しばらくの間、お世話になります」
小舟の上にお上品に腰掛け、にっこりと微笑むリリアーナを見やり、アナベルがゆるゆると口を開いた。
「……いや……レオン、お前、ちょっと待て。……それは、それじゃ……」
(あ、やばい)
アナベルが口を開きながら急に立ち上がるもんだから、小舟がぐらりと揺らぐ。アナベルの瞳にぼうっと青白い陽炎が灯った。怒っている。これは、とても怒っている。
「……お前、それ、要は……誘拐じゃないか!!」
……目を背けている真実を人から指摘されると胸に突き刺さるものである。
頭を抱えると、情けない声が、溜め息と一緒にすり抜けた。
「……あー、やっぱ、そうなる?」
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