屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

文字の大きさ
上 下
52 / 194
第一部

第52話 虚ろな瞳

しおりを挟む
「ホープのお母様達がいるのでは、と思いましたが、……そこには、誰もいませんでした」

 あの時のがっかりした気持ちが思い出され、嘆息が落ちる。

「でも、そこには……」

 ―――人形が、びっしりと並べられていた。

 非常に精巧な、人と見間違いそうなほどよくできた人形達が、窓もない、暗い地下室のそこかしこに座らされていた。
 着ているドレスの色や形は様々で、百体近くがあったと思う。

 廊下から、ランプの薄明かりが僅かに差し込んでいた。ガラスでできた空虚な瞳が、ドアを開けて入ってきたわたしを、無感情な微笑をたたえてじっと見つめていた。

 あの時感じた、身の毛のよだつような不気味さは、あの場にいた者でなければわかるまい。


「しかも、その人形たちはどれも、髪はストロベリーブロンドで、瞳はエメラルドグリーンでした」

 公爵と騎士達が、眉を顰めたのがわかった。

「それで……わたくしは、一連の事件は全て、マルラン男爵が起こしたのではないか、と思いました。
 でも、それだとわからないのは、夫人に毒を飲ませた方法です。
 男爵邸の使用人達の話によると、男爵は、事件のあった日は早朝から王宮に出られていて、常にどなたかと一緒におられたということでした。
 そして、男爵邸に帰宅したのは夜になってからだったのですよね?
 朝食も一緒に取らず、屋敷で顔を合わせることもなかった夫人に、どうやって毒を飲ませたのでしょうか?」

 時間通りに飲む持病の薬や、口紅などの化粧品に毒を仕込んだ可能性もある。

 しかし、ロレーヌや他の使用人たちが言うには、夫人は持病もなければ、薬など飲んでいなかった。化粧品も第三騎士団が全て回収して行ったが、異常はなかったと、全て返却されたという。

「混乱したまま、ともかく、鍵を返しに書斎に行きました。
 鍵束を引き出しに戻し、何とか鍵を掛け直そうとしましたが、開けるときは簡単だったのに、閉めるのはなかなか上手くできませんでした。
 最後には諦めて、鍵を掛け忘れたのだと思ってくれることを期待して、引き出しだけ戻し、鍵は開けたまま書斎を出ようとしたところで、……ドアが外側から開いて、マルラン男爵と鉢合わせしてしまいました」

「……なんですって……?」

 ブランシュとランブラーまで青ざめ始めたが、わたしは構わず続けた。

「マルラン男爵は、ドアを開けると見慣れないメイドがいたのですから、驚いたようでしたが、わたくしは努めて冷静を装って、『新しく臨時で雇われた下働きでございます』と挨拶をしました。
 こんなときの為に、ハタキなどの掃除道具は手に持っておりましたので、何とか切り抜けられるかと思ったのですが……。
 男爵は、後ろ手にドアを閉めて、ドアの鍵をかけました。そして、低い声で、
『この部屋は、立ち入りを禁じているのだがね』と言いました」

 あの時の声と目つき……。ぬらりと蠢き、舌なめずりする毒蛇のような。
 人から聞く、マルラン男爵の善人だとか言う評判とは、ずいぶん違うように思った。

「『新しく入ったもので、存じませんでした。申し訳ありません』
 と申しますと、
『帽子を取りなさい』
 と言いました。
 帽子というのは、メイドが被っている、頭をすっぽり覆う埃避けの白いメイド帽のことですが、わたくしは、言われたとおりに取りました。
 すると、男爵は急に興味を失ったようになって、もう行ってもいい、今後、ここには近付かないように、と言って、ドアを開けました。
 わたくしはもう一度謝って、急いで書斎を出ました。
 それで……もう、だいたいのことは全部わかったように思いました」

 顔を上げると、皆が青ざめて、黙ってこちらを見ていた。
 ウェイン卿などは、さきほどまで青い顔だったのが、今は赤い顔になって、唇が戦慄いている。
 本当に相当、体調が悪そうに見える。大丈夫だろうか?

「全部、わかった、とは?」

 ノワゼット公爵が、真剣な顔をして先を促した。
 言いにくいことだったが、意を決して、続けた。


「男爵に毒を盛る機会がなかったのなら、他に手を貸した者がいるに違いありません。
 ですが、三人もの女性を誘拐して、夫人に毒を盛る、などという恐ろしい犯罪に手を染める人間が、男爵の近くにもう一人いる、などということが、あり得るとは思えません。
 発覚すれば、絞首刑です。
 誘ったところで、手を貸すどころか、普通は逆に密告されてしまうでしょう?」 

 わたしは一呼吸置き、大きく息を吸ってから続けた。

「……ですが、脅されているなら、話は別です。夫人の付き添いメイドなら、一緒に『花のさえずり』に行って、夫人に毒入りのお茶を飲ませ、お従兄様が到着したのを見計らって、騒ぎ立てて通りすがりの誰かに治安隊を呼びに行かせることができます」

 男爵夫人が、ランブラー・ロンサール伯爵を好きなことを知っていて、手紙を書くよう唆すこともできた。
 夫人は、彼女を可愛がっていたという。まさか、夫が彼女に手を出し、脅しているなどと、疑いもしなかっただろう。


「……彼女は、夫人の付添メイドのロレーヌは、ストロベリーブロンドの髪で、エメラルドグリーンの瞳なのです。
 それから、いつもどこか怯えているようで、ずっと具合が悪そうでした。
 ……あれは、あれは、……おそらく……」

「……わかった、もう十分だ」

 言われて顔を上げると、ノワゼット公爵が気遣うような眼差しで、わたしの顔を見ていた。

 自分でも気付かぬうちに、頬が濡れていた。

 ―――心細そうな、あの優しい笑顔を、思い出す。

『フランシーヌ、ありがとね。あんたってほんと、手際がいいのね。』

 ―――ロレーヌ。

 お腹に子どもができて、途方に暮れたに違いない。

 ―――その時、悪魔が囁いた。

 言う通りにしなければ、ここから追い出す、とでも言われたのだろうか?

 この国で、身重の体で追い出された女性の行き着く先は、誰もが知っている。

 絶望の中、ロレーヌは悪魔の手を取った。

 これから、彼女はどうなるのだろう?


「でも、証拠は何もありません。
 ですから今日、ロレーヌのところに行って、はっきり訊いてみるつもりでした。
 本当は、もっと早くに尋ねるつもりだったのですが、一昨日、第三騎士団の方に見咎められてしまいまして……」
 
 そこの見慣れないメイド、顔を見せろ、と言われ眼鏡を取ったら、よほど怪しく思われたのだろう。
 目を見開いて固まり、顔を真っ赤にしたかと思うと、その後、ずっと付き纏われてしまい、ロレーヌに訊く機会を逸してしまった。
 最後には、家まで送って行く、とまで言い張るのを、何とか撒いて帰ってきた。

「それだけ分かれば、あとはこちらで何とかします。令嬢はここで待っていてください。行くぞ」

 公爵は、そう言うと立ち上がった。

 騎士達もぞろぞろと動き出す。

 わたしも、慌てて立ち上がった。

「あの……早くお伝えしようかとも思ったのですが、証拠を手に入れてからの方が良いだろうと思いまして……、申し訳ありませんでした」

 頭を下げると、こちらを振り向いたウェイン卿が、頭が痛そうに額を押さえながら、ため息混じりに頷く。
 体調不良で、頭痛もするのかもしれない。

「……とにかく、我々が戻るまでどこにも出掛けず、ここでじっとしていてください。必ず、絶対です」

「……はい」


 ―――本当は今日、ロレーヌを説得してマルラン男爵邸にいる第三騎士団に自首させた後、修道院に向けて、発つつもりだった。

 人生とは、時に思いもよらない方角に、突き動かされることがあるらしい。

(ずいぶん、予定が変わってしまったなぁ……)

 思いながら、黒い背中を見送った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたくし悪役令嬢の器ではございませんので、俺様王子殿下の婚約者の座は、わがまま公爵令嬢様に喜んでお譲りいたしますわ

しましまにゃんこ
恋愛
傲慢で思慮の浅いアーロン王太子の婚約者として選ばれてしまった伯爵令嬢のリアナは、王太子の失態を隠すため、体のいい小間使いとして扱き使われていた。今回もまた、学園で平民娘のロマンス詐欺に引っかかったアーロンがリアナに事態の収拾を求めたため、リアナは平民娘を容赦なく断罪する。 アーロンとの婚約関係はしょせん仮初のもの。いずれは解放される。そう信じていたリアナだったが、アーロンの卒業を祝う舞踏会の日、リアナはアーロンの婚約者であることを笠にした傲慢な振る舞いをしたとして断罪され、婚約破棄されてしまう。 その上、明確な罪状がないまま国外追放までされてしまったリアナ。周囲の心配をよそに毅然とした態度で会場を後にするが、その場に崩れ落ちて。 そんなリアナを追いかけてきたのは、第二王子のジェームズだった。誰よりも高貴な身の上でありながら不遇な立場に追いやられているジェームズ。想いの通じ合った二人は手に手を取って隣国に渡る。だが、隣国で意外な事実が判明する。どこまでが彼女の計算だったのか。全ては誰かの手の平の上。 悪役令嬢役を強いられた令嬢がしたたかに幸せを掴み取るお話です。

死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

miniko
恋愛
お茶会の参加中に魔獣に襲われたオフィーリアは前世を思い出し、自分が乙女ゲームの2番手悪役令嬢に転生してしまった事を悟った。 ゲームの結末によっては、断罪されて火あぶりの刑に処されてしまうかもしれない立場のキャラクターだ。 断罪を回避したい彼女は、攻略対象者である公爵令息との縁談を丁重に断ったのだが、何故か婚約する代わりに彼と友人になるはめに。 ゲームのキャラとは距離を取りたいのに、メインの悪役令嬢にも妙に懐かれてしまう。 更に、ヒロインや王子はなにかと因縁をつけてきて……。 平和的に悪役の座を降りたかっただけなのに、どうやらそれは無理みたいだ。 しかし、オフィーリアが人助けと自分の断罪回避の為に行っていた地道な根回しは、徐々に実を結び始める。 それがヒロインにとってのハッピーエンドを阻む結果になったとしても、仕方の無い事だよね? だって本来、悪役って主役を邪魔するものでしょう? ※主人公以外の視点が入る事があります。主人公視点は一人称、他者視点は三人称で書いています。 ※連載開始早々、タイトル変更しました。(なかなかピンと来ないので、また変わるかも……) ※感想欄は、ネタバレ有り/無しの分類を一切おこなっておりません。ご了承下さい。

地味すぎる私は妹に婚約者を取られましたが、穏やかに過ごせるのでむしろ好都合でした

茜カナコ
恋愛
地味な令嬢が婚約破棄されたけれど、自分に合う男性と恋に落ちて幸せになる話。

【読み切り版】婚約破棄された先で助けたお爺さんが、実はエルフの国の王子様で死ぬほど溺愛される

卯月 三日
恋愛
公爵家に生まれたアンフェリカは、政略結婚で王太子との婚約者となる。しかし、アンフェリカの持っているスキルは、「種(たね)の保護」という訳の分からないものだった。 それに不満を持っていた王太子は、彼女に婚約破棄を告げる。 王太子に捨てられた主人公は、辺境に飛ばされ、傷心のまま一人街をさまよっていた。そこで出会ったのは、一人の老人。 老人を励ました主人公だったが、実はその老人は人間の世界にやってきたエルフの国の王子だった。彼は、彼女の心の美しさに感動し恋に落ちる。 そして、エルフの国に二人で向かったのだが、彼女の持つスキルの真の力に気付き、エルフの国が救われることになる物語。 読み切り作品です。 いくつかあげている中から、反応のよかったものを連載します! どうか、感想、評価をよろしくお願いします!

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます! ◆ベリーズカフェにも投稿しています

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

【完結】よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

【完結】お飾り契約でしたが、契約更新には至らないようです

BBやっこ
恋愛
「分かれてくれ!」土下座せんばかりの勢いの旦那様。 その横には、メイドとして支えていた女性がいいます。お手をつけたという事ですか。 残念ながら、契約違反ですね。所定の手続きにより金銭の要求。 あ、早急に引っ越しますので。あとはご依頼主様からお聞きください。

処理中です...